>>363
>宗教や思弁哲学的理念からも自由な家系に生まれるかもしれない。

←この意味がよくわからないのは、翻訳のせぃでありましょうか?

『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 私が裸で空腹の乞食に偶然出会い、彼に「あなたは誰か?」
 と問うとします。彼は「私は至高の真我だ」と言うかも
 しれません。私は言うでしょう。「なるほど、あなたが
 至高なるものなら、状況を変えたらどうかね?」と。彼
 は何と答えるでしょうか?
 マハラジ
 彼はあなたに尋ねるだろう、「どの現状だろう? 何を変える必
 要があるだろうか? 私の何が間違っているのかね?」と。
 質問者 なぜ彼はそう答えるのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、彼はもはや見かけに束縛されてはいないからだ。
 彼は名前と形を自分自身と自己同一視しない。
 彼は記憶を使うだろうが、記憶が彼を使うことはできないのだ。
 質問者 すべての知識は記憶を根底においているのではないでし
 ょうか?
 マハラジ
 低次の知識はそうだ。
 より高次の知識、実在の知識は、人の心の本性のなかに生来ある
 ものだ。
 質問者 「私は私が意識しているものでもなければ、意識そのも
 のでもない」と言うことができるでしょうか?
 マハラジ
 あなたがひとりの探求者であるかぎり、あなたは空の、純粋な意
 識だという想いを固守する方が良い。
 意識の彼方に至高の状態があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)