続き


歴史を変える大きな事件を起こすためには、大きなエネルギーが必要です。

大きなエネルギーは、平等な出会いから得られます。ですが平等な出会いは、これまでの「今ここ、体の目で見る観察」では絶対に不可能です。

では、どこからみれば平等な出会いができるのでしょう?

それは、今ここ、時間もない、空間もない、存在もない、エネルギーもない、源泉的な動きだけがある、今「1」の世界、つまり機械化不可能な心から現実をみることです。

機械化されない心が明確に条件づけられて初めて、機械化された多様で複雑な世界が現実であることが認識できるのです。

真の「絶対」から出発し、源泉的な動きから観る「完全観察」が、令和感覚の具現化です。

そしてそれができたときに初めて、対等な出会いができ、誰もが同じ条件でゲームを楽しめる、宇宙自然のオーケストラを認識できる健康な心になるのです。

人間はこれまでずっと、今ここ身体の目で見ることで、自他ともに境界線を決めつける暴力を平気でやってきました。

例えるなら、自分や相手をまな板の上に置いて包丁で切り刻むようなものです。

つまり、「同じ、共通」を観るよりも、「違い」ばかりをフォーカスして、摩擦、衝突、葛藤を生み出し続ける生き方だったのです。

ですが令和の時代は、機械化されない心(機械化不可能な心)から、一瞬の条件によって機械化される心を観る令和感覚で、愛のゲームができる時代が始まるのです。

令和の時代は、これまでのように「これが正解だ、正しい答えだ」と正解探しをしたり、〇×を決めつける生き方を続ければ、機械化された心を絶対視してしまうような愚かな人生になってしまうのです。

なぜなら、機械化された心は、賞味期限がある一瞬の幻にすぎないからです。

令和の時代は、今ここ、ひとつそのものになっている状態から、現実を楽しむ時代です。

そうすると多様な条件付けられた現実(機械化され、複雑で多様な違いを生み出す多様な次元)を楽しめます。

AI胎動とともに、ほんの一部の人を除いて「無用者階級」になるだろうと予測され、不平等格差社会の到来と、人間の尊厳の危機という2大危機を逃れられないと言われています。

その2大危機を同時に解決できる唯一の道が、今ここ、完全観察の令和感覚を得ることです。

それを案内できるnTechが、令和時代の多くの人々に役に立ち、愛されれば幸いです。