>>210
『I AM THAT 私は在る』
【12 個人は実在ではない】(つづき)

 質問者 不死というものは存在しないのでしょうか?
 マハラジ
 生と死がひとつの存在における二つの層として、互いに必須のものと見られ
 たとき、それが不死だ。
 はじまりのなかに終焉(しゅうえん)を見、終焉のなかに始まりを見ること
 が永遠を示唆している。
 不死が連続性でないということは明白だ。
 変化というプロセスだけが続いていく。
 永遠に存在するものなど何もない。
 質問者 気づきは永続するのでしょうか?
 マハラジ
 気づきは時間のなかにはない。
 時間は意識のなかにのみ存在する。
 意識を超えて、どこに時間と空間があるだろう?
 質問者 あなたの意識の領域にはあなたの身体も在ります。
 マハラジ
 もちろんだ。
 しかし、ほかの身体と異なったものとしての「私の身体」という考えはない。
 私にとってそれは「私の身体」ではなく「ある身体」であって、「私のマイ
 ンド」ではなく「あるマインド」だ。
 マインドが身体の面倒を見る。
 私が干渉する必要はない。
 為(な)されるべきことは、通常の自然な方法で為される。
 生理的機能に関しては、あなたはまったく意識していないかもしれない。
 だが、思考や感情、欲望や恐れにいたっては、あなたは自己意識に鋭敏にな
 る。
 私にとっては、これらもまた全体として無意識の内にある。
 私はさほど意識もせずに人びとと話をし、まったく正しく適切に事を運んで
 いることを見いだすのだ。
 あたかも私は自発的にしかも的確に反応し、自動的にこの物質的な目覚めの
 生を生きているかのようだ。
 質問者 この自発的な反応は真我の実現の結果なのでしょうか、それとも訓
 練によるものでしょうか?
 マハラジ
 その両方だ。
 真理の探究と、人びとを助けるという目的に捧げられた献身が、あなたに清
 らかな、秩序ある生をもたらす。
 そして真我の実現が、欲望や恐れ、そして誤った考えという障害を取り除き、
 容易に、自然に尊い徳をもたらすのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)