>>49
「真我」=「アートマン」は、全ては意識であると言うときの「意識」ではない。

修行の過程で見出だされる、「…でない」によってのみ定義される「アートマン」を介して、その何者でもないアートマン=「無我」に至ると言う理解でよいでありましょうか?
以前もお尋ねしたことでありますが、アートマンとは、「…でない」によってのみ定義されるものでありますから、結局、アートマンはあると言っても、「無我」と言っても同じことであると言う理解でよいのでありますね。
マハラジは、そのことを、無我と言う言葉を使わず、真我と言う言葉で語っているのでありますね。
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