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『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 深い眠りのなかには、今現在の現実感はありませんでし
 た。
 マハラジ
 深い眠りにおける空白は、完全な記憶の欠如によるものだ。
 だが、幸福という総括的な記憶がそこにはある。
 「深い眠りのなかにいた」と言うのと「存在していなかった」と
 言うのとでは感覚の違いがある。
 質問者 はじめの質問に戻りますが、生の源とその表現(つまり
 身体)との間には、絶え間なく変化しつづけるマインド
 の状態があります。この精神状態の流れは際限なく、無
 意味で苦痛に満ちています。苦痛がその変わることのな
 い要因です。私たちが快楽と呼ぶものは、二つの苦痛に
 満ちた状態の狭間(はざま)にすぎません。欲望と恐れ
 は生の横糸と縦糸で、ともに苦痛でできているのです。
 いったい、幸福なマインドというものがありうるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 欲望とは快楽の記憶であり、恐れとは苦痛の記憶だ。
 それらはともにマインドを揺り動かす。
 快楽の瞬間とは苦痛の流れの間に起こるものにすぎないのだ。
 どうしてマインドが幸福になれるだろう?
 質問者 私たちが快楽を求めたり苦痛を予期したりするときは、
 確かにそのとおりです。しかし予期せぬ、思いもよらな
 かった喜びの瞬間も存在します。不相応な、求めてもい
 なかった、神からの贈り物――欲望に汚されていない純
 粋な喜びがあります。
 マハラジ
 それでも、喜びは背景にある苦痛に対しての喜びでしかないのだ。

(つづく)
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