アドラー心理学2 【嫌われる勇気】 [無断転載禁止]©2ch.net
自己啓発の源流ともいわれるアドラー心理学を語るスレです
■関連書籍
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■関連スレ
前スレ
http://karma.2ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1484918397/
アドラー心理学総合 24 【嫌われる勇気】
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1488022640/
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい >>78
ありがとう
ちょっとまずは前編を意識しながら実践にチャレンジしてみようかな
躓いたらここでまた質問してみたいからみんなよろしく おーぷん2ちゃんねるのオカルト板に行って
意味不明って検索してから260番のレス見てみ。
きっと必要なことが書いてある。 >>88
誰かが始めなければならない。他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。
Somebody must begin . Even as other people is not a cooperative , it is not relevant to you . My advice is this . You should begin . Without that other person is thinking , such as whether it is a cooperative. 嫌われるだけ嫌われてあまりメリット感じない。
ラインとか電話がこちらからしないと誰からもこないとわかったのは成果だが全員と離れて新たに人間関係構築すべきなんだろうか?
通い先がないからきっかけもない。 >>106
必要ならこちらから誘って遊びに行けばいいんじゃん? >>106
今は膿が出ている状態だから、後は勇気のみ。頑張れ! 一昨日仕事初出勤だったんだけど相手にどう思われてるか気になって死にそう。だけどこういうときは課題の分離だよね。自分の顔を気にしてるのは自分だけ? >>107
いや、まあそうなんだが誰にも特には必要とされてないって現実は結構痛い。
新しく知り合った人と多少努力してもやりとり続かなかったり遊びの提案とかうまくできず繋がりができない。 何だコイツwすげぇんだけどw
これも見方によっては嫌われる勇気だね
しかもブログが自己啓発系でめっちゃ勉強になるわ
こんなんなりてぇ〜
http://salariedmannokuseni.seesaa.net/ >>110
誰にも特に必要とされてないってあなたの認知は本当に正しいものなのかな?俺は誰の役にも立ってない人はいないって信念を受け入れるように意識してるけど、こっちが間違っているのかな?
どっちが正しいかはおいておくとして、どっちの方が楽しいと思う? >>114
ちょっと何を言ってるかわからんがこちらから連絡しない限り全く連絡が来ないってことは必要ないんじゃないか?
おれだって全く必要ない、つまりおもしろくもないつまらない人に頻繁に連絡するほどゆとりはない。
というかつまらないと感じてても連絡とるのが友情なのだろうか?わからなくなってきた。
大人になればなるほど会わなくても友人って言うしな。
ともかく、諦めには成功した。そいつらがまた連絡してきたら絶縁叩きつけるとかでもなく普通な気持ちで。
だから新しい人と接してみようという気持ちにもなれた。成功はしてないが。 必要とされなくてもいいじゃん
役に立ちたいときに役に立てれば
誰かがいないと生きていけない、というのは人間の大人の悪しき誤解だとかなんとか >>115
英語のfriendで考えろ。ただの知り合いだけでなく味方、支持者、後援者、共鳴者等がfriendだ。
味方にもならず支持もせず後援することもなく共鳴もしないならそいつはfriendではない。
かといって敵ではないが、どちらでもないどうでもいい人だ。 >>117
英語のfriendで考えろ。
じゃねえんだよwとんちんかんなこと言ってんな >>116
俺がアドラーを学んで強く感じるようになったのはむしろみんながいるから俺は生きていられるんだなあってことかな >>118
バカには通じない書き込みでございます。 >>119
ん?
まあ自立してるんならいいんじゃない?
言葉の違いだけのような気がするな 急な出費などで、今月の生活費?家賃が足りなくてお困りの方。
ヤミ金でお困りの方。
保証人、担保不要です。
詳しくはHPをご覧下さい。
会社にお勤めの方、自営業、フリーター、風俗・水商売など業種にかかわらずお気軽にご相談ください。
エヌピーオー法人 sta 一人で本読むのも限界なんで講座受けようか迷ってる
だれかアドラ―の講座受けた人いる? アドラーの自立とは、依存をやめることではなくて、
特定の範囲に依存していた状態から
依存の範囲を大きく広げることって話だよね それも依存という言葉の解釈だと思うな
ようは共同体感覚を持っていることが重要なので、共同体感覚が許す形での依存ならそれが必要十分だってことなんでしょうきっと 依存っていう言葉の解釈の話です
毎朝毎晩食事を与えられないと死んでしまうのも依存と言えるだろうし、
コンビニの店員と客の関係も依存と言えないこともないだろうし >>127
要は広く感じることができれば依存の解釈はそんなに難しく考えなくてもいいと思いますよ >>128
広ければ依存してもいいというのはそれまた大変な問題かと思いますが アドラーなんてそんなすごいこと言ってる?
俺が中学生くらいの時にすでに考えていたことの範疇を出ていないと思ってる
そんな人生変えるほどのたいしたこと言ってないだろ >>129
それが範囲を大きく広げれば全然問題にならないんです
どうしたって一人で生きてる訳じゃない
特定の狭い範囲に依存してるから不健康な執着みたいになるんです
会社、学校、家庭、両親、子供、自分自身
こだわりを捨てて社会のみんなに依存してみるといいと思います >>131
ああ、なんとなく意味するところがわかった気がするよ
でもそれでも依存という言葉は自分は使いたくないな、手垢が付きすぎてる
アドラー関連本でもそういう用法を見たことない気がするし エックハルト・トールは言います。
「手放すこと」をすれば、人間関係は、深いレベルで変わっていきます。
「すでにそうでもあるもの」を受け入れられない人は、
誰をもありのままに受け入れていない、ということを意味します。
つまり、人に対して判断を下し、批判し、レッテルを貼り、拒絶するか、
自分の思いどおりにその人を変えようとしてしまいます。 エックハルト・トールは言います。
また「いま」を、「目的達成のための踏み台」とみなしていると、
自分が出会う人たちをも、目的達成のための踏み台にしてしまいます。
当然の結果として、人間関係、つきつめると人間そのものが、
その人にとって、あまり重要でなくなります。
極端な場合には、全く意味のないものになってしまうこともあるでしょう。
物的な利益にしても、権力でも、身体的な快楽やエゴの欲求を満たすことでも、
人からなにを獲得できるかが、その人の最大の関心事になります。 >>132
ここではあんまり好まれてないのか話題にならない岩井さんは似たようなこと言ってるよ。
誰にも依存しない状態はあり得ないからから他者に依存して生きいることをちゃんと受け入れて、それをどう捉えなおすかが課題だと。
ソースは俺の記憶だけど。 エックハルト・トールは言います。
「すでにそうであるもの」に抵抗すると、エゴは「よろい」を強固にし、
「すべては、はなればなれである」という信念を強めます。
すると、自分の周りの世界、特にほかの人間が、
自分の存在をおびやかしているのではないか、と思えてきます。
それにともなって、決めつけをするようになり、競争心や支配欲とともに、
他者を抑圧しなければならない、という強迫観念が、無意識うちに芽生えてきます。 エックハルト・トールは言います。
いけね。休みだからって寝過ぎた。もう夕方じゃねえか。 承認欲求、依存心。好かれなければならない囚われに陥ってしまってます。こんなときアドラー心理学ではどうするんですか? >>139
それらの欲求がなかったらあなたはどんな人になっていますかね?
って考えると何かが見える 自分の行動を選択する際に「他者に認められること」の優先度が高すぎると、その分だけ「自分らしくあること」が出来なくなるよね
大抵、そういう判断は日常の繰り返しとして安定している
たとえば職場で、誰かの悪口大会になんて参加したくないんだけれど、きらわれるのが怖くて話に乗ってしまう、みたいなケース
そういうときは先に「自分はどう考え、どう発信していくか」を考えるクセを付けて練習するといいと思う
そうやって自分の意思を表示すると、他者に好かれることを断念しなければならない場面も当然ある
なら何のモチベーションに依ってそんな事をするの?というと「現状をより良くしていこう」という積極的な態度に依ってそう行動したい
つまり悪口大会の例なら、1)誰もが「他者に認められること」だけ考えるような会話は息苦しい、2)誰だって自分の意見を自分で決めるぐらいの自由は確保したい筈だ、
3)だから率先して自分が安易に同調しない姿勢を見せよう、4)それが「共同体への貢献」だ、と考えられる
慣れると、同調しないことで減った分の承認が代わりの貢献感で代替できて、集団に所属している安心感を損なわずに済むのが分かってくる
ただ、ここで「嫌われる勇気」の課題の分離を即座に使うのは注意が要る
自分が自分らしくあることを固持して相手の考えを完全にシャットアウトすると関係が断絶してしまい、疎外感で辛いだけになって貢献したいとも思えなくなる
そもそも自分にとって「悪口大会」であっても、他の誰かにとっては「正当な批判」な訳で、自分の見方が正しいのは自分の中だけだ
だから相手の意見を聞く必要があるし、自分の意見への理解も取りつけて「何が有用か」という共通認識を一緒につくる意見調整をしていかなきゃならない
まとめると、「相手に好かれる」という承認欲求に左右されないためには「共同体に貢献する」という代替案があるけれども、
それがしっかりした所属に繋がるようにするには話し合いの放棄をしてはならないし、その努力を怠らないという事がここでは勇気であると、こうなるんじゃないだろうか エックハルト・トールは言います。
自由への第一歩は、自分の思考は、「ほんとうの自分」ではない、と気づくことから始まります。
そう気づくと、「思考を客観的にながめる」ことができるようになります。 エックハルト・トールは言います。
また牛丼食っちゃった。 やりたくないのに自分を追い詰めてやってぶっ倒れてしまってからも悶々としている >お笑い芸人・伊集院光が、ヤクルトスワローズvs日本ハムファイターズ戦の神宮球場で、観戦の邪魔をする人を注意して絡まれた恐怖体験を語っていた。
ある父親と子供が観客にいてバックネットにしがみついていた。だから伊集院が「子供座らせて下さい」
と言うと散々、父親に絡まれたと。
↑
こういう場合にもアドラー心理学は使えるのではないか
相手が悪い場合でも、非難するのではなく共同体感覚を前提に勇気付けのような形で
「子供さんを座らせて頂いたら助かります」。相手が従ったら「ありがとうございます。助かりました」と >>146
うう、勉強になる。
『伝え方(?)』とかもケースバイケースで何が正解とかわからなくてさ、
僕は都度、学びだよ。
共同体感覚を携えて、失敗を恐れずに……。 >>147
自分でも全然ですよ
ただ、他人の経験談は勉強になりますね。どうやれば上手く行ったのかとか、
言葉使いをよく考えてみるとか。結局、どういう場合でも課題の分離と共同体感覚から考えれば良さそうですね 人に何か文句を言いたくなったときや心の中で不満を持ったとき、YOUメッセージではなく「Iメッセージ」を心がけるといいよ
伊集院の例なら、(あなたが)邪魔だから今すぐ座ってください → (わたしは)あなたが座ってくれると見やすくなってうれしい
こういう感じ ?
ここってスレタイと違うな
嫌われないよう嫌われないよう、気を遣いすぎだわ
言いたいことは言え
間違ってる奴に間違ってるって言う人の方がいま貴重 >>150
嫌われない為に言葉を選ぶんじゃなくて
他者を仲間として尊重して協力関係を構築する為に言葉を選ぶんだよ 147です。
みんな、ほんとにありがとう。
課題の分離も、「Iメッセージ」も、
相手の尊厳(ひいては自分の尊厳)が守られる感じがしてさ、
大切にしていきたいです。 >>149
「うれしい」はやや上から目線じゃないかなあ。勇気付けの言葉ではないような
「ありがとう」「助かる」がとりあえずは万能の勇気付けの言葉 >>151
いやいや、どう誤魔化してもだめだって。
例のはただビビってるだけだろ。
>ある父親と子供が観客にいてバックネットにしがみついていた。だから伊集院が「子供座らせて下さい」
と言うと散々、父親に絡まれたと。
>こういう場合にもアドラー心理学は使えるのではないか
相手が悪い場合でも、非難するのではなく共同体感覚を前提に勇気付けのような形で
「子供さんを座らせて頂いたら助かります」。相手が従ったら「ありがとうございます。助かりました」と
「見えないんでちゃんと座らせて下さい」でおk
それで絡んでくる奴は、相手が非常識馬鹿だからに他ならない これを荒らしと思うのは認知?が歪んでるわw
>>130これに同意
人間関係に困った時に心理学の本なんか読むのは引きこもり方向
実際はむしろ、習うより慣れろ、で人とたくさん接することで知恵がついてくる
地頭の良し悪しもあるけど、工夫で補える
「この人の言うことは(いう通りにしないにせよ)聞こう」と思える人を
たくさん持っておくことも大事 >>154
伊集院光がビビってた事例をネタにして、
アドラー心理学を使って共同体感覚を深めることを目指す僕らはこうしよう
っていうテーマで話し合ってるんだよ だから「ビビってるだけだろ」と。
普通に言えばいいんだよ >>158
うん。そう見えるなら仕方がない
ハッキリと指摘するべきだと考えてる人もいるし
アドラー心理学を実践したい人は違う方法を模索するし
それを見てビビってるだけだと感じる人もいるってことだね >>130の言う通り、人間関係結べない人は
「〜してくれますか?ありがとう」っていちいちセミナーなんかで教わるのかね
家族や友達いないの?
「共同体感覚」とやらも普通にやってるけどね
例えば
馬鹿に勉強させる時のLet's方式「ねえねえこれ分かんないんだけど教えてくれない?」
怠け者に掃除させる時の選択方式「大掃除分担決めるぞ!玄関、窓拭き、風呂掃除、どれ!」
知恵がないのか弱いのか知らんけど、
むしろなんでそこまで日々ビクビクしてるのか不思議
「ビクビクヘコヘコしながら生き残れる方法」を2ちゃんで読んだり金払ったりして身に付けるより
外出て友達つくって普通程度にまで強くなれと思う アドラー心理学の考え方を使って遊んでるだけなんだから放っておいてくれよ
アドラー心理学を色々な場面に適応させたらどうなるんだ、っていうプレイだよ
将棋は王将を取るゲームだけど、だからってルール無視で
指で摘まみ上げて「取ったぞー」なんてバカなことやらないだろ?
色々な人間関係の方法があったって良いじゃないか
そういうアプローチもあるんだね、って >>161
そのたとえで言うなら、
まわりは普通に将棋やってるのに
恐る恐る指で摘まみ上げて「取ったぞー」ってやってるのがこのスレな気がするけどな
みんなが普通にやってることをグダグダ理屈つけたりセミナー行ったりして
しかも「プレイです」とか強がってて奇異に見えるんだけど、
なんの為にやってんの?
アドラー心理学とやらを存続させるため? エックハルト・トールは言います。
人を助けることがあなたの人生に意味を与えてくれるとしたら、
人生に意味があるか、良い気分でいられるかは、あなたよりも困っている人しだいだということでしょう。 >>163
アドラー心理学を否定するのは構わないけど、
アドラー心理学は、あなたを攻撃してないよ
放っておいた方が、精神衛生上楽なんじゃないかな? 「嫌われる勇気」のスレタイだけで想像で書いてると予想w
かまってほしいんだろう >>163
「普通」という言葉がお好きなんですね。あなたがレスを付けている人は「普通と違う」と。この場合は縦の関係と認識していて自分もしくは自分の考えが相手より優れている事を示したいという目的があるからです。
他者との関係を横で捉えると、あなたのやり方が優れている事も劣っている事もないと思います。
アドラー心理学を勉強している人は「それは普通じゃない!もっと良い方法があるだろ!」と言われても、あなたがどんな風に感じるかは、私の及ぶ所ではないのです。 初カキコ。
文中の「青年」ってほんの少しだけど最初っから「嫌われる勇気」実践出来てるよな
なぜって自分の頭で組んでいる理論に従って1歩ずつ考えてるから、途中で哲人の言ってることがおかしいと思ったらブチ切れて反論してる。
俺はと言えば哲人の言葉一つ一つ全てを「はえー、ほえー、」と有り難がって何一つ頭を動かさず鵜呑みにしていた
偉人の名言でもライフハックでも何でもかんでも噛み砕かずに受け入れてきた結果が俺のこの死ぬほど錆び付きまくったアタマ。
戦慄してるわ どこに書いていいのかわからん
今日は中学生の息子の大事な日なんだ
どんな結果になろうが本人にはそれを踏まえて
現実を見てしっかり頑張ってほしい
良い結果でも驕らず
望まない結果でも腐らずにいてほしい
それには親が泰然と構えていたいのに
情けないこのオロオロぶり
勇気を持ちたい >>168
私もですよw
てか、哲学書の類いはだいたいどれを読んでも「ほえー!なるほどー!」ってなるw
自説を組み立てられる人って尊敬する。 どんな手順を踏めば、アドラー理論を習得するのに効率がいいのか?
個人的には、エピソード分析を自分に臨床試験しまくるのが一番早いと考えている
「感情」を察知することで「目的」を理解して「技法」によってそれを「協力的」に操作して、自分の中の情報処理メカニズムを変えてしまう
極言すると、この技術に練達する事がアドラー心理学の真髄だと思うね アドラー心理学の習得はあり得ないと考えてるけどね。どこまで行ってもゴールには到達しない
日々の研鑽こそが全てではないか。仏教にしろキリスト教にしろそうだと思う >>172
短ければ工程は三つぐらいで終わるから、その場合は簡単に出来ると思うよ
(エピソード聴取→目的看破→行動修正) アドラー心理学と効率は合わないと思うけどなあ。大学受験や資格試験みたいに効率性考えてやるとある面が
すっぽり抜けて、今話題の豊田議員のような人間にならないとも限らない。或いは、ゴールを達成したとして
次は毎日何をやるのかな?オウム真理教なら幹部になるわけだが ゴールというものはいつも達成出来ないものとして設定する。
まだ自分には足りないものがある、このままじゃいけないと。
いつも自分の足りないところに意識をフォーカスしているから終わりが無い。
アドラー心理学には終わりは無い。 承認欲求を消し、課題の分離を身に付け共同体感覚を持てたと思っても次の日には承認欲求バリバリで
成功者と自分を比較して自暴自棄になる。でまた、反省してアドラー心理学の第一章から
こういうイメージだけどね >>178
ホントそうだよなぁ
よし、努力しようと思っても
すでにキラキラした人の人生想像して自暴自棄になるわ
あっ、負け組がイキってすいませーんってなる >>180
たとえだよ。とりあえず、課題の分離にしろ共同体感覚にしろ維持するのは苦労する
アドラー心理学は筋肉と同じで毎日鍛えてないと衰えてしまうように思う
上にあるようにエピソード分析が一つのトレーニングだろう 何故維持するのに苦労してしまうのかというと様々な思い込みや勘違いによって作られた観念に邪魔されて真実がよく見えていないからだろうな。
つまり、無明になっているから目を閉じて歩いているのと同じようなものでまともに進むのが困難になる。目を開ければ何も考える必要なく進める。 仏教はアドラー心理学の派生した学問だからな
全然不思議でもない エックハルト・トールは言います。
「いま、自分がこうしてめぐらしている思考が、わたしを不幸にしているんだ!」
この気づきによって、思考を一体になってしまう、無意識の習慣から脱却できるのです。 エックハルト・トールは言います。
「いま、自分がこうしてめぐらしている思考が、わたしを不幸にしているんだ!」
この気づきによって、思考と一体になってしまう、無意識の習慣から脱却できるのです。 中野信子さんが「サイコパス」という本を書いている。レビュー読んでみるとこういう一節がある
「サイコパスの人々は快不快ていった情動を司る扁桃体の活動が低いので普通の人より
恐怖・リスクを感じにくい。またら他人と共感することも少ない」。
ことごとく、アドラー心理学の逆を行くのがサイコパスの人々だと。一流スポーツ選手OBで
体罰容認する人たちが少なくないが、彼らの何割からサイコパス的な資質を持っているのではないか。 時間軸がおかしいのかアホなのか
仏教はヒンドゥーの一亜流 >>179
キラキラした自分を聞かれてもいないのに発信している人って自己愛パーソナリティー障害だと思う。
聞かれてもいないのに、周りに劣等感を持たせる為に作った自分を過剰アピールして優越感に浸りたいって人いる。
聞かれてもいないのに作ったキラキラ自分を過剰にアピールがポイントです。 >>189
民族性もあるけどね。アメリカ人は自然にリア充アピールするし、自慢話になる
他人に対しても攻撃的。白人は生まれながら自己愛が強い >>170
レスありがとうございます
自説を組み立てられる人って少数派なのかも知れませんね。
俺ももう少し肩の力抜いていくことにしますわ、、 >>189
エックハルト・トールは言います。
人々が無意識に形への同一化を強化しようとするやり方がある。
充分に目覚めていれば、こういう無意識のパターンを自分自身のなかに発見できるだろう。
・自分がしたことを認めろと要求し、認めてもらえないと怒ったり動転すること。
・自分の問題や病気について語りあるいは騒ぎたてて関心を引こうとすること。
・聞かれもしないのに、また状況に変化を起こすこともできないのに、意見を述べること。
・他者そのものよりも、その他者に自分がどう見られてるかを気にすること。
つまり他者を自分のエゴの投影先、あるいは強化策として使うこと。
・所有物や知識、要望、地位、肉体的力などによって他者に感銘を与えようとすること。
・何かあるいは誰かに怒りの反応によってエゴを一時的にふくらますこと。
・ものごとを個人的に解釈して不機嫌になること。
・心のなかで、あるいは口に出して無駄な不満を並べて、自分が正しくて相手が間違っていると決めつけること。
・注目されたい、重要人物だと思われたいと考えるこ
こういうパターンを自分にあることを発見したら、ひとつ実験してみることをお勧めする。
そのパターンを捨てたらどう感じるか、何が起こるのかを観察するのだ。
ただパターンを捨てて、結果を見ればいい 急な出費などで、今月の生活費?家賃、携帯代が足りなくてお困りの方。
ヤミ金でお困りの方。
保証人、担保不要です。
是非ご相談下さい、詳しくはHPをご覧下さい。
会社にお勤めの方、自営業、フリーター、風俗・水商売など業種にかかわらずお気軽にご相談ください。
エヌ ピー オー 法人 エス ティー エー 朝倉市のボランティア「お金を貰ってやる仕事よりこっちの方が気持ちがいいです」
アドラー心理学の共同体感覚って普通の人の心に眠ってるんだよね。これを掘り起こすだけ
ところで、「共同体感覚」だがいつも「共同体幻想」と言いたくなる(笑) >>1
不倫&被害者女性イジメのベッキーを起用したニューバランス(スポーツシューズメーカー)
他人の家庭を破壊、一般人女性を芸能事務所ぐるみでイジメぬいたベッキーをニューバランスがCMに起用。
ニューバランスはイジメと不倫を容認する企業?
健全なスポーツのイメージとは真逆なドロドロ不貞ベッキー
http://www.oricon.co...p/news/2094062/full/
2017-07-13 10:53 >>194
ボランティアの話、それきっと本能的なものなんだろうと思うな。
最近、アドラー心理学に対する検証をしようと思って進化心理学を勉強しててさ。
それやってる中で感心したんだけど、例に挙げてくれた共感あるいは救護という行動は、ヒトだけじゃなくて哺乳類に広く見られるらしいんだよね。
たとえばチンパンジーは悲しんでいる仲間を見ると抱擁・キスで慰めるという普遍的な習性があるらしくてね。
イルカにも類似の行動はあるみたいで、中国では、冷たい水槽の底で呼吸が止まった女性ダイバーをシロイルカが救出した、なんて話がある。
カモには、つがいの一羽が喧嘩を始めると脈拍が速まるなんていうデータもあってね。
共同体感覚は掘り起こすものだ、というのも修辞だけで終わらない種族レベルの性質なんだろうな、と今の俺は考えている。
ただ、それと同時に他の群れを容赦なく殺す、というような競合性も生物の中には確かに存在しているんだよな。
その本能の傾向をコントロールしようとするツールがアドラー心理学なんだろうな。
ということで生物の社会的情動の概要を知ってアドラーの裏が取れたので、次は心に影響を与えるツールの先端部分である文章の修行をしようと思ってる。 >ただ、それと同時に他の群れを容赦なく殺す、というような競合性も生物の中には確かに存在しているんだよな
実際の動物では殺すより威嚇して追い出す方が多いのではないか。なぜなら、侵入者を殺すには多大の
エネルギーを消費するから。一方、人間の場合は産業革命以降急速な武器等の開発と外交的なコミュニケーションに
ギャップが生じて戦争に至ったのではないか。第二次大戦以降は先進国同士の戦争は行われていない。
多分、第三次世界大戦は起こらないように思える。中東と北朝鮮が発火点にはならないと 読みかけ初心者です
アドラーさんは深層心理の甘えと他人との境界に気付くように言ってるのだと感じましたが
境界線を引く時に他人の心理を予想で決めていいのでしょうか?
簡単に言うと夫婦の悩みで、問題を全部私のせいにする嫁に辟易しております >>199
わかる
アドラー心理学より一度真剣に話したらどう。場合によってはキレる事も
アドラー心理学は怒るなとあるが