ブッダのことば(スッタニパータ)
第4 八つの詩句の章、11、争 闘

870 「快と不快とは、感官による接触にもとづいて起る。感官の接触が存在しないときには、これらのものも起こらない。生起と消滅ということの意義と、それの起るもととなっているもの(感官による接触)を、われは汝に告げる。」

871 「世の中で感覚による接触は何にもとづいて起るのですか? また所有欲は何から起るのですか? 何ものが存在しないときに、<わがもの>という我執が存在しないのですか?

872 「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る。欲求がないときには、<わかもの>という我執も存在しない。形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。」

873 「どのように修行した者にとって、形態が消滅するのですか? 楽と苦とはいかにして消滅するのですか? どのように消滅するのか、その消滅するありさまを、わたくしに説いてください。わたくしはそれを知りたいものです。
──わたくしはこのように考えました。」

874 「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する。

875 「われらがあなたにおたずねしたことを、あなたはわれわれに説き明かしてくださいました。われらは別のことをあなたにおたずねしましょう。どうか、それを説いてください。
──この世における或る賢者たちは、『この状態だけが、霊(タマシイ)の最上の清浄の境地である』とわれらに語ります。しかしまた、それよりも以上に、『他の(清浄の境地)がある』と説く人々もいるのでしようか?」

876 「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうち(最上の清浄の境地がある)と、巧みに語っている。

877 かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って、諸々のこだわりを塾考し、知った上で、解脱せる人は論争におもむかない。思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない。」

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