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30の2『I AM THAT 私は在る』
【30 たった今、あなたは自由だ】(つづき)

 質問者 私は自分が喜びへの欲望と苦痛への恐れによって、完全に動機づけ
 されていることを見いだしました。いかに私の欲望が高尚であり、
 恐れが正当化されたとしても、喜びと苦痛は、その間で私の人生が
 振動する、二つの極なのです。
 マハラジ
 苦痛と喜び、恐れと欲望、その両方の源へと行きなさい。
 観察し、調査し、理解することを試みなさい。
 質問者 欲望も恐れも身体的、精神的要因によって起こる感情です。それら
 はそこにあり、たやすく観察できます。しかし、なぜそれらはそこ
 にあるのでしょうか? なぜ私は喜びを望み、苦痛を恐れるのでし
 ょうか?
 マハラジ
 そこに身体と身体を守るマインドが存在するかぎり、好感と反感は作用する
 だろう。
 それらが出来事のなかに現れても、あなたに影響することはない。
 あなたの留意の焦点は別の場にあり、それに迷わされることはないのだ。
 質問者 それでも、それらはそこにあるでしょう。完全に自由になることは
 不可能なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはたった今でさえ、完全に自由だ。
 あなたが運命(カルマ)と呼ぶものは、あなた自身の生きようとする意志の
 結果なのだ。
 普遍的な死の恐怖から見れば、この意志がどれほど強力なものかわかるだろ
 う。
 質問者 しばしば、人びとは自らの意志で死にます。
 マハラジ
 選択が死より一層悪いときにかぎってだ。
 しかし、そのような死ぬ用意も生きる意志と同じ源から流れてくる。
 その源は生命そのものよりも深いものだ。
 生きる存在として在るということは、究極の状態ではない。
 そこには彼方にある、何かはるかに素晴らしい、存在でも非存在でもなく、
 生命でも非生命でもないものがある。
 それが時間と空間の限界を超えた純粋な覚醒だ。
 ひとたびこの「身体―精神」が自己だという幻想が放棄されたならば、死は
 その恐怖を失い、それは生きることの一部となるのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)