(生を起こるがまま生きなさい。
 ただ留意し、見守り、あるがままにものごとが起こるのを許して、生がもたらすままに、喜び、苦しみ、自然なことを自然に行う。
 それもまた道なのだ。)

『I AM THAT 私は在る』
【8 真我はマインドを超えて在る】(つづき)

 質問者 それなら結婚し、子どもを持ち、仕事をして――幸せになることも
 できるのですね。
 マハラジ
 もちろん。
 幸せになるかもしれないし、ならないかもしれない。
 あなたの歩調で歩くがいい。
 質問者 でも、私は幸せになりたいのです。
 マハラジ
 真の幸福を、移り変わり過ぎ去っていくもののなかに見いだすことはできな
 い。
 喜びと苦しみは容赦なく交互にやってくる。
 真の幸福は自己から来る。
 そして、それは自己のなかにしか見いだせないのだ。
 あなたの真我(スワルーパ)を見いだしなさい。
 それとともに、それ以外のすべてもやってくるだろう。
 質問者 もし私の真我が愛と平和ならば、なぜそれはこうも落ち着きがない
 のでしょうか?
 マハラジ
 あなたの真の存在に落ち着きがないのではない、その反映がマインドのなか
 に落ち着きなく現れるのだ。
 なぜなら、マインドは落ち着きのないものだからだ。
 それは水面に映る月が、風で揺らめくようなものだ。
 欲望の風がマインドと、マインドのなかの真我の反映である「私」を揺り動
 かし、千変万化に映しだす。
 しかしこのような動き、落ち着きのなさ、喜びと悲しみといった観念は、す
 べてマインドのなかに存在する。
 真我はマインドを超えてあり、関わることなくただ気づいている。
 質問者 どうやってそれに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 たった今ここで、あなたは真我なのだ。
 マインドのことは放っておきなさい。
 覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。
 そうすれば、超然と油断なく在り、来ては去りゆく出来事をただ見守ること
 が、あなたの真の本性の一側面であることに目覚めるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)