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『I AM THAT 私は在る』
【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】(つづき)

 質問者 日々の生活のなかで、あなたはつねに実在の状態を意識しているの
 でしょうか?
 マハラジ
 意識もしなければ、無意識でもない。
 私に信念は必要ない。
 私は勇気を生きる。
 生命の愛である勇気が私の本質だ。
 私には記憶や不安がない。
 私が何であるか、あるいは何ではないかということには無関心だ。
 自己描写にふけったりもしない。
 「ソーハム」(我は彼なり)、や「アハム ブラーマスミ」(我は至高なる
 ものなり)といった偉大なマントラも無用のものだ。
 私には無として在る勇気がある。
 そして世界をあるがままに、無として見るのだ。
 シンプルに聞こえるだろう?
 試してみなさい!
 質問者 しかし、何があなたに勇気を与えたのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの見方は何と倒錯しているのだろう。
 勇気は与えられる必要のあるものだろうか?
 あなたの質問は不安が正常で、勇気は異常だということを暗示している。
 それは反対なのだ。
 不安と期待は想像から生まれる。
 私はその両方から自由だ。
 私はシンプルな存在だ。
 何に寄りかかる必要もないのだ。
 あなたがあなた自身を知らないかぎり、存在があなたにとって何になるとい
 うのだろう?
 あなたのままで幸福であるには、あなた自身を知らなければならないのだ。
 在ることは、知ることとして輝く。
 愛のなかの暖かさ、それを知ることだ。
 それはみなひとつだ。
 あなたの分離を想像しておいて、疑問に頭を悩ませている。
 公式に関わりすぎてはならない。
 純粋な存在は描写できないものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)