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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
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0001名無しを整える。垢版2018/06/14(木) 06:16:59.12ID:QDZvGNkZ
前スレ:鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2
0196名無しを整える。垢版2018/08/18(土) 10:08:50.13ID:sxRbCXwC
>>194
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
6 (そのようにして発現した心のうち)瞑想から生じたものだけが、カルマの刻印を免れている。

7 ヨーギーのカルマは白(善)くも黒(悪)くもない。しかし他の者の行為には、善と悪、そしてそれらの交じり合ったものの三種類がある。

8 これらの(行為)のうち、結実(業報)のための好条件がそろったヴァーサナー(潜在記憶)(習気:じっけ)だけが、特定の生において発現する。

9 欲望とその成就は、類・空間・時間によって隔てられているが、それらには連続性がある。(欲望の)印象と(欲望の)記憶とは、同一だからである。

10 生命欲は永遠であるので、印象もまた無始である。

(´・(ェ)・`)
0197名無しを整える。垢版2018/08/18(土) 10:31:24.29ID:sxRbCXwC
>>195
他の生類への転変=アバターを成す
でありますか?

これは、輪廻的な意味ではなく、凡夫が悟るみたいなことでありましょうか?
生命の進化には、意思が必要みたいなことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0198鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/18(土) 22:47:34.89ID:J3E5UcKN
そうじゃ、アバターを成すのじゃ。

輪廻ではなくヨーギーの能力によるものなのじゃ。
夢幻の如く生命を作り出す能力なのじゃ。
仏教では変化身と呼ばれたりするのじゃ。
0199名無しを整える。垢版2018/08/19(日) 06:48:39.53ID:aivqELXV
>>196
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
11 印象は、原因・結果・基板・支持によって成立しているので、それら四者の消滅に伴い、これら(=印象)も消える。

12 過去と未来は、位相差のゆえにそのような特性をもって現出しているところの、事象そのものの内にある。

13 顕現の状態であれ精妙な状態であれ、それらの特性はグナ性のものである。

14 事象の自己同一性は、グナの転変の一律性に基づく。

15 客体は同一であっても、それを受け止める心がさまざまであるから、認識はさまざまに異なるのである。

(´・(ェ)・`)つ
0200鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/20(月) 00:14:03.40ID:9x1DwUux
グナとはサットヴァ、ラジャス、タマスの三つの心の性質なのじゃ。
客体が同一でも認識が異なるのはその性質の優位に違いがあるからというのじゃ。
同じものを観てもサットヴァが優位ならば智慧を持って見られるのじゃ。
ラジャスが優位ならば活動的なものとしてみるのじゃ。
タマスが優位ならば怠惰なものとしてみるのじゃ。
0201名無しを整える。垢版2018/08/20(月) 08:13:31.78ID:8C9IR9EZ
>>199
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
16 また、客体の存在は、ただひとつの心に依存しているのではない。もしそうであるならば、そのひとつの心がそれを認知しない場合、その客体はどうなるのか?

17 客体は、心がそれによって染められるか否かによって、その存在が知られたり知られなかったりする。

18 心の作用は、その主であるプルシャには常に知られている。プルシャは不変だからである。

19 心は、自ら輝くものではない。それはプルシャに知覚される客体だからである。

20 こころは、主・客を同時に知覚することはできない。(そのことから見ても、心は自ら輝くものではないことがわかる)

(´・(ェ)・`)つ
0202鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/20(月) 21:35:31.86ID:9x1DwUux
心によってものがあるのではないというのじゃ。
ものはあるが心の状態によって知られたり知られなかったりするのじゃ。
主客を同時に知覚出来ない心は、それ自らが知覚されたものであるからであるというのじゃ。
0204名無しを整える。垢版2018/08/21(火) 06:25:39.84ID:XQgLf1uu
>>201
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
21 もし、ひとつの心がもうひとつの心によって知覚されるということがあり得るとするならば、それら(=心)は数限りなく在ることになって、結果として記憶の混乱が生ずるであろう。

22 プルシャの意識は不変である。その像を映すことによって、心は自己に気付くのである。

23 心は、見るものと見られるものの両方から染められることによって、あらゆるものを理解する。

24 無数の欲望を持ってはいるが、心は他者(プルシャ)のために存在するのである。それ(心)はプルシャと連合してはじめて機能することができるからである。

25 心とアートマン(自己)の区別を知る者は、心をアートマンと考えることが永遠に止む。

(´・(ェ)・`)つ
0206鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/22(水) 00:01:16.30ID:0BnWFTFD
>>203 そうじゃ、観察されることで自我は観察者ではないと気付くのじゃ。

決して認識されない認識主体で在るアートマンに達すれば認識される心は止まるのじゃ。
それは認識されるものであるからアートマンではありえないのじゃ。
そのようにしてアートマンの道は成就されるのじゃ。 
0207名無しを整える。垢版2018/08/22(水) 07:11:36.51ID:zgw8kwY5
>>204
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
26 そのとき心は識別(ヴィヴェーカ)の方へと傾き、絶対(カイヴァリャ)に引き寄せられる。

27 その間隙にも、過去の印象(サンスカーラ)から来る雑念が生ずることはある。

28 それらは、前述の(サーダナ・パダ 1、2、10、11、26)諸障害(煩悩)の除去と同様の方法によって除去することができる。

29 完全なる識別によって最も高い報償に対してさえ全く無欲となった者は、不断の、明敏なる識別のうちにとどまるものであり、それはダルマメガー・サマーディ(法雲三昧)と呼ばれる境地である。

30 そのサマーディによって、全ての苦悩(煩悩)とカルマ(業)は終熄する。

(´・(ェ)・`)つ
0208鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/22(水) 23:00:39.95ID:0BnWFTFD
全ての苦悩と業が消滅するのは観照が起きたからなのじゃ。
パタンジャリはサマーディによって観照まで至れると主張するのじゃ。
そのためには自我の観察が為されているのじゃ。
実践によって確かめる以外にないのじゃ。
0209名無しを整える。垢版2018/08/23(木) 09:15:00.50ID:DN3B0iox
>>207
パタンジャリのヨーガスートラ
第四章
31 かくして、知の全ての覆いと汚れが完全に取り除かれる。この知は無限であるので、なおも知られるべきものはほとんどない。

32 そのとき、三つのグナはその目的を遂げたので、転変の継起を終える。

33 (前述の)継起とは、刹那の不可分の連続である。そしてその刹那は、その転変の終極においてはじめて把握される。

34 かくして、もはやプルシャに仕えるという目的のなくなった三グナはプラクリティに還入し、かの無上なる独存の境地(カイヴァリャ)が現れる。それは、純然たる意識の力が自らの純粋な本性の内に安住することだといってもよい。

(´・(ェ)・`)つ
0210名無しを整える。垢版2018/08/23(木) 21:56:37.74ID:DN3B0iox
パタンジャリのヨーガスートラ
終わってしまったのである。
次は何にしようか思案中のくまであります。
(・(ェ)・)つ
0211鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/23(木) 22:43:28.63ID:x0YjkDR+
悟りに達すれば全ての知られるものもなくなるのじゃ。
知識さえも悟りのための道具に過ぎなかったのじゃ。
全ての観念は無くなり、三つのグナさえもなくなるのじゃ。
全ては永遠の意識に回帰していくのじゃ。
0212名無しを整える。垢版2018/08/24(金) 06:46:14.84ID:4beYD8NR
ガーヤトリー・マントラ

om bhrbhuva sva
tat savitur vareya bhargo devasya dhmahi
dhiyo yo na pracodayt
オーム ブールブヴァハ スヴァハ
タット サヴィトゥル ヴァレーニャン バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒ
ディヨー ヨー ナハ プラチョーダヤートゥ
(オーム 地よ、空よ、天よ
我らが、彼(か)の太陽神の愛でたき神の光輝を獲得せんことを
我が為に、彼が知性を鼓舞せんことを)


オーム ブールブヴァハ スヴァハ
タット サヴィトゥル ヴァレーニャン バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒ
ディヨー ヨー ナハ プラチョーダヤートゥ
(オーム 地よ、空よ、天よ
我らが、彼(か)の太陽神の愛でたき神の光輝を獲得せんことを
我が為に、彼が知性を鼓舞せんことを)

オーム ブゥ ブヴァ スァファ
物質的な世界 微妙な心の世界  因果の世界
タァ サヴィトゥ ヴァアレェエニャム
あの  宇宙の究極の実在を  あがめます
バァゴォ デヴァアシャ ディイマヒ
この究極の輝き  叡智の実在を、 深く瞑想します


ガーヤトリー・マントラ
(´・(ェ)・`)つ
0213名無しを整える。垢版2018/08/24(金) 15:46:42.59ID:qxMzaP5A
バガヴァッド・ギーターはどうでしょう?
0214鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/24(金) 22:45:54.20ID:/YLTWPUk
よいことじゃ。
オショーとか、クリシュナムルティでもよいのじゃ。
自ら選ぶとよいのじや。
0215名無しを整える。垢版2018/08/24(金) 23:10:09.87ID:4beYD8NR
>>213
ご提案、ありがとうどあります。
バガヴァッド・ギーター、調べてみたのでありますが、以前はネットで無料で読めたらしいのでありますが、残念ながら削除されてたであります。
ヴェーダとかも探してみたのでありますが、なかなかまとまったものがないのであります。
>>214
クリシュナムルティなら、色々あるでありましょう。
探してみるであります。
ありがとうであります。

今夜は、昨日の流れで準備した、十三仏真言を置いておくであります。

不動明王真言
ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン

釈迦如来真言
ノウマク・サンマンダボダナン・バク

文殊菩薩真言
オン・アラハシャノウ

弥勒菩薩真言
オン・マイタレイヤ・ア・ソワカ

普賢菩薩真言
オン・サンマヤ・サトバン

地蔵菩薩真言
オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ

薬師如来真言
オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ

勢至菩薩真言
オン・サンザンザンサク・ソワカ

弥陀如来真言
オン・アミリタ・テイゼイ・カラ・ウン

大日如来真言
オン・アビラウンケン

阿しゅく如来真言
オン・アキシュビヤ・ウン

観自在菩薩真言
オン・アロリキャ・ソワカ

虚空蔵菩薩真言
ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリ・キャマリ・ボリ・ソワカ

(´・(ェ)・`)つ
0216名無しを整える。垢版2018/08/25(土) 01:42:55.10ID:ogUmOfil
urlが貼れないのですが、「my library バガヴァッド・ギーター」とgoogleで検索すると、6つ目に表示されるサイトに全訳が載っていますよ。
0217名無しを整える。垢版2018/08/25(土) 05:37:02.16ID:COjHMvmq
>>216
どうもありがとうであります!
バガヴァッド・ギーターの購読ゼミにさせていただくであります。
(´・(ェ)・`)つ
0218名無しを整える。垢版2018/08/25(土) 05:55:48.87ID:COjHMvmq
バガヴァッド・ギーター
第一章
クル族の王、ドリタラーシトラは、こう言った。

「サンジャヤよ、この神々が守る聖なる地、
クルクシェートラに集った、我が軍勢を見よ。
我が息子と、敵のアルジュナは、何をしている。」

盲目の王に代り、サンジャヤは語り始めた。
彼は、神仙の力で、千里眼を与えられていた。
この物語は、サンジャヤが、語ったものである。

ドリタラーシタラの子、ドゥルヨーダナは、
布陣した、アルジュナの大軍を、眺めていた。
そして、軍師のドローナに近づき、こう言った。

「アルジュナ率いる、壮大なる敵軍を見よ。
あれは、貴方の弟子により、布かれたものだ。
そこには、アルジュナに匹敵する、勇士がいる。」

「偉大な戦士ドルパタ、強力な国王カーシ、
スバドラーの息子に、ドラウパディーの息子、
見なさい、彼らは、誰もが、勇敢な戦士である。」

「ドローナが率いる、屈強なる自軍を見よ。
これは、貴方の手によって、布かれたものだ。
そこには、ドローナに匹敵する、大賢者がいる。」

「最大の英雄ビーシュマ、常勝の士ドルナ、
ソーマダッタの息子に、ドローナ軍師の息子、
見なさい、彼らは、誰もが、聡明な戦士である。」

その時、高らかに法螺貝が吹き鳴らされた。
英雄ビーシュマの、獅子吼が呼び水となって、
戦場に鬨の声が響き渡り、遂に戦闘が始まった。

この凄まじい大音量は、天と地を引き裂き、
ハヌマーンを掲げる、敵の軍勢を切り裂いた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0219名無しを整える。垢版2018/08/25(土) 09:06:02.41ID:COjHMvmq
>>218
ふむふむ。
天使と悪魔の戦いではなく、
勇敢な戦士と聡明な戦士の戦いでありますね。
徳のあるものどうしのたたかいでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0220鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/25(土) 22:13:57.15ID:sT31TB3n
クリシュナ神を信仰する者の話なのじゃ。
カルマヨーガなのじゃ。
それは戦士階級の者には欠かせない教えとなるのじゃ。
0221名無しを整える。垢版2018/08/25(土) 22:57:49.30ID:COjHMvmq
>>220
なるへそ!戦場の指揮官に対する教えみたいなものなのでありますね。
仏教と使われる言葉や言い回しの共通な部分も多くありますが、ブッタの教えとの違いがいを考えながら読んでみるであります。
(´・(ェ)・`)つ
0222名無しを整える。垢版2018/08/26(日) 00:40:24.35ID:h4bysm6j
大昔のボンボンの長い甘えた理論を現代に学びたい人
   暇な人
0223名無しを整える。垢版2018/08/26(日) 05:02:21.15ID:uGw2uxDC
>>218
1バガヴァッド・ギーター
第一章(つづき)
ハヌマーンを掲げる、敵の軍勢を切り裂いた。
アルジュナは、クリシュナに向かって、言った。

「ああ、クリシュナよ、戦車を止めてくれ。
わたしは、誰と戦うべきか、分かっていない。
見よ、戦うべき敵軍に、我が親族が集っている。」

「クリシュナよ、敵陣に並ぶ、親族を見て、
我が口は渇き、皮は焼かれ、足は震えている。
心が苦しむ余り、立つ事さえも、ままならない。」

「戦いで親を殺して、良い報いが有ろうか。
どうして、王国の勝利を望むことが出来よう。
王国も、勝利も、彼らの為に、望んでいたのに。」

「師匠、父親、息子、叔父、その他の縁者。
彼らが私を殺そうとも、私は彼らを殺せない。
たとえ、全宇宙の為にも、況や、王国の為には。」

「我らを危める者を、我らが殺めるならば、
我らの方にこそ、その報いは降り懸るだろう。
それゆえ、殺されようとも、殺すべきではない。」

「心を乱された者が、罪を犯したとしても、
心を乱さない者が、法を侵すべき道理はない。
我が一族が罪を犯せば、全ての民族が法を侵す。」

「ダルマが破られて、アダルマが現われる。
アダルマは、この世の、カルマを汚していく。
カルマに歪められて、カーストが壊されていく。」

「宇宙の秩序である、カーストが壊れれば、
地獄の蓋が開いて、すべての人が地に落ちる。
地上の王国が滅びる、そんな類いでは済まない。」

「どうして、王権の為に、大罪を犯せよう。
真剣を掲げた彼らが、王権を捨てた私を殺す。
それこそ、私が望むべき、相応しい結末である。」

それだけ言うと、戦いの最中、彼は座り込んだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0225鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/26(日) 21:36:34.94ID:ikZ7EIPX
殆どの宗教は殺人を罪としているのじゃ。
そのために武士の階級では苦悩が生じるのじゃ。
その階級の者のために戦闘的な教えが説かれるのじゃ。
日本では日蓮宗とかなのじゃ。
昔の武士は日蓮宗が多かったのじゃ。
0226名無しを整える。垢版2018/08/26(日) 23:18:07.39ID:/33YVkpx
嘘こけw
0227名無しを整える。垢版2018/08/27(月) 08:26:16.39ID:O4HnrcOf
>>223
バガヴァッド・ギーター 第二章

悲しみに沈む彼に、クリシュナは、こう言った。

「この危急に際して、その女々しさは何か。
アルジュナよ、悲劇に酔い痴れてはならない。
その弱気を、神々が歓ぼうか、賢者が喜ぼうか。」

アルジュナは、クリシュナに、このように語る。

「私が尊敬する、ビーシュマやドローナ達。
戦争だからと、どうして、彼らと戦えようか。
彼らの血で汚れた物を、食べて喜べると思うか。」

「我らが勝つべきか、彼らこそ勝つべきか。
どちらが良いのか、わたしには、分からない。
だた、彼らを殺したくない、それだけは解かる。」

「どちらが良いか、はっきり示して欲しい。
私は、悲しみの為に、真我が曇らされている。
私の迷妄を払えるのは、君の他に私は知らない。」

アルジュナに、クリシュナは、微笑んで言った。

「アルジュナよ、世に響く、賢者たる者は、
死についても、生についても、嘆かぬものだ。
君は、嘆く必要のない事で嘆く、言い訳じみて。」

「アルジュナよ、私にしても、君にしても、
我々は、今までに、存在しなかった事がない。
それゆえ、是からも、存在しなくなる事がない。」

「確かに、少年期、青年期、老年期を経て、
生まれた自我は、老いていき、死んでしまう。
しかし、真我は不滅ゆえに、再び生まれ変わる。」

「賢者は、それを見とめて、迷う事がない。
確かに、自我が生まれて、苦楽が生まれるが、
無常であることを見とめて、囚われる事がない。」

「楽が生まれると、必ず、苦が埋れている。
苦と楽や、生と死を、平等に見とめるものは、
楽を捉えようと、苦に捕らわれず、不死となる。」

「自我は不滅ではない、真我は不滅である。
真理を悟った者は、自我と真我の境界を見る。
アルジュナよ、遍く満ちる真実を、不滅と見よ。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)
0228鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/27(月) 22:50:51.62ID:nqlmhLZ4
不滅の真我とは認識できない認識主体なのじゃ。
在ると言えるのはそれだけなのじゃ。
それを知れば迷うことは無いのじゃ。
0229名無しを整える。垢版2018/08/27(月) 23:59:53.79ID:O4HnrcOf
うむ。
義務を果たす、とか、カースト、とかは、今まで講読会で読んだブッタの教えでさ、取り上げてげてなかったような気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ
0230名無しを整える。垢版2018/08/28(火) 00:13:23.95ID:S7U1QP5S
そういえば、ニサルガダッタ・マハラジがバガヴァッド・ギーターを最高の教えと評していた対話録を読んだ記憶があります。
そして、ギーターを読むときは、アルジュナ側の視点ではなく、自分がクリシュナであり、自分が真理を語っているものとして読みなさい、と質問者にアドヴァイスをしていました。
マハラジの属していた宗派も、出家ではなく、在家で各々の役割を果たしながら修行するのを奨励していたので、似たものがあるのかもしれませんね。
0231名無しを整える。垢版2018/08/28(火) 03:21:55.26ID:dnM4kBZG
たびたび失礼します。
三つのグナの教えをみて感じたのですが、
これらの心のどの状況も苦を生むようにできているように思えるのです。
性格とはこれらの組み合わせにすぎないと説いた人もいます。
どの状況にも囚われないことが大事なのでしょうか。
自身に強くある性質がこれだと感じた場合、
それと真逆のことをすべきなのでしょうか。
0232名無しを整える。垢版2018/08/28(火) 03:24:44.12ID:r8vQoVVv
たびたび失礼します。
三つのグナの教えをみて感じたのですが、
これらの心のどの状況も苦を生むようにできているように思えるのです。
性格とはこれらの組み合わせにすぎないと説いた人もいます。
どの状況にも囚われないことが大事なのでしょうか。
自身に強くある性質がこれだと感じた場合、
それと真逆のことをすべきなのでしょうか。
0233名無しを整える。垢版2018/08/28(火) 03:24:59.48ID:72K+Amuy
たびたび失礼します。
三つのグナの教えをみて感じたのですが、
これらの心のどの状況も苦を生むようにできているように思えるのです。
性格とはこれらの組み合わせにすぎないと説いた人もいます。
どの状況にも囚われないことが大事なのでしょうか。
自身に強くある性質がこれだと感じた場合、
それと真逆のことをすべきなのでしょうか。
0234名無しを整える。垢版2018/08/28(火) 06:47:03.72ID:GfP00RWq
>>227
バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

「彼が殺すと思う者、彼が滅びると思う者、
どちらも、私という者を、理解できていない。
真我は殺しもしないし、真我は殺されもしない。」
「彼は、決して生まれず、決して死なない。
彼は、不生であり、常住であり、不滅であり、
自我は殺められようとも、真我は危められない。」
「さながら、人々が、服を着替えるように、
魂は、古い体を捨てて、新しい体に着替える。
服を破った処で、彼を殺せたと言えるだろうか。」
「如何なる物も、彼を危めることは出来ず、
如何なる者も、真我を殺めることは出来ない。
真我は、不動であり、堅固であり、永遠である。」
「彼が、死なないと考えて、嘆くにしても、
彼が、死んでしまうと考えて、歎くにしても、
彼が嘆くことはない、彼は現れないものである。」
「生が生まれると、必ず、死が埋れている。
生れれば死んでしまい、死ねば生れてしまう。
避けられないことに、君は、嘆くべきではない。」
「無いものが、現われてから、消えていく。
あらゆる現れは、無から始まり、無に終わる。
どうして、この事実を、悲しむ必要があろうか。」
「ある者は、この事実を、見て驚くだろう。
又、ある者は、この真実を、聞き愕くだろう。
それでも、彼を見とめる者は、何処にも居ない。」
「一切の者の身体に宿っている、この魂は、
永遠不滅であり、殺すことなど不可能である。
だから、君は、このことを、嘆くべきではない。」
「クシャトリア、武人の義務から考えても、
真理を護る戦いより、優れるものがあろうか。
武人として、聖戦に挑めれば、冥利に尽きよう。」
「戦えば、天国の使者が、君を出迎えよう。
逃げるなら、義務を果せず、武人の名が廃る。
戦士が汚名を残す屈辱は、戦死よりも耐え難い。」
「君が逃げるなら、今まで称えていた者も、
卑怯者や、臆病者と、君を蔑むようになろう。
況や敵をや、これに勝る恥辱が、何処にあろう。」
「君が戦死すれば、天上で極楽を味わうし、
君が戦勝すれば、地上で栄華を味わうだろう。
アルジュナよ、立ち上がれ、戦う、決心をせよ。」
「幸か不幸か、損か得か、勝つか負けるか、
考えることなく、我を忘れ、戦うべきである。
そうすれば、決して、君は罪を負うことがない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)
0235名無しを整える。垢版2018/08/28(火) 06:48:15.97ID:GfP00RWq
>>230
おー!
マハラジさんおすすめでありましたか!
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ
0236名無しを整える。垢版2018/08/28(火) 22:31:56.93ID:erFeNzUj
格義仏教的な理解では、佛教の理解なんて一生無理だなw
0237鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/28(火) 22:51:02.81ID:sxGBTmzC
>>229 そうじゃ、お釈迦様は産まれによるカーストの区別には反対であったがのう。
 それぞれの義務を果たすものがその職に在るものなのじゃ。
 修業するものがバラモンであり、商いをする者が商人なのじゃ。

>>233 三つのグナはどれも執着すれば苦になるじゃろう。
 しかし、サットヴァは知覚するものであり、苦を厭離できる性質のものでもあるのじゃ。
 よく使えば苦を厭離できるのじゃ。
 執着せずに使うとよいのじゃ。
0238名無しを整える。垢版2018/08/28(火) 23:49:47.78ID:GfP00RWq
グナについて復習

>2.15 得たものを失うことへの恐怖と懸念、結果として心の中に残り新たな切望をひき起こす印象、心を支配する三グナの絶えざる相克、これらに鑑みるとき、識別ある者にとっては実にあらゆるものが苦である。

>サットヴァとは気づくこと、認識することなのじゃ。
ラジャスとは活動なのじゃ。
タマスとは惰性なのじゃ。

>グナとはサットヴァ、ラジャス、タマスの三つの心の性質なのじゃ。
客体が同一でも認識が異なるのはその性質の優位に違いがあるからというのじゃ。
同じものを観てもサットヴァが優位ならば智慧を持って見られるのじゃ。
ラジャスが優位ならば活動的なものとしてみるのじゃ。
タマスが優位ならば怠惰なものとしてみるのじゃ。

専門用語に慣れなければなりますまい。
(´・(ェ)・`)つ
0239名無しを整える。垢版2018/08/29(水) 06:44:01.97ID:AklDBYN/
>>234
2バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

「以上は、理論に於ける、知性の話をした。
以下は、実践に於ける、知性の話しをしよう。
知性を磨き上げれば、君は行為の束縛を離れる。」

「知性は、多くのものに、分けようとして、
真の知性は、一つのものに、集めようとする。
その念の力を、真我に集めて、人々は解脱する。」

「この実践には、無駄もなく、後退もなく、
それゆえ、この道を、少しだけ進むだけでも、
大いなる輪廻の恐怖が、減っていくことになる。」

「愚か者は、ヴェーダの華麗な詩句に酔い、
感覚の満足と、贅沢な生活に、心を奪われる。
様々な儀式を執り行い、天界に至ることを望む。」

「財宝の蓄積や、感覚の快楽に捕らわれて、
その追求のために、彷徨い続ける人の心には、
真理を愛して、神理に仕える、思いは生じない。」

「ヴェーダでは、善性と暗性と動性を説く。
アルジュナよ、いつも、善性を拠り所として、
執着を離れ、相対を脱却して、自己を統御せよ。」

「至る所に水が溢れる時、井戸は要らない。
同様に、真理を悟った者に、経典は要らない。
ヴェーダに溺れる者には、ヴェーダが未だ要る。」

「カルマとは、行為であり、結果ではない。
よって、行為の結果を、行為の動機とするな。
また、何もしないことに、囚われてはならない。」

「アルジュナよ、カルマを忠実に遂行せよ。
成否に捕らわれる、あらゆる余念を放棄せよ。
こうした、心の静寂を、ヨーガと呼ぶのである。」

「奉仕の精神で、行為の果報を期待しない。
一切の結果を、真我に委ねて、義務を果たせ。
報酬を期待するのは、雇われている人間である。」

「全智者に対して、自らを奉げた奉仕者は、
この世に於いて、自我を越えて善悪を離れる。
アルジュナよ、これこそが、行為の秘訣である。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0240鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/29(水) 22:28:46.15ID:JfRxzFkJ
>>238 そうじゃ、次の文もグナを説いているのじゃ。

「ヴェーダでは、善性と暗性と動性を説く」
 善性とはサットヴァのことなのじゃ。
 暗性がタマスであり、動性がラジャスなのじゃ。
 「アルジュナよ、いつも、善性を拠り所として、
執着を離れ、相対を脱却して、自己を統御せよ。」
というのがサットヴァによって観察し、執着を離れ、相対的な観念を脱却して自己を統御せよというのじゃ。
 
0241名無しを整える。垢版2018/08/30(木) 14:45:09.19ID:7b8NO5lq
>>239
バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

悲しみに沈む彼に、クリシュナは、こう言った。

「仏性が、真理である、神と合一した者は、
行為の結果を捨てて、生と死の束縛を離れる。
そして、苦楽を越えた、憂い無き境地に達する。」

「仏性が現れて、迷妄の闇から抜け出すと、
過去に捕えたこと、未来に捉えるだろうこと。
すべてに超然として、心が囚われることがない。」

「君の心が、ヴェーダの詩句に惑わされず、
すべてを平等に捉える、自己の本性を悟ると、
三昧により、不動となり、神の意識に到達する。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、真我に没入した者の意識、
智慧を具足した者の心とは、如何なるものか。
彼は、如何に語り、如何に座り、如何に歩むか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、感覚の欲望を悉く離れて、
自己の本性に満足し、超然として泰然とする。
純粋なる意識に、目覚めた者、彼を賢者と呼ぶ。」

「逆境に於いても、心が乱れることがなく、
順境に在っても、心が思い上がることがない。
貪瞋痴を越え、不動となる者、彼を聖者と呼ぶ。」

「好きなものを見ても、囚われることなく、、
嫌いなものを見ても、捕らわれることがない。
好き嫌いの感情を超越した者、彼を覚者と呼ぶ。」

「あたかも、亀が手足を甲羅に収める様に、
眼耳鼻舌身の対象から、感覚を引き払う者は、
完全なる智慧、プラジュニャーを得たと言える。」

「たとえ、禁欲を為して、快楽を離れても、
過去に味わった快楽は、記憶として残される。
それは、より良い物を味わい、越えるしかない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)
0242鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/30(木) 22:51:44.79ID:x9XxRpd1
行為の結果を期待せずに行うのがカルマヨーガなのじゃ。
難しいことでは在るがのう。
それが出来れば修業にも成果を気にせず打ち込めるのじゃ。
精進すれば純粋な意識にも到達するのじゃ。
0243名無しを整える。垢版2018/08/30(木) 23:32:21.49ID:7b8NO5lq
>>242
うむ。
不思議なことは、まるっきり予期してないときにしか起こらないのであります。
して、起こっても、気のせいかなと思っている短期間に、繰り返し起こるのである。
で、よし!と思って、再現性を期待すると、テコでも起こらないのである。
不思議であります。
(´・(ェ)・`)つ
0244名無しを整える。垢版2018/08/31(金) 06:53:17.77ID:7R1dixOW
>>239
2バガヴァッド・ギーター 第二章
悲しみに沈む彼に、クリシュナは、こう言った。

「仏性が、真理である、神と合一した者は、
行為の結果を捨てて、生と死の束縛を離れる。
そして、苦楽を越えた、憂い無き境地に達する。」

「仏性が現れて、迷妄の闇から抜け出すと、
過去に捕えたこと、未来に捉えるだろうこと。
すべてに超然として、心が囚われることがない。」

「君の心が、ヴェーダの詩句に惑わされず、
すべてを平等に捉える、自己の本性を悟ると、
三昧により、不動となり、神の意識に到達する。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、真我に没入した者の意識、
智慧を具足した者の心とは、如何なるものか。
彼は、如何に語り、如何に座り、如何に歩むか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、感覚の欲望を悉く離れて、
自己の本性に満足し、超然として泰然とする。
純粋なる意識に、目覚めた者、彼を賢者と呼ぶ。」

「逆境に於いても、心が乱れることがなく、
順境に在っても、心が思い上がることがない。
貪瞋痴を越え、不動となる者、彼を聖者と呼ぶ。」

「好きなものを見ても、囚われることなく、、
嫌いなものを見ても、捕らわれることがない。
好き嫌いの感情を超越した者、彼を覚者と呼ぶ。」

「あたかも、亀が手足を甲羅に収める様に、
眼耳鼻舌身の対象から、感覚を引き払う者は、
完全なる智慧、プラジュニャーを得たと言える。」

「たとえ、禁欲を為して、快楽を離れても、
過去に味わった快楽は、記憶として残される。
それは、より良い物を味わい、越えるしかない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)
0245名無しを整える。垢版2018/08/31(金) 18:39:10.56ID:wIEFquqL
鬼和尚、サットヴァ=阿頼耶識=観察する能力なんですか?
0246鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/08/31(金) 22:28:46.63ID:uKc3ARP0
>>243 期待すると記憶による観念を見ようとしてしまうからなのじゃ。
 何の計らいも捨ててただひたすら集中するとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>245 サットヴァは心の性質であるから阿頼耶識ではないのじゃ。
 ものごとを認知する性質なのじゃ。
 阿頼耶識がもつ性質の一つとはいえるじゃろう。
 それをうまく使えばよいのじゃ。
 
0247名無しを整える。垢版2018/09/01(土) 08:14:59.07ID:7ScrrC5V
>>246
>何の計らいも捨て
と言うことの意味が、よくわかったであります。ありがとうであります!

> サットヴァは心の性質であるから阿頼耶識ではない。
(阿頼耶識)ものごとを認知する性質
(サットヴァは)阿頼耶識がもつ性質の一つ
 
で、ありますか?
(´・(ェ)・`)つ
0248名無しを整える。垢版2018/09/01(土) 08:24:59.20ID:7ScrrC5V
>>244
バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

「アルジュナよ、感覚の欲求は強く激しく、
行を修めた者の心さえ、力ずくで揺るがせる。
不動の真我に、心を合わせる者は、智者である。」

「対象を見たり、対象を思ったりする事で、
人は、その対象に、愛着を感じるようになる。
愛着から欲望が生じて、欲望から嫌悪が生じる。」

「嫌悪から妄想が生じ、妄想で記憶が乱れ、
今までの教訓を忘れ、仏性が曇らされていく。
その結果、人々は、物質次元、現象界に落ちる。」

「解脱の道を歩んで、感覚を統御する者は、
真我の恩寵により、愛着と嫌悪から出離する。
現象界の、三重苦が消滅して、知性が安定する。」

「知性が、真我に回帰しようとしない限り、
感情も治められないし、仏性も修められない。
平安の境地に臨めないと、真の幸福も望めない。」

「あたかも、舟が風に吹き流されるように、
たった、一つの感覚でも、心を奪われたなら、
たちまち、人の仏性は、吹き飛ばされてしまう。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
諸々の感覚の対象から、完全に撤退した者や、
完全に超越した者は、完全に覚醒したと言える。」

「愚者に夜であろうと、賢者には昼である。
愚者には昼であろうとも、賢者には夜である。
賢者は、他の生物とは、異なる見方をしている。」

「さながら、無数の川が流れ込んでいても、
海は泰然としていて、常に不動であるように、
他の欲が流れ込んでも、賢者は平然としている。」

「物欲や肉欲、すべての欲望を放棄した者、
支配欲や所有欲、あらゆる願望を出離した者、
このような人だけが、真実の平安に至るだろう。」

「これが、ブラフマンに到達する道である。
ここに到達した者は、一切の迷妄が消滅する。
臨終に際して、ここに至れば、光明に没入する。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0249名無しを整える。垢版2018/09/01(土) 21:22:01.57ID:TS1gimP6
「アルジュナよ、感覚の欲求は強く激しく、
行を修めた者の心さえ、力ずくで揺るがせる。
不動の真我に、心を合わせる者は、智者である。」

真我に心を合わせるとは、無に集中するということでしょうか?
0250鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/01(土) 23:22:53.42ID:Bwkvh45C
>>247 サットヴァはものごとを認知する性質なのじゃ。
 サットヴァは阿頼耶識のもつ性質の一つと言えるのじゃ。
 そのように理解すると善いのじゃ。

>>249 真我とはそれ自体は認識できない認識の主体なのじゃ。
 ただ見るだけのものなのじゃ。
 見る意識そのものなのじゃ。
 何かを見ても心にそれに対する好悪や愛着が無ければ真我に心を合わせたといえるのじゃ。
 ただ見たものごとを見たものだけであると認識するのじゃ。
 サマーディ、忘我、無我の認知なのじゃ。
0251名無しを整える。垢版2018/09/02(日) 08:29:39.98ID:uuWWb54e
>>250
鬼和尚、ありがとうであります。
> 真我とはそれ自体は認識できない認識の主体。

そのような主体があった方が、無我にたどり着く道のイメージを持ちやすくなる気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ
0252名無しを整える。垢版2018/09/02(日) 08:43:05.79ID:uuWWb54e
バガヴァッド・ギーター 第三章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。
「クリシュナよ、果報を求める行為よりも、
知性を磨く行為の方が、優れているのならば、
どうして、わたしに、戦えと言われるのですか。」
「あなたが、曖昧な言い方をしているため、
わたしの心は、迷いを越えることが出来ない。
私にとって、最善の道は何か、明言して下さい。」
クリシュナは、アルジュナに、このように説く。
「この世で、真理を悟る道は、二つがある。
ヨーギーには、実践者の道、行為の道があり、
サーンキャには、理論家の道、哲学の道がある。」
「たとえ、作為を恐れて、行為を避けても、
すでに犯した罪からは、逃れられる事はない。
この世を捨てたとしても、越えられる事はない。
「好もうが、好むまいが、人というものは、
プラクリティのグナによる、カルマによって、
唯の一瞬たりとも、活動しないでは居られない。」
「体が動かなくても、心が動いているのは、
自らを欺く行為であり、彼は偽善者に等しい。
体が動いても心は動じず、これが放棄者である。」
「何もしないこと、無作為に徹するよりも、
何も囚われないこと、無頓着に徹するべきだ。
行為をしなければ、肉体さえ維持できなくなる。」
「アルジュナよ、真我のために、活動せよ。
さもなければ、行為に縁って、行為が導かれ、
この、現象界に縛り付ける、輪廻の原因となる。」
「はじめに、創造主は、万物を創造されて、
それぞれ、カルマを与え、このように言った。
行為を奉げなさい、願望は適えられるだろうと。」
「人々から供養を受けて、神々は満足して、
神々から加護を享けて、人々は安心している。
神に報いられ、神に酬いない者は、盗賊である。」
「自らが食べる物を、自ずから食べる前に、
神に対して奉げる者は、すべての罪を免れる。
味を貪り食べる者は、罪を食べるようなものだ。」
「すべての生物は、穀物により生きている。
すべての穀物は、恵みの雨により生きている。
天からの雨は、義務の遂行によって降って来る。」
「カルマは、ブラフマンから発されていて、
ブラフマンは、永遠普遍の至高の存在である。
だからこそ、カルマに不滅の存在が関って来る。」
「アルジュナよ、こうして、行為の車輪を、
すなわち、チャクラを、回転し続けない者は、
感官の快楽を貪り続けて、空しい人生を過ごす。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0253名無しを整える。垢版2018/09/02(日) 13:48:07.23ID:RMgKZVR3
>>250
>真我とはそれ自体は認識できない認識の主体なのじゃ。

「それ自体は認識できない認識の主体」とは「私は在る」とか観照者と呼ばれているものですか?

鬼和尚さまが悟るとは認識を滅することだとおっしゃているのは、その「それ自体は認識できない認識の主体」が消えることですか?

だとしたら涅槃においては何も認識のようなものはないということでしょうか、あるいは別の認識があるのでしょうか

涅槃は知覚の対象にならないとか認識できないというような説明を見かけますが、認識できないものの存在が語られるのがよくわかりません

主客未分であるとき「それ自体は認識できない認識の主体」があり、主体は主客なき主体のまま在るのはわかりますが、
その先において主体と認識はどうなるのでしょうか
0254仏教の超初心者垢版2018/09/02(日) 14:04:08.27ID:TZoMLoVJ
先ず、

1.ここで鬼和尚と名乗っている者は、仏教僧ではないのに僧侶を騙る紛い物であること。
2.仏教とスレタイにはあるが、実際の内容は不二一元論であること。


本来、ヴェーダでは「真我(アートマン)とは何々であると定義できないもの」とされているので、「それ自体は認識できない認識の主体」とも定義され得ない。
本来、仏教では常・一・主・宰なる我という本体認めておらず、延いては「それ自体は認識できない認識の主体」等という、確認できないもの等形而上学上の問題については無記としている。


簡単に云うと、無認識であったことを後から認識するだけの事(無認識の認識)に他ならない。
0255名無しを整える。垢版2018/09/02(日) 19:59:44.95ID:SyRfW1bo
鬼和尚、ギーター2章のまとめをお願いします。
0257鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/02(日) 23:44:13.29ID:e77ganDF
>>251 そうじゃ、それがアートマンの法であり、道なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>253 違うのじゃ。
 それはないのじゃ。
 アートマンはそもそも存在しないのじゃ。
 上に書いたようにそのような認識できないものがあるとしたほうが修業の目標になり、やり易いから説かれたのじゃ。
 そしてそれは正しい説き方なのじゃ。
 何か修業の途中で認識できるものがあればそれは幻影と言えるからのう。
   
 唯識論が概ね正しいのじゃ。
 記憶に依存した認識である阿頼耶識が消えれば本来の認識が現れるのじゃ。
 主体も客体も無く認識するのが本来の認識なのじゃ。
 それを9識というとものいるが、言葉で説かないほうが正しいとする者も居るから知られないのじゃ。
 どちらも正しいのじゃ。

>>255>>256 クリシュナが説いたのは、本来カルマヨーガであるが、ここではそれとともにアートマンの法やブラフマンも説いているのじゃ。
 ギーターが読むべきものとされているのはそのようにヴェーダの法を遍く解説しているところじゃろう。
 仏教で言えば法華経のようなものじゃ。
 重要な法を物語りに託してそれぞれ説いているものなのじゃ。
 ここまでは百科事典的なものといえるのじゃ。
 後に更に詳しく解説が為されるのじゃろう。
 
0258名無しを整える。垢版2018/09/02(日) 23:57:07.13ID:uuWWb54e
>>257
鬼和尚、いつもありがとうであります。  マハラジ、ギーターの二本立てになり、ご苦労をお掛け致しますが、よろしくお願いするであります。
どちらも、これから先が、ワクワクくまくまであります。
(´・(ェ)・`)つ
0259名無しを整える。垢版2018/09/03(月) 02:22:26.74ID:EO663O/v
>>258
別スレもあるんですか?
よかったらurl教えてください
0260名無しを整える。垢版2018/09/03(月) 02:34:32.26ID:EO663O/v
みつかりましたw
0261名無しを整える。垢版2018/09/03(月) 06:30:22.73ID:37cC01Vs
>>252
バガヴァッド・ギーター 第三章(つづき)

「一方で、自らの中に、アートマンを認め、
歓喜を帯び、満足を得て、安住している者に、
もはや、果たすべき業、義務は存在していない。」

「彼は、行為することで、得るものも無く、
また、行為をしないことで、失うものも無い。
そして、他の如何なる者にも、頼ることが無い。」

「よって、行為の結果に囚われることなく、
果すべき義務として、淡々と天命を遂行せよ。
そうしなければ、魂は、真我に回帰が出来ない。」

「例えば、ジャナカ王などが、挙げられる。
彼らは、義務の遂行により、覚醒に到達した。
君も、人々の手本となるべく、為すべきを為せ。」

「何事に於いても、偉人が行なったことを、
一般の人々は、同じように真似るものである。
指導者が範を示せば、彼に、全世界の人が倣う。」

「わたしは真我であり、この三界に於いて、
課せられていることなど、何一つとしてない。
それでいながら、なお、私は活動し続けている。」

「というのも、もし、私が活動しなければ、
誰もが私に倣って、活動しなくなってしまう。
私が活動しなければ、直ちに全世界が消滅する。」

「愚か者は、果報を求めて、活動をするが、
賢い者は、果報を求めないで、活動している。
その活動は、世の人を、正しく導くことである。」

「果報を求めない、賢者が活動しないとき、
果報を求めてしまう、愚者が混乱してしまう。
賢者は無償で活動して、奉仕の精神を倣わせる。」

「アルジュナよ、自我に囚われている者は、
サットヴァ、ラジャス、タマスの動きを見て、
自分が為している、働いていると考えてしまう。」

「しかし、一方、自我に捕らわれない者は、
自分の行為は、三つのグナの作用と見とめて、
決して、自分の行為に、捕らわれることがない。」

「アルジュナよ、三つのグナに惑わされて、
迷わされた人々は、現象界の活動に捕われる。
この姿は、囚われると見えず、越えると見える。」

「囚われた者に、不安を与えてはならない。
アルジュナよ、すべての行為を真我に任せて、
自らの行為と捕らえることなく、勇ましく戦え。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0262名無しを整える。垢版2018/09/03(月) 17:54:33.10ID:EO663O/v
マハラジやギーターの言う「真我」は鬼和尚の「意識」と同じものではないんですか?

マハラジ  何ひとつ私によっては為されない。
すべてはただ起こるのだ。
私は期待しないし、計画も立てない。
ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
それらが非現実だと知りながら――。

質問者 真我を実現した最初の瞬間から、あなたはつねにこのようだったのでしょうか?

マハラジ  いつものように三つの状態は交替する。
そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
それらはただ起こる。
私には何も起こらないのだ。
そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存在―意識―至福がある。
私はつねにそのなかに在る。
いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできないのだ。

質問者 それでも、あなたは意識しています!

マハラジ  そうとも言えるし、またそうでないとも言える。
そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。
できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。
私はほとんど気がつかないほどだ。

質問者 もし私があなたを正しく理解したとすると、修練によって培うことではこの状態はやってきません。

マハラジ  やってくるということはない。
それはつねにそうだったのだ。
発見はあった。そして、それは突然のものだった。
誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を発見したのだ。

質問者 それは雲がかかっていて、あなたのサーダナ(修練)が霧を晴らしたのでしょうか?
あなたの状態は永久なものでしょうか、断続的なものでしょうか?

マハラジ  絶対的に揺るぎのないものだ。
私が何をするにせよ、それは岩のように不動なのだ。
ひとたび実在に目覚めたならば、あなたは実在のなかにとどまる。
子供は子宮のなかに戻りはしない!
それはシンプルな状態だ。
極小よりもさらに小さく、極大よりもさらに大きい。
それは自明であるにもかかわらず、描写を超えた彼方に在る。
0263253垢版2018/09/03(月) 18:44:03.54ID:mgR0mCrc
>>257
そうですか。

上座部仏教で言われている心、心所、色(物質)、涅槃の4つがあるという見方は妥当ですか?

妥当だとした場合、「私は在る」「観照者」「無我の境地」「九識」はどこに対応するものでしょうか?

心=「私は在る」「観照者」「無我の境地」
心所
色(物質)
涅槃=「九識」

でしょうか?

心と完全に厭離することで本来の認識(九識)があらわれそれが悟りであるということでしょうか
0264鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/03(月) 22:13:46.77ID:4d+sWj3y
>>262 真我は意識ではないのじゃ。
 それは悟りを得るための法なのじゃ。
 真我を実現して意識にたどり着くと言えるのじゃ。
 アートマンは月を示す指のようなものじゃ。
 
>>263 それらも修業の為に作られた観念なのじゃ。
 囚われてはいかんのじゃ。
 何も対応しないのじゃ。
 
 心というならばそれは唯識ではマナ識とかになるのじゃ。
 阿頼耶識を厭離できれば悟りなのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
0265名無しを整える。垢版2018/09/03(月) 22:40:03.65ID:EO663O/v
>>264
>>262のマハラジ「私は突然、真我の存在を発見したのだ。 」
この部分はどう解釈すればよいのでしょうか?
0266仏教の超初心者垢版2018/09/03(月) 22:59:07.20ID:maWmGmHR
>>263
私は唯識に若干親しいので、その視座から五位で分析する場合は、以下に該当しませんでしょうか?

九識 → 心法
 (ただし第九識(阿摩羅識)は、唯識学では立てず、天台・華厳系にてたてられた識で、真如を示す 立ち位置ですのでよくは存じません)

「私は在る」 → 色法(認識である場合は心所法の慧?)
「観照者」 → 心所法(慧?)
「無我の境地」 → 心不相応行法(無想定、滅尽定) or 無為法(想受滅)
0267名無しを整える。垢版2018/09/03(月) 23:17:04.91ID:mgR0mCrc
>>264
あらゆる観念に捉われないというシンプルな導きですね。
ありがとうございました。

>>266
「私は在る」というのは二サルガダッタ・マハラジがよく話しているあらゆる認識に先だつ存在最初の感覚のことです。
観照者というのは非二元などでよく語られていますが定義が人によって少し違うように思います。
無我に関しては鬼和尚さまは自己の捉われはなくなったものの存在という認識の捉われが残っている小悟の状態として話されてるように思います。

鬼和尚さまの会話をいつも見ているのでこのあたりの鬼和尚さまの定義を理解したいと思い聞きました。

自分は唯識はまだあまり理解してないのでお言葉参考にして勉強してみたいと思います。
ありがとうございました。
0268佛教の超初心者垢版2018/09/03(月) 23:58:15.76ID:oODCE29n
>>267
成る程、そうですか。

>あらゆる認識に先だつ存在最初の感覚のことです。

佛教は現象(有為)については縁起説(此縁性や相依性等)なので「ありき」論はたてませんからね。
従って、マハラジ氏の「私はある」を佛教でいう五位説に当て嵌めるのは不適切でしたね。

>観照者というのは非二元などでよく語られて

その意味においても「観照者」も非佛の様ですから、同じく佛教でいう五位説に当て嵌めるのは不適切でしたね。

>鬼和尚さまの定義を理解したいと思い聞きました。

彼は佛教僧でないのは勿論、不二一元論者です。
0269名無しを整える。垢版2018/09/04(火) 06:45:09.92ID:Xo3ipGI9
>>261
3バガヴァッド・ギーター 第三章(つづき)

「もし、真我を信じて、私の教えに従がい、
いつでも、疑うことなく、行為をするならば、
いずれ、カルマの鎖を断ち、自由に成るだろう。」

「一方、真我を疑って、私の教えに逆らい、
いつでも、従うことなく、行為をしなければ、
いずれ、カルマの淵に落ち、破滅に至るだろう。」

「たとえ、優れた者でも、天命に縛られる。
つまり、あらゆる者は、本性に従がっている。
先天の性に逆らおうとしても、徒労に過ぎない。」

「感覚の対象に対して抱く、愛着と嫌悪を、
人は、よく修めることで、よく治めるべきだ。
この善悪の観念は、真理を悟る時に障害となる。」

「完全なる、他人の義務を引き受けるより、
不全だろうと、自分の義務を果し切りなさい。
他人の道で迷うよりは、自分の道で死ぬべきだ。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、自分の意志に反してまで、
時に人は、罪深い行為に、駆り立てられるが、
このような、無意識の力は、何の力であろうか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、その力は、カーマである。
カーマとは、ラジャスから生じたものであり、
この欲界に現われる、最大の敵であると心得よ。」

「煙に巻かれている炎、塵で曇らされた鏡、
それから、子宮に包まれている胎児のように、
あらゆる生物は、それぞれ、欲に覆われている。」

「欲望という天敵に、意識は汚されている。
それは、底なしの谷のように、飽きを知らず、
燃え盛る炎のように、身と心を焼き焦している。」

「欲望は、眼と耳と鼻と舌と身と意に宿る。
欲望に狂わされた心は、仏性を覆い隠すため、
正しい道が解らなくなり、我々の魂を迷わせる。」

「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
何よりも先ず自らの、五感を統御することで、
理論知と実践知を損う、欲望を滅尽することだ。」

「真我が現われないと、仏性は現われない。
仏性が現われないならば、精神は洗われない。
精神のない感覚は無く、感覚のない対象も無い。」

「それゆえ、私は、仏性よりも上位と知り、
至高の支配者である、アートマンを確立して、
カーマと呼ばれている、恐るべき敵を征服せよ。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0270名無しを整える。垢版2018/09/04(火) 06:48:53.36ID:Xo3ipGI9
>>269
うー。
ギーターって、戦士に対する教えと言うことで、洗脳に悪用できるのではありますまいか?
(´・(ェ)・`)つ
0271名無しを整える。垢版2018/09/04(火) 07:47:24.05ID:bMjDWu5h
どんな教えでもその危険性はありますよね。

ダンマパダ311 茅草でも、とらえ方を誤ると、手のひらを切るように、修行僧の行も、誤っておこなうと、地獄にひきずりおろす。
0272鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/04(火) 22:56:46.38ID:efTluV2k
>>265 悟ったということをアートマンによって現したのじゃ。
 アートマンは本来実現されず、発見されないものじゃ。
 しかし、そのように言わなければ衆生はわからないからいうのじゃ。
 悟りも得るものでも、開くものでもないが衆生の為に悟りを得たとか、開いたとかいうのじゃ。
 得るものも開くものも無い悟りもそのように語らなければならないのじゃ。
 アートマンも実現されず、発見されないがそのように語らなければわからない者のために実現したとか発見したと言うのじゃ。

>>267 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさぃ。

>>270 そうじゃ、オウムの者も実はカルマヨーガによって洗脳されていたのじゃ。
 組織の為に殺人も良いという教義であるからのう。
 気をつけなればいかんのじゃ。
0273鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/04(火) 22:57:05.73ID:efTluV2k
>>265 悟ったということをアートマンによって現したのじゃ。
 アートマンは本来実現されず、発見されないものじゃ。
 しかし、そのように言わなければ衆生はわからないからいうのじゃ。
 悟りも得るものでも、開くものでもないが衆生の為に悟りを得たとか、開いたとかいうのじゃ。
 得るものも開くものも無い悟りもそのように語らなければならないのじゃ。
 アートマンも実現されず、発見されないがそのように語らなければわからない者のために実現したとか発見したと言うのじゃ。

>>267 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさぃ。

>>270 そうじゃ、オウムの者も実はカルマヨーガによって洗脳されていたのじゃ。
 組織の為に殺人も良いという教義であるからのう。
 気をつけなればいかんのじゃ。
0274名無しを整える。垢版2018/09/05(水) 06:21:04.37ID:EhZPyKyl
成る程ねぇ。

オカルト板で始まったスレに鬼和尚のコテハンで現れてレスしているうちに、本物の仏教僧と勘違いされて、

> 452 名前:本当にあった怖い名無し [sage] :
>2007/05/12(土) 00:34:05 ID:RT7LEuIb0
> なんでいつの間にか鬼和尚が仕切ってるような
> 流れになってるんだ?

になっていったんだな。
良識あるスレの住民からは非佛の指摘も出ていたけれど、勘違いした連中の声に掻き消されて・・・


事の始まりからして鬼和尚は胡散臭かった訳だ。
0275名無しを整える。垢版2018/09/05(水) 07:22:36.18ID:wdKJobBH
>>261
バガヴァッド・ギーター 第三章(つづき)

「もし、真我を信じて、私の教えに従がい、
いつでも、疑うことなく、行為をするならば、
いずれ、カルマの鎖を断ち、自由に成るだろう。」

「一方、真我を疑って、私の教えに逆らい、
いつでも、従うことなく、行為をしなければ、
いずれ、カルマの淵に落ち、破滅に至るだろう。」

「たとえ、優れた者でも、天命に縛られる。
つまり、あらゆる者は、本性に従がっている。
先天の性に逆らおうとしても、徒労に過ぎない。」

「感覚の対象に対して抱く、愛着と嫌悪を、
人は、よく修めることで、よく治めるべきだ。
この善悪の観念は、真理を悟る時に障害となる。」

「完全なる、他人の義務を引き受けるより、
不全だろうと、自分の義務を果し切りなさい。
他人の道で迷うよりは、自分の道で死ぬべきだ。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、自分の意志に反してまで、
時に人は、罪深い行為に、駆り立てられるが、
このような、無意識の力は、何の力であろうか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、その力は、カーマである。
カーマとは、ラジャスから生じたものであり、
この欲界に現われる、最大の敵であると心得よ。」

「煙に巻かれている炎、塵で曇らされた鏡、
それから、子宮に包まれている胎児のように、
あらゆる生物は、それぞれ、欲に覆われている。」

「欲望という天敵に、意識は汚されている。
それは、底なしの谷のように、飽きを知らず、
燃え盛る炎のように、身と心を焼き焦している。」

「欲望は、眼と耳と鼻と舌と身と意に宿る。
欲望に狂わされた心は、仏性を覆い隠すため、
正しい道が解らなくなり、我々の魂を迷わせる。」

「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
何よりも先ず自らの、五感を統御することで、
理論知と実践知を損う、欲望を滅尽することだ。」

「真我が現われないと、仏性は現われない。
仏性が現われないならば、精神は洗われない。
精神のない感覚は無く、感覚のない対象も無い。」

「それゆえ、私は、仏性よりも上位と知り、
至高の支配者である、アートマンを確立して、
カーマと呼ばれている、恐るべき敵を征服せよ。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0276名無しを整える。垢版2018/09/05(水) 19:57:59.40ID:wB3xwv9O
真我に心を合わせている時は(できているのかわかりませんが)
行為する意欲もゼロになって体の動きも止まります
カルマヨーガはその状態で行為するということですが
どうやって行為するのでしょうか?

それとカルマヨーガとは結局どうやって悟りに至るんですか?
臨終に悟るんでしょうか?
「これが、ブラフマンに到達する道である。
ここに到達した者は、一切の迷妄が消滅する。
臨終に際して、ここに至れば、光明に没入する。」
0277鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/05(水) 21:39:37.73ID:pTZ5b1lQ
>>276 行為に没頭してサマーディに至るのじゃ。
 よくあることじゃ。
 仕事に熟れた職人などはそのようにして名品を生み出すのじゃ。

 サマーディに至れば自我も見えて無我にもなるのじゃ。
 無我になれば認識も厭離できるのじゃ。
 
0278名無しを整える。垢版2018/09/06(木) 09:57:29.43ID:2pqiaI3x
バガヴァッド・ギーター 第四章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「この不滅のヨーガを、至上者である私は、
太陽神である、ヴィヴァスヴァットに教えた。
それから、彼が、人類の父であるマヌに伝えた。」

「こうして、ヨーガの道は、受け継がれて、
古の聖者達は、伝承の教えを守り継いで来た。
しかし、長い歳月を経て、この法統は失われた。」

「アルジュナよ、君は、私の真の信奉者だ。
だからこそ、君に、この原初のヨーガを説く。
君は、この人智を超えた、神秘を会得できよう。」
アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、太陽の神が現われたのは、
あなたの誕生の時より、遥かに昔のことだが、
どうして、あなたが、太陽神に授けられたのか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「私も、君も、何度も生まれ変わっている。
わたしは、前世のことを、全て覚えているが、
世の人々は、前生のことを、何も知らないのだ。」

「私は、生まれることも、死ぬこともなく、
万物の主にして、恒常不変たる真我であるが、
自己の本性に依存する、自己の幻影が出現する。」

「ダルマが滅びて、アダルマが栄えるとき、
私は、この現象界に、身体を現わすのである。
ダルマを伝える為なら、どんな時代にも現れる。」

「こうして、私の活動を、如実に知る者は、
この世の死に際して、魂が身体を離れた後に、
生まれ変わることなく、我が元に来るのである。」

「古より数多の人々が、全てを私に任せて、
執着と無智と憎悪を離れ、清浄となったのだ。
彼らは、熱により浄化され、私の状態に達した。」

「真我に奉げただけ、真我から与えられる。
すべてを私に任せれば、すべてが報いられる。
あらゆる人は、あらゆる道から、真我に向かう。」

「世の人々は、行為の成就と果報を求めて、
様々な神々を供養して、それらを願っている。
こうして、欲界の果報は、速やかに与えられる。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0279鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/06(木) 22:12:09.05ID:5yl/oK/1
クリシュナは自らがアートマンとして語っているのじゃ。
それもまた教えの一つではあるのじゃ。
アートマンに全てを捧げたものは全てを得るとは無我になり、悟りを得るからなのじゃ。
難しい道ではあるがのう。
0280名無しを整える。垢版2018/09/07(金) 06:35:58.54ID:Adin5zTF
>>278
バガヴァッド・ギーター 第四章(つづき)

「自然界にある、三グナとカルマに応じて、
わたしは、人間界を四つのカーストに分けた。
それでいて、わたしは、それらを超越している。」

「わたしは、如何なる行為も囚われないし、
また、真我は、如何なる果報も望んでいない。
私を悟った者も、行為や果報に縛られなくなる。」

「古来より、解脱した者は、誰であろうと、
こうして、真理を解して、行為を正していた。
よって、君も、先達に倣い、カルマを浄化せよ。」

「カルマとは何か、又、アカルマとは何か。
賢者でさえ、カルマを定義するのは、難しい。
カルマについて、今から、わたしが説明しよう。」

「アカルマは無活動、ヴィカルマは誤活動、
カルマ、つまり、活動の諸相は複雑であるが、
人は、カルマを正しく理解しなければならない。」

「カルマの中にも、アカルマを認めるもの、
アカルマの中にさえ、カルマを認めるものは、
如何に行為していても、相対を超越できている。」

「如何なる欲望も持たず、行動できる者は、
完全なる覚醒を得た者、覚者であると心得よ。
彼らは、真理の炎で、業を焼き尽した者である。」

「行為の結果について、捕らわれない者は、
カルマを作りながら、カルマに縛られないし、
自我を所有しない者は、ヴィカルマを作らない。」

「自然に得られたもので、満足を得ながら、
自他を比較して羨まず、成否に悩まない者は、
如何に活動していようと、縛られることがない。」

「現象界における、相対の利害を超越して、
自我を放棄して、無頓着に徹する者の行為は、
すべて、真我に対する供養となり、功徳となる。」

「ブラフマンの意識で、供養を行うならば、
ブラフマンの領域に、必ずや到達するだろう。

供物も、供養する者も、ブラフマン自身である。」

「種々の神々に、供養する修行者もいれば

ブラフマンに対し、供養する修行者もいよう。
音色を供える者もいれば、香を供える者もいる。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0281名無しを整える。垢版2018/09/08(土) 00:21:09.68ID:E499kP5R
鬼和尚、3章のまとめもお願いします。
0283名無しを整える。垢版2018/09/08(土) 10:32:22.51ID:3ig6llpk
>>280
バガヴァッド・ギーター 第四章(つづき)

「ある修行者は、感官や呼吸を供物として、
また別の修行者は、信念や苦行を供物とする。
ヨーガの八段階を実践して、ヴェーダを修める。」

「三昧に入るため、調気法を実践する者は、
入息と出息を供養し、最終的に呼吸が止まる。
また、ある者は、断食を為して、呼吸を止める。」

「供物の意義を知り、供養を実践する者は、
悪業の果報を清算して、心身を浄化しながら、
無上の甘露を味わい、永遠の楽土に入っていく。」

「甘露を得る者は、ブラフマンに到達する。
アルジュナよ、この供養を実践しないならば、
すべてのカルマは、究極の処、ダルマに通じる。」

「アルジュナよ、正しい導師に倣うことだ。
導師に仕えて、法則を尋ねて、真理を修めよ。
真我に至った覚者のみ、弟子に法を授けられる。」

「真理を悟った者は、幻影に迷うことなく、
あらゆる生き物は、真我の中に存在していて、
真我である私が、所有するものであると、知る。」

「たとえ、君が、悪人の中の悪人だろうと、
この偉大な、智慧の船に乗ることが出来れば、
あらゆる不幸の大海を、渡り切ることが出来る。」

「あたかも、森を、炎が焼き尽くすように、
全てのカルマは、智慧の炎で焼き尽くされる。
アルジュナよ、智慧が浄化の源泉であると知れ。」

「ヨーガを完成して、真我を楽しめる者や、
熱烈なる信仰を持って、欲望を制御する者は、
この無上の智慧を具えて、究極の平安に達する。」

「一方、無知にして、信心が足りない者や、
神から下ろされた、聖典を疑ってしまう者は、
現世においても、来世においても、不幸である。」

「果報を求めず、淡々と天命を果たす者や、
正しい智慧により、疑念や迷妄を払った者は、
自己の本性に徹して、業に捕らわれないと知れ。」

「君の心の迷いは、君の無智が原因である。
アルジュナよ、さあ、真理の剣で無智を祓い、
ヨーガにより武装して、立ち上がり自己と戦え。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0284鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/08(土) 22:07:56.02ID:lbdqVsKq
三章ではカルマヨーガによる義務の遂行が詳しく説かれているのじゃ。
真我の実現、或いは発見のためにと義務を遂行するのが修行者の務めであるというのじゃ。
義務の遂行を果たしてこそ覚醒もあると説かれたのじゃ。
制感によって欲から離れ、義務の遂行を果たせばいずれ、カルマの鎖を断ち、自由に成るというのじゃ。
0285名無しを整える。垢版2018/09/09(日) 08:42:11.43ID:ehf34qq9
>>284
うむ。
ここでは、戦士としての義務でありますが、日々の仕事や生活に誠実に取り組むことと受け止めれば良いのでありますね。
結果を恐れるのではなく、やるべきことをやれと言うことでありますね。

鬼和尚ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ
0286名無しを整える。垢版2018/09/09(日) 08:55:16.09ID:ehf34qq9
バガヴァッド・ギーター 第五章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「先ず、あなたは、カルマを離れよと言い、
次に、あなたは、カルマを果たせと言われる。
どちらが正しいのか、ここに明言して頂きたい。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「行為の放棄、すなわち、サンニヤーサも、
放棄という行為、すなわち、カルマヨーガも、
共に解脱に導く道だが、後者の方が優れている。」

「行為の果報に、好き嫌いを抱かない者は、
いつも、離欲と放棄を行じていると、心得よ。
彼は、あらゆる二元を越え、現象界を解脱する。」

「ヨーガの修行法、すなわち、実践の道と、
サーンキャの修行法、すなわち、理論の道を、
愚者は別の道と考えて、賢者は同じ道と考える。」

「ヨーガを行うことで、与えられる境地は、
サーンキャを学ぶことで、得ることが出来る。
一方を究める者は、双方を極めることが出来る。」

「放棄の行為、つまり、奉仕の行為をせず、
行為を放棄するだけでは、不浄のままである。
一方、ヨーガを行じるなら、ブラフマンに至る。」

「ヨーガを行じる者の心は、清らかであり、
すべての生物に対して、思いやりの心を持ち、
カルマを作っていようと、カルマに縛られない。」

「見ても、聞いても、触れても、嗅いでも、
味わっても、起きても、食べても、動いても、
覚者は、内心では、何もしていないと観ている。」

「話すときも、捨てるときも、取るときも、
五感が対象に触れていると、見とめるだけで、
覚者の心は、いつでも、超然として囚われない。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0287名無しを整える。垢版2018/09/09(日) 08:58:54.66ID:ehf34qq9
>>286
>行為の放棄、すなわち、サンニヤーサ、
>放棄という行為、すなわち、カルマヨーガ

>放棄の行為、つまり、奉仕の行為をせず、
行為を放棄するだけでは、不浄のままである。
一方、ヨーガを行じるなら、ブラフマンに至る。

うむ。整理して進まないと、籾殻脳が混乱するであります。
(´・(ェ)・`)つ
0288鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/09(日) 23:00:58.94ID:qKn0j4qW
四章ではこのヨーガの起源と理論が説かれているのじゃ。
クリシュナはアダルマ、非法が栄えた時にこの世に姿を現し、正法を説くというのじゃ。
相対性を超越し、自我も行為も無い者はブラフマンとなるのじゃ。
制感や呼吸法を行い、ヨーガを行いヴェーダを学ぶことでブラフマンに到達するというのじゃ。

>>287 そうじゃ、全てを放棄してヨーガを実践するのじゃ。
0289名無しを整える。垢版2018/09/10(月) 07:14:56.86ID:TvPMRNDo
>>286
バガヴァッド・ギーター 第五章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「執着の心を捨てて、為すべきことを為し、
その果報を、ブラフマンに供養している者は、
蓮の葉が水に濡れないよう、罪を寄せ付けない。」

「カルマヨーガを行う者は、執着を捨てて、
心身と知性を用いて、あらゆる活動を行うが、
それは、ひたすら、自らを浄化するためである。」

「ヨーガを行じれば、心から平安に達して、
ヨーガを行じなければ、絶えず不安に怯える。
これは、果報を求めるか、否かの、違いである。」

「体を持った魂が、三つのグナを支配して、
諸々の活動について、心が無頓着でいるなら、
不自然な行為が消えて、自然な感覚に安らげる。」

「この体に宿っている、真我というものは、
行為することもなく、行為させることもない。
現象界の三グナが、すべての行為を演じている。」

「善行を果たすにせよ、悪行を果すにせよ、
真我は、そのどちらにも、突き動かされない。
真我は不動であるのに、自我が苦悩してしまう。」

「真の道理によって、無明の闇を打ち破り、
真の光明を得たならば、疑問は悉く氷解する。
あたかも、太陽の下では、万物が明らかな如く。」

「心と知性を、真理に固定して不動となり、
真我に帰依して、すべてを真我に委ねたとき、
智慧によって、すべての迷妄を祓い、解脱する。」

「真理を修めた賢者は、慈愛に満ちていて、
選民も、賤民も、家畜も、犬も、牛も、象も、
差別することなく、万物を平等に観るのである。」

「すべてを平等に見て、心が安らかな者は、
すでに輪廻を越えていて、生まれ変わらない。
彼らは、ブラフマンの中に、安住し切っている。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0290鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/10(月) 23:16:03.07ID:Em9o2vUy
カルマヨーガでは行いの結果を求めずに行動することが常に協調されるのじゃ。
果報をブラフマンに捧げるとか言うのじゃ。
それがサマーディにいたる行いのヨーガなのじゃ。
そのようにして光明を得たなら万物を等しく見る平等性智がもたらされるのじゃ。
0291名無しを整える。垢版2018/09/11(火) 02:16:47.94ID:QK6+zuin
>>290
くま、瞑想とかできなくなってしまったので、せめて、意識的にあらうと思ってるのであります。カルマヨガを実践するであります。
(´・(ェ)・`)つ
0292名無しを整える。垢版2018/09/11(火) 09:03:06.10ID:QK6+zuin
>>289
バガヴァッド・ギーター 第五章(つづき)

「真理を修めることで、迷妄を越えた者は、
好いものに囚われず、悪いものに捕われない。
彼らは、二元を越えて、ブラフマンに安住する。」

「解脱した者は、外なるマーヤに捕われず、
快楽を離れて、内なるアートマンに囚われる。
ブラフマンに集中し、永遠に続く幸福を味わう。」

「仏陀は、快楽というものが続かないこと、
過ぎた後に、苦悩が訪れることを知っている。
それゆえ、このような、虚しい喜びに耽らない。」

「もし、体を捨てる前に、感覚を制御して、
欲情と憤怒を抑制することが、出来るならば、
その人は、現世においても、幸福になるだろう。」

「内なる幸福を得て、内なる歓喜を味わい、
内なる光明を見とめる、ヨーガの実践者こそ、
ブラフマンと合一をして、涅槃に達するだろう。」

「二元の善悪を超え、内なる喜びに溢れて、
全ての疑念を打ち払い、利他を実践する者は、
ブラフマンに回帰し、永遠の平安を得るだろう。」

「憎悪や物欲や肉欲、煩悩を放棄した者や、
自己の本性を知り、真我に至る精進する者は、
やがて、梵我一如の境地、一元の境地に達する。」

「外界との接触を離れて、眼を眉間に注ぎ、
鼻腔を通る、入息と出息を、均等にしながら、
心と感覚と知性を統御すれば、必ずや解脱する。」

「供養の究極の目的である、自在神であり、
生類の幸福を願っている、大慈悲神であると、
真我を、よく知る者は、シャーンティに達する。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0293鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/11(火) 22:12:24.92ID:uYECMjhj
ここではヨーガのさまざまな技法が解説されるのじゃ。
制感、眉間への集中、呼吸法、怒りや欲の放棄等なのじゃ。
それらを実践してアートマンに至れば、この世を離れた喜びが訪れるのじゃ。
そしてブラフマンに回帰して永遠の平安に住する者となるのじゃ。
0294名無しを整える。垢版2018/09/12(水) 07:20:22.27ID:AL1AxIHK
バガヴァッド・ギーター 第六章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「行為の結果に執着せず、義務を果す者は、
たとえ、供犠を為さず、祭儀を為さなくとも、
真の出家者であり、ヨーギーである、と言える。」

「真の離欲とは、ヨーガと同じものであり、
ヨーガの目的とは、神と合一することである。
欲望を放棄しなければ、ヨーギーにはなれない。」

「ヨーガの初心者では、行為を果たすこと、
ヨーガの熟練者では、行為に囚われないこと、
これが、八段階のヨーガを修める、定法である。」
「あらゆる事物に対する、欲望を捨て去り、
あらゆる感覚に於ける、快楽を貪ることなく、
無償で行為する者は、ヨーガの完成者と言える。」

「己の心次第で、向上もして、下向もする。
人は、己の心を治めて、自らを高めるべきだ。
我が心とは、我が親友であり、我が仇敵である。」

「心を克服できれば、心は最良の友であり、
心を克服できなければ、心は最大の敵である。
友となるか、敵となるか、我が心が決めている。」

「心を克服した者は、至上の我に到達する。
彼にとっては、幸福も不幸も、寒さも暑さも、
名誉も恥辱も同じであり、真我に安らいでいる。」
「真智により、真我に満足したヨーギーは、
感覚を統御して、ブラフマンに安住している。
玉であれ石であれ、すべてを平等に認めている。」

「己に好意を持つ者と、己に悪意を持つ者。
友も敵も、善人も悪人も、そして中立の人も、
すべてを平等に捉える者は、非常に優れている。」

「ヨーギーは、心を真我に対して集中して、
人里を離れた所、森の中に独り暮らしながら、
心を常に制御して、欲望と所有を捨てるべきだ。」

「アルジュナよ、ヨーガを実修する行者は、
人里を離れた所で、クシャの草を大地に敷き、
その上に、鹿の皮と、柔らかい布を被せて座る。」
「座は、高すぎる事も、低すぎる事もなく、
神聖な場所に定めて、意識と感覚を統御する。
彼は、心を鮮明にして、精神を一点に集中する。」

「頭と体を直線に保ち、鼻の先を凝視する。
心を乱さず恐れを抱かず、梵行の戒律を守り、
意識を制御しながら、真我に専心しようとする。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
こうして、身口意を統御する、ヨーギー達は、
現象界を解脱して、真我である、私に回帰する。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)
0295鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/09/12(水) 22:46:44.11ID:WJHGbn27
第五章ではカルマヨーガの詳しい解説が説かれたのじゃ。
果報を期待せずに実践することがその要旨なのじゃ。
それによって行為は忘我の状態に導く方法となるのじゃ。
次の章では実践の方法が説かれるのじゃ。
0296名無しを整える。垢版2018/09/13(木) 02:06:14.68ID:y9SwEa1R
>鼻の先を凝視する。

これは目を寄り目な感じにして鼻の先を見るのでしょうか?
やってみたんですが、ぼやけてうまくできませんw

それとなぜ鼻の先が選ばれたのでしょうか?
眉間に集中するという話が以前出てきましたが、違いはありますか?
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