【 1「私は在る」という感覚】
質問者 毎朝、目覚めとともに世界が突然現れるのは、日々体験することです。それはいったいどこからやってくるのでしょうか?
マハラジ
何かが現れる前に、それに対する誰かがそこにいなければならない。
すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化を前提としている。
質問者 目覚める前、私は無意識でした。
マハラジ
どういう意味だろう?
忘れてしまったのか、それとも体験しなかったのだろうか?
たとえ無意識のときでも、あなたは体験しないと言えるだろうか?
記憶の忘却、それが存在していないことの証明になるだろうか?
あなたが存在していなかったと、実際の体験として語ることができるだろうか?
マインドが存在しなかったと言うことさえできない。
呼びかけられて、あなたは目を覚ましたのではなかったか?
そして、目覚めて最初に起こった感覚は、「私は在る」(I AM)ではなかっただろうか?
眠り、または気絶の間にも、意識の種子は存在していたはずだ。
目覚めの時の体験は、「私は在る―身体―世界」とつながっていく。
それは連続して起こるように見えるが、実際には、世界の中で身体をもつというひとつの観念として、すべて同時に起こるものだ。
誰かとして在ることなく、「私は在る」という感覚がありうるだろうか?
質問者 私はつねに記憶と習慣をもった「誰か」です。それ以外の「私は在る」を私は知りません。
マハラジ
何かがあなたを知ることから妨げているのだろうか?
ほかの人が知っていることを知りたいと思ったとき、あなたはどうするだろう?
(´・(ェ)・`)つ
つづく