バガヴァッド・ギーター 第十八章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「無限の力を持たれている、クリシュナよ。
離欲とは何か、出家とは何か、教えて下さい。
ケーシ鬼を、打ち滅ぼされた神、ヴィシュヌよ。」

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「アルジュナよ、賢者は、このように見る。
離欲は、行為の果報を、望まないことであり、
出家とは、果報の行為を、行わないことである。」

「アルジュナよ、学者は、このように言う。
全ての行為を止めなさいと、言う者が居れば、
布施と供養だけ続けなさいと、言う者も居よう。」

「バラタ王家の勇者である、アルジュナよ。
ここで、離欲について、わたしの見解を聞け。
聖典には、離欲に三種があると、説かれている。」

「供養と布施と修行に関する、三つの行い。
これらはの行為は、決して止めてはいけない。
それを行う者を、浄らかに変える、からである。」

「しかし、たとえ、この行為を行なう時も、
果報を求めることなく、義務と考えることだ。
アルジュナよ、これこそ、わたしの見解である。」

「ラジャスの人々が愛する、離欲とは何か。
行なうべきことが苦しく、苦しい故に離れて、
怠ける故に疎かになり、成長しないことである。」

「タマスの人が愛している、離欲とは何か。
自分に与えられた義務を、遂行することなく、
ひたすら、為すべきことを、避けることである。」

「サットヴァの人が愛する、離欲とは何か。
名誉や利得に関心がなく、願望することなく、
ひたすら、為すべきことを、行なうことである。」

「アルジュナよ、サットヴァの離欲者とは、
不運な仕事を嫌わず、幸運な仕事に囚われず、
為すべきことを行なう、信念を有する者である。」

「肉体を持っている人にとって、実際的に、
あらゆる行為を捨てることは、不可能であり、
行為の果報を求めない者が、真の離欲者である。」

「離欲しないと、死後に生前の業が現れる。
楽や苦や不苦不楽、三つの果報が現れ始める。
しかし、離欲すれば、これらの果報は現れない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)