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『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 私には世界創造が神のリーラ(戯れ)でしかないという、この概念
 が好きになれません。私はむしろ、世界を私たちが組み立てる仕事
 場に比べるでしょう。
 マハラジ
 あなたは深刻にとらえすぎなのだ。
 遊戯の何が悪いのだろう?
 あなたが未完成であるかぎり、目的を持たざるをえない。
 それまでは完全、完成が目的だ。
 しかし、内面と外面を統合して自分のなかで完全になれば、そのときあなた
 は宇宙を楽しむのだ。
 そのために働くことはしない。
 統合されていないものにとって、あなたはたいへんな努力とともに働くよう
 に見えるかもしれない。
 しかし、それは幻想なのだ。
 スポーツマンは途方もない努力をするように見える。
 だが、彼らの動機はすべて、遊ぶこととそれを誇示することなのだ。
 質問者 神はただ戯れているだけで、目的のない行為に従事していると言う
 のでしょうか?
 マハラジ
 神はただ真実と善だけではない。
 彼はまた美しくもある(サティヤム―シヴァム―スンダラム)。
 彼は喜びのために美をつくり出すのだ。
 質問者 それならば、美が彼の目的ではありませんか?
 マハラジ
 なぜ目的を持ち出すのだろうか?
 目的は活動、変化、未完成を暗示する。
 神は美を目標にしているのではない。
 何であれ、彼の行うことが美なのだ。
 あなたは花が美しくあろうと試みていると言うだろうか?
 その本質自体が美しいのだ。
 同じように、神も完成を目指して努力しているのではなく、神は完成そのも
 のなのだ。
 質問者 美のなかで目的はそれ自体を満たすのです。
 マハラジ
 何が美しいのだろう?
 何であれ美しいと感じるのは、至福に満ちて知覚されたときだ。
 至福が美の本質なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)