>>325
『I AM THAT 私は在る』
【20 至高なるものはすべてを超える】

 質問者 あなたは、実在はひとつだと言います。単一性、統一性は個人の属
 性です。それでは、実在とは宇宙をその身体とした個人なのでしょ
 うか?
 マハラジ
 あなたが何を言おうと、それは真実でもあり偽りでもある。
 マインドを超えたところに言葉が届くことはできないのだ。
 質問者 私はただ理解しようとしているだけです。あなたは個人、観照者、
 そして至高なるもの(ヴィアクティ、ヴィアクタ、アヴィアクタ)
 に関して語りました。純粋な覚醒(プラジニャー)の光は、観照者
(ジーヴァートマ)のなかの「私は在る」、マインド(アンタカラ
 ナ)を照らす意識(チェタナ)、身体(デーハ)に生気を与える生
 命(プラーナ)に焦点を合わせています。これらすべては言葉で表
 現するかぎりはいいでしょう。しかし、私のなかで観照者から個人
 を区別し、至高なるものから観照者を区別しようとすると、混乱し
 てしまうのです。
 マハラジ
 個人はけっして主体ではありえない。
 あなたは個人を見ることはできるが、あなたは個人ではない。
 あなたはつねに至高なるものであり、その至高なるものが、ある与えられた
 時間と空間において観照者として現れたのだ。
 その観照者が至高なるものの純粋な覚醒と、個人の多様な意識の間に橋を渡
 すのだ。
 質問者 私が自分を見るとき、この身体をどう使うかについて、私のなかで
 何人かの異なった個人が互いに争いあっているのを見いだします。
 マハラジ
 それらはマインドの多様な性癖(サンスカーラ)に相当するのだ。
 質問者 私は彼らの間に平和をもたらすことができるでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 彼らはまったく反駁(はんばく)しあっているのだ。
 彼らをただの思考と感情の習慣、記憶と衝動として、あるがままに見なさい。
 質問者 それでも、彼らは皆「私は在る」と言うのです。
 マハラジ
 なぜなら、あなたは彼らと自分自身を自己同一視するからだ。
 ひとたび、何であれあなたの前に現れたものは自分自身ではありえず、「私
 は在る」と言うことはできないと認識すれば、あなたはすべての「個人」た
 ちと彼らの要求から自由になる。
 「私は在る」という感覚はあなた自身のものだ。
 それを手放すことはできない。
 しかし、あなたはそれを「私は若い、私は裕福だ」というように何にでも分
 け与えることができる。
 ただ、そのような自己同一化は明らかに偽りであり、束縛となる原因なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)