人はなぜ生きようとするのか
楽しみも悲しみも全てなくなれば無に帰るのだから変わらなくないか それを言うならなぜお前は生きているのかと友達に聞かれたのだが、よく考えてみて気がついた。
俺は楽しいこととかあまりよく分からないけど、人がなくなったりするときだけ、美しさや、恐怖を覚えるのだ。つまり俺は人がなくなるのを見るために生きている。不吉だと思うかもしれないがそうだ。
俺は人々が生活をよくしようとする理由がわからない。何かを成し遂げたところで、自分がなくなって仕舞えば意味がないのだ。 >>2
文章がぐちゃぐちゃで申し訳ない。
誰も見ないかもしれないが自分の考えをつづってみたかったのだ。 >>3
幽霊などと言う説もあるが、生物学上化学的に今はなくなれば無に帰るとされているらしい。
そうなれば、生きている間に何をしても変わらないことにならないか。いくら楽しいことをしたって根本的には意味のないことで、その楽しさも消えてなくなる。ならば人はなぜ娯楽をするのか。なぜ生物として生きようとするのか。
見ている人がいたら考えを聞いてみたい。 >>4
ちなみに俺の夢は全人類を無に返すことだ。無理だと思うが夢に掲げるのに悪いことはない。
全人類を無に返した後で俺も無になる。どうだ、そこらへんの何も考えずのうのうと生きてるやつよりマシだと思うがな。 >>5
語彙力がないため、矛盾しているところなどがあれば指摘してくれると嬉しい。
自分は消えたいと思っているが、タヒ以外の逃げ道を探している最中だ。
あいにくタヒにたいのならそれ以上の逃げ道はないと友達に言われてしまったがな笑笑
笑ってる時になんで笑ってしまったんだろうとかよく考えたら何が面白いんだろうとか考えてしまうのは俺の悪い癖である。
タヒ以外の逃げ道として考えたのが人類を無に返すという夢だ。どうかこれが本当の生きがいになりますようにと願うばかりだ。 自分も生きることには意味がないと感じて長く死にたいと思っていたが
ある日、道端の雑草を目にして、
意味がないことは存在してはいけない理由にはならないと気づいた
この宇宙に真に意味のあるものはなく、それでも迷うことなく存在している 釈尊は諸法無我とも説いたけど、因縁因果しかなくて因縁因果であって 楽しむためだけに生きてる
経験したことないこと経験すると頭に気持ちいいスパークが走るのがやめられない
人生たまらんわ