>>173
『I AM THAT 私は在る』
【9 記憶の反応】(つづき)

 質問者 もちろん、知覚は想像ではありません!
 マハラジ
 それ以外の何だというのだろう?
 知覚とは認識ではないだろうか?
 何かまったく知られていないものを感じ取ることはできるだろう、だが知覚
 することはできない。
 知覚は記憶をともなうのだ。
 質問者 仮にそうだとしても、記憶がそれを幻想にするということはありま
 せん。
 マハラジ
 知覚、想像、期待、不安、幻想はすべて記憶に基づくものだ。
 それらの間にはほとんど境界線さえなく、互いに溶け込んでいる。
 すべては記憶の反応なのだ。
 質問者 それでも、記憶は私の世界の実在性を証明してくれます。
 マハラジ
 どれだけあなたは覚えているだろうか?
 先月の三十日にあなたが何を考え、何を話し、何をしたか記憶に基づいて書
 きだしてみるがいい。
 質問者 確かにそこには空白があります。
 マハラジ
 それほど悪くはない。
 相当量をあなたは覚えているはずだ。
 無意識の記憶が、あなたの住む世界をなじみ深くさせるのだ。
 質問者 私の生きる世界が部分的で、主観的であることは認めます。あなた
 はどうなのでしょう? あなたはどのような世界に生きているので
 しょうか?
 マハラジ
 私の世界はあなたの世界と同様だ。
 私は、私の知覚する世界であなたと同じように見、聞き、感じ、考え、話し、
 行動する。
 だがあなたにとってはそれがすべてで、私にとっては、それはほとんど無に
 等しい。
 世界が私自身の一部であると知っているため、あなたが食べた食事に注意を
 払わない以上に、私もそれに留意しないのだ。
 用意されてから食べる間、食べ物はあなたから分離して在り、あなたはそれ
 に留意する。
 ひとたび飲みこめば、それに対してはまったく無意識になる。
 私は世界を食べてしまったのだ。
 だからそれについて考える必要はもはやないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)