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『I AM THAT 私は在る』
【32 生は至高のグルだ】の3回目(つづき)

 質問者 私たちは生きています。なぜならば、そうしなければならないから
 です。
 マハラジ
 私たちは生きている。
 なぜなら感覚的存在を切望しているからだ。
 質問者 普遍的なことがらは、間違いのはずがありません。
 マハラジ
 もちろん間違いではない。
 その時と場所においては間違ったことなど何もない。
 しかし真実に関心を持ち、実在に関心を持つならば、あなたはすべてを、あ
 なたの人生そのものを疑わなければならない。
 感覚的必要性、知的体験を主張することによって、あなたは真理の探究を安
 楽の追求へと狭めてしまうのだ。
 質問者 私は安楽ではなく、幸福を探しているのです。
 マハラジ
 マインドと身体の安楽を超えて、あなたはどんな幸福を知っているというの
 だろう。
 質問者 何かほかにあるでしょうか?
 マハラジ
 自分で見いだしなさい。
 あらゆる衝動を疑いなさい。
 どんな欲望も正当化してはならない。
 身体的、精神的所有物を解き放ち、私利私欲を離れ、発見に対してオープン
 でありなさい。
 質問者 ただ聖者や賢者のそばで生活することだけで解放へ導き、ほかに何
 の手段も必要ないというのが、インドの霊的な伝統の一部です。な
 ぜあなたは、人びとがあなたのそばで生活できるようにアーシュラ
 ムを組織しないのでしょうか?
 マハラジ
 ある組織を設立したとたん、私はその囚人となる。
 実際問題として、私はすべての人に開かれている。
 共有の屋根や食事が人びとをより歓迎するわけではない。
 「近くに生きること」とは、同じ空気を呼吸するという意味ではない。
 それは信頼し、したがい、師の善意を無駄にしないことだ。
 グルをつねにあなたのハートのなかに保ち、彼の教えを覚えていることが、
 本当に真実とともに生きることだ。
 身体的距離の近さが重要なのではない。
 あなたの全人生を、師への信頼と愛の表現にするがいい。
 これが真にグルとともに生きることだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)