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『I AM THAT 私は在る』
【25 「私は在る」をつかみ取りなさい】(つづき)

 質問者 意識のなかには数多くの点が存在しています。世界もまた数多くあ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 夢を例にとって見なさい。
 病院に多くの患者がいるとしよう。
 みな眠って、夢を見ている。
 病気という共通の要素を除いてはそれぞれが個人的な、無関係の、影響を互
 いに与えない夢のなかにいる。
 同様に、私たちも共通体験の現実世界から、想像によって私たち自身をひき
 離し、個人的な欲望や恐れ、想像や思考、観念や概念の雲のなかに私たち自
 身を囲み込んでしまったのだ。
 質問者 これは私にも理解できます。しかし、個人的世界の途方もない多様
 性の原因は何なのでしょうか?
 マハラジ
 その多様性はそれほどのものではない。
 すべての夢はひとつの共通する世界の上に重ねられたものだ。
 ある程度までそれらは互いを形づくり、影響を与えあう。
 それにもかかわらず、基本的な統一性はそのすべてに作用している。
 その根底にはすべて、私が誰かを知らないという自己忘却があるのだ。
 質問者 忘れるには、人は知っていなければなりません。忘れる前に、私は
 誰なのかを知っていたのでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 自己を忘れることは、自己を知ることのなかに本来備わっているものなのだ。
 意識と無意識はひとつの生における二つの側面であり、それらは競争してい
 る。
 世界を知ることで、あなたは自己を忘れ、自己を知ることで、あなたは世界
 を忘れるのだ。
 結局のところ、世界とは何だろう?
 記憶の集合だ。
 ひとつのことを固守しなさい。
 それが大切なことだ。
 「私は在る」をつかみ取りなさい。
 そしてほかのすべてを手放しなさい。
 これがサーダナ(修練)である。
 真我実現のなかには、覚えるものもなければ、忘れるものもない。
 すべては知られたものだ。
 思い出すことなど何もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)