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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2
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0001名無しを整える。2018/01/02(火) 17:24:50.70ID:1i8Yd2u9
前スレ; 鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ
0308名無しを整える。2018/03/25(日) 21:39:46.66ID:81ookYO3
>>307
> 「私はあれやこれだ」というのが私たちの通常の態度だ。
 忍耐強く堅固に、「あれ」や「これ」から「私は在る」を分離しなさい。
 そして「あれ」や「これ」として在るのではなく、ただ在るということがど
 ういった意味をもつのか感じ取ってみなさい。
 私たちの習慣のすべてがそれに逆らう。
 それらと闘うことはときには長く、困難な仕事だ。
 だが、明確な理解は大きな助けとなる。
 マインドのレベルでは、あなたは否定的な言語でしか言い表わすことができ
 ないということをより明確に理解するほど、探求はより早く終焉を迎える。
 そして、あなたは無限の実在を実現するのだ。
ふむふむふむ。
(´・(ェ)・`)
0309鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/25(日) 23:02:46.06ID:RUKhiehX
観念に囚われていればそれが自分と同一化していると感じるのじゃ。
囚われなければ観念との同一化もないのじゃ。
観念が無ければ無限の意識が感じられるのじゃ。
0310名無しを整える。2018/03/26(月) 07:08:25.11ID:T+PFFqHL
『I AM THAT 私は在る』
【19 実在は客観性の内に在る】

 質問者 わたしは画家で、絵を描くことによって生計を立ててい
 ます。これは霊的見地から見て価値あることなのでしょ
 うか?
 マハラジ
 あなたは絵を描くとき、何を想うのだろうか?
 質問者 私が絵を描くときは、そこに絵と私自身があるだけです。
 マハラジ
 あなたはそこで何をしているのだろう?
 質問者 絵を描いています。
 マハラジ
 そうではない。
 あなたは絵が描かれているのを見ているのだ。
 あなたは見守るだけで、それ以外はすべて起こるのだ。
 質問者 絵がそれ自身を描いているのでしょうか? あるいは何
 かより深い「私」あるいは神が描いているのでしょうか?
 マハラジ
 意識そのものがもっとも偉大な画家なのだ。
 世界全体が絵画だ。
 質問者 誰が世界の絵を描いたのでしょう?
 マハラジ
 画家は絵のなかにいる。
 質問者 絵は画家のマインドのなかにあり、画家は絵のなかにい
 る。そしてその絵は、絵のなかの画家のマインドのなか
 にある! この無限の状態と次元はばかげていませんか?
 私たちが絵のなかにあるマインドのなかの絵について語
 る瞬間、高次の観照者が低次を観照しているという、か
 ぎりない観照者の連鎖となります。それは二つの鏡の間
 に立ち、そこに映る群衆に驚いているようなものです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 あなたはひとりでそこには二重の鏡がある。
 その二つの合間であなたの形と名前は無数に存在するのだ。
 質問者 あなたはどのように世界を見ているのでしょうか?
 マハラジ
 私は画家が絵を描いているのを見ている。
 その絵を私は世界と呼び、画家を神と呼ぶ。
 私はそのどちらでもない。
 私は創造しないし、創造されたものでもない。
 私はすべてを含み、私を含むことのできるものは何もないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0311名無しを整える。2018/03/26(月) 07:32:23.56ID:T+PFFqHL
>>310
質問者・・・ 私たちが絵のなかにあるマインドのなかの絵について語
 る瞬間、高次の観照者が低次を観照しているという、か
 ぎりない観照者の連鎖となります。それは二つの鏡の間
 に立ち、そこに映る群衆に驚いているようなものです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 あなたはひとりでそこには二重の鏡がある。
 その二つの合間であなたの形と名前は無数に存在するのだ。

存在の唯識的説明の中で、絵を描く行為を語るとこうなるわけでありますね。
ふむふむ・・・・かなりややこしい話しであります。
(´・(ェ)・`)つ
0312鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/26(月) 22:08:05.83ID:Q9TB+X2v
絵を描く者を無限に遡及するように感じるのも記憶に拠る認識の所為なのじゃ。
見たものを主体として認識する記憶が次々に生じているだけなのじゃ。
それ自体が自分を認識する仕組みを働かせているのじゃ。
その過程を詳細に見れば自我を見るチャンスにもなるのじゃ。
0313名無しを整える。2018/03/26(月) 23:00:41.79ID:T+PFFqHL
>>312
>見たものを主体として認識する記憶が次々に生じているだけなのじゃ。
それ自体が自分を認識する仕組みを働かせているのじゃ。
その過程を詳細に見れば自我を見るチャンスにもなるのじゃ。

マハラジが「あなた」と言ってるのは、真我あるいは「気づき」のことであり、だからあなたは書かれている絵を見てるだけということになるのでありましょうか?
絵を描くという行為をなしている者は誰かと問うことは、無意味であり、その描かれていることに気付いている者こそが真我であり、あなただと言うことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0314名無しを整える。2018/03/27(火) 10:15:06.60ID:qDbM9cwy
>>310
『I AM THAT 私は在る』
【19 実在は客観性の内に在る】
(つづき)

 質問者 私が樹や、顔や、夕日を見るとき、その絵は完全です。
 私が目を閉じるとイメージはぼんやりして、かすんだ状
 態です。もし私のマインドが絵を投影するならば、なぜ
 愛らしい花を見るために目を開いていなければならず、
 目を閉じたときははっきり見えないのでしょう?
 マハラジ
 なぜならあなたの外側のほうが内なる目より優れているからだ。
 あなたの目はいつも外側へと向いている。
 あなたが霊的世界を見ることを学ぶにつれて、それが身体の目で
 見るよりもより色鮮やかで、完全なことを知るだろう。
 もちろん、いくらかの訓練が必要だ。
 だが、なぜ議論するのだろう?
 あなたが、絵はそれを描いた画家から生まれたと想像するからだ。
 あなたはいつも理由や原因を探している。
 因果関係はマインドのなかにだけ存在する。
 記憶が継続性という幻想を与え、繰り返しが因果関係の概念をつ
 くり出すのだ。
 ものごとが繰り返し一緒に起こるとき、私たちはそこに因果関係
 を見出そうとする傾向がある。
 それは精神的習慣をつくり出す。
 しかし、その習慣は必要なものではないのだ。
 質問者 あなたは世界が神によってつくられたと言ったばかりで
 す。
 マハラジ
 言語はマインドによって、マインドのためにつくられたひとつの
 手段だということを覚えておきなさい。
 ひとたび、あなたが原因を認めるならば、神が究極の原因であり、
 世界はその結果となる。
 それらは異なるものだが、分離してはいない。
 質問者 人びとは神を見ることについて語っています。
 マハラジ
 あなたは世界を見るとき、神を見ている。
 世界を離れて、神を見るということはない。
 世界を超えて神を見るということは、神となることだ。
 あなたは光によって世界を見る。
 その光が神であり、それが「私は在る」という小さな閃光だ。
 一見とても小さく見えるが、それは知ることと愛することという
 行為のはじまりと、終わりなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0315名無しを整える。2018/03/27(火) 11:49:51.13ID:qDbM9cwy
>>314
>あなたが霊的世界を見ることを学ぶにつれて、それが身体の目で
 見るよりもより色鮮やかで、完全なことを知るだろう。
 もちろん、いくらかの訓練が必要だ。

←霊的な世界を見ることを学ぶとはどういうことでありましょうか?

後半は不幸ニ一元のわかりやすい説明でありますかね?
(´・(ェ)・`)つ
0317鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/27(火) 23:14:16.27ID:8Dm6IMPt
>>313 そのようなものじゃ。
 幻想なのじゃ。
 気づいている者はないのじゃ。
 そこに主体も真我もないのじゃ。
 主体無くして全ては起こるのじゃ。

>>315 感覚を制して外の刺激をみないようにするのじゃ。
 そして自分の本心だけを観ることなのじゃ。
 それが全てなのじゃ。
0318名無しを整える。2018/03/27(火) 23:58:09.30ID:qDbM9cwy
>>317
鬼和尚、ありがとうであります。
真我が主体といった場合、主体はないと同義だと思うのでありますが、そのような言い方は間違いでありましょうか?
> 感覚を制して外の刺激をみないようにするのじゃ。
←制感の法でありますね。
ところで、「霊的な世界」と言うのがピント来ないのでありますが、どのように理解すれば良いのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0319名無しを整える。2018/03/28(水) 06:49:06.47ID:K+m1lQCS
>>314
『I AM THAT 私は在る』
【19 実在は客観性の内に在る】(つづき)

 質問者 神を見るために世界を見なければならないのでしょうか?
 マハラジ
 それ以外どうするというのだろうか?
 世界がなければ神もない。
 質問者 何が残るのでしょう?
 マハラジ
 あなたが純粋な存在として残る。
 質問者 そして世界と神が何になるのですか?
 マハラジ
 純粋な存在(アヴィヤクタ)になる。
 質問者 それは偉大な広がり(パラマカーシュ)と同じなのでし
 ょうか?
 マハラジ
 そう呼んでもいい。
 言葉は問題ではない。
 言葉では表現不可能だからだ。
 完全な否定によってのみ表現できるのだ。
 質問者 どうすれば世界を神としてみることができるのでしょう
 か? それはどういう意味なのでしょうか?
 マハラジ
 それは暗室に入っていくようなものだ。
 あなたには何も見えない。
 あなたは触れるかも知れないが、色彩も輪郭も、何も見えない。
 そこで窓が開き、部屋は光で溢れ、満たされ、色彩と形態が現れ
 だす。
 光を与えたのは窓だ。
 だが窓が光の源なのではない。
 太陽が源なのだ。
 同じように、物質は暗室のようなものだ。
 意識が窓だ。
 感覚と知覚によって物質はあふれだす。
 そして物質と光の両方の源である至高なるものが太陽なのだ。
 窓は開いているかも、閉じているかもしれない。
 太陽はいつも輝いている。
 太陽は部屋に完全な変化をもたらしたが、太陽は変化しない。
 しかし、これらすべても小さな「私は在る」にとっては大きな意
 味を持たない。
 「私は在る」なしには何も存在できないからだ。
 すべての知識は「私は在る」に関わる。
 この「私は在る」についての誤った考えが束縛へと導き、正しい
 考えは自由と幸福をもたらすのだ。
 質問者 「私は在る」と「そこに在る」は同じでしょうか?
 マハラジ
 「私は在る」は内側を、「そこに在る」は外側を意味する。
 ともに存在(ビーング)の感覚に基づいている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0320名無しを整える。2018/03/28(水) 06:59:10.96ID:K+m1lQCS
>>319
>物質は暗室のようなものだ。
 意識が窓だ。
 感覚と知覚によって物質はあふれだす。
 そして物質と光の両方の源である至高なるものが太陽なのだ。
 窓は開いているかも、閉じているかもしれない。
 太陽はいつも輝いている。
 太陽は部屋に完全な変化をもたらしたが、太陽は変化しない。
 しかし、これらすべても小さな「私は在る」にとっては大きな意
 味を持たない。
 「私は在る」なしには何も存在できないからだ。
 すべての知識は「私は在る」に関わる。
 この「私は在る」についての誤った考えが束縛へと導き、正しい
 考えは自由と幸福をもたらすのだ。

(´・(∀)・`)つ
わぁァァァかりやすいたとえばなしであります!
0321鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/28(水) 23:48:15.09ID:UTPqa4s1
>>318 それはマハラジの教えでは私は在るということを追求する世界なのじゃ。
 今まで世間で金勘定などをしていた者には全く別の世界になるのじゃ。
 世間の法則とは別の法がある心の世界なのじゃ。
0322鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/28(水) 23:51:03.85ID:UTPqa4s1
真我という言葉を使えばそこにまた観念が従って起こるものじゃ。
修行中に幻想を見てそれが真我だとおもってやめてしまうものもいるじゃろう。
本当はアートマンは真我と訳すべきでもないのじゃ。
真の我など存在せず、アートマンはそれを追求する法でもないからのう。
0323名無しを整える。2018/03/28(水) 23:55:35.77ID:K+m1lQCS
>>321
鬼和尚、ありがとうであります。
霊とか魂とかの世界の話しとは無関係に、単なる非日常的な、心の世界と理解しておけばよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0324名無しを整える。2018/03/29(木) 00:22:10.11ID:6mXXLGid
>>322
鬼和尚ありがとうであります。アートマンが主体と言う言い方は間違いだとわかりました。
二元性を越えたアートマンの適切な訳語はないもんでありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ
0325名無しを整える。2018/03/29(木) 05:54:43.83ID:6mXXLGid
>>319
『I AM THAT 私は在る』
【19 実在は客観性の内に在る】(つづき)
 
( マハラジ
 「私は在る」は内側を、「そこに在る」は外側を意味する。
 ともに存在(ビーング)の感覚に基づいている。)
 質問者 それは実存(イグジスタンス)の体験と同じなのでしょ
 うか?
 マハラジ
 実存することとは、あるもの、ある感情、ある思い、ある概念と
 いった何かとして在ることを意味している。
 すべての実存は、ある特定のものだ。
 すべての存在はほかのあらゆる存在を互いに受け入れるという意
 味で、存在だけが普遍的なものと言える。
 実存は対立するが、存在に対立はありえない。
 実存とは何かになること、生まれ、死に、また生まれるという変
 化を意味する。
 一方、存在には平和と静寂があるのだ。
 質問者 もし私が世界をつくり出したなら、どうしてこのような
 間違ったものになってしまったのでしょうか?
 マハラジ
 誰もが皆、その人自身の世界に生きている。
 すべての世界が同じように良いわけでも悪いわけでもない。
 質問者 何が違いを決定するのでしょうか?
 マハラジ
 世界を投影するマインドが、それ自身のやり方で色づけするのだ。
 あなたがある人に出会うとき、彼は見知らぬ人だ。
 彼と結婚すれば、彼はあなた自身のものとなる。
 喧嘩をすれば、彼はあなたの敵になる。
 彼があなたにとって何であるかを決定するのは、あなたのマイン
 ドの姿勢によるのだ。
 質問者 私の世界が主観的なものだということは理解できます。
 それはつまり幻想でもあるということなのでしょうか?
 マハラジ
 主観的であるかぎり、それは幻想だ。実在は客観性の内にある。
 質問者 客観性とはどういう意味でしょうか? あなたは世界が
 主観的なものだと言いました。今、あなたは客観性につ
 いて語っています。すべては主観的ではないのでしょう
 か?
 マハラジ
 すべては主観的だ。しかし、実在は客観的だ。
 質問者 どういう意味でしょうか?
 マハラジ
 それは記憶や期待、欲望や恐れ、好き嫌いといった選択に依存し
 ない。
 すべてはあるがままとして見られるのだ。
 質問者 それはあなたが第四の状態(トゥリーヤ)と呼ぶものな
 のでしょうか?
 マハラジ
 あなたの好きなように呼ぶがいい。
 それは確固とし、一定で、変化せず、はじまりも終わりもない。
 つねに新しく、つねに新鮮だ。
 質問者 どうやってそれに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 欲望もおそれもない状態があなたをそこへ連れていくだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0328鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/29(木) 23:14:34.66ID:C0LX4vkj
>>323 そうじゃ。

>>324 訳さなくても良いのじゃ。
 無理に訳すならば無現法なのじゃ。
 無によってのみ現される方法なのじゃ。
 
0329名無しを整える。2018/03/29(木) 23:44:46.83ID:6mXXLGid
>>328
鬼和尚、ありがとうであります。
無現法でありますか。意味を表す訳語としてぴったりでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0330名無しを整える。2018/03/30(金) 07:26:45.34ID:i2L/hZlQ
>>325
『I AM THAT 私は在る』
【20 至高なるものはすべてを超える】

 質問者 あなたは、実在はひとつだと言います。単一性、統一性は個人の属
 性です。それでは、実在とは宇宙をその身体とした個人なのでしょ
 うか?
 マハラジ
 あなたが何を言おうと、それは真実でもあり偽りでもある。
 マインドを超えたところに言葉が届くことはできないのだ。
 質問者 私はただ理解しようとしているだけです。あなたは個人、観照者、
 そして至高なるもの(ヴィアクティ、ヴィアクタ、アヴィアクタ)
 に関して語りました。純粋な覚醒(プラジニャー)の光は、観照者
(ジーヴァートマ)のなかの「私は在る」、マインド(アンタカラ
 ナ)を照らす意識(チェタナ)、身体(デーハ)に生気を与える生
 命(プラーナ)に焦点を合わせています。これらすべては言葉で表
 現するかぎりはいいでしょう。しかし、私のなかで観照者から個人
 を区別し、至高なるものから観照者を区別しようとすると、混乱し
 てしまうのです。
 マハラジ
 個人はけっして主体ではありえない。
 あなたは個人を見ることはできるが、あなたは個人ではない。
 あなたはつねに至高なるものであり、その至高なるものが、ある与えられた
 時間と空間において観照者として現れたのだ。
 その観照者が至高なるものの純粋な覚醒と、個人の多様な意識の間に橋を渡
 すのだ。
 質問者 私が自分を見るとき、この身体をどう使うかについて、私のなかで
 何人かの異なった個人が互いに争いあっているのを見いだします。
 マハラジ
 それらはマインドの多様な性癖(サンスカーラ)に相当するのだ。
 質問者 私は彼らの間に平和をもたらすことができるでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 彼らはまったく反駁(はんばく)しあっているのだ。
 彼らをただの思考と感情の習慣、記憶と衝動として、あるがままに見なさい。
 質問者 それでも、彼らは皆「私は在る」と言うのです。
 マハラジ
 なぜなら、あなたは彼らと自分自身を自己同一視するからだ。
 ひとたび、何であれあなたの前に現れたものは自分自身ではありえず、「私
 は在る」と言うことはできないと認識すれば、あなたはすべての「個人」た
 ちと彼らの要求から自由になる。
 「私は在る」という感覚はあなた自身のものだ。
 それを手放すことはできない。
 しかし、あなたはそれを「私は若い、私は裕福だ」というように何にでも分
 け与えることができる。
 ただ、そのような自己同一化は明らかに偽りであり、束縛となる原因なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0331鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/03/30(金) 22:16:59.27ID:9cR9sWdy
観念は常に分かれているものじゃ。
欲や恐れから矛盾した働きを繰り広げるのみなのじゃ。
観念が無ければ全ては統一され安らぎが在るのじゃ。
0332名無しを整える。2018/03/31(土) 07:41:40.46ID:bW8049nq
>>330
『I AM THAT 私は在る』
【20 至高なるものはすべてを超える】(つづき)

 質問者 今、私には私が個人ではなく、個人のなかに反映されたとき、それ
 に存在の感覚を与えるものだと理解できました。では、至高なるも
 のについてはどうでしょう? どのようにして私自身を至高なるも
 のとして知るのでしょうか?
 マハラジ
 意識の源は、意識のなかの対象物ではありえない。
 源を知るということは、源として在るということだ。
 あなたが個人ではなく純粋で静かなる観照者であり、恐れのない気づきが真
 の存在だと悟ったとき、あなたは実在となる。
 それが源であり、無尽蔵の可能性だ。
 質問者 源はたくさんあるのでしょうか、それとも、ひとつがすべてのため
 にあるのでしょうか?
 マハラジ
 それはあなたがそれをどの側から、どう見るかによる。
 世界のなかの対象物はたくさんあるが、それを見る目はひとつだ。
 高次のものは低次のものにとってつねにひとつとして現れ、高次のものにと
 って低次のものは多数として現れる。
 質問者 形や名前はみな同じひとつの神のものなのでしょうか?
 マハラジ
 これもまた、あなたがどう見るかにかかってくる。
 言語上のレベルでは、すべてが相対的だ。
 絶対性は体験されるものであって、討論すべきことではない。
 質問者 どのようにして絶対性は体験されるのでしょうか?
 マハラジ
 それは対象物として認識したり、記憶のなかに蓄えられたりするものではな
 い。
 それは現在のなかに、むしろ感覚的なものとしてある。
 それは「何であるか」というより、「どう在るか」に近い。
 それは質のなか、価値のなかにあり、すべての源としてすべてのなかに存在
 しているのだ。
 質問者 もしそれが源なら、なぜ、そしてどのようにしてそれ自身を現すの
 でしょうか?
 マハラジ
 それは意識に誕生を与えるのだ。
 それ以外のすべては意識のなかにある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0333鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/01(日) 00:06:27.96ID:D2ut5DoZ
全ては意識なのじゃ。
そこにはもはや観る者と観られるものはないのじゃ。
自他の区別も無くただあるがままにあるのみなのじゃ。
知識としてではなく感じることでのみ了承されるのじゃ。
0334名無しを整える。2018/04/01(日) 06:12:58.48ID:lpYab2UK
>>333
ニサルガさんは、
>意識の源(至高なるもの)は、意識のなかの対象物ではありえない。
 源を知るということは、源として在るということだ。
 あなたが個人ではなく純粋で静かなる観照者であり、恐れのない気づきが真
 の存在だと悟ったとき、あなたは実在となる。
 それが源であり、無尽蔵の可能性だ。
←意識の源=至高なるもの=気づき=実在(=アートマン?=ブラフマン?) を意識とは別に、意識の源として説明していますが、

鬼和尚は、
意識の源とかは観念せず、全ては意識であるということでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0335名無しを整える。2018/04/01(日) 06:21:29.95ID:lpYab2UK
>>332
『I AM THAT 私は在る』
【20 至高なるものはすべてを超える】(つづき)

 質問者 なぜそれほどたくさんの意識の中心があるのでしょうか?
 マハラジ
 客観的宇宙(マハーダカーシュ)は不変の運動を続け、無数の形態を投影し
 ては溶解している。
 いつであれ形態に生気(プラーナ)が吹き込まれたとき、物質のなかで気づ
 きの反映によって意識(チェタナ)が現れる。
 質問者 至高なるものはどのような影響を受けるのでしょうか?
 マハラジ
 何が、どうやってそれに影響を与えられるというのだろう?
 水源が川の気まぐれな流れの影響を受けることはない。
 また金属が宝飾品の形によって影響を受けることもない。
 光源がスクリーン上の画像によって影響を受けるだろうか?
 至高なるものはすべてを可能にする。
 それだけだ。
 質問者 なぜあることは起こり、あることは起こらないのでしょうか?
 マハラジ
 原因を探しだすことは、ただのマインドの気晴らしにすぎない。
 原因と結果という二元性は存在しない。
 すべてはそれ自身の原因なのだ。
 質問者 それでは、目的をもった行為は不可能なのでしょうか?
 マハラジ
 私に言えることは、意識がすべてを包括しているということだけだ。
 意識のなかではすべてが可能だ。
 もし望むならば、あなたの世界のなかで原因を持つこともできるだろう。
 別の人は、神の意志というひとつの原因に満足かもしれない。
 根本的な原因はひとつ、「私は在る」だ。
 質問者 自己(ヴィアクタ)と至高なるもの(アヴィヤクタ)との関係は何
 でしょうか?
 マハラジ
 自己の視点から見れば、世界は既知であり、至高なるものは未知だ。
 未知は既知に誕生を与え、しかも未知としてとどまる。
 既知は無限だが、未知は無限大の無限だ。
 光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないように、至高な
 るものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知としてとどまるのだ。
 質問者 それはつまり、未知はアクセス不可能ということでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 至高なるものはもっとも到達しやすいものだ。
 なぜなら、それはあなたの存在そのものだからだ。
 考えることを止め、至高なるもの以外を求めないこと、それで充分だ。
 質問者 では、もし私が至高なるものさえも、何も求めないとしたら?
 マハラジ
 それでは、あなたは死んだも同然だ。
 あるいはあなたが至高なるものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0336名無しを整える。2018/04/01(日) 06:33:30.34ID:lpYab2UK
>>334
主客、自他、性質、程度・・等々一切を分別しないのであれば、意識こそが源であり、意識のみがあると考えた方が、シンプルでわかりやすいでありますね。
その他の、気づき、真我、実在、至高なるもの等は、意識を浮かび上がらせるための説明と考えればよいでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0337鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/01(日) 22:51:50.75ID:D2ut5DoZ
そうじゃ、気づくことで悟りも訪れるのじゃ。
悟りを得て気づいている意識に到達するといえるのじゃ。
寝ている時にも気づいているので在るからのう。
0338名無しを整える。2018/04/02(月) 07:21:18.57ID:Bk4oE5n3
>>335
『I AM THAT 私は在る』
【20 至高なるものはすべてを超える】(つづき)

 質問者 世界は欲望でいっぱいです。誰もがあれやこれやを欲しています。
 欲しているものとは誰なのでしょうか? 個人でしょうか、あるい
 は真我なのでしょうか?
 マハラジ
 真我だ。
 神聖なもの、あるいは神聖でないもの、すべての欲望は真我からやってくる。
 それらはすべ「私は在る」という感覚に依存しているのだ。
 質問者 神聖な欲望(サティヤカーマ)が真我から発しているということは
 理解できます。それは真我のサッチターナンダ(存在―意識―至福)
 の側面の表現でしょう。しかし、なぜ神聖ではない欲望もそうなの
 でしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望は幸福を目ざしいている。
 欲望の形や質は精神(アンタカラナ)に依存する。
 不活発性(タマス)が優勢なら、そこには逸脱が見られるだろう。
 エネルギー(ラジャス)があると熱情が生じ、透明性(サットヴァ)がある
 ところには、その欲望の動機の背後に善意と慈悲、幸福であることよりも幸
 福になってほしいという衝動が見られる。
 だが、至高なるものはすべてを超えている。
 さらに、その無限の浸透性ゆえに、あらゆる適切な望みは満たされるのだ。
 質問者 どの欲望が適切なのでしょうか?
 マハラジ
 主体、または対象を破壊する欲望、あるいは満たされた後でも消え去らない
 欲望は自己矛盾しており、満たされることはない。
 動機が愛と善意と慈悲によって生まれた欲望だけが、主体にも対象にも有益
 であり、充分満たされるのだ。
 質問者 神聖なものも神聖でないものも、すべての欲望は苦痛をともないま
 す。
 マハラジ
 それらは同じではない。
 苦痛もまた同じものではない。
 熱情は苦痛だ。
 慈悲に苦痛はありえない。
 全宇宙が慈悲から生まれた欲望を満たそうと努力しているのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0339名無しを整える。2018/04/02(月) 07:37:53.30ID:Bk4oE5n3
>>338
> 神聖なもの、あるいは神聖でないもの、すべての欲望は真我からやってくる。
 それらはすべ「私は在る」という感覚に依存しているのだ。
←すべての欲望は真我からやってくるのでありますか。
> すべての欲望は幸福を目ざしいている。
 欲望の形や質は精神(アンタカラナ)に依存する。
←ふむふむ。なるへそ。
> 至高なるものはすべてを超えている。
 さらに、その無限の浸透性ゆえに、あらゆる適切な望みは満たされるのだ。

> 主体、または対象を破壊する欲望、あるいは満たされた後でも消え去らない
 欲望は自己矛盾しており、満たされることはない。
 動機が愛と善意と慈悲によって生まれた欲望だけが、主体にも対象にも有益
 であり、充分満たされるのだ。

> 熱情は苦痛だ。
 慈悲に苦痛はありえない。
 全宇宙が慈悲から生まれた欲望を満たそうと努力しているのだ。

◎真我に属性などないので、すべての欲望は真我からやってくると言うことになるのでありましょうかね。
◎至高なるものはすべてを超えている。としつつも、愛、善意、慈悲といった属性のある概念として、使い分けてるのでありますかね?

(´・(ェ)・`)つ
0340鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/02(月) 21:53:16.41ID:Gp8MWw7N
真我もまた観念であるから欲も起こるものじゃ。
その根本には幸福を求める意識も在るのじゃ。
謬見から金とか権力が在ると幸福になれるのではないかと思ってしまうのじゃ。
0341名無しを整える。2018/04/03(火) 05:55:42.95ID:cVWkGEGr
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】

 質問者 私たちは神あるいは完全な人として人格化された実在を礼拝するよ
 う勧められてきました。絶対なるものの礼拝を試みることは、脳に
 中心を置く意識にはあまりにも困難だと言われたのです。
 マハラジ
 真理はシンプルであり、誰にでも開かれている。
 なぜそれを複雑にしてしまうのだろう?
 真理は愛(いと)しく、愛すべきものだ。
 それはすべてを含み、すべてを受け入れ、すべてを浄める。
 偽りこそが困難で、苦難の源なのだ。
 それはつねに欲し、期待し、要求する。
 偽りであるために空虚で、つねに確認と再確認を探している。
 それは探求を恐れ、そして避けている。
 それはたとえ弱くはかないものでも、何であれ、支えとなるものと自己同一
 化する。
 何であれ得ると失い、さらに求める。
 それゆえ、意識を信頼してはならない。
 何ひとつあなたが見、感じ、考えられることはそのとおりではないのだ。
 罪や徳、長所や欠点でさえ、現れたとおりではない。
 通常、善と悪は社会の慣例と習慣の問題であって、どう言葉で表されるかに
 したがって、避けられたり、歓迎されたりするものだ。
 質問者 悪い欲望や良い欲望、高次や低次の欲望といったものはないのでし
 ょうか?
 マハラジ
 すべての欲望は悪い。
 だが、あるものはほかのものよりさらに悪い。
 欲望を追求してみなさい、かならず災難にであうだろう。
 質問者 欲望から自由になりたいという欲望もそうでしょうか?
 マハラジ
 なぜ望むのだろうか?
 欲望から自由な状態を望んでも、自由にはなれないだろう。
 何もあなたを自由にすることはできない。
 なぜなら、あなたはすでに自由だからだ。
 欲望のない明晰性(めいせきせい)であなた自身を見なさい。
 それだけだ。
 質問者 自己を知るには時間がかかります。
 マハラジ
 どうして時間があなたを助けられるだろう?
 時間とは瞬間の連続だ。
 それぞれの瞬間は無から現れ、無へと消えていき、ふたたび現れることはな
 い。
 そんなはかないものの上に、どうして何かを築くことができるだろう?
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0342名無しを整える。2018/04/03(火) 14:07:13.06ID:cVWkGEGr
>>341
> 欲望のない明晰性(めいせきせい)であなた自身を見なさい。
 それだけだ。

なぁ〜んだ、そんなことか!って、それができたらよいのでありますが。
欲望はあっても、その欲望はないものとしての視点が明晰な=あるがままの視点であるから、そのように見よと言うことでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ
0343鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/03(火) 22:49:38.85ID:qK4pPMlU
そうじゃ、集中して観察すれば観られるのじゃ。
観ることによってそれが実は見られるものと気づくのじゃ。
主体ではなく観念による客体と知れるのじゃ。
0344名無しを整える。2018/04/04(水) 00:45:17.64ID:Vk7A72ui
>>343
ふむふむ。
観察することによって、主客の別なく、当然欲望まなく、全ては幻想と知るのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0345名無しを整える。2018/04/04(水) 06:45:52.49ID:Vk7A72ui
>>341
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】(つづき)

 質問者 不変なるものとは何でしょうか?
 マハラジ
 自分のなかの不変なるものを見てみなさい。
 内面へと深く潜り、あなたのなかの真実を見いだしなさい。
 質問者 どのように自分自身を探しだせばよいのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ起こることはあなたに起こる。。
 あなたが何をしようと、それを為(な)す人はあなたのなかにいる。
 個人としてのあなたの主体を見いだしなさい。
 質問者 私は個人以外の何でありうるのでしょうか?
 マハラジ
 見つけだしなさい。
 たとえ私があなたに、あなたは観照者、静かに見守る人だと言ったところで、
 あなた自身が自己の存在への道を見いださないかぎり、それは何の意味もも
 たないだろう。
 質問者 どのようにして自己の存在への道を見いだしたらよいか、というの
 が私の質問です。
 マハラジ
 「私は誰か?」以外のすべての質問を放棄しなさい。
 最終的にあなたが確信できる唯一の事実とは、あなたは在るということだけ
 だ。
 「私は在る」は確かだ。
 「私はこれだ」は確かでない。
 真実のあなたとは何なのか。
 それを見いだすために努めなさい。
 質問者 ほかでもないそれだけを、私はこの六十年やってきたのです。
 マハラジ
 努力することに何の誤りがあるだろう?
 なぜ結果を追い求めるのだろうか?
 努力することそのものがあなたの本性だ。
 質問者 努力は苦痛です。
 マハラジ
 結果を求めることで、あなたがそうしたのだ。
 結果を求めずに努力しなさい。
 強欲にならずに努力しなさい。
 質問者 なぜ神は私をこのように造られたのでしょうか?
 マハラジ
 どの神についてあなたは話しているのだろうか?
 神とは何なのか?
 質問することを可能にしているその光そのものが神ではないだろうか?
 「私は在る」そのものが神なのだ。
 探求そのものが神だ。
 探求を通して、あなたは身体でもマインドでもなく、あなたのなかの自己へ
 の愛が生きるものすべての自己への愛だということを発見する。
 その二つはひとつなのだ。
 あなたのなかの意識と私のなかの意識は二つのように見えるが、実際はひと
 つだ。
 統合を見いだしなさい。
 それが愛なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0346鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/04(水) 23:02:24.71ID:mwcHB8+J
>>344 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

 ただひたすらに実践するものだけが私は在るを見出すのじゃ。
 
0347名無しを整える。2018/04/05(木) 15:29:18.40ID:pDaGRgN7
>>345
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】(つづき)

 質問者 どうすればその愛を見いだせるのでしょう?
 マハラジ
 今、あなたが愛するものは何だろうか?
 「私は在る」だ。
 あなたのハートとマインドをそれに捧げなさい。
 ほかに何も考えずに。
 これが努力なく自然になったとき、最高の状態となる。
 そのなかでは、愛そのものが愛する者であり、また愛される者なのだ。
 質問者 誰もが生きること、存在することを望んでいます。それは、自己愛
 ではないでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望は、自我のなかにその源をもっている。
 問題は、正しい欲望を選択することにある。
 質問者 何が正しく、何が間違っているかは習慣としきたりによって変化し
 ます。基準は社会によって異なります。
 マハラジ
 すべての伝統的基準を捨て去りなさい。
 それらは偽善者たちに任せておくがいい。
 欲望と恐れと誤った概念からあなたを解き放つものだけが正しいのだ。
 あなたが罪や徳に煩(わずら)わされている間は、安心が訪れることはない
 だろう。
 質問者 罪や徳が社会的基準に基づくことは認めますが、霊的な罪や徳もあ
 るかもしれません。私の言う霊的とは絶対性の意味です。絶対的罪
 や絶対的徳といったものがあるのでしょうか?
 マハラジ
 罪や徳は個人にしかあてはまらない。
 罪深き人や徳高き人なしに、罪や徳があるだろうか?
 絶対の次元に個人の存在はない。
 純粋な覚醒の大洋は、徳高くも罪深くもない。
 徳や罪はつねに相対的なものだ。
 質問者 このような不必要な概念を、私はぬぐい去ることができるでしょう
 か?
 マハラジ
 あなたが自分を個人と考えているかぎりは無理だ。
 質問者 私が罪や徳を超えたことを何によって知るのでしょうか?
 マハラジ
 すべての欲望と恐れから、そして自分が個人であるという考えそのものから
 自由になることによってだ。
 「私は罪人だ」、「私は罪人ではない」といった考えをいだくこと自体が罪
 なのだ。
 自分自身をある特定のものと自己同一化することが罪のすべてだ。
 非人格が真実であり、人格は現れては消えていくものだ。
 「私は在る」は非個人の存在だ。
 「私はこれだ」が個人だ。
 個人は相対的なものであり、純粋な存在は根本的なものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0348鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/05(木) 23:17:33.05ID:pV9CA6Uj
全ての欲望と恐れと観念を厭離する法こそ真理と呼べるものなのじゃ。
実践によってそれらから解放され、全ての本質を味わうのじゃ。
それが全てに他ならない意識なのじゃ。
0349名無しを整える。2018/04/06(金) 07:28:52.94ID:OZRWgzBi
>>347
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】(つづき)

 質問者 純粋な存在が無意識であるはずも、識別力のないはずもありません。
 どうしてそれが罪と徳を超えられるのでしょうか? どうか教えて
 ください。純粋な存在には知性があるのでしょうか?
 マハラジ
 これらすべての質問は、あなたが自分を個人だと信じるために起こるのだ。
 個人であることを超えて見なさい。
 質問者 個人で在ることをやめなさいと言うとき、あなたは正確には何を意
 味しているのでしょうか?
 マハラジ
 私は在ることをやめなさいとは言ってはいない。
 それは不可能だ。
 私は、あなたが生まれ、両親をもち、この身体であり、いつか死が訪れ……
 といった想像をするのはやめなさいと言っているだけだ。
 試してみなさい。
 はじめて見なさい。
 それはあなたの思うほど困難ではないのだ。
 質問者 自分を個人だと考えるのは非個人性の罪です。
 マハラジ
 これもまた個人的見解だ!
 なぜあなたは非個人性をあなたの罪と徳という概念で汚(けが)すのだろう
 か?
 それはまったく当てはまらない。
 非個人性は善や悪といった言語では描写できないものなのだ。
 それは存在、智慧、愛、絶対なるものだ。
 どこに罪の余地があるだろう?
 そして徳とは単に罪の反対でしかない。
 質問者 私たちは神聖な徳について話しているのです。
 マハラジ
 真の徳は神の本性(スワルーパ)だ。
 真のあなたがあなたの徳なのだ。
 だが、罪の反対である、あなたの言う徳は恐れから生まれた服従でしかない。
 質問者 それでは、善であろうとするすべての努力はどうしてあるのでしょ
 うか?
 マハラジ
 それはあなたを動かしつづけるのだ。
 神を見いだすまであなたはつき進む。
 そして神はあなたを神自身のなかに引き入れ、あなたを彼のごとくにするの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0350鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/06(金) 23:52:35.28ID:ag1L7fwo
全ては永遠の意識なのじゃ。
別の何かになることなどはできないのじゃ。
ただそれを自分の心の中に見出せばよいのじゃ。
0351名無しを整える。2018/04/07(土) 07:37:28.84ID:ViO1Bn3I
>>349
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】(つづき)

 質問者 同じ行為がある時点では自然な行為と見なされ、ほかの時点では罪
 と見なされます。何がそれを罪なものとするのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ、あなたがよりよい知識に反してするならばそれは罪だ。
 質問者 知識は記憶に依存しています。
 マハラジ
 自己を覚えていることが徳であり、自己を忘れることが罪だ。
 つまり、それは魂と物質の心理的な連結部だ。
 この連結部を精神(アンタカラナ)と呼んでもいいだろう。
 この精神が未熟で、未発達であり、まったく原始的ならば、それは粗雑な幻
 想に支配される。
 それが広さと繊細さにおいて成長すれば、純粋な物質と純粋な魂との完璧な
 連結部となり、物質に意味を与え、魂に表現を与える。
 物質的世界(マハーダカーシュ)と霊的世界(パラマカーシュ)がある。
 その間に宇宙的マインド(チダカーシュ)と宇宙のハート(プレマカーシュ)
 と呼ばれるものがある。
 その二つをひとつにするのは愛の智慧なのだ。
 質問者 ある人は愚かで、ある人は知性的です。この違いは精神のなかにあ
 ります。成熟した人は、その背景により多くの経験をもっています。
 子供が食べ、飲み、眠り、遊んで成長するように、人の精神も考え、
 感じ、為すすべてによって、魂と身体のかけ橋として、充分な役目
 を果たすようになるまで形成されていきます。橋が両岸の間の通行
 をもたらすように、精神は源とその表現をひとつに結びつけるので
 す。
 マハラジ
 それを愛と呼ぶがいい。
 その橋が愛なのだ。
 質問者 究極的に、すべては体験なのです。何であれ、私たちが考え、感じ
 ることは体験です。その背後には体験者がいます。私たちの知るす
 べてはその二つ、体験と体験者で成り立っています。しかしその二
 つは、実際にはひとつです。体験者のみが体験なのです。それにも
 関わらず体験者は体験を外側にあると見ます。同じように、魂と身
 体はひとつであり、二つに現れて見えるだけです。
 マハラジ
 魂にとっては、一者だけが存在する。
 質問者 他者は誰にとって現れるのでしょうか? 私には、二元性は精神の
 不完全性によって導かれた幻想と見えます。精神が完全になったと
 き、二元性は消え去るのです。
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0352鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/07(土) 21:27:16.85ID:j/PtL37d
記憶に依存した認識が無いとき、全ては主体も対象も無い一つとして感じられるのじゃ。
全ては同じ本質を持つ意識としてのみあるのじゃ。

それが感じられるのが不死の境地なのじゃ。
0353名無しを整える。2018/04/08(日) 11:33:59.26ID:56GMx0nI
>>351
『I AM THAT 私は在る』
【21 私は誰か?】(つづき)

 質問者 それでも、私のとても単純な質問を繰り返さなければなりません。
 誰が罪と徳の区別をつけるのでしょうか?
 マハラジ
 身体をもつ者が、身体とともに罪を犯し、マインドをもつ者がマインドとと
 もに罪を犯すのだ。
 質問者 まさか、ただマインドと身体を所有することが罪を犯すよう強要す
 るとは言えないはずです。その根本に第三の要因があるはずです。
 私は繰り返し、この罪と徳の質問に戻ってきます。なぜなら、最近
 の若い人たちは、罪といったものはなく、その瞬間の欲望に安易に
 したがい、罪に対して神経過敏になる必要はないと言いつづけてい
 るからです。彼らは伝統も権威も受け入れず、強固で正直な思考に
 のみ影響されるのです。
 もし彼らがある特定の行為を慎むとしたら、それは罪の自覚からで
 はなく、むしろ警察への恐怖からなのです。疑いなく彼らの言うこ
 とには一理あります。なぜなら価値観は、時や場所の変化とともに
 変わるということが、私たちにも理解できるからです。たとえて言
 えば、戦争で殺すことはこの世紀では偉大な徳ですが、つぎの世紀
 では恐ろしい犯罪と見なされるかもしれないからです。
 マハラジ
 地球とともに動いている人にとって、昼と夜を体験することはまぬがれよう
 がない。
 太陽とともにとどまる人は暗闇を知らない。
 私の世界はあなたの世界とは異なるのだ。
 私が見るには、あなたがたすべては舞台の上で演じているのだ。
 あなたが行ったり来たりしていることには何の実在性もない。
 そしてあなたの問題はまったくの空想だ!
 質問者 私たちは夢遊病者なのかもしれません。あるいは、悪夢を見ている
 のかもしれません。あなたはどうすることもできないのでしょうか?
 マハラジ
 私はしている。
 私はあなたの夢のような状態に入り込んで、あなたに言っている。
 「あなた自身や他者を傷つけるのはやめなさい。苦しむのはやめなさい。目
 覚めなさい!」と。
 質問者 それでは、なぜ私たちは目覚めないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは目覚めるだろう。
 私は挫(くじ)けさせられない。
 時間はかかるだろうが。
 あなたが自分の夢に疑問をもちはじめたとき、覚醒は間近なのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0354鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/08(日) 23:03:54.98ID:f7op2Hz+
自分が在るという観念が夢幻なのじゃ。
それによって苦があり、苦の世界もあると思うのじゃ。
夢幻がなければ全ては安楽なのじゃ。
0355名無しを整える。2018/04/09(月) 08:46:23.37ID:vwlB3kgd
>>353
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】

 質問者 ヨーガの修練はつねに意識的なものでしょうか? それ
 とも気づきの境界下にあるまったく無意識的なものでし
 ょうか?
 マハラジ
 初心者にとってヨーガの修練は、しばしば熟考され、偉大な決意
 を要するものだ。
 だが、すでに何年も誠実に修練を培(つちか)ってきた者たちは、
 意識していようがいまいが、いつも真我の実現を念頭においてい
 る。
 無意識のサーダナ(修練)はもっとも効果的だ。
 なぜならそれは自発的で、変わらず続いていくからだ。
 質問者 ヨーガのまじめな弟子だった者が、何年か後に挫折し、
 すべての努力を放棄した場合はどうなるのでしょうか?
 マハラジ
 ある人がすること、あるいはしないことを、私たちはしばしば見
 誤ることが多い。
 彼の見かけの無関心さは、ただ力を蓄えているだけなのかもしれ
 ない。
 私たちの行動の原因は実にとらえがたいものだ。
 非難したり賞賛したりすることさえも急いではならない。
 ヨーガとは内面の自己が、外面の自己に働きかけることだと覚え
 ておきなさい。
 外面の自己のすることは、内面の自己への反応にすぎない。
 質問者 それでも、外面の自己は助けになります。
 マハラジ
 それがどれほどの助けになるというのだろう?
 身体を抑制し姿勢や呼吸を改善することはできる。
 マインドの思考や感情においては何の制御もできない。
 なぜなら、制御すること自体がマインドだからだ。
 外面を制御できるのは内面なのだ。
 外面はそれに従うならば賢明といえるだろう。
 質問者 もし霊的成長の原因が究極的に内面にあるとするなら、
 なぜそれほどまで外面への働きかけが勧められ、奨励さ
 れるのでしょうか?
 マハラジ
 外面は静かに在ることで、欲望と恐れから自由になることを助け
 る。
 あなたも気づいたかもしれないが、外面へのアドバイスはつねに
 否定の形を取っている。
 何々をしてはならない、やめなさい、差し控えなさい、あきらめ
 なさい、犠牲にしなさい、明け渡しなさい、偽りを偽りと見なさ
 い。
 実在の小さな描写さえ否定を通してなされる――「これではない、
 これではない」(ネティネティ)と。
 すべての絶対性が実在に対するように、すべての肯定性は内面の
 自己に属するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0357鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/09(月) 23:26:47.55ID:tL5d6lc7
無によって現されるものを探求すれば実在に辿りつくのじゃ。
それだけが肯定されるものなのじゃ。
全てはそれだけなのじゃ。
0358名無しを整える。2018/04/10(火) 05:51:57.94ID:At9leBK2
>>355
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 現実の体験のなかでは、どのようにして内面を外面から
 見分けるのでしょうか?
 マハラジ
 内面はインスピレーションの源だ。
 外面は記憶によって動かされる。
 源をたどることは不可能だが、すべての記憶はどこかから始まる。
 このようにして外面はいつも決定されるが、内面を言葉でつかむ
 ことはできない。
 知覚されるものは一時的で、はかなく、それゆえ実在ではないと
 いうことを忘れ、内面を、何かつかみ取れるものと想像すること
 のなかに弟子の過ちがある。
 知覚を可能にするもの、ただそれだけが真実なのだ。
 生命あるいはブラフマン、何であれあなたの好きな名前で呼ぶが
 いい。
 質問者 生命はその自己表現のために身体をもたなければならな
 いのでしょうか?
 マハラジ
 身体は生きることを求めている。
 生命が身体を必要としているのではなく、身体が生命を必要とし
 ているのだ。
 質問者 生命は意図的にそうするのでしょうか?
 マハラジ
 愛は意図的に行動するだろうか?
 そうだとも、そうでないとも言える。
 生命は愛であり、愛は生命なのだ。
 身体をひとつに保ちつづけるのは、ほかでもない愛だ。
 欲望は自己愛以外の何ものでもない。
 恐れとは守ろうとする衝動以外の何ものでもない。
 そして知識とは真理への愛にほかならない。
 方法や形態は間違っているかもしれない。
 だが、その背後にある動機はいつも愛なのだ。
 私と私のものへの愛。
 私と私のものは小さなものかもしれない、あるいは爆発し、宇宙
 を抱擁するかもしれない。
 だが愛は残る。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0359名無しを整える。2018/04/10(火) 06:09:26.21ID:At9leBK2
>>357
>外面は静かに在ることで、欲望と恐れから自由になることを助け
 る。
>外面へのアドバイスはつねに
 否定の形を取っている。
>実在の小さな描写さえ否定を通してなされる――「これではない、
 これではない」(ネティネティ)と。
 すべての絶対性が実在に対するように、すべての肯定性は内面の
 自己に属するのだ。

←否定を通して描写される外面の自己を追求することが、

>無によって現されるものを探求
であり、
そのことにより、
>実在に辿りつく・・・

ので、ありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0360鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/10(火) 22:58:05.21ID:PGMawxdS
そうじゃ、全てを否定してもはや否定が無いところにまで行き着くのじゃ。
否定する自己も否定される対象もないと気づくのじゃ。
否定という行為も無いと気づけば悟りなのじゃ。
0361名無しを整える。2018/04/11(水) 06:48:09.75ID:f/nwxrVM
>>358
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 神の名を繰り返し唱えることは、インドではたいへん一
 般的なことです。それには何か効力があるのでしょうか?
 マハラジ
 ものであれ、人であれ、名前を知っているときは見つけやすい。
 神の名を呼ぶことによって、あなたは彼をあなたの元へ来させる
 のだ。
 質問者 どのような姿で彼は来るのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの期待した姿による。
 あなたが不幸であったとして、ある聖者が幸運のためにあなたに
 マントラを与えたとしよう。
 あなたが信心と帰依心とともにそれを繰り返せば、不運は去るほ
 かない。
 変わらぬ信心は運命より強い。
 運命はいくつかの原因と原因の結果で、ほとんど偶然の産物だ。
 それゆえ、それはゆるく織り込まれている。
 自信と正しい期待が、それをたやすく克服するだろう。
 質問者 マントラが唱えられているとき、実際には何が起こって
 いるのでしょうか?
 マハラジ
 マントラの音が形をつくり出し、それが真我を具現化する。
 真我はいかなる形も具現でき、それを通して作用する。
 つまりは真我が作用のなかでそれ自身を表現し、マントラは作用
 における最初のエネルギーなのだ。
 それはあなたに、そしてあなたの周囲の環境に作用する。
 質問者 マントラは伝統的なものです。それはそうあるべきなの
 でしょうか?
 マハラジ
 遙かなる昔から、ある一定の言葉とそれに相当するエネルギーの
 間に、数かぎりない復唱によって増強されてきたある関連がつく
 り出されてきた。
 それは歩いていくための道のようなものだ。
 それはやさしい方法で、ただ信心が必要とされるだけだ。
 あなたは目的地へと導いてくれるその道を信頼するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0362鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/11(水) 23:00:35.08ID:SRVo0UdV
信仰の在るものには信仰の道が一番近道なのじゃ。
その信仰によって全てを捨てられるからのう。
 しかし信仰がなければ別の道を行くがよいのじゃ。
0363名無しを整える。2018/04/12(木) 07:44:15.60ID:G7l7N6wP
>>361
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 ヨーロッパにマントラの伝統はありません。いくらかの
 黙想的な儀式を除いては。現代の若い西洋人にそれが何
 の役に立つというのでしょう? 
 マハラジ
 何の役にも立たない。
 彼が非常にそれに引きつけられないかぎりは。
 彼にとってふさわしい道とは、彼がすべての知識の根底であり、
 すべての感覚とマインドに起こる永久不変の気づきであるという
 想いを固守することだ。
 もしそれをつねに覚え、気づき、留意していれば、彼はかならず
 不注意の境界を破り、純粋な生命、光、そして愛へと現れ出る。
 「私は観照者にすぎない」という想いは身体とマインドを浄化し、
 叡知の目を開かせる。
 そのとき彼は幻想を超え、ハートはすべての欲望から自由になる
 のだ。
 氷が溶けて水になり、水が蒸気になり、蒸気が空気に変わって空
 間へと消え去るように、身体は純粋な気づき(チダカーシュ)の
 なかに溶解し、そしてすべての存在と非存在を超えた純粋な存在
 (パラマカーシュ)となるのだ。
 質問者 賢者は食べ、飲み、そして眠ります。何が彼をそうさせ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙を動かす同じ力が彼をも動かすのだ。
 質問者 すべてが同じ力に動かされています。何が違うのでしょ
 うか?
 マハラジ
 ほかの者が単に聞くことはあっても体験してはいないことを、賢
 者は知っている。
 ただそれだけだ。
 知的に確信しているようでも、行動のなかで彼らの束縛はあばか
 れてしまう。
 だが、賢者はつねに正しいのだ。
 質問者 誰もが「私は在る」と言います。賢者もまた、「私は在
 る」と言います。違いはどこにあるのでしょうか?
 マハラジ
 違いは「私は在る」という言葉に当てられた意味のなかにある。
 賢者にとって、「私は世界であり、世界は私のものだ」という体
 験には至上の正当性がある。
 彼は完全な形で考え、感じ、行為する。
 そして生きるものすべてとの統合のなかにいる。
 彼は真我の実現の理論や修行さえ知らないかもしれず、そして宗
 教や思弁哲学的理念からも自由な家系に生まれるかもしれない。
 しかし、彼の理解と慈悲には、わずかな欠点も見られないだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0364名無しを整える。2018/04/12(木) 21:55:19.24ID:G7l7N6wP
>>363
>宗教や思弁哲学的理念からも自由な家系に生まれるかもしれない。

←この意味がよくわからないのは、翻訳のせぃでありましょうか?

『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 私が裸で空腹の乞食に偶然出会い、彼に「あなたは誰か?」
 と問うとします。彼は「私は至高の真我だ」と言うかも
 しれません。私は言うでしょう。「なるほど、あなたが
 至高なるものなら、状況を変えたらどうかね?」と。彼
 は何と答えるでしょうか?
 マハラジ
 彼はあなたに尋ねるだろう、「どの現状だろう? 何を変える必
 要があるだろうか? 私の何が間違っているのかね?」と。
 質問者 なぜ彼はそう答えるのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、彼はもはや見かけに束縛されてはいないからだ。
 彼は名前と形を自分自身と自己同一視しない。
 彼は記憶を使うだろうが、記憶が彼を使うことはできないのだ。
 質問者 すべての知識は記憶を根底においているのではないでし
 ょうか?
 マハラジ
 低次の知識はそうだ。
 より高次の知識、実在の知識は、人の心の本性のなかに生来ある
 ものだ。
 質問者 「私は私が意識しているものでもなければ、意識そのも
 のでもない」と言うことができるでしょうか?
 マハラジ
 あなたがひとりの探求者であるかぎり、あなたは空の、純粋な意
 識だという想いを固守する方が良い。
 意識の彼方に至高の状態があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0365鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/12(木) 22:05:33.70ID:jv0WIGSK
それはつまり無神論者とか無宗教の家に生まれるかもしれんとか言っているのじゃ。
それでも悟った者は全ての意識において完全な理解が在ると語っているのじゃ。
 そのために経典の意味も完全に理解することができるのじゃ。
0366名無しを整える。2018/04/12(木) 22:37:13.63ID:G7l7N6wP
宗教も哲学も観念に過ぎないものであるというだけのことでありますね。
いつもすっきりするであります。
ありがとうであります、鬼和尚!
(´・(ェ)・`)つ
0367鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/13(金) 22:22:52.92ID:ZXduxPQf
そうじゃ、全ては観念なのじゃ。
観念によって観念を越えた物事を語ることはできないのじゃ。
ただ自らそこへいく道を示すだけなのじゃ。
0368名無しを整える。2018/04/14(土) 08:25:11.17ID:so4QqC7p
>>364
『I AM THAT 私は在る』
【22 生命は愛、愛は生命】(つづき)

 質問者 真我の実現への欲望は、意識のなかに起源があるのでし
 ょうか? あるいはその彼方にあるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、意識のなかにある。
 すべての欲望は記憶から生まれ、意識の範囲内にある。
 それを超えれば、すべての努力は消える。
 意識の彼方に行こうとする欲望そのものが、まだ意識のなかにあ
 るのだ。
 質問者 意識の彼方の痕跡(こんせき)や形跡といったものはな
 いのでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 それはありえない。
 質問者 それでは、何が二つの間をつないでいるのでしょう? 
 何も共通するものがない二つの状態の間に、どうやって
 経路を見いだすのでしょうか?
 マハラジ
 純粋な気づきさえ、ひとつの意識の形態だ。
 質問者 では、彼方とは何なのでしょうか? 空なのでしょうか?
 マハラジ
 空もまた意識にのみ属する。
 充満と虚空は相対的な言葉だ。
 実在はまったくの彼方にある。
 意識との関係のなかでの彼方ではない。
 何であれ、あらゆる類(たぐい)の関係性を超えているのだ。
 「状態」という言葉が難しくしてしまうのだ。
 実在とは何かほかの状態ではない。
 それはマインドや意識や精神の状態ではなく、はじまりと終わり、
 存在と非存在をもった何かでもない。
 実在はすべての対極を含んでいる。
 だがそれは、対極同士の戯(たわむ)れのなかにはない。
 それをひとつの推移の終わりと見なしてはならない。
 意識がもはやなくなったあと、それはそれ自身として在る。
 すると、「私は人だ」、「私は神だ」といった言葉は意味を失う。
 沈黙のなかだけで聞き、暗闇のなかでだけそれを見ることができ
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0369鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/14(土) 23:24:53.20ID:F/MTgWnp
そうじゃ、全てはひとつなのじゃ。
自他の区別もないものじゃ。
あれこれという分別の無いところに永遠の安楽は在るのじゃ。
 
0370名無しを整える。2018/04/15(日) 08:54:24.64ID:4oLbbMOW
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】

 マハラジ
 あなたたちは皆、どしゃ降りでずぶぬれになったが、私の世界ではいつでも
 いつも晴天だ。
 夜も昼もなければ、暑さも寒さもない。
 何の悩みも後悔もつきまとわない。
 私のマインドには思考がない。
 そのためにあくせく働かなければならない欲望など何もないからだ。
 質問者 そこには二つの世界があるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの世界ははかなく変化しつづける。
 私の世界は完全で不変のものだ。
 あなたはあなたの世界で何が気に入っているのかを私に言うことができる。
 注意と興味をもって私は聞こう。
 だが、私はあなたの世界が存在せず、あなたは夢を見ているのだということ
 を、一瞬でさえ忘れることはないのだ。
 質問者 あなたの世界と私の世界を、何が区別するのでしょうか?
 マハラジ
 私の世界には同一視できるような特徴はない。
 それについては何も言えない。
 私が私の世界だ。
 私の世界は私自身なのだ。
 それは完全で完璧だ。
 あらゆる印象はかき消され、あらゆる体験はぬぐい去られる。
 私は何も必要ない。
 自分自身でさえも。
 なぜなら自分自身を失うことはできないからだ。
 質問者 神さえも必要ないと言われるのでしょうか?
 マハラジ
 それらすべての概念や区別は、あなたの世界の中に存在する。
 私の世界にはそういったものは存在しない。
 私の世界は単一のとてもシンプルなものだ。
 質問者 そこでは何も起こらないのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ、あなたの世界のなかで起こったことは、そこでだけ有効であり、
 反応を呼び起こす。
 私の世界では何も起こらない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0371鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/15(日) 23:26:34.14ID:dyzl6IA+
そうじゃ、世界は自分と一つなのじゃ。
何も離れてはいないのじゃ。
全て繋がったひとつのものなのじゃ。
0372名無しを整える。2018/04/16(月) 07:38:01.74ID:ie6JpNhc
>>370
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 あなたが自分の世界を体験しているという事実そのものが、すべて
 の体験に固有の二元性を暗示しています。
 マハラジ
 言葉の上ではそうだ。
 しかし、あなたの言葉は私には届かない。
 あなたの世界では語られないものは存在をもたない。
 私の世界では言葉とその内容が存在をもたないのだ。
 あなたの世界では何もとどまらない。
 私の世界では何も変わらない。
 私の世界は真実だ。
 あなたの世界は夢でできているのだ。
 質問者 それでも私たちは話しています。
 マハラジ
 会話はあなたの世界のなかにある。
 私の世界には永遠の沈黙がある。
 私の沈黙は歌い、私の虚空は満たされ、何ひとつ欠けていない。
 そこにあなたがいないかぎり、あなたに私の世界を知ることはできない。
 質問者 どうやら、あなたはあなたの世界に独りきりのようですね。
 マハラジ
 どんな言葉も適さないとき、ひとり、あるいはひとりではないなどと、どう
 して言えるだろう?
 もちろん私はひとりだ。
 なぜなら私はすべてだからだ。
 質問者 あなたは私たちの世界に入ってきたことがありますか?
 マハラジ
 来ることや去ることは、私にとっては何の意味もない。
 それらもまた、ただの言葉だ。
 私は在る。
 私がどこから来て、どこへ行こうというのだろうか?
 質問者 あなたの世界が私にとってどんな意味があるというのでしょう?
 マハラジ
 自分の世界をより詳細に考え、批判的に調べて見るべきだ。
 そうすればある日突然、私の世界の中にあなた自身を見いだすだろう。
 質問者 それによって、私たちは何を得るというのでしょうか?
 マハラジ
 何も得るものはない。
 あなたはあなたのものではないものを後にし、あなたがけっして失わなかっ
 たもの、自分の存在を見いだすのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0373鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/16(月) 22:05:08.65ID:PyxGY6SI
悟りの境地とは何かを得るのでもなければ失うのでもないのじゃ。
ただ自らの本来の在り方に気づくだけなのじゃ。
全てであった自分に気付けば不死の境地も自ずからあったと理解するのじゃ。
0374名無しを整える。2018/04/16(月) 23:45:00.21ID:ie6JpNhc
>>373
>自らの本来の在り方に気づくだけ
これだけならくまでも追求できるであります。
そうすれば、
>全てであった自分に気付
けるのでありますね!
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ
0375名無しを整える。2018/04/17(火) 06:23:12.83ID:22+/Dapm
>>372
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 あなたの世界では、誰が支配しているのでしょうか?
 マハラジ
 そこには支配する者も支配される者もいない。
 そこにはどんな二元性もない。
 あなたはただ自分の考えを投影しているだけだ。
 ここではあなたの聖典や神たちは何の意味ももたない。
 質問者 それでも、あなたは名前と姿をもち、意識と行為を表しています。
 マハラジ
 あなたの世界では、私はそう映るだろう。
 私の世界では存在があるだけだ。
 ただそれだけだ。
 あなたがたは量や質といった所有の概念であふれている。
 私にはまったく何の概念もない。
 質問者 私の世界には不安、苦悩、絶望があります。私は生活のためにあく
 せく働かなければならないというのに、あなたはどうやら何か秘密
 の収益で生きているようです。
 マハラジ
 あなたの好きなようにするがいい。
 あなたの世界を去って、私の世界へ来るのはあなたの自由なのだ。
 質問者 どうすれば橋を架けられるでしょうか?
 マハラジ
 あなたの世界を、想像を通してではなく、あるがままに見なさい。
 識別することが無執着をもたらす。
 無執着は正しい行為を確実にし、正しい行為はあなたの真の存在に内なる橋
 を築くだろう。
 行為は真剣さのあかしだ。
 言われたとおりに勤めて誠実に行うなら、すべての障害は消え去るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0376鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/17(火) 22:39:58.37ID:rGCuzkTN
>>374 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

あるがままに見ることだけが寝ている者が目を覚ます方法なのじゃ。
眼が覚めれば目覚めた者、ブッダと呼ばれるのじゃ。
0377名無しを整える。2018/04/18(水) 07:29:34.72ID:M1fTWi7d
>>375
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 あなたは幸せですか?
 マハラジ
 あなたの世界では、私はもっとも惨(みじ)めだろう。
 目を覚まし、食べ、話し、また眠る。
 何と無駄なことか!
 質問者 では、あなたは生きることも望まないのでしょうか?
 マハラジ
 生きること、死ぬこと。
 何と無意味な言葉だろう!
 あなたが生きている私を見るとき、私は死んでいる。
 あなたが私は死んでいると思うとき、私は生きている。
 何とあなたは混乱していることか!
 質問者 何とあなたは無関心なのでしょう! 私たちの世界の悲しみは、あ
 なたにとっては無に等しいのです。
 マハラジ
 私はあなたがたの困難を完全に意識している。
 質問者 それでは、あなたはそれに関して何をしているのでしょうか?
 マハラジ
 何もする必要はない。
 それらは来ては去っていく。
 質問者 あなたがそれらに注意を向けること自体が、それらを去らせるので
 しょうか?
 マハラジ
 そうだ。
 困難は身体的、感情的、あるいは精神的なものかもしれない。
 だがそれらはつねに個人的なものだ。
 大規模な災難は無数の個人的運命の合計であり、解決するまで時間がかかる。
 だが、死はけっして災難ではない。
 質問者 たとえ人が殺されてもですか?
 マハラジ
 災難は殺した者のものだ。
 質問者 それでもまだ、あなたと私の世界は二つに分かれているように見え
 ます。
 マハラジ
 私の世界は実在で、あなたの世界はマインドのものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0378鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/18(水) 23:28:58.00ID:Ppa9ZKvP
悟れば生死もまた観念に過ぎなかったと気づくのじゃ。
死にょって無くなるものはなく、どこかにいくのでもないのじゃ。
全ては意識としてあり続けるだけなのじゃ。
0379名無しを整える。2018/04/18(水) 23:41:04.05ID:M1fTWi7d
>>378
鬼和尚、こんばんは。
できるだけ意識的にあろうと日々心がけてるだけで、何となく、観念に囚われる瞬間に気付けるような気がする今日この頃のくまであります。
その観念に囚われる瞬間と言うのが、自我に気付く瞬間に近いものがあるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0380名無しを整える。2018/04/19(木) 07:23:59.51ID:o7ru28h8
>>377
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 ひとつの岩を想像してください。岩のなかに穴が、穴のなかにはカ
 エルがいます。カエルはその生を心迷わせず、邪魔されずに、完全
 な至福のうちにすごします。もしカエルが外の世界についての話を
 聞いたならば、彼は言うでしょう、「そんなものは存在しない。私
 の世界は平和と至福だ。あなたの世界は言葉で構築された、単なる
 まぼろしだ。それは存在してなどいない」と。あなたにとっても同
 じことです。あなたが私たちの世界は単に存在していないと言うと
 き、もはや討論するための共通の土台がありません。ほかの例をと
 れば、私が医者へ行き、腹痛を伝えたとします。彼は私を診察し、
「あなたはだいじょうぶだ」と言います。「でも、痛いのですよ」
 と私は言うでしょう。彼は、「あなたの痛みは精神的なものだ」と
 主張します。私は言います。「痛みが精神的だと知ることは何の助
 けにもなりません。あなたは医者なのです。痛みを治してください。
 でなければあなたは私の医者ではありません」と。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 質問者 あなたは鉄道を敷きました。しかし橋が欠けているため、列車が通
 れません。橋を架けてください。
 マハラジ
 橋の必要はない。
 質問者 あなたの世界と私の世界の間に、何らかのつながりが必要なはずで
 す。
 マハラジ
 実在の世界と想像上の世界の間につながりは必要ない。
 それはありえないからだ。
 質問者 それでは、どうしたらよいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの世界を調べてみなさい。
 頭を使って批判的に調べなさい。
 それに関するあらゆる概念を詳細にわたって調べなさい。
 そうすれば、うまくいくだろう。
(´・(ェ)・`)つ
0381鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/19(木) 22:48:45.67ID:FPWRLGiB
>>379 観念に囚われるのに気づく瞬間があるのならば自我に気づくことにも近いといえるのじゃ。
 自我も観念であるからのう。
 
 世界を調べるとは観察する事なのじゃ。
 全てを観察すれば自ずから病は治されるものじゃ。
 無意味な観念に囚われていたと気づくからのう。
0382名無しを整える。2018/04/20(金) 07:42:52.01ID:tnQGgucC
>>380
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 調査するには、世界は大きすぎます。私の知っていることといえば、
 私は存在し、世界も存在しています。世界は私を混乱させ、私は世
 界を混乱させるのです。
 マハラジ
 私の体験ではすべてが至福だ。
 しかし、至福への欲望は苦痛を生みだす。
 それゆえ、至福が苦痛の種子となる。
 この苦痛の宇宙全体は欲望から生まれたのだ。
 喜びへの欲望をあきらめなさい。
 そうすれば、あなたは苦痛が何かさえ知らずにすむだろう。
 質問者 なぜ喜びが苦痛の種子となるのでしょう?
 マハラジ
 なぜなら、喜びのためにあなたは多くの罪を犯しているからだ。
 罪の結果は苦しみと死なのだ。
 質問者 あなたは、世界はただの苦難であり、何の役にも立たないと言われ
 ます。私はそうではないと感じています。神はそれほど愚かではあ
 りません。私には、世界は可能性を現実にし、物質に生命を与え、
 無意識を完全な覚醒に導く偉大な企(くわだ)てとして映ります。
 至高なるものを実現するには、私たちには対極の体験が必要です。
 寺院を建てるために、石や漆喰(しっくい)、木や鉄、草やタイル
 などが必要なように、生と死を克服した聖者となるためにはあらゆ
 る体験が必要です。女性が市場へ行き、料理のあらゆる材料を買い、
 料理し、主人に供するように、私たちも人生の火によって私たちを
 料理し、神に捧げるのです。
 マハラジ
 もしあなたがそう考えるのなら、そうしなさい。
 神に捧げるがいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0383鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/20(金) 23:03:25.52ID:PmrASMfB
この一切皆苦の娑婆世界では快楽への執着は常に苦に変わるのじゃ。
喜びも快楽もただ孤独や不安やおそれを一時忘れさせてくれるだけのものじゃ。
それに執着すれば又苦が訪れるのじゃ。
苦の上に苦を重ねるのが快楽への執着なのじゃ。 
0384名無しを整える。2018/04/20(金) 23:09:38.75ID:tnQGgucC
>>383
常に今に意識を置こうとすることは、基本的に誰にでもできることでありますね。
執着の無意味さを知れば、意識的にあろうとして実践することは、誰にでもできるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0385名無しを整える。2018/04/21(土) 10:03:44.48ID:PGcwcGbs
>>382
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき


 質問者 子どもは学校で、後で役に立たないことも多く学ぶでしょうが、学
 ぶ間に成長していきます。同じように私たちも無数の経験を経て、
 後にすべて忘れてしまうでしょう。しかし私たちはその間もつねに
 成長していきます。そして、ジニャーニとは実在における天才にほ
 かなりません! 私のこの世界に偶然はありえません。それには意
 味があり、その背後には計画があるはずです。私の神は計画をもっ
 ているのです。
 マハラジ
 もし世界が偽りならば、その計画も、その創造者もまた偽りなのだ。
 質問者 またしてもあなたは世界を否定します。私たちの間に橋はないので
 す。
 マハラジ
 橋の必要はないのだ。
 あなたが生まれたということを信じていることに、あなたの過ちがある。
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬことはない。
 だが、あなたがある特定の日と場所で生まれ、この特定の身体をあなた自身
 のものと信じているところに過ちがあるのだ。
 質問者 世界は在り、私は存在します。これらは事実です。
 マハラジ
 なぜあなたは自分自身の面倒を見る前に、世界について心配するのだろう?
 あなたは世界を救いたい、違うかね?
 あなた自身を救う前に世界が救えるだろうか?
 そして救われるとはどういう意味だろうか?
 何から救われるのか?
 幻想からだ。
 救済とは、ものごとをあるがままに見ることだ。
 私には、本当に自分自身が誰とも何とも関係しているとは思えない。
 自分自身とさえも関係していない。
 その自分自身が何であろうとも。
 私は定義されることのないまま永遠にとどまる。
 私は内側に、そして彼方に存在する――親密で、しかも到達不可能なものな
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0386鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/21(土) 22:45:01.15ID:+BlQjNCx
>>384 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。


人が自ら世界を創っているのに自分を観ないで世界を変えようとしても不可能なのじゃ。
自分が変らなければ世界は変らないのじゃ。
自分が変れば世界も変るのじゃ。
0387名無しを整える。2018/04/22(日) 08:42:08.67ID:mWXmRL3a
>>385
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 どうやってあなたはそれに到達したのでしょうか?
 マハラジ
 私のグル(師)を信頼することによってだ。
 彼は私に、「あなただけが存在する」と言った。
 そして私は疑わなかったのだ。
 私はただ、あるときそれが絶対の真理だと悟るまで頭を悩ませていただけだ。
 質問者 繰り返しによって確信したのでしょうか?
 マハラジ
 真我の実現によってだ。
 私は意識であり、絶対的に幸福だと見いだしたのだ。
 ただ、私は存在―意識―至福が身体と身体の世界に属すると考えていたのが
 間違えだったのだ。
 質問者 あなたは学問の人ではありません。あなたは多くを読まなかったで
 しょうし、読み、また聞いたことは、おそらく矛盾しなかったので
 しょう。私はかなりの教育を受け、かなりの量の本を読み、本と教
 師たちの間に絶望的な矛盾を見たのです。ですから何であれ初めて
 読み、あるいは聞いたことは、疑いを通して受け取ってしまうので
 す。「それはそうかも知れない、そうではないかも知れない」が、
 私の最初の反応です。何が真実で、何がそうでないかを決定できな
 いために、私は無味乾燥な、教養ぶった疑いとともに取り残されて
 しまったのです。ヨーガにおいて猜疑(さいぎ)心は途方もなく不
 利な条件です。
 マハラジ
 そう聞けて私は嬉しい。
 だが私のグルも、私にすべてを完全に疑うよう教えたのだ。
 彼は言った、「あなたの自己を除いたすべての存在を否定しなさい」と。
 欲望を通してあなたは快楽と苦痛の世界をつくり出したのだ。
 質問者 それは苦痛をともなわなければならないものなのでしょうか?
 マハラジ
 ほかにどうありえよう?
 快楽の本性自体がかぎられた、はかないものなのだ。
 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。
 そしてそれは欲求不満と絶望のなかで終わるのだ。
 苦痛は快楽の背景であり、快楽の追求はすべて苦痛のなかに生まれ、苦痛の
 なかに終わるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0388鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/22(日) 22:47:25.78ID:W+zgJlT0
そうじゃ、私とは意識なのじゃ。
全てのものも意識なのじゃ。
本質が同じ意識であるからそこに途切れは無く繋がっているのじゃ。
悟ればそれを知識や思考思想としてではなく感じることが出来るのじゃ。
0389名無しを整える。2018/04/23(月) 06:48:34.86ID:VkAwhtDB
>>387
『I AM THAT 私は在る』
【23 識別は無執着をもたらす】(つづき)

 質問者 あなたの言われることはみな、私にとって明白です。しかし身体的
 あるいは精神的困難が生じたとき、私のマインドは鈍く、暗くなる
 か、狂ったように救済を求め回るのです。
 マハラジ
 それがどうしたというのかね?
 鈍く、落ち着きがないのはマインドであり、あなたではない。
 見てみなさい。
 あらゆる類のことがこの部屋で起こっている。
 私がそれを起こるようにしたのだろうか?
 それはただ起こるのだ。
 あなたにとっても同じだ。
 運命がそれ自身を展開し、不可避の出来事を現実にするのだ。
 あなたに出来事の行方を変えることはできない。
 だが、あなたの態度は変えられる。
 そして本当に重要なのは態度にあって、単なる出来事にはない。
 世界は欲望と恐れの住処(すみか)だ。
 そこにマインドの平和を見つけだすことはできない。
 平和のためには、あなたは世界を超えて行かねばならない。
 世界の根本原因は自己愛である。
 そのために私たちは快楽を探し求め、苦しみを避ける。
 自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。
 創造の神ブラフマーはすべての欲望の総計だ。
 世界はそれらを満たすための道具なのだ。
 魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。
 そして時間がすべての勘定書を決算する。
 バランスの法則が究極の支配をするのだ。
 質問者 超人になるためには、まず人で在らねばなりません。人として在る
 ことは、数かぎりない経験の結果によるものです。欲望が経験を駆
 りたてるのです。それゆえ、その時と段階によっては、欲望も正し
 いものなのです。
 マハラジ
 ある意味では、まったく正しい。
 しかし、あなたが充分蓄え、築きはじめるべき日が来る。
 そのとき選別し、不要なものを捨てること(ヴィヴェーカ―ヴァイラーギャ)
 が絶対に必要となる。
 すべてを詳細に調べ、不必要なものは無常にも破壊されなければならないの
 だ。
 私を信じてほしい。
 行き過ぎの破壊はありえない。
 実際には、価値あるものなどないからだ。
 熱烈に冷静でありなさい。
 ただそれだけだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0390鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/23(月) 23:01:26.22ID:MqOb62nD
不要な煩悩を捨ててこそ悟りも近づいてくるのじゃ。
食欲とか必要な欲は捨てないでよいのじゃ。
捨てるべきは貪欲という必要以上に貪り求める欲なのじゃ。
それが煩悩の三毒の一つの貪欲なのじゃ。
0391名無しを整える。2018/04/24(火) 07:25:50.66ID:ZJa3z8CI
>>389
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】

 質問者 あるマハートマ(真我実現した人)たちが、世界は偶然の産物でも
 神の戯れでもなく、宇宙全体に意識を発展させ、覚醒をもたらそう
 とする壮大な計画の結果と表現なのだと主張しています。無生命か
 ら生命へ、無意識から意識へ、無知から優れた知性へ、迷妄から光
 明へ。これこそ世界が絶え間なく、容赦なく進んでいる方向なので
 す。もちろん、宇宙は活動停止するような休息の瞬間もあれば、暗
 黒と見える時期もあるでしょう。しかし、休息は終わりを告げ、意
 識への働きかけは再開されます。私たちの目には、世界は涙の谷間
 として映ります。あらゆる手段で、できるかぎり早く逃げだすべき
 場所なのです。覚醒した人にとって、世界は善であり、充分な目的
 を果たしています。彼らは、世界が精神によって構築されたもので
 あり、究極的にはすべてがひとつであることを否定していません。
 しかし、その構造には意味があり、最上の望ましい目的に仕えてい
 ると言うのです。私たちの言う神の意志とは、遊び好きな神の気ま
 ぐれではなく、愛と叡智と力の中で成長し、生命と意識の無限の可
 能性を実現するために絶対必要な表現なのです。
 庭師がごく小さな種を輝かしい完全性へと開花させるように、神も
 彼の庭で、ほかの生き物たちとともに、神を知り、愛し、彼と共に
 働く超人へと人間を育てるのです。
 神が休息(プララーヤ)をとるとき、成長が未完のものは無意識と
 なり、完成したものは、すべての形態と意識の内容を超え、宇宙的
 沈黙のなかで気づきつづけます。新たな宇宙が出現するとき、眠っ
 ていたものたちは目覚め、彼らの仕事をはじめます。より進歩した
 ものたちは最初に目覚め、後進のものたちのために土台を準備しま
 す。このようにして未来の成長にふさわしい行動のパターンと形態
 を見いだすのです。
 話の内容はこのようなものです。あなたの教えとの違いは、あなた
 は世界を避けるべき、価値のないものだと主張するのに対して、彼
 らは世界を忌み嫌うことは必要な通るべき段階ではあるが、一過性
 のものであり、じきに普遍の愛と確固たる意志で神とともに働くこ
 とになる、ということです。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
今回は、長い質問だけであります。
0392名無しを整える。2018/04/24(火) 21:04:52.01ID:Rp8uS8/A
煩悩を捨てるという煩悩
0393鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/24(火) 22:42:05.00ID:5QI56+1G
世界と自分が分離していると思っているようじゃのう。
根本的に勘違いがあるのじゃ。
悟りを得ていない者とはそのようなものかもしれんがのう。
0394名無しを整える。2018/04/25(水) 07:41:09.59ID:38IE4ZPN
>>391
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 マハラジ
 あなたの言うことはすべて、外へ向かう(プラヴリッティ)道にとっては正
 しい。
 源へ帰還する(ニヴリッティ)道を行くものにとって、自己を無に帰するこ
 とは必要なことなのだ。
 私のいる無(パラマカーシュ)の境界には、いかなる言葉も思考も届かない。
 マインドにとって、そこはまったくの闇と沈黙だ。
 そこに意識が攪拌しはじめ、マインドが目覚めだし(チダカーシュ)、世界
 を投影し(マハーダカーシュ)、記憶と想像を構築しはじめる。
 ひとたび世界が存在のなかに現れたならば、あなたの言ったとおりとなるだ
 ろう。
 目標を定め、それに向かって闘い、方法と未知を探し、ヴィジョンとエネル
 ギー、そして勇気を示す、それがマインドの本性なのだ。
 それは神聖な質であって、私はそれらを否定してはいない。
 しかし、何の相違もなく、何も存在せず、それをつくり出したマインドもな
 いというのが私の立場だ。
 そこが私の居場所なのだ。
 何が起ころうと私には影響を与えない。
 ものごとがものごとに働きかける。
 ただそれだけだ。
 記憶と期待から自由なため、私はいつも新鮮で、無垢で、トータルだ。
 マインドはたいへんな働き者(マハーカルタ)で、休息が必要だ。
 何も必要ない私には、何の恐れもない。
 誰を恐れるというのだろう?
 そこには分離などない。
 私たちは分離し、孤立した自己ではない。
 ただ個人と非個人がひとつである真我、至高の実在があるだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
 長い質問に対する丁寧な返事でありました。
0395鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/25(水) 22:03:29.28ID:QPN1o0n4
そうじゃ、自他の区別の無いことが真実なのじゃ。
自他の区別があり、世界も在るというのは幻想なのじゃ。
幻想は幻想であり肯定も否定も無いものじゃ。
 
0396名無しを整える。2018/04/26(木) 06:18:00.14ID:+XJynUDG
>>394
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 私はただ世界を助けられるようになりたいだけです。
 マハラジ
 あなたが助けられないと誰が言っただろうか?
 助けるとはどういう意味で、何が必要なのかということをあなたが自分で決
 めておいて、何をすべきで何ができるのかという必要性と能力の間で自分自
 身を葛藤(かっとう)に追いやったのだ。
 質問者 しかし、なぜ私たちはそうしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのマインドがある構造を投影し、それと自己同一化するからだ。
 欲望の本性とは、それを満たすためにマインドが世界をつくり出すよう促す
 ことだ。
 小さな欲望さえ、長い行動の連鎖を生みだすのだ。
 強い欲望ならばどうだろう?
 欲望は宇宙をも生みだす。
 その力は奇跡的なものだ。
 小さなマッチ棒が巨大な森林に火をつけることができるように、欲望も現象
 の現れに火をつける。
 想像の目的自体が欲望を満たすことなのだ。
 欲望は高尚なものかも、卑しいものかもしれない。
 空間(アーカーシュ)は中立的なものだ
 人はそれを何でも好きなように満たすことができる。
 何を望むのか、人はとても注意しなければならない。
 そしてあなたが助けたい人々だが、彼らもまた欲望を満たすために、それぞ
 れの世界のなかにいる。
 彼らの欲望を通して以外、彼らを助けることはできない。
 あなたには、彼らが正しい欲望をもつように教えることができるだけだ。
 そうすれば彼らは現状を超え、快楽と苦痛の住処(すみか)である欲望の世
 界を創造し、再創造しようという衝動から自由になれるかもしれない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0397名無しを整える。2018/04/26(木) 06:30:03.99ID:w9AAUj/e
仏教は神秘主義を否認し哲学に堕ちた
0398鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/26(木) 22:18:16.53ID:fdOO5TXI
小さな欲望とは金が欲しいとか権力や名声が欲しいとかいうものなのじゃ。
正しい大きな欲望とは死を超えたいという欲なのじゃ。
それがあれば悟りも得られるのじゃ。
小さなよくも本来は自己の安楽を求めるものであるからのう。
0399名無しを整える。2018/04/27(金) 05:39:58.15ID:XmeiFo1T
>>396
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 ショーが終わって人が命を終え、宇宙の終局を迎える日がかならず
 訪れます。
 マハラジ
 眠っていた人がすべてを忘れ、新たな日に目覚めるように、あるいは死んで から新しい命を授かるように、欲望と恐れの世界も溶解し、消え去る。
 しかし、普遍の観照者、至高の真我は眠りも死にもしない。
 偉大な心臓の鼓動は永遠に鳴りやまず、あなたの鼓動のたびに新しい宇宙が
 誕生するのだ。
 質問者 至高の真我には意識があるのでしょうか?
 マハラジ
 彼はマインドが考えることのできるすべてを超えている。
 彼は存在と非存在をも超えている。
 彼はすべてに対してイエスであり、ノーである。
 内側であり、彼方でもある。
 創造し、破壊する想像しがたい実在なのだ。
 質問者 神とマハートマはひとつでしょうか?
 マハラジ
 彼らはひとつだ。
 質問者 何らかの違いがあるはずです。
 マハラジ
 神はすべてを為すものであり、ジニャーニは無為の人だ。
 神自身が「私がすべてを為す」と言いはしない。
 神にとっては、ものごとはそれ自体の本性にしたがって起こるのだ。
 ジニャーニにとっては、すべてが神によって為される。
 彼は神と自然との間に何の違いも見ない。
 神もジニャーニもともに、彼ら自身が変動の中の不動の中心であり、移り変
 わるものの永遠の観照者であることを知っている。
 その中心は空なる点であり、観照者は純粋な気づきの点だ。
 彼らは、彼ら自身が無であることを知っている。
 それゆえ、彼らに抵抗できるものは何ひとつないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0400名無しを整える。2018/04/27(金) 11:54:34.82ID:SVTDBzPg
開 2 ち ゃ ん ね る= 便 所 の 落 書 き ・ 痰 壷 の 更 に 劣 化 コ ピ ー の 3 流 掲 示 板
運 営 の 性 格 の 悪 い 引 き こ も り I T 土 方 メ ガ ネ ザ ル 早 く 死 な な い か な
0401鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/27(金) 22:55:09.58ID:fpG1GQG/
神と一つになった者がマハートマなのじゃ。
それをわざわざ二つにしなくてよいのじゃ。
それが認識による観念化なのじゃ。
全てを分類し、違いを見つけて記憶しようとする働きなのじゃ。
 
0402名無しを整える。2018/04/28(土) 12:29:49.44ID:m8CAoVUY
>>399
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 あなたの個人的な体験では、それはどのように見られ、感じられる
 のでしょうか?
 マハラジ
 無としてあることで、私はすべてなのだ。
 すべては私であり、すべては私のものだ。
 私の身体が、動かそうと考えるだけで動くように、私が思うだけでものごと
 は起こる。
 言っておくが、私は何もするわけではない。
 ただものごとが起こるのを見るだけだ。
 質問者 あなたが起こるように望んでからものごとが起こるのでしょうか?
 それともそれらが起こってから、あなたはそう起こることを望まれ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 それは両方だ。
 私は受け容れ、そして受け容れられるのだ。
 私がすべてであり、すべては私なのだ。
 世界であるゆえに、私は世界を恐れない。
 すべてとしてありながら、何を恐れるというのだろう?
 水は水を恐れず、火は火を恐れない。
 私は恐れない、なぜなら私は無であり、恐れや危険を体験しようがないから
 だ。
 私には名前も形もない。
 名前と形に固執することが恐れを生むのだ。
 私には執着がない。
 私は無だ。
 そして無は無を恐れない。
 反対に、すべてが無を恐れている。
 なぜなら、何かが無に触れたとき、それは無となるからだ。
 底なしの井戸のように、何であれそこに落ちたものは消え去るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0403鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/28(土) 22:48:25.58ID:JO4WTrcU
そうじゃ、全ては私であり、私は全てなのじゃ。
そうであるから全ては全てなのじゃ。
どこにも境界は無く、区別も無いのじゃ。
0404名無しを整える。2018/04/28(土) 23:53:51.44ID:KXQrl9up
  ┏━南都仏教━┓        ┏━━━━━━━━━━━┓
  ┃  華厳宗    ┃    ┌─╂    鎌  倉  幕  府    ╂─..臨済宗いいよ臨済宗 .──┐
┌╂  法相宗    ╂──│┐┗━━┿━━━━━━┿━┛            ┏禅宗━━━━┿━━━━━━━━━━━┓
│┃┌────┐┃    ││      お         ↑│↑    ハ,,ハ      ┃            ↓                ┃
│┃│律宗    │┃    ││      前          氏│└─..( ゚ω゚ ) ─┐┃  ┌臨済宗────────────┐┃
│┗┿━━━━┿┛    ││      が          ぬ└支援するよ ─┐│┃  │Q バナナはおやつに入りますか ? │┃
│  │真言律宗│←氏ね──┐    な        よ            ││┃  │∧_∧                  │┃
│  └────┘      │││    ↓          │              ││┃  │( ´・ω・)  入りますん         │┃
│┏━平安仏教━━━┓│││  ┏日蓮宗━━━┿━━━━━━┓││┃  │( つ旦O                      │┃
│┃┌─密教──┐  ┃│││  ┃                    ┃││┃  │と_)_)                  │┃
│┃│  真言宗  │  ┃││└─╂\(^ν^)/ 法華経こそ正法   ┃││┃  └───────────────┘┃
│┃│┌───┐│←╂──氏ね╂   l_l   邪法は氏ね     .┃││┃  ┌曹洞宗────────────┐┃
│┃└┤天台宗├┘  ┃││    ┃  / \                   ┃│└╂─┼                        │┃
│┃  └┼─┼┘    ┃││    ┗━━━━━┿━━━━━┿━┛└─╂→│                        │┃
│┗━━┿━┿━━━┛││                氏          └─氏ね→┃  │(-_-)  …                    │┃
└───┼──────┘│                ね                    ┃  │(∩∩)                  │┃
        │  └─────┴────────│─.汚物は消毒だ〜!!.→.┃  └───────────────┘┃
    うるさい黙れ                    │                    ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
        ↓                          ↓
┏━━浄土宗系━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┏━━仏罰━━━━━━━┓
┃┌浄土宗────┐┌浄土真宗────────┐┌時宗─────────┐┃ ┃┌ 西村研(リ・ヨウニン) ┐┃
┃│ナムアミダブツナムアミ││ /⌒ヽ 善人(笑)が     .││♪ ∧,_∧   レッツ !!     │┃ ┃│他人の個人情報を │┃
┃│( ゚д゚ ) ダブツナム││∩ ^ω^)浄土に逝けるなら....││   (´・ω・`) )) ダンシング♪ │┃ ┃│嘘悪態交え2ちゃんに│┃
┃│ノヽノ |.アミダブツナ.││|   ⊂ノ 悪人のオイラも   .││ (( ( つ ヽ、    ♪     │┃ ┃│拡散誹謗中傷してた │┃
┃│ < <ムアミダブツナ││|    _⊃余裕で逝けるお   . ││   〉 とノ )))         │┃ ┃│元小学校教員の   │┃
┃│. ムアミダブツナムア.││し ⌒               ││  (__ノ^(_)          │┃ ┃│臨床心理士     │┃
┃└───────┘└────────────┘└───────────┘┃ ┃└─────────┘┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┗━━━━━━━━━━━┛
0405名無しを整える。2018/04/29(日) 06:45:37.79ID:atyCGANR
>>402
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 神は個人ではないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがあなた自身を個人と考えるかぎり、神も個人だ。
 あなたがすべてであるとき、あなたは神をすべてとして見る。
 質問者 私の態度を変えることで、事実を変えることができるの
 でしょうか?
 マハラジ
 態度が事実なのだ。
 怒りを例にとってみなさい。
 私は激怒して、部屋のなかを歩きまわっているかもしれない。
 同時に、私は私が叡知と愛の中心、純粋な存在の原子であること
 を知っている。
 すべては静まり、マインドは沈黙へと溶けていく。
 質問者 まだ、あなたはときどき怒るのですね。
 マハラジ
 誰に対して、何のために私が怒らなければならないのか?
 怒りはやってきて、自己想起とともに消え去った。
 それはみな、ただのグナ(宇宙的特質)の戯れにすぎない。
 それらと自己同一化すれば、私はそれらの奴隷となる。
 距離をおいてあれば、私がそれらの主人なのだ。
 質問者 あなたは自分の態度によって世界に影響を与えることが
 できますか? あなたが世界から分離し、距離を置くこ
 とによって、世界を助けるという望みはみな失われてし
 まうのです。
 マハラジ
 そうではない。
 すべては私自身なのだ。
 私が自分を助けられないというのかね?
 私は特定の誰かと自己同一化しない。
 私は特定の個人でもあり、宇宙全体でもあるからだ。
 質問者 では、あなたは特定の個人である私を助けられますか?
 マハラジ
 だが、私はいつもあなたを助けているのだ、内面から。
 私自身とあなた自身はひとつなのだ。。
 私は知っているが、あなたは知らない。
 違いはそれだけだ。
 そしてその違いは、長くは続かない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0406鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/04/29(日) 22:48:23.10ID:OMaSd0oR
そうじゃ、自他の区別も幻想の観念なのじゃ。
人も自分も本来は一つなのじゃ。
観念が無ければそれに気づくのじゃ。
0407名無しを整える。2018/04/30(月) 05:58:10.63ID:G1s6ht4B
>>405
『I AM THAT 私は在る』
【24 神はすべてを為す者、ジニャーニは無為の人】(つづき)

 質問者 どのようにしてあなたは世界全体を助けるというのでし
 ょうか?
 マハラジ
 ガンディーは死んだが、彼の精神は地上を覆(おお)っている。
 ジニャーニの想いは人類のなかに浸透し、善のために絶えず働き
 かけている。
 無名のまま内面から働きかけるために、より力強く心を動かすの
 だ。
 このようにして内面での助けと、外面への祝福によって世界は改
 善されるのだ。
 ジニャーニが死を迎えると、大海へと溶けいる瞬間、川が消え去
 るように、彼も消え去る。
 名前と形はもはやないが、水は残り、大海とひとつになる。
 ジニャーニが宇宙的マインドに加わると、彼のすべての善と智慧
 (ちえ)は人類の財産となり、すべての人間を向上させるのだ。
 質問者 私たちは自分の人格に執着しています。ほかの人とは違
 った個性に、私たちは価値を与えます。あなたはそのど
 ちらも無駄なものとして非難しています。あなたの非顕
 現が私たちにとって何になるというのでしょうか?
 マハラジ
 非顕現、顕現、個性、人格(ニルグナ、サグナ、ヴィヤクタ、ヴ
 ィヤクティ)、これらすべてはただの言葉、見解、精神的姿勢に
 すぎない。
 これらに実在はない。
 実在は、静寂のなかで経験される。
 あなたは人格に固執する。
 しかし、個人としての存在を意識するのは、あなたが困難な状態
 にあるときだけだ。
 困難に直面していないとき、あなたは自分のことを考えてはいな
 い。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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