X



鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しを整える。垢版2018/01/02(火) 17:24:50.70ID:1i8Yd2u9
前スレ; 鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ
0526名無しを整える。垢版2018/06/12(火) 21:11:24.84ID:goFxa2CO
>>525
> 生きる存在として在るということは、究極の状態ではない。
 そこには彼方にある、何かはるかに素晴らしい、存在でも非存在でもなく、
 生命でも非生命でもないものがある。
 それが時間と空間の限界を超えた純粋な覚醒だ。
 ひとたびこの「身体―精神」が自己だという幻想が放棄されたならば、死は
 その恐怖を失い、それは生きることの一部となるのだ。

↑これはくまが今までの読んだことない、「覚醒」、「悟り」についての表現であります。
(´・(ェ)・`)つ
0527鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/06/12(火) 22:21:07.23ID:B7kExeSR
生きるということもまた観念であるからのう。
生きることは在るがそれを善いものとして観念化すれば死は悪いものとなるのじゃ。
実はそれさえも悟りを得て観念から抜け出せば祝福となるのじゃ。
もはや肉体に縛られることも無い安らぎに還ることであるからのう。
0528名無しを整える。垢版2018/06/13(水) 03:18:48.08ID:dc4SN5Aw
>>527
鬼和尚、私はその境地に達したことがあります。
2回目のサティで死後の世界を体験しました。

>もはや肉体に縛られることも無い安らぎに還ることであるからのう。

まさに、その通りでした。
でも、それは10年ほど前のことで、以来その境地に達したことはありません。
毎日、座禅をしているのですが、残念ながら達することができません。

サティを経験したのは、母親が認知症になって、だんだん弱っていくのが
辛くて悲しくて、何年もそのことばかり考えていました。
そんな時にサティを経験したのです。
これは、ずっと以前に別スレで鬼和尚に報告しました。
その時、鬼和尚は、

「おぬしは一瞬、その悟りを見たようじゃ。
 しかし、完全には行かず、戻ってしまったようじゃ。
 原因はいろいろ考えられる。
 自我が無くなるという恐怖や、執着する者の存在など。
 そかし、それで良かったのじゃ。
 今のおぬしにとっては、一瞬そのような境地があると見えただけで、良かった
 のじゃ。何故ならおぬしには未だ、愛する者や守らねばならぬ者がある。
 
 全てを捨てるには早過ぎるのじゃろう。
 心とは賢く、正直なものじゃ。
 往くべき時にならなければ、往く事は無いと判断したのじゃろう。

 それでいい。
 毎日、大地を耕し、母に詣でるのも立派な修行じゃ。
 今はその修業を全うする事だけを考えれば良いのじゃ。
 それだけでも答えが既に在ると判っているならば、生活の全ては喜びでは
 ないか。

 それでもいつかは真の悟りが得たいというなら、>>2から読んで修行すると
 良かろう。
 本当に往くべき時が来たなら、速やかに悟りに往くじゃろう」

 と答えてくれました。本当だと思います。ありがとうございました。
0529名無しを整える。垢版2018/06/13(水) 06:24:19.89ID:IxFP/K6C
『I AM THAT 私は在る』
【31 注意を過小評価してはならない】

 質問者 私が見るかぎり、あなたはわずかばかりの資産をもち、あらゆる貧
 困と老いの問題に直面している、誰とも変わらない、ただの貧しい
 人のようです。
 マハラジ
 私が大金持ちだとしたら、どんな違いをもたらすというのかね?
 私は私だ。
 ほかの何になれるというのだろう?
 私は貧しくもなく、金持ちでもない。
 私は私自身だ。
 質問者 それでも、あなたは喜びと苦痛を体験しています。
 マハラジ
 私はそれらを意識のなかで体験している。
 しかし、私は意識でもなければ、その中身でもない。
 質問者 あなたは、実存において私たちと等しいと言われました。どうして
 あなたの体験は、私たちのものとこうも違うのでしょうか?
 マハラジ
 私の実際の体験は何も違わない。
 違いは私の評価と態度にある。
 私もあなたと同じ世界を見ている。
 だが、同じように見てはいない。
 何も神秘的なことはないのだ。
 誰もが世界をその人自身の観念を通してみている。
 あなたが自分自身をこのようにあると考えるように、世界もあなたが考える
 ようにあるのだ。
 もし自分自身が世界から分離していると考えるならば、世界もあなたから分
 離して現れる。
 そしてあなたは欲望と恐れを体験するだろう。
 私は世界を私から分離したものとして見てはいない。
 だから望むものも恐れるものも、私にはないのだ。
 質問者 あなたは世界のなかの光の点です。誰もがそうではありません。
 マハラジ
 私が私自身を私だと知っていること以外、私と他者の間にはどんな違いも絶
 対にない。
 私はすべてだ。
 私は確実にそれを知り、あなたは知らないのだ。
 質問者 ですから、私たちはまったく違うのです。
 マハラジ
 いいや、そうではない。
 違いはマインドのなかにだけある。
 それも一時的なものだ。
 私もあなたのようだった。
 あなたも私のようになる。
 質問者 神はもっとも多様な世界を創造しました。
 マハラジ
 多様性はあなたのなかだけにある。
 あなた自身をあるがままに見なさい。
 そうすれば、あなたは世界をひと塊(かたまり)の実在、分割不可能な、描
 写不可能なものとしてあるがままに見るだろう。
 あなた自身の創造的力が画像をその上に投影したのだ。
 あなたの質問はみな、その画像に関係するものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0530鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2018/06/13(水) 22:18:52.50ID:gWqgaXFv
>>528 善かったのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>529 世界とか自分とかを分けているのは分別によるものなのじゃ。
 それがなければ全て一つと気づくのじや。
 
0531名無しを整える。垢版2018/06/13(水) 22:21:32.54ID:pyl8FG2t
>>527鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/06/12(火) 22:21:07.23ID:B7kExeSR>>528
生きるということもまた観念であるからのう。
生きることは在るがそれを善いものとして観念化すれば死は悪いものとなるのじゃ。
実はそれさえも悟りを得て観念から抜け出せば祝福となるのじゃ。
もはや肉体に縛られることも無い安らぎに還ることであるからのう。 /////



皆さんご用心。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況