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鬼和尚の仏教勉強会 悟りの真実 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001名無しを整える。垢版2017/04/11(火) 11:48:39.27ID:kMYDXZN5
大好評なので、続スレッドを建てたのじゃ
みな、儂のことが好きなのじゃ
よって、みな、儂の弟子じゃ
儂は、悟りを開いて、もうこれ以上、悟ることはないのが、みなは、そうではないじゃろ
儂のように悟りたければ、儂の言うことを聞くのじゃ
0783名無しを整える。垢版2017/09/10(日) 12:55:37.79ID:d7fyQq74
>>782
(´・(ェ)・`)つおまけ
ネットでひろった解説メモ
1。 三つの種類の感覚
快の感覚→欲の感情
不快な感覚→怒りの感情
快でも不快でもない感覚→無関心か迷いの感情

怒りは単に、感覚で不快に感じただけのことで起きる。正義の怒りなどない。
なのだそうであります。

2。欲の根= 生存欲は生命の本能 生命である限り欲はなくすことはできない

無常、苦、無我であることを知り尽くし、生きていることに執着がなくす。

4。3種類の慢
1.増上慢 : 自分が他人より上だと考える。慢心。優越感。
2.同等慢 : 自分が他人と同等と考える。これで安心する
3.卑下慢 : 自分が他人より劣っていると考える。劣等感。

「私は存在する」という実感から、自分を基準にして他者と比べるは心のはたらき。

7。想念とは、
@欲の思い、A怒りの思い、B加害の思い、C親族への思い、D国への思い、E不死の思い、F他人への愛情に関する思い、G利得・尊敬・名声を得たい思い、H軽蔑されないための思い。

9。一切のものは虚妄
聖徳太子の「世間虚仮」(コケ)=本来は真実でないこと。

14、15。潜在煩悩を終わらす方法が「中部経典第18蜜丸経」
7つの潜在煩悩
@カーマラーガ(愛欲)、Aパティガ(怒り)、Bディッティ(見解)、Cヴィチキッチャー(疑)、Dマーナ(慢)、Eバワラーガ(生存欲)、Fアヴィジャー(無明)。

17。五蓋とは五つの〔解脱の〕妨害
:貪り・怒り・心の沈滞[おちこみ]と眠気・心の高揚[たかぶり]と悔恨・疑惑の思い)禅定を妨げる煩悩
0785名無しを整える。垢版2017/09/11(月) 21:16:12.03ID:eu2ZBQqA
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章2,ダニヤ

18 牛飼いダニヤがいった、
「わたしはもう飯を炊き、乳を搾ってしまった。マヒー河の岸のほとりに、わたしは(妻子と)ともに住んでいます。わが小舎の屋根は葺かれ、火は点されている。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

19 師は答えた、
「わたしは怒ることなく、心の頑迷さを離れている。マヒー河の岸のほとりに一夜の宿りをなす。わが小舎(すなわち自身)はあばかれ、(欲情の)火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

20 牛飼いダニヤがいった、
「蚊も虻もいないし、牛どもは沼地に茂った草を食んで歩み、雨が降ってきても、かれらは堪え忍ぶであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

21 師は答えた、
「わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが、激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している。もはや筏の必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

22 牛飼いダニヤがいった、
「わが牧婦(=妻)は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んできたが、わが意に適っている。かの女にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

23 師は答えた、
「わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたしにはいかなる悪も存在しない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

24 牛飼いダニヤがいった、
「私は自活しみずから養うものである。わが子らはみなともに住んで健やかである。かれらにいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

25 師は答えた、
「わたしは何人の傭い人でもない。みずから得たものによって全世界を歩む。他人に傭われる必要はない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

26 牛飼いダニヤがいった、
「未だ馴らされていない牛もいるし、乳を飲む仔牛もいる。孕んだ牝牛もいるし、交尾を欲する牝牛もいる。牝牛どもの主である牡牛もいる。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

27 師は答えた、
「未だ馴らされていない牛もいないし、乳を飲む仔牛もいない。孕んだ牝牛もいないし、交尾を欲する牝牛もいない。牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

28 牛飼いダニヤがいった、
「牛を繋ぐ杭は、しっかり打ち込まれていて揺るがない。ムンジャ草でつくった新しい縄はよくなわれている。仔牛もこれを断つことができないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

29 師は答えた、
「牡牛のように結縛を断ち、臭い臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたしくしはもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

30 忽ちに大雲が現われて、雨を降らし、低地と丘とをみたした。神が雨を降らすのを聞いて、ダニヤは次のことを語った。

31 「われらは尊き師にお目にかかりました、われらの得たところは実に大きいのです。眼ある方よ。われらはあなたに帰依します。あなたはわれわれの師となってください。大いなる聖者よ。

32 妻もわたしもともに従順であります。幸せな人(ブッタ)のもとで清らかな修行を行いましょう。生死の彼岸に達して、苦しみを滅しましょう。」

33 悪魔パービマンがいった、
「子のある者は子について喜び、また牛ある者は牛について喜ぶ。人間の執著(しゅうじゃく)する元のものは喜びである。執著する元のない人は、実に喜ぶことがない。」

34 師は答えた、
子のある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著する元のもののない人は、憂うることがない。」

(´・(ェ)・`)つ
0786名無しを整える。垢版2017/09/12(火) 07:58:35.60ID:mUAPqo2s
>>785
29は、
悩み苦しみの原因である財産(牛)への執着を断ち切る。
輪廻して、再び生まれ変わることを拒否。もっと生きたいという本能を拒否。
苦しみの原因である渇愛の克服。
だそうであります。
(´・(ェ)・`)つ
0787名無しを整える。垢版2017/09/12(火) 19:09:23.14ID:mUAPqo2s
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章3、犀(さい)の角

35 あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況や朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。

36 交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍い(わざわい)の生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

37 朋友・親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

38 子や妻に対する愛著は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡むようなものである。筍が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

39 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

40 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

41 仲間の中におけば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。

42 四方のどこでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦痛に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

43 出家者でありながらなお不満の念をいだいている人々がいる。また家に住まう在家者でも同様である。だから他人の子女にかかわること少し、犀の角のようにただ独り歩め。

44 葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを捨て去って、在家の束縛を断ち切って、健き人はただ独り歩め。

45 もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。

46 しかしもし汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。

47 われわれは実に朋友を得る幸を讃め称える。自分より勝れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

48 金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

49 このように二人でいるならば、われに饒舌といさかいとが起るであろう。未来にこの恐れのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。

50 実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。欲望の対象にはこの患いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

51 これはわたくしにとって災害であり、腫物であり、禍であり、病であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

52 寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、──これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。

(´・(ェ)・`)つ
0788鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/12(火) 22:02:40.44ID:hWMUFmJp
そうじゃ、人は財産が在る故に却って悩むのじゃ。
財産がもっと増えればよいとか、減ったらどうしようとか思うからのう。
何もなければ悩みも無いのじゃ。
悩み無く犀の角のように歩むのじゃ。
0789名無しを整える。垢版2017/09/13(水) 18:35:26.57ID:l4j4y88u
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章3、犀(さい)の角

53 肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

54 集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔<ブッダ>のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。

55 相争う哲学的見解を越え、(さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。

56 貪ることなく、詐ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆うことなく、濁りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。

57 義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽って怠っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。

58 学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を去って、犀の角のようにただ独り歩め。

59 世の中の遊戯や娯楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。

60 妻子も、父母も、財産も穀物も、親類やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。

61 「これは執著である。ここは楽しみは少し、快い味わいも少くて、苦しみが多い。これは魚を釣る釣り針である」と知って、賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。

62 水の中の魚が網を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。

63 俯して視、とめどなくうつろうことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護り(慎しみ)、(煩悩の)流れ出ることなく、(煩悩の火に)焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。

64 葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除き去って、出家して袈裟の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。

(´・(ェ)・`)つ
0790名無しを整える。垢版2017/09/13(水) 21:07:24.15ID:l4j4y88u
>>789

61 は、
欲望は、魚にとってのエサに見せかけた釣り針である。人間は、欲望にだまされる。そこに幸福や楽しみがあるように見える。

生命にとって欲望は、苦しみから逃れようとして現れる。だから、欲望が苦の原因であることに気が付けない。

だ、そうであります。
(´・(ェ)・`)つ
0791鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/13(水) 22:39:01.69ID:lYfmjw7J
そのようなものじゃ。
苦の原因となるのは執着であるがのう。
生きるために欲するのはよいのじゃ。
執着無く生きるがよいのじゃ。
0792名無しを整える。垢版2017/09/14(木) 18:18:05.72ID:vJVFYYq4
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章3、犀(さい)の角

65 諸々の味を貪ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

66 こころの五つの覆いを断ち切って、すべてに付随して起こる悪しき悩み(随煩悩)を除き去り、なにものかにかたよることなく、愛念の過ちを断ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。

67 以前に経験した楽しみと苦しみを擲ち、また快さと憂いとを擲って、清らかな平静と安らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。

68 最高の目的を達成するために努力策励し、こころが怯むことなく、行いに怠ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具え、犀の角のようにただ独り歩め。

69 独座と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には患いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。

70 妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。

71 音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、犀の角のようにただ独り歩め。

72 歯牙強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。

73 慈しみと平静とあわれみと解脱と喜びとを時に応じて修め、世間すべてに背くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

74 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨て、結び目を破り、命の失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

75 今の人々は自分の利益のために、交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。

(´・(ェ)・`)つ
0793名無しを整える。垢版2017/09/14(木) 18:45:11.59ID:vJVFYYq4
>>792
66 「五つの覆い」の二通りの解釈。
(心の汚れの断ち切り方の違い)

1)伝統的理解
「五蓋:欲の思い・加害の思い・心の沈滞と眠気・心の高揚と悔恨・疑惑の思い」
これらが心にあると初禅(第一禅定)になることを妨げる。
初禅に入れば、五蓋と言われる心の汚れが除かれる。
ただし、五蓋がなくなっているのは禅定にいる時だけ。

2)心の五つの障碍を、五感からの汚れと見る。心の汚れはどのように現れるかを観察すると、五感が何かを感じたとき、心が汚れる。

だから、心を汚さないようにするために、五感からの刺激を、心の汚れの原因にしないこと。それは感覚を守ると言う。
感覚を、自己から切り離して、客観的に観察することで実現できる。ただ感覚があると観察できたとき、心は汚れない。

だそうであります。
(´・(ェ)・`)つ
0794鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/14(木) 21:30:20.22ID:/DPxTPMP
五感でよいのじゃ。
それで次の随煩悩とも繋がるのじゃ。
要するに感覚を制することなのじゃ。
それによって瞑想も深くなり、執着も無くすことができるのじゃ。
0795名無しを整える。垢版2017/09/14(木) 22:37:56.93ID:vJVFYYq4
>>794
おーぉ!
そうでありますね、その方が、前後の繋がりがよく、無理やり説明してる感がなくてすっきりするでありますね。

あと、>>786 に書いた29の解説でありますが、

>財産(牛)への執着を断ち切る。
ことと同じように、
>もっと生きたいという本能を拒否。
苦しみの原因である渇愛の克服

と言う説明に違和感を感じるのでありますが、違和感の理由は説明できないであります。
(´・(ェ)・`)つ
0796名無しを整える。垢版2017/09/15(金) 18:23:45.93ID:pHouj5Th
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章4、田を耕すバーラドブァージャ

 わたしが聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はマガダ国の南山にある「一つの茅」というバラモン村におられた。そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、種子を捲く時に五百挺の鋤を牛に結びつけた。

 そのとき師(ブッダ)は朝早く内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャが仕事をしているところへ赴かれた。ところでそのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは食物を配給していた。

 そこで師は食物を配給しているところに近づいて、傍らに立たれた。田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、師が食を受けるために立っているのを見た。そこで師に告げていった、

「道の人よ。わたしは耕して種を播く。耕して種を播いたあとで食う。あなたもまた耕せ、また種を播け。耕して種を播いたあとで食え。」と

(師は答えた)、「バラモンよ。わたしもまた耕して種を播く。耕して種を播いてから食う」と。

 (バラモンがいった)、「しかしわれらは、ゴータマさん(ブッダ)の軛も鋤も鋤先も突棒も牛も見ない。それなのにゴータマさんは『バラモンよ。わたしもまた耕して種を播く。耕して種を播いてから食う。』という」と。
そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは詩を以て師に呼びかけた。

76 「あなたは農夫であるとみずから称しておられますが、われらはあなたが耕作するのを見たことがない。おたずねします。──あなたが耕作するということを、われわれが了解し得るように話してください。」

77 (師は答えた)「わたしにとっては、信仰が種である。苦行が雨である。知慧がわが軛(くびき)と鋤(すき)きである。慚(はじること)が鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ちつけることが鋤先と突棒とである。

78 身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。わたしは真実をまもることを草刈りとしている。柔和が私にとって(牛の)軛を離すことである。

79 努力がわが(軛をかけた牛)であり、安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、そこに至ったならば憂えることがない。

80 この耕作はこのようになされ、甘露の果実もたらす。この耕作を行ったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる。」

(´・(ェ)・`)つ
0797名無しを整える。垢版2017/09/15(金) 22:11:50.94ID:pHouj5Th
>>795
くまが、>>786の説明に感じる違和感は、
生存本能、生存欲に対する執着を、財産に対する執着と同じようにとらえることへの違和感であります。

欲と言う観点から見て、それを拒否するとか説明するよりも、、その欲を感じる主体の有無と言う観点からアプローチする方が取り組みやすく思うのであります。

(´・(ェ)・`)つ
0798名無しを整える。垢版2017/09/16(土) 11:40:29.82ID:e5HZoekV
>>796
農業によるたとえ話
種=信・・・信仰というよりも、「理解力」その理解力を確信にまで、すなわち悟りまで育てようというたとえ話だそうであります。

種を育て、育むものは雨。
雨=苦行・・・修行
修行が理解力を育てる。具体的に言えば八正道の実践が理解力を育てる

種をまく畑はよく耕されておかなければ、種は育たない。
理解力は心に育つ。
心が煩悩で荒れていれば、理解力は育たない。
この煩悩をなくすものは智慧。
心を耕す道具は智慧。
軛(くびき)と鋤(すき)が智慧。

鋤棒=轅(ナガエ)は、牛がまっすぐに歩くようにするもの。
道徳を守るために必要なことは慚(はじること)を知る心。轅は恥に譬えられた。恥を知る心で正しい道をまっすぐ歩ける。
軛と犂と轅を連動して使用するため、それらを結ぶ縄が必要。
その縄を心=意に譬えた。
智慧と恥とを結びつけるのが意。
意は心の感覚器官。
心の情報は意を通じて伝達される。

気を落ちつけること=念(気づき)を鋤と突棒に譬えた。
畑の石や障害物を見極めるのは鋤と突棒。心の煩悩を見極めるのは念(気づき)。

(´・(ェ)・`)つ
ふむふむ。解説を読んでみると、なかなかどうしてよくできたたとえ話であります。
0799名無しを整える。垢版2017/09/16(土) 12:24:58.15ID:e5HZoekV
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章4、田を耕すバーラドブァージャ

81 詩を唱えて[報酬として]得たものを、わたくしは食うてはならない。バラモンよ、このことは正しく見る人々(目ざめた人々)のならわしではない。詩を唱えて得たものを、目ざめた人々(諸のブッダ)は斥ける。
バラモンよ、定めが存するのであるから、これが(目ざめた人々の)生活法なのである。

82 全き人である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し悪い行いを消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者のための(福)田であるからである。

「では、ゴータマ(ブッダ)さま、この乳粥をわたしは誰にあげましょうか?」

「バラモンよ。実に神々・悪魔・梵天とともなる世界において、神々・人間・道の人・バラモンを含む生きものの中で、全き人(如来)とかれの弟子とを除いては、この乳粥を食べてすっかり消化し得る人を見ない。
だから、バラモンよ、その乳粥を青草の少いところに棄てよ、或いは生物のいない水の中に沈めよ。」

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャはその乳粥を生物のいない水の中にうずめた。

さてその乳粥は、水の中に投げ棄てられると、チッチタ、チッチタと音を立てて、大いに湯煙りを立てた。
譬えば終日日に曝されて熱せられた鋤先を水の中に入れると、チッチタ、チッチタと音を立て、大いに湯煙りを出すように、その乳粥は、水の中に投げ棄てられると、チッチタ、チッチタと音を立て、大いに湯煙りを出した。

 そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは恐れおののいて、身の毛がよだち、師(ブッダ)のもとに近づいた。そうして師の両足に頭を伏せて、礼拝してから、師にいった、

─「すばらしいことです、ゴータマさま。すばらしいことです、ゴータマさま。
譬えば倒れた者を起こすように、覆われたものを聞くように、方向に迷った者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで真理を明らかにされました。
故にわたくしはここにゴータマさまに帰依します。また真理と修行僧のつどいに帰依します。わたしはゴータマさまのもとで出家し、完全な戒律(具足戒)をうけましょう。」

そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァーシャは、師(ブッダ)のもとで出家し、完全な戒律を受けた。
それからまもなく、このバラモン・バーラドヴァーシャさんは独りで他の人々から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが、まもなく、無上の清らかな行いの究極
──諸々の立派な人たち(善男子)はそれを得るために正しく家を出て家なき状態に赴いたのであるが──
を現世においてみずからさとり、証、具現して、日を送った。
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえたた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
とさとった。そうしてバーラドヴァーシャさんは聖者の一人となった。

(´・(ェ)・`)つ
0800鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/16(土) 21:50:34.19ID:cZDN0ihw
生存の欲はなくさなくてよいのじゃ。
その他修業の邪魔にならない欲もなくさなくてよいのじゃ。
修業の邪魔になる貪欲だけを無くすべきなのじゃ。
それが煩悩なのじゃ。
修業の邪魔にならない欲は煩悩ではないのじゃ。 
0801名無しを整える。垢版2017/09/16(土) 22:39:20.14ID:e5HZoekV
>>800
鬼和尚ありがとうであります(´・(ェ)・`)つ

で、ありますよね。
生存本能を拒否するとかいい放つのは、
無常なんだから諦めろと言ってるだけでありまして、
修行方法の説明として、不適切でありましょう。
そもそもそんなことは、スッタニパータには書いてないであります。
0802名無しを整える。垢版2017/09/17(日) 10:27:26.99ID:Hxd+y9dW
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章5、チュンダ

83 鍛冶工のチュンダがいった、「偉大な智慧ある聖者・目ざめた人・真理の主・妄執を離れた人・人類の最上者・優れた御者に、わたしはおたずねします。──世間にはどれだけの修行者がいますか? どうぞお説きください。」

84 師(ブッダ)は答えた、「チュンダよ。四種の修行者があり、第五の者はありません。面と向かって問われたのだから、それらをあなたに明かしましょう。
──<道による勝者>と<道を説く者>と<道において生活する者>と及び<道を汚す者>とです。」

85 鍛冶工チュンダはいった、「目ざめた人々は誰を<道による勝者>と呼ばれるのですか? また<道を習い覚える人>はどうして無比なのですか? 
またおたずねしますが、<道によって生きる>ということを説いてください。また<道を汚す者>をわたくしに説き明かしてください。」

86 「疑いを越え、苦悩を離れ、安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ、貪る執念をもたず、神々と世間とを導く人、──そのような人を<道による勝者>であると目ざめた人々は説く。

87 この世で最高のものを最高のものであると知り、ここで法を説き判別する人、疑いを絶ち欲念に動かされない聖者を修行者たちのうちで第二の<道を説く者>と呼ぶ

88 みごとに説かれた<理法にかなったことば>である<道>に生き、みずから制し、落ち着いて気をつけていて、とがのないことばを奉じている人を、修行者たちのうちで第三の<道によって生きる者>と呼ぶ。

89 善く誓戒を守っているふりをして、ずうずうしくて、家門を汚し、傲慢で、いつわりをたくらみ、自制心なく、おしゃべりで、しかも、まじめそうにふるまう者、──かれは<道を汚す者>である。

90 (彼らの特長を)聞いて、明らかに見抜いて知った在家の立派な信徒は、『かれら(四種の修行者)はすべてこのとおりである』と知って、かれらを洞察し、このように見ても、その信徒の信仰はなくならない。
かれはどうして、汚れた者と汚れていない者と、清らかな者と清らかでない者とを同一視してよいであろうか。」

第一 蛇の章6、破  滅

 わたしが聞いたところによると、──あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、<孤独なる人々に食を給する長者>の園におられた。
そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころ、ジェータ林を隈なく照らして、師(ブッダ)のもとに近づいた。近づいてから師に敬礼して傍らに立った。そうしてその神は師に詩を以て呼びかけた。

91 「われらは、<破滅する人>のことをゴータマ(ブッダ)におたずねします。破滅への門は何ですか? 師にそれを聞こうとしてわれわれはここに来たのですが、──。」

92 (師は答えた)、「栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる。」

93 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第一の破滅です。先生! 第二のものを説いてください。破滅への門はなんですか?」

94 「悪い人々を愛し、善き人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむ。これは破壊への門である。」

95 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第二の破滅です。先生! 第三のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

96 睡眠の癖あり、集会の癖あり、奮励することなく、怠りなまけ、怒りっぽいので名だたる人がいる、──これは破滅への門である。」

97 「よく分かりました。おっしゃるとおりです。これが第三の破滅です。先生! 第四のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」

98 「みずからは豊かで楽に暮らしているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる、──これは破滅への門である。」

99 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第四の破滅です。先生! 第五のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

100 「バラモンまたは<道の人>または他の<もの乞う人>を、嘘をついてだますならば、これは破滅の門である。」

(´・(ェ)・`)つ
0803名無しを整える。垢版2017/09/17(日) 18:49:51.72ID:Hxd+y9dW
>>802
88の 第三の道を歩む方法
三十七菩提分法
1.) 四念処
2.) 四正勤
3.) 四如意足
4.) 五根
5.) 五力
6.) 七覚支
7.) 八支道(八正道)
以上、4+4+4+5+5+7+8=37

1.)四念処とは、瞑想における四つの観察対象。(大念処経及び念処経)
身(身体)、受(感覚)、心(行為の原因)、法(法則)。

1.身念処:自分の身体と自分の身体の動きを観察する。

2.受念処:感覚の観察する。
目、耳、鼻、舌、身、の五感官から、色(形)、声(音)、香(匂い)、味、触(身体感覚)を観察する。
その際、それぞれの感覚において、苦(不快)、楽(快)、不苦不楽(快でも不快でもない)を観察(感じる)する。
苦から心に怒り現れ、楽からは心に欲が現れ、不苦不楽からは心に無知が現れる。

3.心念処:心を観察する。
心に欲、怒り、無知、憂い、があるか、清らかな心か、落ち着いた心か、解放された心かなどを観察。

4.法念処:法(真理、法則)を観察する。これは身、受、心の観察において観察する。
特別に法を見るということではない。
五蓋、五蘊、十二処、七覚支、四聖諦の観察。
無常、苦、無我を観察し、体得する。

(´・(ェ)・`)つ(つづく)
0804名無しを整える。垢版2017/09/17(日) 19:44:10.61ID:Hxd+y9dW
>>803つづき

2.)四正勤(八正道の正精進同じ)
1. 律儀勤 :注意する努力、「防ぐ努力」。まだ生じない不善を抑えて起こさない努力。
2. 断勤 :捨てる、または「なくす努力」。生じた悪・不善を捨てる努力。
3. 修勤 :増進、または「生じさせる努力」。また生じてない善を生じさせる努力。
4. 随護勤 :「維持する努力」。既に生じている善を根付かせ、さらに完全になるまで増進する努力。

3.)四如意足は目的を達成するための四つの要素。目的とは禅定や悟りを指す。
1. 欲如意足: 満足。常にそれを行うことを欲求し、さらに良い結果を得たいと望むこと。
2.精進如意足: 精進。そのことを努力し、勤勉、忍耐でやり遂げること。
3.心如意足: 意図する思考。考えをそれに集中して心をこめて、心身共にその行為に捧げること。
4.思惟如意足: 熟考または試行。智慧を用いて行ったことを真剣に調べ、原因を探り、欠点を点検して、計画し、改善方法を求めるなど。

4.)5.)五根と五力の項目は同じ
1. 信 :理解
2. 精進 :努力
3. 念 :気付き
4. 定 :集中
5. 慧 :智慧
これらは修行を進ませ、涅槃に到るための能力とエネルギー。そのうちの能力を五根と言い、エネルギーを五力と言う。五つの項目はバランスよく養成することが必要。
具体的には、信が強すぎると慧の養成の妨げになり、精進が強すぎると定の養成の妨げになる。念のみは全体の牽引者の役割があり、念の養成は他のものの妨げにならない。

6.)七覚支、段階的に習得される悟りの要素。
1番目念覚支に挑戦すれば、自動的に二番、三番・・・とすすむ。
1.念覚支:身体、感覚、心、法則に気付き、観察すること。
2.択法覚支:念覚支の実践で、さらに細かく観察し、現象の変化を発見すること。
3.精進覚支: 念覚支、 択法覚支の修行を繰り返し実践・努力すること。
4.喜覚支:念覚支、 択法覚支、 精進覚支の修行の努力の後に、喜びが生まれる。それは欲や怒りがなくなる時に生まれる精神的な喜びである。
5.軽安覚支:心身が軽やかになり、リラックスしてくる。 喜覚支は少し興奮している状態であるが、何度か 喜覚支を経験すると、落ち着いて 軽安覚支を経験すると言われる。この状態になれば楽に 念覚支、 択法覚支が実践できる。
6.定覚支: 軽安覚支を経験した人には、安定した集中力が現れる。そのため、現象の実相が洞察できるようになる。ここまでの過程で、人格も変わる、見方も変わる。
7.捨覚支: 定覚支が確立すると、善いことがあっても、悪いことがあっても動じない、感情がない状態、何事も公平で平等に見ることができる心になる。

これらの七つの要素がそろった時に悟りを達成します。

7.)八正道
1.正見(正しい見解)、2.正思惟(正しい考え方)、3.正語(正しい話し方)、4.正業(正しいい)、5.正命(正しい職業)、6.正精進(正しい努力)、7.正念(正しい気づき)、8.正定(正しい集中)。

(´・(ェ)・`)つ
5.)七覚支、の7.捨覚支、
これが不動心でありましょうかね。
0805鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/17(日) 22:02:31.12ID:nDddanBx
>>801 そうじゃ、煩悩とは何かわかっていないのじゃ。
 三毒が煩悩なのじゃ。
 煩悩となる貪欲を滅して進むがよいのじゃ。
0806名無しを整える。垢版2017/09/17(日) 22:34:48.59ID:Hxd+y9dW
>>805
(´・(ェ)・`)つ
鬼和尚ありがとうであります。
三毒=克服すべき根本的な三つの煩悩
貪・瞋・癡(とん・じん・ち)

でありますね。
0807名無しを整える。垢版2017/09/18(月) 05:41:08.73ID:KEb0Tp1Z
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章6、破  滅

101 「よくわかりました。おっしゃるとうりです。これが第五の破滅です。先生! 第六のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

102 「おびただしい富あり、黄金あり、食物ある人が、ひとりおいしいみのを食べるならば、これは破滅への門である。」

103 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第六の破滅です。先生! 第七のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

104 「血統を誇り、財産を誇り、また氏姓を誇っていて、しかも已が親戚を軽蔑する人がいる、──これは破滅への門である。」

105 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第七の破滅です。先生! 第八のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

106 「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって得たものをその度ごとに失う人がいる、──これは破滅への門である。」

107 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第八の破滅です。先生! 第九のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

108 「おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、──これは破滅への門である。」

109 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第九の破滅です。先生! 第十のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

110 「青春を過ぎた男が、ティンバル果のように盛り上がった乳房のある若い女を誘き入れて、かの女について嫉妬から夜も眠れない、──これは破滅への門である。」

111 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第十の破滅です。先生! 第十一のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

112 「酒肉に荒み、財を浪費する女、またはこのような男に、実権を託すならば、これは破滅への門である。」

113 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第十一の破滅です。先生! 第十二のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」

114 「クシャトリヤ(王族)の家に生まれた人が、財力が少いのに欲望が大きくて、この世で王位を獲ようと欲するならば、
これは破滅への門である。

115 世の中にはこのような破滅のあることを考察して
賢者・すぐれた人は真理を見て、
幸せな世界を体験する。」

(´・(ェ)・`)つ
0808鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/18(月) 21:27:30.13ID:6bDwcUNe
>>806 そうじゃ、三毒を滅して進むのじゃ。
  
 そうすれば破滅は無いのじゃ。
 
0809名無しを整える。垢版2017/09/19(火) 19:01:13.86ID:Goo5Z0qC
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章7、賤しい人

 わたしが聞いたところによると、──あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。そのとき師は朝のうちに内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、托鉢のためにサーヴァッティーに入った。

 そのとき火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャの住居には、聖火がともされ、供物がそなえられていた。さて師はサーヴァッティー市の中を托鉢して、かれの住居に近づいた。火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャは師が遠くから来るのを見たる

 そこで、師にいった、「髪を剃った奴よ、そこにおれ。にせの<道の人>よ、そこにおれ。賤しい奴よ、そこにおれ」と。

 そう言われたので、師は、火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャに言った、「バラモンよ。あなたはいったい賤しい人しはなにかを知っているのですか? また賤しい人たらしめる条件を知っているのですか?」

 「ゴータマさん(ブッタ)。わたしは人を賤しい人とする条件をも知っていないのです。どうか、わたしが賤しい人を賤しい人とさせる条件わ知り得るように、ゴータマさんはわたくしにその定めを説いてください。」

「バラモンよ、ではお聞きなさい。よく注意なさい。わたくしは説きましょう。」

 「どうぞ、お説きください」、と火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャは師に答えた。

師は説いていった、

116 「怒りやすく恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、──かれを賤しい人であると知れ。

117 一度生まれたものを(胎生)でも、二度生まれるもの(卵生)でも、この世で生きものを害し、生きものに対するあわれみのない人、──かれを賤しい人であると知れ。

118 村や町を破壊し、包囲し、圧制者として一般に知られる人、──かれを賤しい人であると知れ。

119 村にあっても、林にあっても、他人の所有物をば、与えられないのに盗み心をもって取る人、──かれを賤しい人であると知れ。

(´・(ェ)・`)つ
0810鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/19(火) 21:52:39.53ID:m9AiM6bA
そうじゃ、生まれによって賎しいのではないのじゃ。
 行いによって賎しい者となるのじゃ。
 行いによって貴い者にもなるのじゃ。
 
0811名無しを整える。垢版2017/09/19(火) 22:11:55.84ID:Goo5Z0qC
>>810
(´-(ェ)-`)つ貴いくまになるか、賎いくまになるかは、くましだいでりますね。
0812名無しを整える。垢版2017/09/20(水) 18:21:13.98ID:fm9MEsJs
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章7、賤しい人

120 実際に負債ががあるのに、返済するように督促されると、『あなたからの負債はない』といって言い逃れる人、──かれを賤しい人であると知れ。

121 実に僅かの物を欲しくて路行く人を殺害して、僅かの物を奪い取る人。──かれを賤しい人であると知れ。

122 証人として尋ねられたとき、自分のために、他人のため、また財のために、偽りを語る人、──かれを賤しい人であると知れ。

123 或いは暴力を用い、或いは相愛して、親族または友人の妻と交わる人、──かれを賤しい人であると知れ。

124 己れは財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人、──かれを賤しい人であると知れ。

125 母・父・兄弟・姉妹或いは義母を打ち、またはことばで罵る人、──かれを賤しい人であると知れ。

126 相手の利益となることを問われたのに不利益を教え、隠し事をして語る人、──かれを賤しい人であると知れ。

127 悪事を行なっておきながら、『誰もわたしのしたことを知らないように』と望み、隠し事をする人、──かれを賤しい人であると知れ。

128 他人の家に行っては美食をもてなされながら、客として来た時には、返礼としてもてなさない人、──かれを賤しい人であると知れ。

129 バラモンまたは<道の人>、または他の<もの乞う人>を嘘をついてだます人、──かれを賤しい人であると知れ。

130 食事のときが来たのに、バラモンまたは<道の人>をことばて罵り食を与えない人、──かれを賤しい人であると知れ。

131 この世に迷妄に覆われ、わずかの物が欲しくて、事実でないことを語る人──かれを賤しい人と知れ。

132 自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、みずからの慢心のために卑しくなった人、──かれを賤しい人であると知れ。

133 人を悩まし、欲深く、悪いことを欲し、ものおしみをし、あざむいて(徳がないのに敬われようと欲し)、恥じ入る心のない人、──かれを賤しい人であると知れ。

(´・(ェ)・`)つ
0813鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/20(水) 22:27:28.43ID:IC3LN+wM
そうじゃ、行いによって賤しいものとなり、貴いものともなるのじゃ。
善事を行えば貴いものとなり、福楽も付き従うのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 
0814名無しを整える。垢版2017/09/21(木) 19:54:48.60ID:Yx6GuKEl
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章7、賤しい人

134 目ざめた人(ブッダ)をそしり、或いは出家・在家のその弟子(仏弟子)をそしる人、──かれを賤しい人であると知れ。

135 実際は尊敬さるべき人ではないのに尊敬さるべき人(聖者)であると自称し、梵天を含む世界の盗賊である人、
──かれこそ実に最下の賤しい人である。
わたしがそなたたちに説き示したこれらの人々は、実に<賤しい人>と呼ばれる。

136 生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。

137 わたしは次にこの実例を示すが、これによってわが説示を知れ。チャンダーラ族の子で犬殺しのマータンガという人は、世に知られた令名の高い人であった。

138 かれマータンガはまことに得がたい最上の名誉を得た。多くの王族やバラモンたちはかれのところに来て奉仕した。

139 かれは神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、情欲を離れて、ブラフマン(梵天)の世界に赴いた。(賤しい)生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行なっているのが見られる。

140 ヴェーダ読誦者の家に生まれ、ヴェーダの文句に親しむバラモンたちも、しばしば悪い行為を行っているのが見られる。

141 そうすれば、現世においては非難せられ、来世においては悪いところに生まれる。(身分の高い)生れも、かれらが悪いところに生まれまた非難されるのを防ぐことはできない。

142 生まれによって賤しい人となるのではない、生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人となり、行為によってバラモンともなる。


このように説かれたときに、火に事えるバラモン・バーラドヴァーシャは、師にいった、
「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。すばらしいことです、ゴータマさま。あたかも倒れた者をおこすように、覆われたものを開くように方角に迷った者に道を示すように、
あるいは『眼ある人々は色を見るであろう』といって暗夜に灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで法を明らかにされました。
ですから、わたしは、ゴータマさまに帰依したてまつる。また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。ゴータマさまは、わたくしを在俗信者として受けいれてください。今日以降命の続く限り帰依します。」

(´・(ェ)・`)つ
0815鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/21(木) 21:19:18.51ID:G4JV9MBo
素晴らしいことじゃ。
この世の真理がお釈迦様の言葉で明らかになったのじゃ。
誰も生まれによって賎しくなり、苦に陥るのではないのじゃ。
悪い行いによって賎しくなり、苦に陥ることにもなるのじゃ。
善事を行えば福楽も付き従うのじゃ。
0816名無しを整える。垢版2017/09/21(木) 22:46:32.98ID:Yx6GuKEl
>>815
鬼和尚、こんばんは(´・(ェ)・`)つ

お釈迦さんは、因習差別が支配する25百年前のインドで、無常、無我を説いただけでなく、縁起や因果応報も真理として説いたからこそ偉大なのでありますね。

善事を行えば福楽も付き従うのでありますね。
0817名無しを整える。垢版2017/09/22(金) 18:37:13.40ID:dxxnpIRc
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、8、慈しみ

143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。

144 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

145 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

146 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きいものでも、中ぐらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、

147 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでもすでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

148 何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。

149 あたかも、母が已が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生れるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意を起すべし。

150 また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。

151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥つつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。

152 諸々の邪まな見解にとらわけず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。

(´・(ェ)・`)つ
0818鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/22(金) 22:17:55.26ID:yV+on+c7
>>816 そうじゃ、悟りを求めないものにもお釈迦様は幸福になる道を説いているのじゃ。
 どんどん善を積んで福楽を楽しむとよいのじゃ。
0819名無しを整える。垢版2017/09/23(土) 10:30:24.57ID:4id+OVZk
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、9、雪山に住む者

153 七岳という神霊(夜叉)がいった、「今日は十五日のウポーサタである。みごとな夜が近づいた。さあ、われわれは世にもすぐれた名高い師ゴータマ(ブッダ)にお目にかかろう。」

154 雪山に住む者という神霊(夜叉)がいった、「このように立派な人のこころは一切の生きとし生けるものに対してよく安立しているのだろうか。望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、かれの意欲はよく制されているのであろうか?」

155 七岳という神霊は答えた、「このように立派なかれ(ブッダ)のこころは、一切の生きとし生けるものに対してよく安立している。また望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、かれの意欲はよく制されている。」

156 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは与えられないものを取らないであろうか? かれは生きものを殺さないように心がけているであろうか? かれは怠惰から遠ざかっているであろうか? かれは精神の統一をやめないであろうか?」

157 七岳という神霊は答えた、「かれは与えられないものを取らない。かれは生きものを殺さないように心がけている。かれは怠惰から遠ざかっている。目ざめた人(ブッダ)は精神の統一をやめることができない。」

158 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは嘘をつかないであろうか? 粗暴なことばを発しないであろうか? 中傷の悪口を言わないだろうか? くだらぬおしゃべりを言わないだろうか?」

159 七岳という神霊は答えた、「かれは嘘をつかない。粗暴なことばを発しな。また中傷の悪口を言わない。 くだらぬおしゃべりを言わない。」

160 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは欲望の享楽に耽らないだろうか? その心は濁っていないだろうか? 迷妄を越えているであろうか? 諸々のことがらを明らかに見とおす眼をもっているだろうか?」

161 七岳という神霊は答えた、「かれは欲望の享楽に耽らない。その心は濁っていない。迷妄を越えている。目ざめた人として諸々のことがらを明らかに見とおす眼をもっている。」

162 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは明知を具えているだろうか? かれの行いは全く清らかであろうか? かれの煩悩の汚れは消滅しているであろうか? かれはもはや再び世に生まれるということがないであろうか?」

163 七岳という神霊は答えた、「かれは明知を具えている。またかれの行いは清らかである。かれのすべての煩悩の汚れは消滅している。かれはもはや再び世に生まれるということがない。」

163a (雪山に住む者という神霊がいった)、「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。明知と行いとを完全に具えているかれを汝が讃嘆するのは、当然である。」

163b 「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。明知と行いとを完全に具えているかれに、そなたが随喜するのは、当然である。」

(´・(ェ)・`)つ
0820名無しを整える。垢版2017/09/23(土) 14:35:09.65ID:4id+OVZk
>>819
お釈迦さん=覚者の心、戒、徳、を夜叉に語らせてるそうであります。
夜叉とは(やしゃ、サンスクリット語:yaka、パーリ語: yakkhaの音写)古代インド神話に登場する鬼神。薬叉(やくしゃ)とも称する。一般にインド神話における鬼神の総称

三毒=克服すべき根本的な三つの煩悩
貪・瞋・癡(とん・じん・ち)= 欲と怒りと無知が問題

この三つのために生命は悩み苦しむ

智慧があれば、この三つをなくすことが出来る。
しかし、この三つをなくす智慧を得ることを妨害するのもこの三つ。
欲が苦しみの原因だと解ったとしても、心は欲を捨てることを嫌う。
欲は智慧の邪魔をする。
その智慧を使って三つを減らすというように前進する。
その方法が瞑想。

(´・(ェ)・`)つ だそうであります。
0821鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/23(土) 21:13:22.07ID:FzzS4L0Y
それを無くすことができるのは観察なのじゃ。
貪欲も怒りも原因から観察すれば消えるのじゃ。
その気付きが叡智なのじゃ。
どんどん実践すると善いのじゃ。
0822名無しを整える。垢版2017/09/24(日) 06:21:13.05ID:CFVD5ua3
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、9、雪山に住む者

164 (七岳という神霊がいった)、「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。さあ、われらは明知と行いとを完全に具えているゴータマに見えよう。」

165 (雪山に住む者という神霊がいった)、「かの聖者は羚羊のような脛があり、痩せ細って、聡明であり、小食で、貪ることなく、森の中で静かに瞑想している、来たれ、われらはゴータマ(ブッダ)に見えよう。

166 諸々の欲望をかえりみることなく、あたかも獅子のように象のように独り行くかれに近づいて、われらは尋ねよう、──死の縛めから解き放たれる道を。」

167 (その二つの神霊がいった)、「説き示す人、説き明かす人、あらゆることがらの究極をきわめ、怨みと恐れを越えた目ざめた人、ゴータマに、われらは問おう。」

168 雪山に住む者という神霊がいった、「何があるとき世界は生起するのですか? 何に対して親しみ愛するのですか? 世間の人々は何ものに執著しており、世間の人々は何ものに悩まされているのですか?」

169 師は答えた、「雪山に住むものよ。六つのものがあるとき世界が生起し、六つのものに対して親しみ愛し、世界は六つのものに執著しており、世界は六つのものに悩まされている。」

170 「それによって世間が悩まされる執著とは何であるか? お尋ねしますが、それからの出離の道を説いてください。どうしたら苦しみから解き放たれるのでしょうか。」

171 「世間には五種の欲望の対象があり、意(の対象)が第六であると説き示されている。それらに対する貪欲を離れたならば、すなわち苦しみから解き放たれる。

172 世間の出離であるこの道が汝らに如実に説き示された。このことを、われは汝らに説き示す、──このようにするならば、苦しみから解き放たれるのである。」

173 「この世において誰が激流を渡るのでしょうか? この世において誰が大海を渡るのでしょうか? 支えなくよるべのない深い海に入って、誰が沈まないのでしょうか?」

174 「常に戒を身にたもち、智慧あり、よく心を統一し、内省し、よく気をつけている人こそが、渡りがたい激流を渡り得る。

175 愛欲の想いを離れ、一切の結び目(束縛)を越え、歓楽による生存を滅しつくした人──、かれは深海のうちに沈むことがない。」

176 (雪山に住む者という神霊がいった)、「深い智慧があり、微妙な意義を見、何ものをも有せず、欲の生存に執著せず、あらゆることがらについて解脱し、天の路を歩みつつあるかの大仙人を見よ。

177 世に名高く、微妙な意義を見、智慧をさずけ、欲望の起る根源に執著せず、一切を知り、よく聡明であり、気高い路を歩みつつあるかの大仙人を見よ。

178 今日われわれは美しい[太陽]を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった。激流をのり越え、煩悩の汚れのなくなった<覚った人>にわれらは見えたからである。

179 これらの千の神霊どもは、神通力あり、誉れたかきものどもであるが、かれらはすべてあなたに帰依します。あなたはわれらの無上の師であります。

180 われらは、村から村へ、山から山へめぐり歩もう、──覚った人をも、真理のすぐれた所以をも礼拝しつつ。」

(´・(ェ)・`)つ
0823名無しを整える。垢版2017/09/24(日) 13:10:59.39ID:CFVD5ua3
>>822
166
二人の夜叉がブッタに最も聞きたかったことは、「死の縛めから解き放たれる道」=死の恐怖を克服する方法。
それを直接訊くのではなく、
生きることについて質問した。
※経典で世間(世界)というところは、生きもの、生命(人間)とした方が解りやすい場合が多いそうであります。
168
「世間は何によつて成り立つて居るのでせうか」、「何があるとき世界は生起するのですか?」と言う意味は「生きているとはどういうことでしょうか?」ということ。
生命(人間)が生きることは何によって成り立っているか?
生命(人間)は何に親しむのか?
生命(人間)は何に執着するのか?
生命(人間)は何によって悩まされるのか?
169
世界(生きること)は六つによって成り立っている」。
六つとは六つの内処(眼・耳・鼻・舌・身・意)と六つの外処(色・声・香・味・触・法)。
→「六内外処に親しむ。」、「六内外処に執着する。」、「六内外処に悩まされる。」
死の恐怖生の克服→生きることについて分析→悩みを整理→悩みの解決方法を質問
170
人間が悩まされる執着とは何か?、どうしたらそれから解放されるか?
171
六種の欲望の対象への執着が人間を悩ます。
六種の欲望の対象に対する貪欲を離れることで、苦しみから解放される。
六種の欲望の対象とは色・声・香・味・触・法。
172
世間の出離。
欲望を満たそうとするのが世間。
ここでは欲望から離れることを述べているので、世間から出離。
↑三つの偈=仏教の核心である四聖。
@苦諦、苦があり、
A集諦、苦の原因が欲望であることが明らかにされ、
B滅諦、欲望から離れることで苦が滅する
C道諦、このようにして苦が滅すること。
一言で「欲望から離れること」と言われても、そんなことが出来るのか?
173
誰が一体この世で激流を渡れるのか?
ここで激流とは欲望のこと
誰がこの世で海を渡れるのか?
ここで海とは死の恐怖(から解放)=死の恐怖を誰が克服できるのか?
174
常に戒を守る人、智慧があって、心を統一させている人、注意を自分の心に向け、心に欲が現れないように守っている人が、渡り難い激流を渡ることが出来る。
175
常に戒を守り、智慧あり、心の統一のある人、気付きのある人は、心に欲が現れないようにすることができる。智慧があれば、欲や苦しみの原因であることをよく理解して、心の統一と気付きある人は、欲の想いから離れることによって、欲が心に現れることを抑えることが出来る。
「一切の束縛を超えた人」とは十結と言われる十の煩悩をすべてなくした人。=阿羅漢十結とは
1.有身見(うしんけん):永遠不滅の真我があると言う誤解
2.疑:迷って確信がないこと
3.戒禁取(かいごんしゅ):無意味な苦行やあらゆる宗教儀式・儀礼
4.貪欲:五欲に執着すること
5.瞋恚(しんに):いらいらして怒ること
6.色貪(しきどん):色界禅定に執着すること
7.無色貪(むしきどん):無色界禅定に執着すること
8.慢:自分と比較すること。自分を重要と思うこと
9.掉挙(じょうこ):落ち着きのないこと
10.無明:真実を知らないこと
179
二人の夜叉の弟子が千人、師匠の夜叉と一緒にブッタに帰依したということだそうであります。

(´・(ェ)・`)つ
0824鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/24(日) 21:29:52.44ID:5pSl8G3B
それらを離れる法が止観なのじゃ。
心を集中させて、六処が観察され尽くせば執着は無くなり、出離も出来るのじゃ。
それが説かれているのじゃ。
0825名無しを整える。垢版2017/09/24(日) 22:12:09.39ID:CFVD5ua3
>>824
今回の部分は、たいへん重要は教え満載でありましたが、日頃の鬼和尚のコメントやブロゲで、すでにより分かりやすく解説していただいているところばかりのようであります。
独学で、お経を習得するのはたいへんなことでありますね。

鬼和尚に感謝であります。
(´・(ェ)・`)つ
0826名無しを整える。垢版2017/09/25(月) 12:41:03.07ID:tdMAKlIy
でおーと名乗る、俺は悟りをひらいたと自称する、施設に収容されている宗教性妄想患者が作成した文章。


>俺は、最近裏工作的に牧師の霊的指導を笑、
>当然そういう風に魅せずにな笑。
>世話になっている坊主に俺は、自分の修行が
>進まんのにクリスチャンの世話ばかりしてい
>ると笑。
>今日は、さっき書いたが、修行マニアの書い
>た本(どちらかというと仏教、神道系など、
>神秘主義修行の内容が多いのに笑)に、世話
>になっている坊主の公案修行、鈴なのど本を
>書いてあるのを読んだ。
>彼は本物だと知っていたが、きちんとした出
>版社に載るようになったとは笑。
0827名無しを整える。垢版2017/09/25(月) 18:59:39.33ID:84IAWBtG
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、10、アーラブァカという神霊

 わたしか聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はア−ラヴィー国のアーラヴァカという神霊(夜叉)の住居に住みたもうた。そのときアーラヴァカ神霊は師のいるところに近づいて、
師にいった、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出てきた。

(また神霊はいった)、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」といって、師は入った。

ふたたびアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出て行った。

(また神霊はいった)、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」といって師は入った。三たびまたアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。よろしい、友よ」といって師は出てきた。

(また神霊はいった)、「道の人よ。入れ」と。「よろしい、友よ」といって師は入った。

四たびまたアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。

(師は答えた)、「では、わたしはもう出て行きません、汝のなすべきことをなさい」と。

 (神霊がいった)、「道の人よ、わたしは汝に質問しよう。もしも汝がわたしに解答できないならば、汝の心を乱し、汝の心臓を裂き、汝の両足をとらえてガンジス河の向こうの岸に投げつけよう。」

(師は答えた)、「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において、道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどものうちで、わが心を乱し、わが心臓を裂き、わか両足をとらえてガンジス河の向こうの岸に投げつけ得るような人を、実にわたしは見出さない。友よ。

 汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け」と。そこでアーラヴァカ神霊は、師に次の詩をもって呼びかけた。──

181 「この世で人間の最高の富は何であるか? いかなる善行が安楽をもたらすのか? 実に味の中での美味は何であるか? どのように生きるのが最上の生活であるというのか?」

(´・(ェ)・`)つ
0828名無しを整える。垢版2017/09/25(月) 21:05:28.37ID:84IAWBtG
>>827
あーらバカは嫌な奴でありますね。
病んでる夜叉でありましょか?

お釈迦さんはそんなあーらバカのことも友と呼び掛ける大人でありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0829鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/25(月) 21:42:29.75ID:BbpPmBg1
>>825 そうじゃ、正しい知識が正しい実践に導くのじゃ。
 正しい法を知れば効果も現れるのじゃ。

>>828 そうかもしれん。
 
0830名無しを整える。垢版2017/09/26(火) 18:36:06.43ID:ai0xs9+Q
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、10、アーラブァカという神霊

182 「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中で美味である。知慧によって生きるのが最高の生活であるという」

183 「ひとはいかにして激流を渡るのであるか? いかにして海を渡るのであるか? いかにして苦しみを越えるのであろうか? いかにして全く清らかとなるのであるか?」

184 「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみを超え、知慧によって全く清らかとなる。」

185 「ひとはいかにして智慧を得るのであろうか? いかにして財を獲るのであるか? いかにして名声を得るのであるか? いかにして交友を結ぶのであるか? どうすれば、この世からかの世に赴いたときに憂いがないのであろうか?」

186 [師いわく、──]「諸々の尊敬さるべき人が安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。

187 適宜に事をなし、忍耐づよく努力する者は財を得る。
誠実をつくして名声を得、
何ものかを与えて交友を結ぶ。

188 信仰あり在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与というこれら四種の徳があれば、かれは来世に至って憂えることがない。

189 もしもこの世に誠実、自制、施与、耐え忍びよりもさらに勝れたものがあるならば、さあ、それら他のものをも広く<道の人>、バラモンどもに問え。」

190 [神霊いわく、──]「いまやわたしは、どうして道の人、バラモンどもに広く問う要がありましょうか。わたしは今日<来世のためになること>を覚り得たのですから。

191 ああ、目ざめた方がア−ラヴィーに住むためにおいでになったのは、実はわたくしのためをはかってのことだったのです。わたしは今日、何に施与すれば大いなる果報が得られるかということを知りました。

192 わたしは、村から村へ、町から町へめぐり歩こう、──覚った人を、また真理のすぐれた所以を、礼拝しつつ。」

(´・(ェ)・`)つ
0831名無しを整える。垢版2017/09/26(火) 20:44:52.26ID:ai0xs9+Q
>>830
182
仏教では信とは理解に基づく確信を言う。盲信ではなく、理解することが必要。

183
1. いかにして、激流を渡るか? 激流とは貪欲を意味する。
2. いかにして、海を渡るか?海とは、生と死、死の恐怖、果てしのなく繰り返してきた輪廻を海と譬えている。
3. いかにして、苦しみを乗り越えるのか?
4. いかにして、汚れた心を清めることが出来るのか?
184
1. 激流を渡るのは、←信。
信が、人間の最高の富とされるのは信によって、激流を渡ることが出来るから。
スッタニパータ(第1章4、77偈、)「信仰が種である」→信を育てて、悟りという実を収穫する。
五根、五力と言う修行法。内容はどちらも同じ、@信、A精進、B念、C定、D智慧信があってこそ、修行が始まる。信は具体的には、三帰依。仏法僧に対する帰依。これがあるので、貪欲の激流という困難を渡ることが出来る。
2. 生死すなわち輪廻の海を渡るのは←不放逸
不放逸とは、気づき(念)を怠らないこと。これにより、煩悩をなくし、輪廻から解脱できる。
3. 苦しみを乗り越える←精進
すなわち、八正道の実践
4. 心の汚れを清めるのは、←智慧

↑五根、五力の内容の内の四つが述べている。「定(集中)」は、念(気付き)の実践により現れるから、特別に述べてなくとも、この偈は五根、五力の修行と考えてもよい。

185
どのようにして1. 智慧を、2.財を、3. 名声を、4.交友を、5. 死ぬ時に悲しまないことを得るのか?
186
どのようにして智慧を得るのか?
四つの事由(因)が必要。
@ 涅槃を得るための阿羅漢の教えを信じること。=八正道の実践で涅槃に到ることを理解すること。
A その教えを聞こうと願うこと。=八正道、意味を詳しく学ぼうと思うこと。
B 不放逸すなわち気付きを怠ることがないこと。=瞑想を繰り返し実践すること。
C 聡明であること。=気持ちをしっかりさせること。

瞑想を繰り返し実践すること。

気持ちをしっかりさせること。

187
どのようにして財(富)をえるか?
適宜に仕事をして、忍耐強く、努力する人は財(富)を得る。最高の富は信→信についても同様。
どのようにして名声を得るか?
真実=誠実によって得る。
どのようにして友好を結ぶか?
何かを与えて友好を結ぶ。プレゼント作戦でありますね。
188
どのようにしたら死後に悲しまないか? 
四つの性質があれば、死後悲しむことがない。真実(誠実)、法、気力、喜捨。

法=ダンマ「法、教法、真理、正義;もの、一切法、諸法の法」意味は文脈に応じて理解。

(´・(ェ)・`)つ
結局、あーらバカ夜叉とくんは、お釈迦さんに質問したいことが山ほどあったのでありますね。
最初は照れ隠しで意地悪してみたのでありましょう。

友好を結ぶ方法は、プレゼントってのは微笑ましいでありますが、お釈迦さん、他に思い付かなかったのでありましょうか?
0832鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/26(火) 22:20:20.38ID:NL5QFmYo
微笑とか優しい言葉も施しなのじゃ。
無財の七施もあるのじゃ。
0833名無しを整える。垢版2017/09/26(火) 23:20:14.20ID:ai0xs9+Q
>>832
なるへそ!へそのごまであります!
(´・(ェ)・`)つ

187
>何ものかを与えて交友を結ぶ。
にも、深い意味があるのでありますね。

「無財の七施」
1. 眼施(がんせ):いつも優しい眼差(まなざし)しで人に接する。
2. 和顔悦色施(わがんえつじきせ):いつも笑顔で接する。
3. 言辞施(ごんじせ):優しい言葉で接する。
4. 身施(しんせ):困った人を見たら助けてあげる。
5. 心施(しんせ):ほかの人のために心を配る。
6. 床座施(しょうざせ):席や場所を譲る。
7. 房舎施(ぼうじゃせ):訪ねてくる人がいれば一宿一飯の施しを行い労をねぎらう。

施しとは、優しい心があれば、誰もが実践することができるのであり、その優しい心こそが、交友を結ぶために重要なのでありますね。
0834名無しを整える。垢版2017/09/27(水) 18:26:46.94ID:EdEr0cyd
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、11、勝利

193 或いは歩み、或いは立ち、或いは坐り、或いは臥し、身を屈め、或いは伸ばす、──これは身体の動作である。

194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。

195 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、

196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。

197 またその九つの孔んらはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、

198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。

199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。

200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。

201 犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。

202 この世において知慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する。なんとなれば、かれはあるがままに見るからである。

203 (かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)と内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。

204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。

205 人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出る。

206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。

(´・(ェ)・`)つ
0835名無しを整える。垢版2017/09/27(水) 21:05:13.41ID:EdEr0cyd
>>834
四段階の悟りのうち、最初の悟りで、克服する三つの煩悩、@有身見、A疑、B戒禁取がある。
有身見は始めの一番手ごわい煩悩。
「私がいる、この身体は私なのだ」という見解は、解脱を目指す修行者にとって、克服すべき始めの難関。
この難関を克服するためには、この身体をよく観察することを勧めた。
肉体について、細かく、丁寧に、ありのままに観察す過程が示されている。

ここで学ぶべきことは、そのような不浄な肉体に執着するのは止めなさいということ。
人々は自分の身体に執着して、身体は一番大切、一番かわいいと思っている。そのように思っている限り、人は身体に拘束、束縛されることになる。そのように思っている限り、心は身体の奴隷になっている。

身体の奴隷とは、五感の奴隷ということ。
五感から心に欲や怒りが生まれる。
五感に快の感覚があれは欲が生まれ、
不快があれば怒りが生まれる。
五感の奴隷とは欲と怒りの奴隷ということ。
身体に執着すると、欲や怒りの煩悩の奴隷になる。
身体をありのままに見ることにより、身体への執着から離れることが出来まる。
そうすると、煩悩の支配から離れることが出来る。
それは煩悩を克服すること。
それがゆえに、この経を「勝利の経」と言うのです。

(´・(ェ)・`)つ
ふむふむ。
0836鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/27(水) 21:45:05.01ID:Nvh4Kwbk
>>833 そうじゃ、慈悲の心が善事の元なのじゃ。
 慈悲によって人は福楽も付き従えるのじゃ。
 
0837名無しを整える。垢版2017/09/28(木) 19:26:50.67ID:bl0JirhM
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、12、聖 者

207 親しみ慣れることから恐れが生じ、家の生活から汚れた塵が生ずる。親しみ慣れることもなく家の生活もないならば、これが実に聖者のさとりである。

208 すでに生じた(煩悩の芽を)断ち切って、新たに植えることなく、現に生ずる(煩悩)を長ぜしめることがないならば、この独り歩む人を<聖者>と名づける。かの大仙人は平安の境地を見たのである。

209 平安の境地、(煩悩の起こる)基礎を考究して、そのたねを弁(わきま)え知って、それを愛執する心を長せしめないならば、かれは、実に生を滅ぼしつくした終極を見る聖者であり、妄想をすてて(迷える者の)部類に赴かない。

210 あらゆる執著の場所を知りおわって、そのいずれをも欲することなく、貪りを離れ、欲のない聖者は、作為によって求めることがない。かれは彼岸に達しているからである。

211 あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく、あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

212 智慧の力あり、戒と誓いをよく守り、心がよく統一し、瞑想(禅定)を楽しみ、落ち着いて気をつけていて、執著から脱して、荒れたところなく、煩悩の汚れのない人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

213 独り歩み、怠ることのない聖者は、非難と賞賛とに心を動かさず、音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、他人を導く人、──諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

214 他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。
215 梭のように真直ぐにみずから安立し、諸々の悪い行為を嫌い、正と不正とをつまびらかに考察している人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

216 自己を制して悪をなさず、若いときでも、中年でも、聖者は自己を制している。かれは他人に悩まされることなく、また何びとをも悩まさない。諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

217 他人から与えられたもので生活し、[容器の]上の部分からの食物、中ほどからの食物、残りの食物を得ても、(食を与えてくれた人を)ほめることなく、またおとしめて罵ることもないならば、諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

218 婬欲の交わりを断ち、いかなるうら若き女人にも心をとどめず、驕りまたは怠りを離れ、束縛から解脱している聖者──かれを諸々の賢者は(真の)<聖者>であると知る。

219 世間をよく理解して、最高の真理を見、激流を超え海をわたったこのような人、束縛を破って、依存することなく、煩悩の汚れのない人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

220 両者は住所も生活も隔たって、等しくない。在家者は妻を養うが、善く誓戒を守る者(出家者)は何ものをもわがものとみなす執著がない。在家者は、他のものの生命を害って、節制することがないが、聖者は自制していて、常に生命ある者を守る。

221 譬えば青頸の孔雀が、空を飛ぶときは、どうしても白鳥の速さに及ばないように、在家者は、世に遠ざかって林の中で瞑想する聖者・修行者に及ばない。

<蛇の章>第一 おわる
まとめの句
 蛇とダニヤと[犀の]角と耕す人と、チュンダと破壊と賤しい人と、慈しみを修めることと雪山に住む者とアーラヴァカと、勝利とまた聖者と、──
 これらの十二の経が「蛇の章」と言われる。
0838鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/28(木) 20:02:13.88ID:5xHpXfIb
この最後に書いてあるのは出家が偉いとか、在家がいかんということではないのじゃ。
悟りを求めて修業するためには出家が有利であると言っているだけなのじゃ。
なにものも持たず修業に専念できる出家が悟りを求めるには有利であるのは当然なのじゃ。
いろいろと世間のしがらみがある在家では修業に不利であるといっているだけなのじゃ。 
0839名無しを整える。垢版2017/09/28(木) 22:16:54.44ID:bl0JirhM
>>838
お釈迦さんの頃の出家は、
死人の着ていた布切れを洗って継ぎはぎしてまとい、野原や洞窟に草を敷いて眠り、食物はこじき行をして得ていたのでありましょうから、
修行に有利とといっても、仏教教団ができたあとの、出家とはわけが違うのでありましょうが、
悟りを求める人は、それくらい本気じゃなくちゃいかんのでありましょうね。
(´・(ェ)・`)つ
0840名無しを整える。垢版2017/09/29(金) 20:44:04.24ID:CMdpx2CA
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、1,宝

222 ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、すべて歓喜せよ。そうしてこころを留めてわが説くところを聞け。

223 それ故に、すべての生きものよ、耳を傾けよ。昼夜に供物をささげる人類に、慈しみを垂れよ。それ故に、なおざりにせず。かれらを守れ。

224 この世または来世におけるいかなる富であろうとも、天界における勝れた宝であろうとも、われらの全き人(如来)に等しいものは存在しない。この勝れた宝は、目ざめた人(仏)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

225 心を統一したサキヤムニは、(煩悩の)消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された、──その理法と等しいものは何も存在しない。このすぐれた宝は理法のうちに存在する。この真理によって幸せであれ。

226 最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。このすぐれた宝は理法(教え)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

227 善人のほめたたえる八輩の人はこれらの四双の人である。かれらは幸せ人(ブッダ)の弟子であり、施与を受けるべきである。かれらに施したならば、大いなる果報をもたらす。
この勝れた宝は<つどい>のうちにある。この真理によって幸せであれ。

228 ゴータマ(ブッダ)の教えにもとずいて、堅固な心をもってよく努力し、欲望がなく、不死に投入して、達すべき境地に達し、代償なくして得て、平安の楽しみを享けている。この勝れた宝<つどい>のうちにある。この真理によって幸せであれ。

229 城門の外に立つ柱が地の中に打ち込まれていると、四方からの風にも揺るがないように、諸々の聖なる真理を観察して見る立派な人は、これに譬えられるべきである、とわれは言う。この勝れた宝<つどい>のうちにある。この真理によって幸せであれ。

230 深い智慧ある人(ブッダ)がみごとに説きたもうた諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々は、たとい大いになおざりに陥ることがあっても、第八の生存を受けることはない。この勝れた宝は<つどい>のうちにある。この真理によって幸せであれ。

(´・(ェ)・`)つ
0841名無しを整える。垢版2017/09/29(金) 20:54:45.95ID:CMdpx2CA
225
ブッダ説いた教え(法)が最高の宝
四聖諦という教え(法)。
1、 生きることは苦である。
2、 苦の原因は渇愛である
3、 苦の原因をなくすことで、苦をなくすことが出来る。
4、 苦をなくす方法。
この教えがあるから、苦をなくすことが出来る。だから、宝。

苦の原因をなくすこと、すなわち渇愛を滅尽して、確かに苦がなくなった体験、実証した境地。それを悟りといい、解脱とも言う。また苦が滅尽した境地、涅槃とも言う。
禅定は、煩悩の滅尽、離貪、不死の境地。

226
滅尽定=涅槃の境地
すべての煩悩をなくしている、ブッダの褒め称える禅定。
すべての煩悩をなくした悟りの禅定。
これを間のない、瞬間の悟りの禅定。
無間定と言われる。
涅槃に到る禅定は最高。最高の宝

227
勝宝である仏陀の弟子たち、サンガを紹介
八輩四双の人々
@ 預流道、
A 預流果
B 一来道
C 一来果
D 不還道
E 不還果
F 阿羅漢道
G 阿羅漢果

228.
生命は、生きること、死ぬことで悩み苦しんでいる。
阿羅漢達は欲から離れ、不死の境地達した。
仏陀の教えに基づいて励めば、不死の境地に達することができることを、。阿羅漢達は実証した。
阿羅漢達はサンガのリーダー。だからサンガも優れた宝。

229
不還果、一来果、預流果も勝宝。人々に幸せをもたらす宝。

「ヤティンダキーロー」とは、インドラ神の柱と言われる城門の前に立てられている標柱。これは地中深く埋めて立てられ、四方から吹くどんな風にも揺らがない。揺らがない物の象徴です。
揺らがない人、「預流果」のこと。仏陀の教えの中心である「四聖諦」を正確に観察して、確信している。この確信があるから揺らがない。彼らは涅槃への道、最高の幸福への道であることを理解している。
四聖諦を学び、実践すれば、揺らがない確信を持てる。迷い悩む多くの人々の中にいて、確信が持てることは幸せの第一歩。

230.
預流果、三種類。
第一種の人は、その人のただ一つの人生だけで、一来果、不還果、阿羅漢になる人。
第二種の人は二回か三回生まれ変わり、そして涅槃に到る人。
第三種の人は七度神(天)と人間に生まれ変わりを繰り返し、最後に苦の終息に到る、すなわち涅槃に到る人。第三種の人は極七返生者とも言います。しかし、何れにせよ、最後は涅槃に到る。
預流果、すなわち涅槃への流れに乗った人。
深淵な智慧で語られた四聖諦は理解するのは難しい。預流果はそれを実践し、真理あることを明らかにした。
四聖諦が揺るがない、不動の確信になっている。
たとえ途中でどんなに怠けることがあっても、七回も人生を繰り返すことがあっても、最後はすべての煩悩を捨て、心を清らかにして涅槃に到る。

(´・(ェ)・`)つ
0842鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/29(金) 22:48:24.86ID:c2GPWfKz
>>839 そうじゃ、世間の全てを捨てて悟りを求める者が出家するのじゃ。
 生きるのに最低限の物しか求めないのじゃ。
 悟る以外の道を無くすのが真の出家なのじゃ。
0843名無しを整える。垢版2017/09/30(土) 08:40:29.17ID:IaxjyR4H
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、1,宝

231 [T]自身を実在とみなす見解と[U]疑いと[V]外面的な戒律・誓いという三つのことがらが少しでも存在するならば、かれが知見を成就するとともに、それらは捨てられてしまう。
かれは四つの悪い場所から離れ、また六つの重罪をつくるものとはなり得ない。このすぐれた宝が<つどい>のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

232 またかれが身体によって、ことばによって、またはこころの中で、たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、かれはそれを隠すことができない。
隠すことができないということを、究極の境地を見た人は説きたもうた。このすぐれた宝が<つどい>のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

233 夏の月の初めの暑さに林の茂みでは枝が花を咲かせたように、それに譬うべき、安らぎに赴く妙なる教えを(目ざめた人、ブッダが)説きたもうた、──ためになる最高のことがらのために。
このすぐれた宝が目ざめた人(ブッダ)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

234 勝れたものを知り、勝れたものを与え、勝れたものをもたらす勝れた無上の人が、妙なる教えを説きたもうた。このすぐれた宝が<目ざめた人>(ブッダ)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

235 古い(業)はすでに尽き、新しい(業)はもはや生じない。その心は未来に執著することなく、種子をほろぼし、それが生長する事を欲しないそれらの賢者は、灯火のように滅びる。このすぐれた宝が(つどい)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

236 われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間のつかえるこのように完成した<目ざめた人>(ブッダ)を礼拝しょう。幸せであれ。

237 われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように完成した<教え>を礼拝しよう。幸せであれ。

238 われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように完成した<つどい>を礼拝しよう。幸せであれ。

(´・(ェ)・`)つ
0844名無しを整える。垢版2017/09/30(土) 10:03:47.42ID:IaxjyR4H
>>843
231
知見を成就=四聖諦が真理であるという確信=預流果は以下三つの煩悩がなくなる。
第一、有身見。実体として変わらない私がいるという見解。自我意識。
第二、疑。四聖諦や因果法則などの仏説に対する疑い。
第三、戒禁取(カイゴンシュ)。無意味な苦行や宗教儀式・儀礼は解脱に到らない道だとわかること。
四悪趣
@地獄:楽のない苦しみのみの世界。
A畜生:人間以外の動物の世界。
B餓鬼:飢えと渇きの楽のない世界。
C阿修羅:楽のない怖れおののく生命の世界。
六重罪
@母親を殺すこと。
A父親を殺すこと。
B阿羅漢を殺すこと。
C仏陀を傷つけること
Dサンガを分裂させること。
E他の宗教を信じること。

235
阿羅漢に達した弟子たちについて

236〜
神々の王である帝釈天が述べたこと。
0845鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/09/30(土) 22:36:13.32ID:DYxBGjRo
教えを受けられる環境に生まれるだけでもラッキーじゃ。
真理を受け入れられる心境でいたことも大いなる幸運なのじゃ。
この幸運を生かして今実践に励むのじゃ。
0846名無しを整える。垢版2017/09/30(土) 23:17:04.73ID:IaxjyR4H
>>845
まったくその通りであります。
超ラッキー!
大当りくまであります。
(´・(ェ)・`)つ
常に今あるを念じ、思考、感情、感覚を観察し続けられるように、精進するであります。
0847名無しを整える。垢版2017/10/01(日) 09:21:18.42ID:WBrv/1A9
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、2、なまぐさ

239 稷(キビ)・ディングラカ・チーナカ豆・野菜・球根・蔓の実を善き人々から正しいしかたで得て食べながら、欲を貪らず、偽りを語らない。

240 よく炊がれ、よく調理されて、他人から与えられた純粋で美味な米飯の食物を舌鼓うって食べる人は、なまぐさを食うのである。カッサパよ。

241 梵天の親族(バラモン)であるあなたは、おいしく料理された鳥肉とともに米飯を味わって食べながら、しかも<わたしはなまぐさものを許さない>と称している。
カッサパよ、わたしはあなたにこの意味を尋ねます。あなたの言う<なまぐさ>とはどんなものですか。」

242 「生物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと、邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること、──これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。

243 この世において欲望を制することなく、美味を貪り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ、虚無論をいだき、不正の行いをなし、頑迷な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

244 粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性で、なんびとにも与えない人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

245 怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、極端の傲慢、不良の徒と交わること、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

246 この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し、密告をし、法廷で偽証し、正義を装い、邪悪を犯す最も劣等な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

247 この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえってかれらを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

248 これら(生けるものども)に対して貪り求め、敵対して殺し、常に(害を)なすことにつとめる人々は、死んでからは暗黒に入り、頭を逆さまにして地獄に落ちる、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

249 魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも、粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供につとめることも、
あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。

250 通路(六つの機官)をまもり、機官にうち勝って行動せよ。理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ、執著を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は、見聞きしたことに汚されない。」

251 以上のことがらを尊き師(ブッダ)はくりかえし説きたもうた。ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)はそれを知った。なまぐさを離れて、何ものにもこだわることのない、跡を追いがたい聖者(ブッダ)は、種々の詩句を以てそれを説きたもうた。

252 目ざめた人(ブッダ)のみごとに説きたもうた──なまぐさを離れ一切の苦しみを除き去る──ことばを聞いて、(そのバラモンは、)謙虚なこころで、全き人(ブッダ)を礼拝し、即座に出家することをねがった。

(´・(ェ)・`)つ
0849名無しを整える。垢版2017/10/01(日) 11:31:22.80ID:WBrv/1A9
>>847
過去世にカッサパ仏がティッサという苦行者に教えたこと。
始めの3偈(239〜241)ティッサの言葉
中間の9偈(242〜250)カッサパ仏の言葉
最後の2偈(251〜252)は経の編集者の言葉
242.
殺すこと、盗むこと、嘘つくこと、他人の妻に親しむことなど=なすべきことでないこと=悪いこと。
243
心の内面に注目
欲望に対して抑制のない人
美味しいものを求めて貪っている人
その味を貪るために、『種々の間違った生活(邪命)』と呼ばれる不浄な状態と混じりあっている人
は、生臭である。

「虚無論をいだき、」=何であれ存在しないという見解(断見論)とは、
十項目の邪見。
@布施はない、A献供はない、B祭祀はない、C善作・悪作の諸業の果報はない、D此世はない、E他世はない、F母はいない、G父はいない、H化生・有情いない、I沙門・阿羅漢はいない。
これらはブッダが一番批判した邪見。

「頑迷な人々、」とは、現世に執着し、こだわり、真理を悟り難いこと。頑固な人、教え難い人は確かにいて、そのような人は成長は困難。

これらの人々が生臭である。
249
戒禁取(カイゴンシュ)と疑(ギ)という煩悩があれば、生臭は浄化されない。
苦行や無意味な儀礼・儀式が戒禁取。
疑は、生臭の原因を理解してないこと、拡大して理解すれば因果法則を理解せず、それに対す疑いを持っていること。
250
通路(六つの機官)とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つ感覚器官。
そこから外部からの刺激が心に入ってくる。
快い刺激が入ると欲が生まれ。不快な刺激が入ると、嫌だという怒りが生まれてくる。
快でも不快でもない刺激が入ると無関心あるいは無知が生まれる。
欲や怒りや無知は心の汚れ。
心が汚れないようにすること、生臭にならないようにするためには、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つ感覚器官に入ってくる外部刺激に気づき、心が欲や怒りや無知にならないように守ることが大切。
心に入る外部刺激に気づかないと自動的に心は欲怒り無知に汚れますが、この感覚器官に入ってくる外部刺激に気づくことができると、感覚の流れをストップできる。
そうすれば心は汚れず、浄化されていく。
この感覚の流れから、自分がいるという想い(妄想)も生まれる。
この想い(妄想)が自我です。心の流れから心を守ることによって自我がなくなってくる。
私がいるという誤解=有身見。
戒禁取、疑、有身見という三つの煩悩がなくなった方を、預流果という。
「理法のうちに安立し」は預流果。この法とは四聖諦。
「まっすぐで柔和なことを楽しみ」は一来果。一来果は心を硬直した状態にする貪り・憎しみが極めて薄い。
「執著を去り」は不還果。不還果は貪り・憎しみの執着を超えている。
「あらゆる苦しみを捨てた」は阿羅漢。すべての苦しみを捨てた方はすべての煩悩を捨て、最高の清浄を得ている。

251
経典結集の編集者によって述べられたもの。
生臭とは肉食をすることではなく、生きものを殺すような慈悲の心ないことを言うのである。また、生臭とは貪り、憎しみ、無知などの煩悩があることであると「ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)」に、彼が解るまで繰り返し説明した

「ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)」とは、始めにブッダに「生臭とはなにか?」と質問した苦行者ティッサです。

252
謙虚なこころで、無知の自覚がなければ、無知は克服できない。

(´・(ェ)・`)つ
0850鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/10/01(日) 21:48:39.25ID:ckevCj1Q
そうじゃ、肉を食べることではなく、悪しき行いこそ避けるべきなのじゃ。
行ないによってのみ人は悪しき者となり、善き者ともなるのじゃ。
 
0851名無しを整える。垢版2017/10/01(日) 22:32:51.72ID:WBrv/1A9
そうでありますね。行いがすべてでありますね。
全ての生類の幸福を願う行いをすればよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0852名無しを整える。垢版2017/10/02(月) 18:29:49.91ID:HAxpuRsc
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、3,恥

253 恥じることを忘れ、また嫌って、「われは(汝の)友である」と言いながら、しかも為し得る仕事を引き受けない人、──かれを「この人は(わが)友に非ず」と知るべきである。

254 諸々の友人に対して、実行がともなわないのに、ことばだけ気に入ることを言う人は、「言うだけで実行しない人」であると、賢者たちは知りぬいている。

255 つねに注意して友誼の破れることを懸念して(甘いことを言い)、ただ友の欠点のみ見る人は、友ではない。子が母の胸にたよるように、その人によっても、他人のためにその間を裂かれることのない人こそ、友である。

256 成果を望む人は、人間に相応した重荷を背負い、喜びを生じる境地と賞讃を博する楽しみを修める。

257 遠ざかり離れる味と平安となる味とを味わって、法の喜びの味を味わっている人は、苦悩わ離れ、悪を離れている。


第2 小なる章、4、こよなき幸せ

 わたたしが聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林、<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころジェータ林を隈なく照らして、師のもとに近づいた。
そうして師に礼して傍らに立った。そうしてその神は、師に詩を以て呼びかけた。

258 「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。最上の幸福を説いて下さい。」

259 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、──これがこよなき幸せである。

260 適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起こしていること、──これがこよなき幸せである。

261 深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、──これがこよなき幸せである。

262 父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、──これがこよなき幸せである。

263 施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、──これがこよなき幸せである。

264 悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、──これがこよなき幸せである。

265 尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、──これがこよなき幸せである。

266 耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の(道の人)に会うこと、適当な時に理法について聞くこと──これがこよなき幸せである。

267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、──これがこよなき幸せである。

268 世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、──これがこよなき幸せである。

269 これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。──これがこよなき幸せである。

(´・(ェ)・`)つ
0853名無しを整える。垢版2017/10/02(月) 20:04:10.32ID:HAxpuRsc
>>852
256

今回の偈の主語は、成果を望む人。
(本来修行の成果を期待しながら、修行することは間違いであるが、初心の人にはそれは理解できないことなので、ブッダはそのように期待している人に分かるように教えている。)

先ず、「喜びを作る基を修習する」ことを教えている。
基とは、精進。精進こそが法に伴う喜悦をもたらす。
そのために七覚支でも、精進覚支の次に喜覚支が来る。

次は「賞讃をもたらす安楽を修習する」ことを教えてる。
賞讃をもたらす安楽とは、始めは天界の神々の楽や人間の楽であるが、最後は涅槃の楽を成就することを指導。
これも精進。
これを「人間としての重荷を運びながら」重荷を背負って生活しながら正しい精進努力をしなさいと教えている。

257
「遠ざかり離れる味」遠離とは、外からみた場合の意味は、人々から離れて一人でいるということ。
本当の意味は内面的なもので、あれこれと心の外のことに関わりを持たないこと。

そのため、あれこれの束縛がない。
回りの事柄に依存してなく、自由であるということ。
本質的には煩悩から離れているということ。
一人でいなくとも、人々の中に居ても遠離ということはあり得る。
「遠離の味」とは束縛のない、自由な、煩悩から離れることから生じる喜び。

「平安となる味」とは、煩悩をなくすことで生じた涅槃の境地。涅槃の味。甘露などとも呼ばれる聖なる法から離れない最高の喜びだと言われる。

(´・(ェ)・`)つ
0854鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/10/02(月) 22:23:50.65ID:2hnWypc/
友達といいながら実はためにならない敵のような友達はよくいるものじゃ。
そのような者からは離れたほうがよいのじゃ。
0855名無しを整える。垢版2017/10/03(火) 18:20:53.82ID:ulH9h7HB
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、5、スーチローマ

 わたしが聞いたところによると、──或るとき尊き師(ブッダ)はガヤー(村)のタンキク石床におけるスーチローマという神霊(夜叉)の住居におられた。
そのときカラという神霊とスーチローマという神霊に言った、「かれは<道の人>である」と。(スーチローマという神霊は言った)、
かれは真の<道の人>であるか、或いは似而非の<道の人>であるかを、わたしが知らないうちは、かれは真の<道の人>ではなくて、似而非の<道の人>である。」

 そこでスーチローマという神霊は、師のもとに至り、そうして身を師に近づけた。ところが師は身を退けた。そこでスーチローマという神霊は師にいった、「<道の人>よ。汝はわたしを恐れるのか。」
(師いわく)、「友よ。わたしは汝を恐れているのではない。しかし汝に触れることは悪いのだ。」
(スーチローマという神霊はいった)、「<道の人>よ。わたしは汝に質問しよう。もしも汝がわたしに解答しないならば、汝の心を乱し、汝の心臓を裂き、汝の両足をとらえてガンジス河の向こう岸に投げつけよう。」

 (師は答えた)、「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において、道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどものうちで、わが心を乱し、わが心臓を裂き、わが両足をとらえてガンジス河の向こう岸に投げつけ得るような人を、実にわたしは見ない。
友よる汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け。」

 そこでスーチローマという神霊は、次の詩を以て、師に呼びかけた。──

270 貪欲と嫌悪とはいかなる原因から生じるのであるか。好きと嫌いと身の毛もよだつこと(戦慄)とはどこから生ずるのであるか。諸々の妄想はどこから起こって、心を投げうつのであるか?──あたかもこどもらが鳥ほ投げて棄てるように。

271 貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好きと嫌いと身の毛もよだつこととは、自身から生ずる。諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ、──あたかもこどもらが鳥ほ投げて棄てるように。

272 それらは愛執から起こり、自身から現われる。あたかもバニヤンの新しい若木が枝から生ずるようなものである。それらが、ひろく諸々の執著していることは、譬えば、つる草が林の中にはびこっているようなものである。

273 神霊よ、聞け。それらの煩悩がいかなる原因にもとずいて起こるかを知る人々は、煩悩を除きさる。かれらは、渡りがたく、未だかって渡った人のいないこの激流を渡り、もはや再び生存をうけることがない。
(´・(ェ)・`)つ
0856名無しを整える。垢版2017/10/03(火) 20:43:29.86ID:ulH9h7HB
271
仏教では、欲望が苦しみの原因であると言っている。苦しみをなくすためには、原因をなくさなければならない。
だから、欲望はどこから生じるかを考えるのは重要。

同様に、怒りはどこから生じるかを考えることは重要。
怒りは毒。毒は生命にとって危険なもの。その危険を取り除くためには、怒りが何処から生じるかを知らなければならない。

嫌いと好きも感覚から生じる。感覚が不快なとき嫌いが現れ、快の時好きが現れる。

欲と怒りも感覚から生じる。不快な時、心に怒りが現れ、快の時、欲が現れる。
感覚はどこから現れるのか?

恐怖はどこから現れるのか?
無知から。生命は弱く、危険なものに取り囲まれている。
生命は知っている者に対しては安心できるが、知らないものに対しては安心できない。
安心できないと怖い。つまり恐怖は無知から生じる。
無知はどこから現れるのか?
快でも不快でもないという、無関心という感覚から。
欲や怒りも無知の現れだから、欲や怒りからも恐怖が生じる。
例えば、不必要なものでも、大切に思っているものがなくなるのは怖いのです。
「妄想はどこから生じて、心を混乱させるのか?」
思考、妄想はは感覚から生じる。感覚から生じた妄想が、心を投げ捨てるが直訳。
それは心を混乱させること。
心が混乱すれば生命は幸せではない。

これらすべては感覚から生じる。
感覚はどこから現れるのか?
「自身から生じる」言葉で表すと「これ」としか言いようのないものら。(本来は「自身」というものはないので、自身とは言えない)

272
欲や怒りや好き嫌いや恐怖など(煩悩)は、ここから生じる。
それだけでは理解できないので、「ここ」を説明。

「ここ」とは愛執=渇愛。「ここ」とは自分。自分はないのだが、説明するためにはやむを得ない。
諸々の煩悩が自分の中の愛執(渇愛)から生じる。
それはつる草のようにいろいろな欲望にからみついている。

つる草は欲や怒りや好き嫌いや恐怖など(煩悩)。それは自分の愛執(渇愛)が伸びて諸々の欲望にからみついたもの。

273
欲と怒りはどこから生じるのか?
好きと嫌いと恐怖はどこから生じるのか?
妄想はどこから生じて、心を混乱させるのか?

欲や怒り、好き嫌い恐怖、いろいろな妄想で心が混乱していた。その問題を解決するためには原因を知る必要があると思っていた。

凡夫にとっては、問題の解決のための原因は自分の外に求める。問題が自分の中にあるという発想がない。問題の原因が自分自身にあること、自分の中の愛執(渇愛)にあることを教えてもらった。

原因が分かれば、その原因をとり除くことにより、問題が解決することを教えてもらった。
具体的には愛執(渇愛)を取り除けばよい。
そうすれば、激流のような煩悩を乗り越え、輪廻を繰り返す原因である煩悩のない生命は輪廻を終了する。

(´・(ェ)・`)つ
0857鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/10/03(火) 20:59:12.40ID:mPQ15krO
自分があるという無明から欲も執着も起こるのじゃ。
自分があるということが妄想と気付けばそれらもなくなるのじゃ。
0858名無しを整える。垢版2017/10/04(水) 20:12:22.17ID:Gqe/AGxn
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、6、理法にかなった行い

274 理法にかなった行い、清らかな行い、これが最上の宝であると言う。たとい在家から出て家なきに入り、出家の身となったとしても、

275 もしもかれが荒々しいことばを語り、他人を苦しめ悩ますことを好み、獣(のごとく)であるならば、その人の生活はさらに悪いものとなり、自分の塵汚れを増す。

276 争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。

277 かれは無明に誘われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、煩悩が地獄に赴く道であることを知らない。

278 実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれかわり、暗黒から暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。

279 あたかも糞坑が年をへると糞に充満したようなものであろう。不潔な人は、実に清めることがむずかしい。

280 修行僧らよ。このような出家修行僧を、実は、<家にたよっている人、邪まな欲望あり、邪まな思いあり、邪まな行いをなし、悪いところにいる人>であると知れ。

281 汝らはすべて一致協力して、かれを斥けよ。籾殻を吹き払え。屑を取り除け。

282 次いで、実は<道の人>であると思いなしている籾殻どもを除き去れ。──悪を欲し、悪い行いをなし、悪いところにいるかれらを吹き払って。

283 みずからは清き者となり、互いに思いやりをもって、清らかな人々と共に住むようにせよ。そこで、聡明な者どもが、ともに仲よくして、苦悩を終滅せしめるであろう

(´・(ェ)・`)つ
くまは、今まで読んだ経の中で、これが一番好みであります。
0859鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/10/04(水) 20:56:53.79ID:baMWzYYj
そうじゃ、愚かな者と道連れになってはいかんのじゃ。
賢い者を道連れにして励むのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
0860名無しを整える。垢版2017/10/04(水) 21:35:15.01ID:Gqe/AGxn
>>859
愚かなくまであることを自覚しつつ、精進するであります。
(´・(ェ)・`)つ
0861名無しを整える。垢版2017/10/05(木) 18:36:49.84ID:saNPEHcg
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、7、バラモンにふさわしいこと

 わたしが聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林、<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。そのときコーサラ国に住む、多くの、大富豪であるバラモンたち
──かれらは老いて、年長け、老いぼれて、年を重ね、老齢に達していたが──は師のおられるところに近づいた。そうして師と会釈した。喜ばしい思い出に関する挨拶のことばを交わしたのち、かれらは傍らに坐した。

 そこで大富豪であるバラモンたちは師に言った、「ゴータマ(ブッダ)さま。そもそも今のバラモンは昔のバラモンたちの守っていたバラモンの定めにしたがっているでしょうか?」
[師は答えた]、「バラモンたちよ。今のバラモンたちは昔のバラモンたちの守ったバラモンの法に従ってはいない。」「では、ゴータマさそは、昔のバラモンたちの守ったバラモンの法をわれらに話してください。──もしもゴータマさまにお差支えがなければ。」
「では、バラモンたちよ、お聞きなさい、よく注意なさい。わたしは話してあげましょう。」「どうぞ」と、大富豪であるバラモンたちは、師に答えた。

 師は次のことを告げた。──

284 昔の仙人たちは自己をつつしむ苦行者であった。かれは五種の欲望の対象をすてて、自己の(真実の)理想を行った。

285 バラモンたちには家畜もなかったし、黄金もなかったし、穀物もなかった。しかしかれらはヴェーダ読誦を財産ともなし、穀物ともなし、ブラフマンを倉として守っていた。

286 かれらのために調理せられ家の戸口に置かれた食物、すなわち信仰心をこめて調理せられた食物、を求める(バラモンたち)に与えようと、かれら(信徒)は考えていた。

287 豊かに栄えていた地方や国々の人々は、種々に美しく染めた衣服や臥床や住居をささげて、バラモンたちに敬礼した。

288 バラモンたちは法によって守られていたので、かれらを殺してはならず、うち勝ってもならなかった。かれらがかれらが家々の戸口に立つのを、なんびとも決して妨げなかった。

289 かれら昔のバラモンたちは四十八年間、童貞の清浄行を行った。知と行とを求めていたのであった。

290 バラモンたちは他の(カーストの)女を娶らなかった。かれらはまたその妻を買うこともなかった。ただ相愛して同棲し、相和合して楽しんでいたのであった。

291 (同棲して楽しんだのではあるけども)、バラモンたちは、(妻に近づき得る)時を除いて月経のために遠ざかったときは、その間は決して婬欲の交わりを行わなかった。

292 かれらは、不婬の行と戒律と正直と温順と苦行と柔和と不傷害と耐え忍びとをほめたたえた。

293 かれらのうちで勇猛堅固であった最上のバラモンは、実に婬欲の交わりを夢に見ることさえもなかった。

294 この世における聡明な性の或る人々は、かれの行いにならいつつ、不婬と戒律と耐え忍びとをほめたたえた。

295 米と玩具と衣服とバターと油とを乞い、法に従って集め、それによって祭祀をととのえ行った。かれらは、祭祀を行うときにも、決して牛を殺さなかった。

296 母や父や兄弟や、また他の親族のように、牛はわれらの最上の友である。牛からは薬が生ずる。

297 それから(牛から生じた薬)は食料となり、気力を与え、皮膚に光沢を与え、また楽しませてくれる。(牛に)このような利益のあることを知って、かれらは決して牛を殺さなかった。

298 バラモンたちは、手足が優美で、身体が大きく、容色端麗で、名声あり、自分のつとめに従って、為すべきことを為し、為してはならぬことは為さないということに熱心に努力した。かれらが世の中にいた間は、この世の人々は栄えて幸福であった。


ここまで、昔の立派なバラモン。
(´・(ェ)・`)つ
0862鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/10/05(木) 20:50:28.92ID:u3IK5zw7
そうじゃ、愛があれば結婚もOKなのじゃ。
 そして実践に励むのじゃ。
0863名無しを整える。垢版2017/10/06(金) 08:48:50.05ID:0JXtkOCa
鬼和尚さま 世の人はなぜに人の噂話が好きなんでしょうか?  もう人が信用できない うんざり。
0864名無しを整える。垢版2017/10/06(金) 13:22:08.28ID:nlO9FFfa
>>863
いや、その鬼和尚自体が悟りだの僧侶だの騙る紛い物なんだがwww
0867鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/10/06(金) 21:54:50.01ID:U8lc9kQt
>>863 他人を見て自分が失敗しないようにしようと思うからなのじゃ。
 しかし他人を見ても自分は自分で失敗したりするのじゃ。
 自分のしたこととしなかったことだけをみて進むのじゃ。
 そうすれば失敗はしないのじゃ。
0868名無しを整える。垢版2017/10/06(金) 23:54:15.59ID:u7PcuXUo
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、7、バラモンにふさわしいこと

299 しかるにかれらに誤つた見解が起こった。次第に王者の栄華と化粧盛装した女人を見るにしたがって、

300 また駿馬に牽かせた立派な車、美しく彩られた縫物、種々に区画され部分ごとにほど良くつくられた邸宅や住居を見て、

301 バラモンたちは、牛の群が栄え、美女の群を擁するすばらしい人間の享楽を得たいと熱望した。

302 そこでかれはヴェーダの呪文を編纂して、かの甘蔗王のもとに赴いていった、「あなたは財宝も穀物も豊かである。祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い。」

303 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて、──馬の祀り、人間の祀り、擲棒の祀り、ヴァージャペッヤの祀り、誰にでも供養する祀り、──これらの祀りを行なって、バラモンたちに財を与えた。

304 牛、臥具、衣服、盛装化粧した女人、またよく造られた駿馬に牽かせる車、美しく彩られた縫物──、

305 部分ごとによく区画されている美事な邸宅に種々の穀物をみたして、(これらの)財をバラモンたちに与えた。

306 そこでかれらは財を得たのであるが、さらにそれを蓄積することを願った。かれらは欲に溺れて、さらに欲念が増長した。そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂して、再び甘蔗王に近づいた。

307 「水と地と黄金と財と穀物とが生命あるひとびとの用具であるように、牛は人々の用具である。祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い。」

308 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて、幾百千の多くの牛を犠牲のために屠らせた。

309 牛は、脚を以ても、何によっても決して(他のものを)害うことがなくて、羊に等しく柔和で、瓶をみたすほど乳を搾らせてくれる。しかるに王は、角をとらえて、刃を以てこれを屠らせた。

310 刃が牛におちるや、そのとき神々と祖霊と帝釈天と阿修羅と羅刹たちは、「不法なことだ!」と叫んだ。

311 昔は、欲と飢えと老いという三つの病いがあっただけであった。ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので、九十八種の病いが起った。

312 このように(殺害の)武器を不法に下すということは、昔から行われて、今に伝わったという。何ら害のない(牛が)殺される。祭祀わ行う人は理法に背いているのである。

313 このように昔からのこのつまらぬ風俗は、識者の非難するものである。人はこのようなことを見るごとに、祭祀実行者を非難する。

314 このように法が廃れたときに、隷民(シュードラ)と庶民(ヴァイシヤ)との両者が分裂し、また諸々の王族がひろく分裂して仲たがいし、妻はその夫を蔑むようになった。

315 王族も、梵天の親族(バラモン)も、並びに種姓(の制度)によって守られている他の人々も、生れる誇る論議を捨てて、欲望に支配される至った、と。

 このように説かれたときに、大富豪であるバラモンたちは、師にいった、「すばらしいことです! ゴータマ(ブッダ)さま。すばらしいことです!
 ゴータマさま。あたかも倒れた者を起こすように、覆われているものを開くように、方向に迷った者を示すように、あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで理法を明らかにされた。
ここで、われらはゴータマさまに帰依したてまつる。また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。ゴータマさまは、われわれを在俗信者として、受け入れてください。今日から命の続く限り帰依いたします。」

↑315までが、偽者のバラモンの話しのようであります。
気付きさえすれば、道は開けるのでありましょう。気付けることは、ありがたいことであります。
(´・(ェ)・`)つ
0869名無しを整える。垢版2017/10/07(土) 14:48:35.60ID:rEvloaGe
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、8、船

316 ひとがもしも他人から習って理解を知るならば、あたかも神々がインドラ神(帝釈天)を敬うがごとくになすべきである。学識の深いその(師)は、尊敬されれば、その人に対して心からよろこんで、真理を顕示する。

317 思慮ある人は、そのことを理解し傾聴して、理法にしたがった教えを順次に実践し、このような人に親しんで怠ることがないならば、識者・弁え知る者・聡明なる者となる。


318 未だことがらを理解せず、嫉妬心のある、くだらぬ人・愚者に親しみつかえるならば、ここで真理(理法)を弁え知ることなく、疑いを超えないで、死に至る。

319 あたかも人が水かさが多く流れの疾い河に入ったならば、かれは流れにはこばれ、流れに沿って過ぎ去るようなものである。かれはどうして他人を渡すことができるであろうか。

320 それと同じく、真理(理法)を弁え知らず、学識の深い人にことがらの意義を聞かないならば、みずから知らず、疑いを超えていない人が、どうして他人の心を動かすことができるであろうか。

321 堅牢な船に乗って、橈と舵とを具えているならば、操縦法を知った巧みな経験者は、他の多くの人々をそれに乗せて渡すように、

322 それと同じく、ヴェーダ(真理の知識)に通じ、自己を修養し、多く学び、動揺しない(師)は、実に(みずから)知っているで、傾聴し侍坐しようという気持をお越した他の人々の心を動かす。

323 それ故に、実に聡明にして学識の深い立派な人に親しめ。ものごとを知って実践しつつ、真理を理解した人は、安楽を得るであろう。

(´・(ェ)・`)つ


322
(心が)動揺しないとは、八つの世間法(@ 利、A 不利、B 名誉、C 不名誉、D 非難、E 称賛、F 楽、G 苦。)に対して、心が舞い上がったり、落ち込んだりしないこと。
0870鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/10/07(土) 22:19:17.31ID:oTZ/IAD9
そうじゃ、自ら学び、実践しようとする者を仏陀は助けるじゃろう。
真摯に学び実践あるのみなのじゃ。
0871名無しを整える。垢版2017/10/08(日) 10:34:40.75ID:SkLRk5DL
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、9、いかなる戒めを

324 いかなる戒めをまもり、いかなる行いをなし、いかなる行為を増大せしめるならば、人は正しく安立し、また最上の目的を達し得るのであろうか。

325 長上を敬い、嫉むな。諸々の師に見えるのに適当な時を知り、法に関する話しを聞くのに正しい時機を知れ。みごとに説かれたことを謹んで聞け。

326 強情をなくし謙虚な態度で、時に応じて師のもとに行け。ものごとと真理と自制と清らかな行いとを心に憶い、かつ実行せよ。

327 真理を楽しみ、真理を喜び、真理に安住し、真理の定めを知り、真理をそこなうことばを口にするな。みごとに説かれた真実にもとずいて暮らせ。

328 笑い、だじゃれ、悲泣、嫌悪、いつわり、詐欺、貪欲、高慢、激昂、粗暴なことば、汚濁、耽溺をすてて、驕りを除去し、しっかりとした態度で行え。

329 みごとに説かれたことばは、聞いてそれを理解すれば、精となる。聞きかつ知ったことは、精神の安定を修すると、精になる。人が性急であってふらついているならば、かれには知慧も学識も増大することがない。

330 聖者の説きたもうた真理を喜んでいる人々は、ことばでも、こころでも、行いでも、最上である。かれらは平安と柔和と瞑想とのうちに安立し、学識と智慧との真髄に達したのである。

ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、10、精励

331 起てよ、座れ。眠って汝らに何の益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。

333 神々も人間も、ものを欲しがり、執著にとらわれている。この執著を超えよ。わずかの時を空しく過ごすことなかれ。時を空しく過ごしたひとは地獄に堕ちて悲しむからである。

334 怠りは塵垢である。怠りによって塵垢がつもる。つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。

ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、11、ラーフラ

335 [師(ブッダ)がいった]、ラーフラよ。しばしばともに住むのに慣れて、お前は賢者を軽蔑するのではないか? 諸人のために炬火をかざす人を、汝は尊敬しているか?」

336 (ラーフラは答えた)、「しばしばともに住むのに慣れて賢者を軽蔑するようなことを、わたくしは致しません。諸人のために炬火をかざす人を、わたくしは常に尊敬しています。」

以上、序の詩

337 「愛すべく喜ばしい五欲の対象をすてて、信仰心によって家から出て、苦しみを終滅せしめる者であれ。

338 善い友だちと交われ。人里はなれ奥まった騒音の少ないところに坐臥せよ。飲食に量を知る者であれ。

339 衣服と、施された食物と、(病人のための)物品と坐臥の所、──これらのものに対して欲を起こしてはならない。再び世にもどってくるな。

340 戒律の規定を奉じて、五つの五官を制し、そなたの身体を観ぜよ(身体について心を専注せよ)。切に世を厭い嫌う者となれ。

341 愛欲があれば(汚いものでも)清らかに見える。その(美麗な)外形を避けよ。(身は)不浄であると心に観じて、心をしずかに統一せよ。

342 無相のおもいを修せよ。心にひそむ傲慢をすてよ。そうすれば汝は傲慢をほろぼして、心静まったものとして日を送るであろう。」

 実に尊き師(ブッダ)はこのようにラーフラさんにこれらの詩を以て繰返し教えられた。

(´・(ェ)・`)つ
0872名無しを整える。垢版2017/10/08(日) 13:57:10.53ID:SkLRk5DL
>>871
324
「最高の目的」(阿羅漢の境地)に達するためには、何が戒めであると考えればよいか。
325
1)「年長者を敬い、嫉妬しないように
326
2)強情な心を捨てて、素直な気持ちで謙虚でいること
327
3)「真理を楽しみ、真理を喜び」
真理はいつでもどこでも貫徹されている。真理は今にある。
「真理」という言葉の代わりに「今」という言葉に変えてみる。
今を楽しみ、今を喜び、
今に安住し、今の定めを知り、
今をそこなうことばを口にするな。
みごとに説かれた今にもとづいて暮らせ。

今がどんなに逆境であろうとも、その今に不平不満を持たずに、その今をそのまま受け止めれば、今が教えてくれる。
真理は今にあるから、この今を受け入れ楽しんで、今為すべきことを今為すべきだと考えればわかりやすい。
328
「だじゃれ」=「つぶやき」
4)小さい煩悩でも、小さくない煩悩も、自己の意志を強くして、注意深くなくしていく。

329
精となる。=真髄とします。

5)説かれた言葉をよく理解して、それを実践して禅定に入るべきであるということ。
八正道でも正定が最後に置かれ実践の目標という意味がある。七覚支の六番目は定覚支であり、仏道修行における禅定は最終目標に対する中間目標という意味がある

330
「何が戒か経」のまとめ。戒めに関す五つのる答え。それらの戒めを実行すれば、このようになるというのが今回の偈。

ブッダの説いた真理を実行すれば、その人の言葉も、心も、行いも最高のものになる。これらは十善行と言われる。
三種の身の善行@生きものを殺さないこと、A盗まないこと、B邪な行為を行わないこと。
四種の言葉の善行@嘘をつかないこと、A仲間を仲たがいさせることを言わないこと、B乱暴な言葉を使わないこと、C無駄話をしないこと。
三種の意(心)の善行@欲のない心、A怒りのない心、B間違った見解を持たないこと。
十善行を実践すると、心は落ち着いて、柔和になり、瞑想をすれば簡単に禅定に入れる。その結果、仏道に関する学識の真髄を究め、智慧が現れ、すべて煩悩を捨てることが出来るようになる。このような修行者は涅槃の境地に達する。

(´・(ェ)・`)つ
つづく
0873名無しを整える。垢版2017/10/08(日) 14:34:17.75ID:SkLRk5DL
>>871
10、「精励」=「奮起経」ブッタの元気が出る説法であります。
。この説法をされた500人の出家修行者たちは、この説法のみを思念し、瞑想に励み、阿羅漢の境地に達したそうであります。

欲が苦しみの原因であり、それに執着すれば、苦しみは消えることはない。
だから、「執着を超えよ!」
「一瞬もむなしく過ごすな」奮起させよ!
「放逸はごみだ!」

眼耳鼻舌身に外界からの刺激があると、心に欲、怒り、無知などの煩悩が現れる。この煩悩がごみ。
不放逸であれば、このごみがたまるのを防げる。

気づきと明智(智慧)によって、煩悩をなくすことができる。それを「自分にささった矢を抜け!」と述べている。

五本の矢がある。眼耳鼻舌身に現れる五欲と考えてもよい、五蓋(貪欲、瞋恚、沈睡眠、掉挙悪作、疑)とも言われている。
これらの矢(煩悩)を取り除くと、禅定に入り、解脱の道が切り開かれます。

(´・(ェ)・`)つ
つづく
0874名無しを整える。垢版2017/10/08(日) 15:50:49.36ID:SkLRk5DL
>>871
11.ラーフラ=お釈迦さんの一人息子
337
息子ラーフラに述べた最初の訓戒

五つの欲の対象を捨てなさい。
五つの欲の対象とは色・声・香・味・触。
色は色や形、声は音、香とは香りや匂い、味とは甘さ、辛さなどです。触とは、身体が何かに触れた時感じるもの。
これらのものに生きものは喜びや楽しみを感じる。
これらのものを捨てなさいと述べている。
生きることは苦しみであると発見。
その原因は渇愛(欲望)にあると覚られた。
この五つの欲望の対象が欲望が現れる縁(刺激)になるから。

338
1)「善友と親しめ」ということ。
2)人里離れた静かな場所で生活し修行しなさい。人里離れた静かな場所で生活し修行する意味は、修行環境はよいということ以上に重要なことは周りの人々に依存しないといことです。
仏道の修行は、他に依存しない、独立した自由な人格を作る必要がある。
3)「飲食の量を知る者であれ」必要以上に食べたいのは欲。欲をなくすことは、苦しみの原因を断つこと。
食事を自分の意志でコントロールすることは大きな意味がある。

339
最低限の必需品以上ものをの望むことは、それらのものに渇愛の思いを起こす。
渇愛が生じることは、生きたいという思い。この思いに引っ張られてこの世に再生するという輪廻を繰り返すことになる。
これらの生活必需品に対して渇愛の心が起こらないようにすれば、再びこの世に戻ってくるという輪廻から抜け出すことが出来る。これが解脱。涅槃に到るということ。

食に関しては、一座において食事をする(一度立ち上がったら、再び座りなおして食べない)。一鉢のみの食事。食後に食事をしないなどの決まりがある。
臥座所に関しては、森林、露地、樹下に住む。随処に住む(同じ所に住まない)。塚間に住む。常坐不臥者(横になって寝ない)などの決まりがあった。
これらは、いわゆる身体を苦しめる苦行ではなく、渇愛を克服して、解脱でするため心から欲をなくす修行。

340
四つの注意事項が述べられている。戒律を守ること、五感を守ること、身体に注意を向けること、世間を厭い嫌うこと。

戒律を守ることについて。
法(真理、道理)を体得してない凡夫でも、戒律に従って生活し、生きれば、法から大きく離れずに生きることが出来る。その意味では戒律はありがたいもの。

五感を守るこのについて。
五感とは見る、聞く、臭う、味う、触れる、五つの感覚の総称。
感覚器官の反応には、苦(不快)、楽(快)、不苦不楽(不快でも快でもない)の三つがある。
この感覚は生きている限り感じる。止めることはできない。
生命はこの反応が起きたとたんにその反応に伴って感情が発生する。
これは感覚に対する執着から現れる。
感覚を守るとはこの執着を起こさないようにして、感情が現れなくすること。
慈悲の感情もあるが、感情はほとんど貪瞋痴等の煩悩。これが苦しみの原因であり、輪廻の原因になる。
だから五感を守る必要があるのです。

身体に注意を向けることについて。
「身(身体)・受(感覚)・心・法(真理)」を観察する瞑想法の基礎になる経典は大念処経あるいは四念処経。その経典には身についての観察(身随観)について、次の事項が書かれている。
出息・入息の観察、行為の観察、身体の部分(髪・毛・爪・歯・皮・肉・筋・骨・骨髄・腎臓・心臓・肝臓・肋膜・脾臓・肺・胃・腸・胃物・大便・胆汁・痰・膿・血・汗・脂肪・涙・脂肪油・唾・鼻液・関節液・小便など)の観察、
要素(地水火風)の観察、死体の変化の観察などです。

世間を厭い嫌うことについて。
感覚を守る、身体に注意を向けて観察すると真実が分かってくる。そうすると世間は喜び楽しめるものではなく、むしろ汚れた苦しみの世界であることが理解できる。そうすると、世間に執着せずに、世間を厭い嫌い、涅槃を目指す心が養成される。

(´・(ェ)・`)つ
0875名無しを整える。垢版2017/10/09(月) 01:31:18.67ID:lIILWaYx
鬼和尚さん、女の子に挨拶しただけでキモいって言われるんですが、どうしたら良いかな?
出会い系と風俗だけでしか女の子を抱いた事ないし、女の子苦手です。
イジメられて来たので、女性不信、人間不信あり、自信なし。
目を合わせたりが違和感あり。
0876名無しを整える。垢版2017/10/09(月) 07:06:43.10ID:m2PMPTLj
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、12、ヴァンギーサ

 わたしがこのように聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はア−ラヴィーにおけるアッガーラウァ霊樹のもとにおられた。そのとき、ヴァンギーサさんの師でニグローダ・カッパという名の長老が、アッガーラウァ霊樹のもとで亡くなってから、間がなかった。
そのときヴァンギーサさんは、ひとり閉じこもって沈思していたが、このような思念が心に起こった、──「わが師は実際に亡くなったんだろうか、あるいはまだ亡くなっていないのだろうか?」と。
 そこでヴァンギーサさんは、夕方に沈思から起き出て、師のいますところに赴いた。そこで師に挨拶して、傍らに坐った。
傍らに坐ったヴァンギーサさんは師にいった、「尊いお方さま。わたくしがひとり閉じこもって沈思していたとき、このような思念が心に起こりました。
──<わが師は実際に亡くなったのだろうか、或いはまだ亡くなっていないのだろうか?>」と。

 そこでヴァンギーサさんは座から立ち上がって、衣を左の肩にかけて右肩をあらわし、師に向かって合掌し、師にこの詩を以て呼びかけた。

343 「現世において、もろもろの疑惑を断たれた無上の智慧ある師におたずね致します。──世に知られ、名声あり、心が安らぎに帰した[ひとりの]修行者が、アッガーラウァ[霊樹のもと]で亡くなりました。
344 先生! あなたは、そのバラモンに『ニグローダ・カッパ』という名をつけられました。ひたすらに真理を見られた方よ。かれは、あなたを礼拝し、解脱をもとめ、つとめ励んでおりました。
345 サッカ(釈迦族の人、釈尊)よ、あまねく見る人よ。われらはみな、(あなたの)かの弟子のことを知ろうと望んでいます。われわれの耳は、聞こうと待ちかまえています。あなたはわれらの師です。あなたは、この上ない方です。
346 われらの疑惑を断ってください。これをわたくしに説いてください。智慧ゆたかな方よ。かれらが亡くなったのかどうかを知って、われらの間で説いてください。──千の眼ある帝釈天が神々の間で説くように。あまねく見る方よ。
347 この世で、およそ束縛なるものは、迷妄の道であり、無智を棚とし、疑いによって存するが、全き人(如来)にあうと、それらはすべてなくなくなってしまう。この(全き人)は人間のための最上の眼であります。
348 風が密雲を払いのけるように、[この人](ブッダ)が煩悩の汚れを払うのでなければ、全世界は覆われて、暗黒となるでありましょう。光輝ある人々も輝かないでありましょう。

(´・(ェ)・`)つ
0877名無しを整える。垢版2017/10/09(月) 07:10:17.77ID:m2PMPTLj
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、12、ヴァンギーサ

349 聡明な人々は世を照らします。聡明な方よ。わたしは、あなたをそのような人だと思います。
われらはあなたを<如実に見る人>であると知って、みもとに近づきました。集会の中で、われらのために(ニグローダ)カッパのことを明かにしてください。
350 すみやかに、いとも妙なる声を発してください。白鳥がその頸をもたげて徐ろに鳴くように、よくととのった円やかな声を徐に発してください。われらはすべて、すなおに聞きましょう。
351 生死を残りなく捨て、悪を払い除いた(ブッダ)に請うて、真理を説いていただきましょう。諸々の凡夫は、[知ろうと欲し言おうと]欲することをなしとげることができないが、諸々の全き人(如来)たちは、慎重に思慮してなされるからです。
352 この完全な確定的な説明が、正しい智者であるあなたによって、よく持たれているのです。わたくしは、さらにこの合掌をささげます。(みずからは)知りながら(語らないで、われらを)迷わしたもうな。智慧すぐれた方よ。
353 あれこれの尊い理法を知っておられるのですから、(みずからは)知りながら[語らないで、われらを]迷わしたりなさいますな。励むことにすぐれた方よ。
夏に暑熱に苦しめられた人が水をもとめるように、わたしは(あなたの)ことばを望むのです。聞く者に[ことばの雨を]降らしてください。
354 カッパ師が清らかな行いを行って達成しようとした目的は、かれにとって空しかったのでしょうか? かれは、消え滅びたのでしょうか? それとも生存の根源を残して安らぎに帰したのでしょうか?
かれはどのように解脱したのでしょうか、──わたくしたちはそれを聞きたいのです。」
355 師は答えた、「かれはこの世において、名称と形態とに関する妄執を断ち切ったのである。長いあいだ陥っていた黒魔の流れを断ち切ったのである」五人の修行者の最上者であった尊き師はそのように語られた。
356 [ヴァンギーサいわく、──]「第七の仙人(ブッダ)さま。あなたのおことばを聞いて、わたしは喜びます。
わたしの問いは、決してむだではありませんでした。バラモンであるあなたは、わたくしをだましません。
357 目ざめた人(ブッダ)の弟子(ニグローダ・カッパ)は、ことばで語ったとおりに実行した人でした。ひとを欺く死魔のひろげた堅固な網を破りました。
358 先生! カッパ師は執著の根元を見たのです。ああ、カッパ師は、いとも渡りがたい死魔の領域を超えたのです。」

(´・(ェ)・`)つ
0878名無しを整える。垢版2017/10/09(月) 07:26:57.35ID:m2PMPTLj
>>876
「わが師は実際に亡くなったんだろうか、あるいはまだ亡くなっていないのだろうか?」=自分の師匠が亡くなられましたが、その死が般涅槃であったかどうか知りたいと思った

完全なる涅槃=般涅槃(はつねはん)。
すべての煩悩をなくし、解脱し、涅槃に到達した阿羅漢も、生きている限り、生きるための業の残りかすがある。
そのような阿羅漢の状態を有余依涅槃と言う。
それに対して、そのような阿羅漢が肉体の死を迎え、生きるための業の残りもすべて捨て去った時は、無余依涅槃。
無余依涅槃は般涅槃であり、完全なる涅槃。
346
智慧があるということと普く見ることとは、どちらも、ありのまま見る能力。ありのまま見ることで智慧が出て、普く見ることができる。
この「ありのままに見ること」が出来ないから修行する。この修行方法は八正道の実践であり、ヴィパッサナー瞑想。

(´・(ェ)・`)つ
0879鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 垢版2017/10/09(月) 21:29:17.80ID:44NPUKSr
>>875 おぬしがしたいと思うことをするのじゃ。
 おぬしは何がしたいのじゃろうか?
 イケメンになりたければファッションとか整形とか出来ることを全て行えば善いのじゃ。
 そして自信をつけて女子と付き合えばよいのじゃ。
 自分はモテモテになっていくとか唱えれば自信もわいてくるのじゃ。
 そのままでいたければそのまま何もしなければよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
0880名無しを整える。垢版2017/10/09(月) 22:46:40.21ID:lIILWaYx
>>879
モテに関係ないしたい事もOKかな?
どうしてもトラウマ的に内向して相手もそれに呼応してるのかも
0881名無しを整える。垢版2017/10/10(火) 18:49:44.81ID:Wx6qOmm7
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、13、正しい遍歴

359 「智慧ゆたかに、流れを渡り、彼岸に達し、安全な安らぎを得て、こころ安住した聖者におたずね致します。家から出て諸々の欲望を除いた修行者が、正しく世の中を遍歴するには、どのようにしたらよいのでしょうか。」

360 師はいわれた、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。

361 修行者が、迷いの生活を超越し、理法をさとって、人間及び天界の諸々の享楽に対する貪欲を慎しむならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

362 修行者がかげぐちをやめ、怒りと物惜しみとを捨てて、順逆の念を離れるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

363 好ましいものも、好ましくないものも、ともに捨てて、何ものにも執著せず、こだわらず、諸々の束縛から離脱しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

364 かれが、生存を構成する要素のうちに堅固に実体を見出さず、諸々の執著されるものに対する貪欲を慎しみ、こだわることなく、他人に誘かれないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

365 ことばによっても、こころによっても、行為によっても、逆らうことなく、正しく理法を知って、ニルヴァーナの境地をもとめるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

366 修行者が、『かれはわれを拝む』と思って高ぶることなく、罵られても心にふくむことなく、他人から食物を与えられたからとて驕ることがないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

367 修行者が、貪りと迷いの生存(煩悩の)矢を抜いたのであれば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

368 修行者が、自分に適当なことを知り、世の中で何ものをも害うことなく、如実に理法を知っているのであるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

369 かれにとっては、いかなる潜在的妄執も存せず、悪の根が根こそぎにされ、ねがうこともなく、求めることがないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

370 煩悩の汚れはすでに尽き、高慢を断ち、あらゆる貪りの路を超え、みずから制し、安らぎに帰し、こころが安立しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

371 信念あり、学識ある賢者が、究極の境地に至る定まった道を見、諸々の仲間の間にありながら仲間に盲従せず、貪欲と嫌悪と憤怒とを慎しむならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

372 清らかな行いによって煩悩にうち克った勝者であり、覆いを除き、諸々の事物を支配し、彼岸に達し、妄執の動きがなくなって、生存を構成する諸要素を滅ぼす認識を立派に完成するならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

373 過去及び未来のものに関して(妄りなる)はからいを超え、極めて清らかな智慧あり、あらゆる変化的生存の領域から解脱しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

374 究極の境地を知り、理法をさとり、煩悩の汚れを断ずることを明らかに見て、あらゆる<生存を構成する要素>を滅しつくすが故に、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。」

375 「尊いお方(ブッダ)<さま。まことにこれはそのとおりです。このように生活し、みずから制する修行者は、あらゆる束縛を超えているのです。かれは正しく世の中を遍歴するでしょう。」

(´・(ェ)・`)つ
0882名無しを整える。垢版2017/10/10(火) 19:06:02.27ID:Wx6qOmm7
>>881

374 究極の境地を知り、
<生存を構成する要素>を滅しつくす

注釈書では「境地」の訳語を「句」と解釈している。
句とは「真理の四句」(四聖諦)。

四聖諦の四句を知り、四聖諦の真理を理解して、煩悩の捨てることをはっきり経験して、
生存の要素(五蘊)に依存することのなくなった阿羅漢はこの世を正しく遍歴遊行する。
(´・(ェ)・`)つ
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