>>7
『I AM THAT 私は在る』
【31 注意を過小評価してはならない】(つづき)

 質問者 ただ気づくことが、なぜそれほどの違いをもたらすのでしょうか?
 マハラジ
 今まではあなたの人生は暗く(タマス)、落ち着かない(ラジャス)ものだ
 った。
 注意力、油断のなさ、気づき、明晰性、元気、活力はみな真の本性(サット
 ヴァ)とひとつであること、統合の現れなのだ。
 タマスとラジャスを中和し、調和させることはサットヴァの本質なのだ。
 サットヴァは自己の誠実な僕(しもべ)であり、つねに注意深く、従順だ。
 質問者 私は単なる注意を通してそれを知るようになるのでしょうか?
 マハラジ
 注意を過小評価してはならない。
 それは関心であり、愛なのだ。
 知るため、行うため、発見するため、あるいは創造するためには、それにハ
 ートを捧げなければならない。
 それが注意力を意味する。
 あらゆる祝福はそこから流れだすのだ。
 質問者 あなたは「私は在る」に集中するよう勧めましたが、これもまた一
 種の注意力なのでしょうか?
 マハラジ
 そのとおりだ。
 分割されない注意を、あなたの人生のなかのもっとも重要なもの、あなた自
 身に与えなさい。
 あなたの個人的な宇宙の中心があなたなのだ。
 中心を知らずに何を知ることができるだろう?
 質問者 ですが、どうやって私自身を知ることができるのでしょうか? 私
 自身を知るには、私自身から離れなければなりません。しかし、私
 から離れているものは私ではありえません。ですから、私が私と見
 なしてきたもの以外は、私を知ることができないのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 鏡の反映にしか自分の顔を見ることができないように、あなたは汚れのない
 純粋な意識の鏡に映るあなたのイメージしか知ることはできないのだ。
 質問者 どのようにしてそのような汚れのない鏡を得ることができるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 言うまでもなく、汚れを取り除くことによってだ。
 汚れを見て、それを取り除きなさい。
 古来の教えは完全に有効だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)