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『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 実在はつねに私たちとともに在るとあなたは言われまし
 た。どうして私たちはそれに気づかないのでしょうか?
 マハラジ
 そのとおり、あなたはつねに至高なるものなのだ。
 しかし、あなたの注意はいつも身体的あるいは精神的なものに注
 がれている。
 あなたの注意がひとつのものを離れて、まだほかの対象物に固定
 される合間、あなたは純粋な存在なのだ。
 識別(ヴィヴェーカ)と無執着(ヴァイラーギャ)* の実践を通
 して、あなたは感覚的そして精神的状態の視野を失い、純粋な存
 在が自然な状態として現れだす。
 * 訳注 識別と無執着
 ヴィヴェーカ Viveka 識別。真実と偽りを識別するこ
 と。ヴァイラーギャ Vairagya 無執着。世俗的欲望の
 不在。非実在とはかなき存在への無執着。
 質問者 この分離された存在の感覚をどうやって終焉(しゅうえ
 ん)させることができるのでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」にマインドの焦点を合わせることによって、「私は
 これだ」という存在の感覚は消え去る。
 そこに「私はただの観照者だ」が残り、それさえも、「私がすべ
 てだ」のなかに沈んでいく。
 そのときすべてはひとつとなり、ひとつは――私から分離してい
 ないあなたの自己となるのだ。
 分離した「私」という概念を放棄しなさい。
 そうすれば「誰の経験か?」という疑念が湧いてくることはない
 だろう。
 質問者 あなたはあなた自身の体験から語っています。どうやっ
 てそれを私のものとすることができるのでしょうか?
 マハラジ
 私の体験とあなたの体験が異なると言うのは、私とあなたが分離
 しているとあなたが信じているからだ。
 より深いレベルでは、私の体験はあなたの体験だ。
 あなた自身の内面深くに入っていきなさい。
 そうすれば、あなたはそれをいともたやすく、簡単に見いだすだ
 ろう。
 「私は在る」の方向へと入っていきなさい。
(´・(ェ)・`)               (おわり)