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『I AM THAT 私は在る』
【13 至高なるもの、マインド、身体】(つづき)

質問者 私はあなたに質問し、あなたは答えています。あなたはその質問や
 答えを意識しているのでしょうか?
 マハラジ
 実際には、私は聞いても答えてもいない。
 出来事の世界のなかで、質問が起こり、答えが起こる。
 何も私には起こらない。
 すべてはただ起こるのだ。
 質問者 そして、あなたは観照者なのでしょうか?
 マハラジ
 観照者とはどういう意味だろうか?
 ただの知識にすぎない。
 雨が降り、そして今、雨はやんだ。
 私は濡れないままだ。
 雨が降ったのは知っている。
 だが、私は影響されない。
 ただ、雨を観照しただけだ。
 質問者 完全に悟りを得た人、自然に至高の状態に在る人もまた、食べたり、
 飲んだりするように見えますが、彼はそれに気づいているのでしょ
 うか?
 マハラジ
 意識がそのなかで起こる宇宙意識は、意識のエーテルと呼ばれる。
 意識の対象物すべてが宇宙を構成している。
 それら両方を支え、そして超えて在るのが至高の状態、完全な静寂と沈黙の
 状態だ。
 誰であれ、そこに行けば消え去る。
 言葉やマインドで到達することはできない。
あなたはそれを神、パラブラフマンあるいは至高の実在と名づけるかもしれ
 ない。
 しかし、それらはマインドによって与えられた名前だ。
 それは、名前も内容もなく、努力もなくして自然な状態、存在も非存在も超
 えたものだ。
 質問者 それでも、人は意識にとどまるのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙がマインドの身体であるように、意識は至高なるものの身体だ。
 至高なるものは意識しないが、それが意識を発現させるのだ。
 質問者 私の日々の活動は、その多くが習慣によって自動的に行われていま
 す。広範囲の活動に気づいてはいても、一瞬一瞬、詳細にわたって
 ではありません。私の意識がより広く深くなるにしたがって、細部
 への関心は退き、広範囲の方向へと私を開いてくれます。ジニャー
 ニにも、少なからずそういったことが起こるのでしょうか?
 マハラジ
 意識のレベルでは、そうだ。
 至高の状態においては、そうではない。
 至高の状態は分割不可能で、完全にひとつであり、ひと塊の実在なのだ。
 それを知るためのただひとつの方法は、それになること、それとして在るこ
 とだ。
 マインドはそれに到達できない。
 それを知覚するために感覚器官は必要ない。
 それを知るためにマインドは必要ないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)