>>527
鬼和尚、私はその境地に達したことがあります。
2回目のサティで死後の世界を体験しました。

>もはや肉体に縛られることも無い安らぎに還ることであるからのう。

まさに、その通りでした。
でも、それは10年ほど前のことで、以来その境地に達したことはありません。
毎日、座禅をしているのですが、残念ながら達することができません。

サティを経験したのは、母親が認知症になって、だんだん弱っていくのが
辛くて悲しくて、何年もそのことばかり考えていました。
そんな時にサティを経験したのです。
これは、ずっと以前に別スレで鬼和尚に報告しました。
その時、鬼和尚は、

「おぬしは一瞬、その悟りを見たようじゃ。
 しかし、完全には行かず、戻ってしまったようじゃ。
 原因はいろいろ考えられる。
 自我が無くなるという恐怖や、執着する者の存在など。
 そかし、それで良かったのじゃ。
 今のおぬしにとっては、一瞬そのような境地があると見えただけで、良かった
 のじゃ。何故ならおぬしには未だ、愛する者や守らねばならぬ者がある。
 
 全てを捨てるには早過ぎるのじゃろう。
 心とは賢く、正直なものじゃ。
 往くべき時にならなければ、往く事は無いと判断したのじゃろう。

 それでいい。
 毎日、大地を耕し、母に詣でるのも立派な修行じゃ。
 今はその修業を全うする事だけを考えれば良いのじゃ。
 それだけでも答えが既に在ると判っているならば、生活の全ては喜びでは
 ないか。

 それでもいつかは真の悟りが得たいというなら、>>2から読んで修行すると
 良かろう。
 本当に往くべき時が来たなら、速やかに悟りに往くじゃろう」

 と答えてくれました。本当だと思います。ありがとうございました。