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『I AM THAT 私は在る』
【3 今を生きる】(つづき)

 質問者 苦痛とは宇宙的な現実なのでしょうか、それとも単に精
 神的なものなのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙とは完成されたものだ。
 そこに何も欠如していない完全性が在るとき、苦痛を与えられる
 ものがあるだろうか?
 質問者 宇宙は、全体としては完全かもしれませんが、詳細にお
 いては不完全です。
 マハラジ
 全体の一部も、全体との関連のもとに見られたとき、また完全と
 なる。
 孤立したとき、それは欠陥をもち、苦痛の在処(ありか)となる。
 何が孤立をもたらすのだろうか?
 質問者 もちろんマインドの限界です。マインドには全体として
 の部分を見ることができません。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 マインドはその本質上、分割し対立するものだ。
 統合し、調和をもたらし、部分のなかに全体を見て、全体との完
 全な関連性をもった部分を見ることのできる何か別のマインドと
 いうものが在りうるだろうか?
 質問者 別のマインド――どこを探せばいいのでしょう?
 マハラジ
 限界をもたらし、分割し、相対立するマインドを超えた彼方だ。
 周知のように、この精神的過程が終焉(しゅうえん)したときだ。
 これが終わりを告げたとき、そのマインドが生まれる。
 質問者 そのマインドのなかでは、喜びと悲しみの問題はもはや
 存在しないのでしょうか?
 マハラジ
 私たちが知るような望むべき、あるいは憎むべきものとしてでは
 ない。
 それはむしろ、愛がその表現を求めて障害にであうようなものだ。
 包括的なマインドとは、愛が活動のなかで環境と戦い、初めは挫
 折しつつも最終的には勝利をおさめるようなものなのだ。
 質問者 魂と身体との間に橋を渡すものは愛なのでしょうか?
 マハラジ
 ほかに何があろう?
 マインドが奈落を生みだし、ハートが橋を架けるのだ。
                   【3 今を生きる】(おわり)
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