読書について語ろう 1
適当なスレがなかったので立てました。 最近、読書離れが指摘されていますが、きちんとした情報を得ようと思ったら、 やはり読書でしょう。読書によってどれだけ有意義な情報や楽しみが得られるか、 読書好きの人なら自明のことです。 でも、人により好き嫌いがあるので、批判する時は十分配慮してください。 (マンガは除外します) では、どうぞ。 「岳物語」(椎名誠・集英社文庫) 岳と言うのは椎名誠の長男の名前です。 長男が子供の頃はプロレスばっかししていたそうです。 夢中になり過ぎて、出血することも何回もあったようです。 長男は野田知佑と釧路川でツーリングカヌーもしました。 長男が子供の頃のことを、家族を交えて私小説にしたものです。 初めて読んだ時は面白かったのですが、再度読んでみると、あまり面白く ありませんでした。 この本は若い人向け(50才まで)だと思います。 長女の葉(よう)ちゃんについては一言も触れていません。 女の子なので用心したのでしょう。 数年後、続編が同じ出版社から出ています。 「食べること、やめました」(森美智代・マキノ出版) 著者は21歳の時、「脊髄小脳変性症」という病気になります。これは難病で 医者から、「進行を食い止める治療法はない」と言われます。いろいろ調べて みると、余命は5〜10年ぐらいらしいのです。 そこで、以前から知っていた医師の甲田光雄さんに診てもらうと、「大丈夫、 断食すれば治るよ」と言われ、断食療法を始めます。断食をすると、だんだん 症状も良くなってきました。 そのうち、それでも食べる量が多いと感じ、食べる量を甲田医師と相談しながら 減らしていきました。そして、青汁1杯になったのです。 青汁1杯の生活が13年になった時に、この本を書いています。出版から10年 経っていますから、もう23年になります。 ユーチューブで見ると、かなり太っています。著者は現在、大阪で鍼灸院を開いて います。普通の鍼灸師ではなく、「気」で病気を治すのだそうです。 私も影響されて、甲田光雄さんの「奇跡が起きる半日断食」という本を読み、 朝食抜きの半日断食を始めて1年半が過ぎました。 「サラダ記念日」(俵万智・河出文庫) この本が出た時(30年ほど前)は、ベストセラーになり、話題にもなりました。 私は当時、あまり興味はなく、本多勝一の本を熱心に読んでいました。 40歳になって初めて読んで、感動しました。 言葉の選び方、繊細な感覚、一つ一つの歌に物語があり、短歌ってこんなに 面白いのか!と思いました。数回、読み直したと思います。 その10年ほど後に読み直した時は、それほど感動しませんでした。恋の歌が 多いので、もうその歳ではなくなっていたのでしょう。 この本は40歳までの人にお勧めです。 彼女は妻子ある人と恋をして、男児を授かり、今は宮崎県の方に住んでいる ようです。短歌を創ったり、選者として活躍しているそうです。 「宇宙からの帰還」(立花隆・中公文庫) この本は私が30歳の時に出版されたものです。その10年後に文庫本で読み ました。かなり前に読んだので内容は薄覚えですが、感動し考えさせられた ことを覚えています。 確か、月に行ったアポロ11号と12号の宇宙飛行士6人にインタビューしたもの だったと思います。彼らは無事に地球に帰還し、それぞれの道を歩みます。 彼らに共通しているのは、今までの生活と違って、画家になったり、環境問題に 取り組んだり、宗教家になったりしていることです。 他の天体から地球を見たことが、彼らにとって大きな神秘的体験だったようです。 今はもう廃版になっているかもしれません。 「奇跡のリンゴ」(石川拓治・幻冬舎) 青森県岩手山のふもとのリンゴ農家、木村秋則さんをインタビューして書いた本 です。 木村さんは自然農法で有名な福岡正信さんの本を偶然読んで、リンゴも無農薬 で育てることができるのではないかと考え、試行錯誤しながら無農薬リンゴを実ら せた人です。 現在のリンゴは農薬散布を前提に品種改良したものです。それに、妻が農薬に 弱く、薬がかかると湿疹が出来て、なかなか治らない体質でした。 農薬は普通、十数回散布するのだそうです。病気や害虫対策です。 木村さんは無農薬を始めてから、10年余りリンゴの収穫ゼロという散々な結果を 経験します。収入なしです。それで、農閑期にはアルバイトをしたりしました。 それでも、家計は行き詰まり、自殺しようと岩木山にロープをもって出かけます。 ちょうどいい加減な木があったので、ロープを投げたところ、その木の立派さに 気づきます。 自然の木は何の世話をしなくても立派に育つ、リンゴはどうして育たないのか、 木村さんは夢中になってその木の根元の土を掘って調べ始めました。 原因は土なのではないか?土を工夫すればいいのではないか、と考えました。 そして、また土の改良に試行錯誤します。 そして、十数年して初めてリンゴが数個実ったのです。さらに土の改良を進めて、 やっとどの木にもリンゴが普通に実ったのです。 木村さんの育てたリンゴは注文が殺到し、やっと苦労が報われたのです。 今では、木村さんは自然農法の有名人として、全国からの相談や講演会の 要請があり、以前にも増して忙しい日々を過ごしています。 失礼しました。 × 自然農法の有名人として ○ 無農薬栽培の有名人として 「アイヌの碑」(萱野茂・朝日文庫) 著者はアイヌ人の最も多く住んでいる沙流川流域の二風谷に生まれ、アイヌ語を 聞いて育った。アイヌ語を自由にしゃべれる最後の人だった。 この本には彼の半生が書かれている。 彼の両親もアイヌ人として差別され、父親は沙流川に登ってくるサケを獲ったから という理由で逮捕された。それまで、アイヌ人にとっては、サケは冬の大切な保存食 だったのに。 彼はアイヌ人の民具が無くなることを危惧し、民具の収集を始め、仲間と共に「アイヌ 文化資料館」を造った。また、明治に作られた「アイヌ土人法」を改めるため、参議院 議員になり、アイヌ新法を作った。 私は彼が参議院議員を辞めてから、二風谷に行って、サインをしてもらった。「あなた の人生が幸せなものになるように!」とアイヌ語(片仮名)で書いてくれた。 彼はその時、すでにパーキンソン病にかかっていて、少し歩きにくそうだった。 「高崎山のサル」(伊谷純一郎・講談社文庫) 著者は今西錦司を尊敬し、今西の研究を手伝うようになった。この本は著者が 大学院の時に書いたものです。大学生時代から今西と行動を伴にし、九州の 都井岬の半野生馬の生態を観察していた時に、ニホンザルの群れに出会い、 次の研究は「これだ!」と全員が思ったそうだ。 そして、著者は高崎山のニホンザルを任され、以来、4年間に渡って観察・研究 をした。最初はサルに出会うのも大変で、群の頭数もなかなかわからない。 それでも、山をかけめぐり、サルの行動範囲や食べ物や鳴き声の意味を解明して いった、 最終的には餌付けをすることにより、サル社会の構造にまで切り込んでいった。 その時、1頭1頭に名前を付けることで、サル社会の構造がよくわかる事に気づ いた。 この手法(個体識別)は日本独特のもので、外国の生態研究にも取り入れられる ようになった。当時、宮崎の幸島でも同様の生態研究が行われ、イモ洗い行動が 文化として受け継がれることも発見された。 この本は1951〜1954年の研究をフィールドノートからまとめたもので、霊長類 研究の古典となっている。今は講談社学術文庫におさめられているはずである。 「へたも絵のうち」(熊谷守一・平凡社ライブラリー) 1880〜 1977年(97歳没) 職業ー画家 91歳の時、日本経済新聞に「私の履歴書」として29回に渡って掲載されたもの。 この人は修行していたら悟ったかもしれないと思った。 解説不要。とにかく面白い。こんな人が居たんだと嬉しく思った。 ー最後の締めくくりー 「ただ何回もふれましたが、私はほんとうに不心得ものです。気に入らぬことが いっぱいあっても、それにさからったり戦ったりはせずに、退き退きして生きてきた のです。ほんとうに消極的で、亡国民だと思ってもらえればまず間違いありません」 「林住期」(五木寛之・幻冬舎文庫) 私は五木寛之の小説以外の本をよく読みます。彼の文章は丁寧で読みやすい のです。読んでいて心地いいのです。 特に革新的なことが書かれているわけでもありません。 この本に関しては、ちょっとだけ革新的です。50歳になったら、今までと違った 生き方をしよう、と言うのです。 私もそう思っていましたから、共感しました。 扉にこう書かれています。 古代インドでは 人生を4つの時期に分けて考えたという。 「学生期」、「家住期」、そして、「林住期」と「遊行期」。 「林住期」とは、社会人としての務めを終えたあと、 すべての人が迎える、もっとも輝かしい 「第3の人生」のことである。 「101歳の少年」(三浦敬三・実業之日本社) 著者はプロスキーヤーの三浦雄一郎のお父さんです。 彼は20歳の時、スキーに出会って101歳まで80年以上スキーをしています。 彼は北大でスキーを始め、実家のある青森県の営林署に努めます。 青森県と言えば八甲田山です。主に八甲田山で仕事をし、そのために冬場は スキーをはいて山中の調査をします。だから、仕事=スキーとなる訳です。 とても羨ましい環境です。 その当時はスキーが日本に入って来た頃なので、彼は日本のスキーヤーの 元祖の一人です。当時は55歳が定年でしたから、また、青森のスキー協会との いざこざから東京に転居します。 息子の雄一郎はスキーの腕は確かでしたが、オリンピックには出られませんで した。そういった経緯もあってプロスキーヤーになったのです。 彼は東京に移り住んだことにより、北海道と立山で1年の半分をスキーに費やして いました。彼の趣味はスキーとカメラでした。研究熱心なので両方ともかなりの腕前 でした。 子どもたちが巣立った後は、奥さんと二人で暮らしていましたが、奥さんに先立たれ 北海道の雄一郎の家にやっかいになることになりましたが、雄一郎の奥さんが何でも やってくれるので、これでは呆けてしまうと、また、東京での一人暮らしに戻ります。 ここが彼の偉いところだと思います。 101歳になってもスキーをしていましたが、転倒して首を打ち、入院しますが帰らぬ 人となります。しかし、101歳までスキーをするなんて何という幸せ者なんでしょうか。 「ワイルド・スワン」(ユン=チアン・講談社) この本を読んだのは24年前です。当時、ベストセラーになっていたので買いました。 本の裏表紙に簡単な感想を書いています。 「こんなすごい本とは思わなかった。ストーリーや時代・民族性がよくわかる」 この本には、著者の祖母・母・著者の3代の歴史が忠実に書かれています。 当時、中国は文化大革命で情報が全く入ってきませんでした。 文化大革命中の中国の事がよくわかります。 彼女の家族は走資派として紅衛兵の避難の的になり、監禁・拷問を受けました。 文化大革命の被害者でした。 著者は26歳の時、イギリスに留学し、博士号を取得し、ロンドン大学で東洋 アフリカ研究所で教鞭をとっています。 現在は66歳になり、どんな生活をしているのかはわかりません。 毛沢東時代の中国のこと、当時の中国の人々のことがよくわかります。 十数年後「マオ(毛沢東)」という長編のルポのような小説を発表している。 「ひきこもる小さな哲学者へ」「大人が立ちどまらなければ」(小柳春生・生活人新書) 15年ほど前の本です。ケータイやインターネットが普及し終わった頃です。 著者は香川大学のカウンセラーです。 現代は社会の流れが早過ぎ、情報も24時間テレビやネットから大量に流され、 情報過多な状態です。人間はそれに押し流されようとしています。 また、昔のように価値観が一定せず、多様な価値観が現れて来ました。 そのような時代を、どのように生きたら良いのかを示唆した内容です。 最近、不登校やニート・引きこもりが増えてきました。著者の仕事は、彼らから 話を聞き、それを受け入れ、そして一緒に考えることです。 そんな作業から出てきたことは、大量の情報や多くの価値観に迷わされず、 少しの確かな情報を得て、小さく生きることが大事だということでした。 「戦争と平和」(トルストイ・新潮文庫) これを読んだのは、時間のあった学生の頃だと思います。 全4巻ですから、気の遠くなるような長編です。 内容はほとんど忘れていますが、教訓として覚えているのは、時代を動かすのは 一人の指導者ではなく、その他大勢の人々だ、ということです。 例えば、ヒットラーを取り上げると、彼は優れたアジテーター(それも偏見に満ちた) でしたが、彼をそこまで持ち上げたのは大多数のドイツ人だったのです。 日本の場合は少し違うかもしれませんが、基本構造は似ています。軍部(特に陸軍) の好戦的な指導者がいて、それを天皇が支持しました。 当時の天皇は神様のような存在でしたから、天皇の意向なら致し方ないと誰もが 思ったはずです。 まだ、民主主義が定着していませんでしたから。 だから、昭和天皇にも戦争責任は当然あるはずです。 「北極圏1万2千キロ」(植村直己・文芸春秋) この本は1976年発行です。犬ぞりでグリーンランドからカナダを越え、アラスカまで 旅をした記録です。 彼は、ここまで既に5大陸の最高峰に登っています。あとは、南極のビンソン=マシフ (5140m)だけです。 この北極圏の旅は、その練習と考えていいようです。 そうです、彼は犬ぞりで行ける所まで行って、後は自分の足で登ろうと考えていた のでしょう。 当時はエスキモー(イヌイット)の村が所々にあり、昔ながらの猟をして暮らして いました。彼はエスキモーの生き方を学んで旅をしたのです。当然、食べ物は生肉です。 点々とある彼らの村に行き、休憩し、余った食べ物を貰ったりして、体調を整え、 次の村を目指して旅をしたのです。 食糧が無くなると、海の厚い氷に穴を開けて魚を釣ったり、アザラシを撃ったりし ていました。また、陸上のカリブーなども食糧としていました。 当時のエスキモーの人々の暮らしがよくわかります。これ以前には本多勝一の 「カナダエスキモー」(1964年)があります。植村直己はこの本を読んで参考に したはずです。 「気の発見」(五木寛之&望月勇・幻冬舎文庫) 望月勇氏はロンドンで、ヨーガ教室と「気」による治療を行っている。 彼は25歳で会社を辞め、ヨーロッパを拠点としてアフリカやインド・中東に旅に出た。 アルバイトをしながらの旅だった。 その旅でいろいろな経験をし、自分に「気」による治療が出来ることに気づいた。 「気」について五木寛之が望月勇氏に尋ねた対話集である。 私はこの本で、初めて気功治療を知った。 「気」とは本当に不思議なものです。 この本の反響が大きかったので、望月氏は「いのちの力」(平凡社)を出し、間違った 解釈も出てきたので、「気の言葉」(講談社)を出している。 前に紹介した鍼灸師の森美智代さんも「気」で治療しているそうです。 「足るを知る」(中野孝次・朝日文庫) 著者は東大の独文科を出て、東京の私大の教授をしながらエッセイを数多く 出している。「清貧の思想」はベストセラーになり一躍有名になった。 この本はもう少しわかり易く書いた物で、「足るを知る」「今ここに」の生き方を しようと言うのです。 私はこの本を10年前に読み、共感しました。そして、5年間で2回読み直しました。 今回、めくってみましたが、いい事を書いているけど、評論家的で本人も実践は できてないようです。ただ、目標としているだけです。 東大出の人にはそういう人が多いです。実践家ではなく評論家です。 私は前述した「ブッダの真理の言葉・感興の言葉」(法句経=ダンマパダ)を手元 に置いて、座禅をして3年になろうとしています。 だから、もう読まないでしょう。 「夜回り先生からのこころの手紙ーあおぞらの星3」(水谷修・日本評論社) 夜回り先生のことは、今では誰でも知っていると思います。夜間学校に着任して 以来、ずっと若者のために夜回りをして、薬物や喫煙の弊害を語り、早く家路に つくよう話しかけてきました。 開いてる時間に全国で講演し、薬物の怖さや病んだ子供への接し方など語って きました。最初の本にメールアドレスを書いたので、毎日多くのメールが来ます。 それに丁寧に返信し、電話にも応じます。 学校にも頻繁に電話がかかってくるようになり、夜回り先生は学校を辞め、講演をし ながら全国の夜回りを続けています。 私が住んでいるような田舎町まで講演に来ています。 頭が下がります。彼は頭の回転が速く、言葉も的確です。 ただ、早口なので、こちら側に考える時間を与えてくれません。大丈夫と思いますが 一歩間違うと、変な方向に行ってしまうという危険性もないではありません。 水谷先生に休息を!と願わずにはいられません。 「一日一生」(酒井雄哉・朝日新書) 酒井雄哉さんは、天台宗の僧侶。千日回峰行を2回満行し大阿闍梨となった。 彼の経歴は変わっていて、40歳で得度。 2回目の千日回峰行は60歳で満行となった。なお、その行は7年かかります。 この本は82歳の時のもので、聞き手の質問に答えたものを編集者がまとめた。 千日回峰行は誰にでもできるものではなく、体力に自信のある者、または信仰心 の厚い者しかできないと思われます。 彼は仏教に捉われることなく、結構自由に語っています。そこがこの本の良さ かもしれません。 88歳に癌で亡くなりましたが、大往生ではなかったかと思います。 「放任主義」(羽仁進・光文社カッパブックス) 羽仁進は映画監督で、父親が「都市の論理」で有名な羽仁五郎。現在90歳。 内容はほとんど忘れたけど、学校教育をそれほど重視しせず、できるだけ自由に 育てようという趣旨だった。 一人娘の羽仁未央は小学校時代、パリやアフリカのケニアで父と過ごし、義務教育 を拒否し、学校には行かなかった。 エッセイイスト、メディアプロデューサーとして活躍したが、50歳で急逝した。 すぐ後に、石原慎太郎が対抗して同じ出版社から「スパルタ教育」という本を出し、 話題になったが、私は読まなかった。 私は石原氏の本を2冊読み(芥川賞をとった太陽の季節も含めて)、全く共感が 得られなかったからだ。 当時、学校に行かないという選択肢は考えられなかったから、事情を知ってる人は 驚いたことだろう。時代の最先端をいった本である。 「病気にならない免疫生活のすすめ」(安保徹・中経の文庫) 安保徹氏は新潟大学医学部の元教授。免疫理論を完成した世界的免疫学者。 彼は、ガンにならない生活の仕方、ガンになっても今までの三大療法(手術・抗がん 剤・放射線)に頼らない治療法を訴えてきた。 彼の著作はたくさんあるが、この本が一番読みやすいので取り上げました。 キーワードは自律神経(ストレス等)・白血球・体温です。 大学定年後は全国各地で公演活動を行い、ユーモアのある内容で好評を得ていま した。だから、彼は製薬会社や他の医療関係者から疎まれていました。 でも、三大療法を非難する仲間も増えて来ていました。 ところが、70歳ぐらいに大動脈解離で突然、亡くなってしまいました。彼ほどの 著名な学者が亡くなったのに、各新聞社は彼の死を報じませんでした。 本当におかしなことです。 彼が亡くなると、製薬会社や医者などが喜びます。彼は講演で「私は命をねらわれて いるのです」と冗談半分で言っていました。 彼の予想以上に若い死は非常に残念です。 読書は苦手だ。でも読書に憧れている。速く読める人になりたい。そうしたらうんと賢くなれる と思う。だから本は良く買う。しかし全部読めないことの方が多い。 図書館にも良く行く。でも借りてきても読まないまま返すことの方が多い。 本がすきなのに本を読むのが苦手だ。集中力がつづかない。そんな自分でも一気に 読み切ることが稀にある。波長が合うのだろう。 ワイルドスワンは興奮したのを覚えている。でも具体的に何が書かれていたのかは 全く覚えていない。残っているのは印象だけだ。 最近では「食べて祈って恋をして」が面白かった。少しは筋を記憶しているが殆ど残っていない。 残るのは印象だけだ。多分こういう読書では駄目だと思う。せめて粗筋くらいは語って聞かせる ことができるくらいには成れたらと思う。其れにはやはり何度も繰り返して読むことが必要だろう。 でもそうするとますます読むのが遅くなる。w >>54 私は若い時から読書が好きでした。趣味がいろいろありましたが、今も残って いるのは読書だけです。 面白い本は何回も読み返します。だから、そんな本は記憶に残っています。 読むのはそんなに早くないです。大事な本はゆっくりと読みたいです。 最近はネットで本を買う人も多いと思いますが、私は本屋で実物を見て内容を 確かめて購入します。 若い時に推理小説にはまって目が悪くなりました(仮性近視)。本を読むのも ほどほどがいいのかなと思います。 読書が趣味というのは羨ましい。自分は読書は勉強です。でもそんなに嫌いじゃない。 小説はというと純文学は退屈だし、かと言ってあまりに恐ろしい表現や残酷な場面が あると直ぐに投げ出します。でも最近すこしコツを覚えて、そういう心臓が受付 ない個所では一旦は本を閉じて暫く放置してまた読み始めると読めたりします。 あと退屈な小説は出だし部分を何回か読んでみると段々と良さが分かったりします。 Girl On The Trainがそうでした。全然面白くないのに最初の方を何度か 繰り返していると、表現の面白さに気が付きました。まあでも結局最後まで行かなくて 半分くらいで止めました。寝るのにちょうどよい退屈さだったので、寝る前に何度も 朗読をきいていたのです。 >>56 私も純文学は苦手です。今は話題になった本とか、健康本などを読んでいます。 また、蔵書が2000冊以上あるので、再読したりします。 最近はいい加減な本も多いので、買う時には気をつけています。 既に読んだ本をもう一度読むなんて信じられなかったが、そういう読み方をする人もかなり の数いるのだということにある時気が付いてビックリしたのを覚えている。しかもそういう人 の方が概ね賢い。そういう人は緻密で記憶力に優れているという気がする。 脳の使い方には2種類あってAuditory SeaquncialタイプとVisual Spacialタイプに 分れるらしい。読書家とか作家とか物語が好きなタイプの人は前者の性質が強いのだろう。 自分は読書しても記憶に残らないのでVisual系だと思うが、昼休みに食べた食事の 内容を克明に記憶していて帰宅してそれをスケッチするのが趣味だという人などもいる が、そんな恐ろしい芸当はちっともできないVisual系だ。 しかし訓練次第では自分でも物語を記憶することも、昼飯を記憶することもできる のではないかと最近では思っている。というのもダンスは全く音痴で駄目だったが、小さく 刻んだステップを少しづつ憶えていたらだんだんと踊れるようになってきた。絵も多分 そういうように刻んでしまえば覚えられるようになるのだと思う。憶えられないのは見た時に すでに把握できていないからだろう。把握できる単位に刻めばいい。でもどうやって? そこが問題なのだが、模索していればそのうちコツはわかる気がする。 「四国遍路を歩く」(佐藤孝子・日本文芸社) 佐藤さんは私と同い年、職業も同じなので、購入しました。 その頃は、色々なことで悩んでいたので、参考になるかと思いました。 彼女は17年勤めた仕事を特に理由もなく辞めて、四国遍路に出ました。最初は 何の信仰心もなかったのに、歩くうちに信仰心に目覚め、弘法大師に帰依する ようになったそうです。 私も田舎の職場が嫌になっていたので、遍路に行こうかとも思ったのですが、田畑 の管理があるので行けませんでした。 もう自由の身になったので、秋か春に歩いてみようと思っています。 88か所の霊場(お寺)を廻ると1400`になるそうです。40〜50日かかります。 彼女は歩いているうちに、何度も霊的インスピレーションが湧いてきて、涙が出て そのたびに癒されたそうです。(16年前に出版された本です) 「ハーモニカとカヌー」(野田知佑・新潮文庫) この本は野田氏が63歳の時、書いた物です。彼のライフワークの一つである ユーコンの川下りも一段落し、鹿児島に落ち着いた頃の話です。 彼には他にも良い本を書いていますが、この本が一番彼の考えかたや生活の 仕方がわかるので選びました。 後に、小さいながら自然のまま残っている徳島県日和佐川流域に終の棲家を建て、 現在もそこに住んでいます。 自分も彼のような体力と強靭な精神力があったら良かったと思う。 「大興安嶺探険」(今西錦司編著・講談社) この探険は1942年5〜7月に行われた、地図上の空白部を埋めれるためのもの だった。そして、1952年に発行された。ただ、1000部だったので、後年1975年に 復刻版として講談社から発行された。 地図上空白部の大興安嶺は、満州北部からアムール川に至る所で、オロチョン と呼ばれる人たちが住んでいた。 だから、コロンブスの「アメリカ大陸発見」ではなくて、「アメリカ大陸進出」と同じ ような意味合いである。 隊長は今西錦司、副隊長は森下正明、隊員は川喜田二郎・吉良竜夫・梅棹忠夫 藤田和夫達であった。隊員のほとんどが京大の学生だった。 大部分は隊員の吉良竜夫が執筆した。当時のわくわくした好奇心の強い物語と なっている。 大阪の紀伊国屋で見つけた時は迷わず購入し、すぐに読み始めた。 今では地図上の空白地はもう残されていないし、未踏峰の山もない。だから、 探険なんて成立しようがない。彼らは幸運だったのだろう。 「キャスターという仕事」(国谷裕子・岩波新書) 23年間続いた「クローズアップ現代」のキャスター、国谷裕子さんの主観的記録 です。 私が今も覚えているのは、吉野川河口堰の件で、当時の建設大臣と反対運動の 代表姫野雅義さんとの討論です。これを見て、明らかに姫野さんの方が筋が通っ ていると思った。建設大臣には自然を守ろうという意志が全く見られず、長良川 河口堰の反省も全く感じられなかった。 ずっと以前に計画した事業は、時代がどんなに変わろうとも実施するという官僚 主義がよく見えた。 建設省は有明海の諫早湾干拓、岡山の苫田ダム等、他にも色々な無駄な事業を、 血税を使ってやってきた。何のための事業か?わからない。 この放映を見たほとんどの国民が建設省の無意味な自然破壊、税金の無駄遣い を感じとっただろう。 国谷さんは頭がいいから、NHKの批判を全くしていない。NHKという枠の中で精一杯 やれることはやったと言うのが本音だろう。 よくやった、国谷さん! 「タオ」(加島祥造・ちくま文庫) 著者は早稲田の英文科を出て、アメリカの大学院を卒業し、国立大学で英語を 教えていた。退職してからは、信州の伊那谷で一人暮らしをしている。 難解な老子の道徳経の現代語訳だが、彼は漢文ではなく、老子のいろんな英訳を 参考にして、自由な発想で詩にした。 彼はたぶん、物事を英語で考える人なんだと思う。良い意訳ではあるが、きちんと した日本語にはなってないと思う。 私は最初に読んだ時は、なるほどと思い、感動したが、何回も読んでみると、頭に 全く入って来ない。 人にもよるだろうが、私は著者が全く老子をわかっていないと感じている。 誰か同じ本を読んだとか、同じ著者の本を読んだとか、居ないの? 「だから、あなたも行きぬいて」(大平光代・講談社) 著者は中学校時代にいじめられて、割腹自殺をしようとした。新聞にも載った ようだ。にも関わらず、学校側は適切に対応せず、復学した彼女は同じような いじめを受け、不登校になった。両親も学校と戦おうとしなかった。 彼女はもう誰も信用できず、若くして暴力団の組長と結婚し、背中に入れ墨まで した。両親は自分達ではどうしようもなく、信用できる叔父さんの養女にしてもら った。 叔父さんの包容力や助言もあって、彼女はもう一度、やり直そうと決意し、色々な 資格をとり、最難関の司法試験に挑戦し、見事に合格し弁護士になった。 この本には書かれていないが、その人間性を認められ、大阪市の助役(今の副 市長)になり、難しい仕事をこなしていった。 彼女の正義感・精神力・人間性に驚かされた。 この本はベストセラーとなり、多くの人に読み継がれている。 私も彼女のファンの一人です。 「さらば、欲望の国」(中村敦夫・近代文芸社) この本は14年前に、参議院選挙が行われる前に出版されたものです。 中村氏は、「木枯し紋次郎」で有名になり、東京の選挙区から無所属で当選しま す。6年の任期が切れる前に、比例代表で「みどりの会議」という党を造り、10人の 立候補者を立て、選挙に臨みましたが、知名度が低く、全員が落選しました。 でも、この本は日本の政治の現状を言い当てています。 官僚主導の政治、無駄な公共事業、大量生産・大量消費の時代は終わっている・ 経済成長はもうありえない等、日本の政治の核心をついています。 これからは、石炭や石油に頼らないエネルギー政策、砂漠の拡大を防ぐためと 地球温暖化を防ぐための植林政策、国債に頼らない財政健全化、選挙に金が かからないような選挙制制度の改革、などが大事と訴えています。 私は今回、14年後に読み直しましたが、政治は全く変わっていません。いずれ、 大変革が起こらなければ不思議です。 「早朝座禅ー凛とした生活のすすめ」(山折哲雄・祥伝社新書) 著者の専門は宗教史・思想史。各大学や研究機関を渡り歩いてきた。著者自身、 自分のことを遊牧民と言っている。 この本は著者が75歳の頃に書いた物で、日本の自殺者が10年連続で3万人を超え たことに関連して、書かれた物です。 著者は「ひとり」になることを勧めています。座禅をして心を整える、座禅に飽きれば 散歩する。つらい事があれば歩きながら泣く。 そうやって自分と向き合うことが大事と言っています。 そして、代表的な先人として、西行、芭蕉、良寛、そして、釈迦を挙げている。 著者は一か所にとどまらない遊牧民的性格なので、「ひとり」になることが多かっ たのだろう。 現在、人間関係に疲れた人、立ち止まってみたいと思っている人にお薦めです。 ネタが切れてしまった。 同じ著者の本ならまだまだあるけど、他の著者の本で面白かったものは思い出せない。 感想などもお願いします。 五木寛之先生の青春の門という小説を若い頃から読んでいたのですが途中、間が空き過ぎてしまい今、何編が進行中なのかも解らず話の内容も薄れつつあります。 ドストエフスキーの作品を読んで文学と小説の違いがわかった気がします。 >>1 スレに1をつける人は信用できない。 2があるとは限らないからだ。 >>54 たぶん、難しい本ばかり読んでいるんだろう。世間一般の本は中二くらいを対象に書かれている。 これでも成人の半数は読めないだろう。 国語能力が足りていないからだ。 読めるとすれば書いていない本、つまり口述筆記で作られた本、例えばバカの壁とか。バカの壁は読みやすいけど内容は哲学的なことだから時間をおいて読み直す本だな。時間というのは数年の意味。自分が変化したから理解度も気になる箇所も変化している。 >>54 あとは児童書だ。 児童書と侮ってはいけない、大人が書いていて漢字が平仮名になっていること、あまりに難解な言葉は使われないだけで、大人が読んでも難しい本もある。 岩波ジュニア新書など難解だ。漢字や言葉が難解なのではない、扱っているテーマ・主題が難解なのだ。 >>54 子供向き書籍は入門書としてよい。 気をつけることは子供向きなので、重要だけど難解な概念がバッサリ切り捨ててあること(例えば物質の最小単位は原子であると断言してある、 素粒子やクォークは存在していないことにしてある)、エログロは当然避けていること、勧善懲悪・正義と悪のような単純な二元論世界にしたがること(戦争は悪含む)、寓話的に価値を自然に盛り込んでくること、を気づいているかどうか。 司馬遼太郎の『燃えよ剣』 新田次郎の『武田信玄』 フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』 この三作品に夢中になって、気付いた時には朝になっていたという経験を三度味わったおかげで、自分は読書が好きになった。 初めまして。 読書というより書店でパラパラ本を見るのが好きです。 でも立読みに終わらず買って帰ります。 好きなジャンルは自己啓発が中心。 よろしくお願いいたします。 論説はタイトルと目次を見れば何が書いてあるか分かるから買うか買わないか決めやすいけど物語小説はそういう判断が出来ないから難しい 古典や著名な小説家ならまだしも >>84 自分はブックオフで試し買いするか図書館で借りるかして 面白かったら新刊を本屋で買うという感じかな 病名:発達障害ASDのインチキキチガイイヌヤマが自供ス。『正直云って仏とは何かと問われても分かりません、公案が進んで無くよくわからないのです』 知障イヌヤマ談 ウソブクのよ透ってないのに、もう40回も初関を透る俺様!と言い放つドマヌケ! 40回も透ったら、初関を透る、じゃねーべ! イヌ自白調書:悟りとか分からねーし、知らねーし、悟ってねーわ來 ググるイヌヤマは常にシカトされ自己存在の確認要求哀願奴隷。 イヌが鳴く:なんで 宗教板って まともなの俺だけなんだ?みんな間違ってばっか、俺だけが正しい。みんな間違ってるのに何で正しい事を言ってる俺は否定ばっかりされるんだ?みんな俺のことを 凄いなと認めろよ。 俺は自分より優れた奴が ゆるせないんだよ(脅迫性人格障害の特徴) ナント妻子と月一、金曜夜7時からのお坐り会、茶菓(ちゃか)代ワンコインで、これが研究会出席虚勢のトマヌケ犬は、誰からも疎まれる。 イヌヤマは月一第三金曜日夜7時茶菓代ワンコイン坐禅会に出ると偽証。命取りの摂心に親子で100回参加と虚飾ス。 5ちゃんねるの会話はバトル形式、馴れ合いを禁じる。ググるシッタカイヌヤマは、褒めてクレヨの哀願奴隷。相手を罵倒する悪口雑言の数々は外道イヌヤマへのリアル社会の絶対評価です。荒らしイヌヤマは問いに問いで返す脊髄反射の脳足りんで悟前(ごぜん)未悟(みご)、金魚ドジョウと救い難い。 新小岩の食業ドライバーイヌヤマとは法相宗(ほっそうしゅう)>奈良 興福寺(こうふくじ)前官長じっちゃんのお抱え運転手で食業ドライバーだったに過ぎず仏法からは門外漢だね。 だから、しったかぶる以外に存在承認欲求を満たすものは一切無い ① 荒らしイヌヤマは無視放置スルーが一番ツライ、耐えられない。シッタカイヌヤマは常に誰かの反応レスを待ち焦がれる。 ② 放置された廃人知障イヌヤマは煽りや自作自演でアナタのレスを誘う。ワケワカメ糞邪鬼イヌヤマにノセられてレスしたらその時点でアナタも同類、負け、完敗です。 ③ ;反撃はイヌの滋養にして栄養であり最も悦ぶ事です。門前のヤセイヌにエサを投げ与えぬ事。 ④ ;障碍者基礎年金受給者イヌヤマが枯死するまで孤独に暴れさせゴミが溜まったら削除。 多数者を演じ孤立してないと強弁し自作自演のおぞましい日々の無脊椎動物イヌヤマは成り済まし多重人格者で要治療対象者。 虚言癖病:鬼子鬼和尚小鬼安堂イヌヤマ軍曹麦屁魔女エロ和尚アカベイ偽和尚野良雀は異名同一人物がキャラ変で世をたばかる極悪人。 高卒ですが読書家なので物知りで実質大学院卒レベルですw read.cgi ver 07.4.7 2024/03/31 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる