鬼和尚の仏教勉強会 悟りの真実 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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大好評なので、続スレッドを建てたのじゃ
みな、儂のことが好きなのじゃ
よって、みな、儂の弟子じゃ
儂は、悟りを開いて、もうこれ以上、悟ることはないのが、みなは、そうではないじゃろ
儂のように悟りたければ、儂の言うことを聞くのじゃ そうじゃ、人の世界は心によって創られているのじゃ。
心が清ければ清い世界にいられるのじゃ。 >>563
清い世界で生きるくまになるであります! (´・(ェ)・`)つ まことが清い世界だって!?
ハッキング、遠隔操作をしているやつが
何を言っているんだ??? 真理のことば(ダンマパダ)
第一章 ひと組みずつ
3 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息(ヤ)むことがない。
4 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
(´・(ェ)・`)つ
ふむふむ。 >>564 善いことじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第一章 ひと組みずつ
5 実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
6 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。──このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。
(´・(ェ)・`)つ
覚悟しよう! とくまも思うのである。 真理のことば(ダンマパダ)
第一章 ひと組みずつ
7 この世のものを淨らかだと思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。──弱い樹木が風に倒されるように。
8 この世のものを不淨であると思いなして暮し、(眼などの)感官を抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。──岩山が風にゆるがないように。
(´・(ェ)・`)つ
「思いなして暮し」、てところが胆かなと愚考したくまであります。 そうじゃ、この世を不浄であると思い為して暮らすのじゃ。
そうすれば容易に捨てられるのじゃ。
世間を捨てて永遠を得るのじゃ。 >>572
鬼和尚、ありがとうであります。
で、ありますよね!
不浄観は、空 と同じく悟るためのテクニックであると思うであります。
止観のテクが、あまりにも簡単な、ほぼ万人が実践し、実感できそうなテクのために、宗教家が自らに対する執着のために、神秘のベールに包み込もうとしてることが、不幸の原因と思うであります。
(´・(ェ)・`)つ 真理のことば(ダンマパダ)
第一章 ひと組みずつ
9 けがれた汚物を除いていないのに、黄褐色の法衣をまとおうと欲する人は、自制が無く真実も無いのであるから、黄褐色の法衣にふさわしくない。
10 けがれた汚物を除いていて、戒律をまもることに専念している人は、自制と真実とをそなえているから、黄褐色の法衣をまとうのにふさわしい。
(´・(ェ)・`)つ そうじゃ、観察は誰にでも出来るものじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第一章 ひと組みずつ
11 まことでないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(マコト)に達しない。
12 まことであるものを、まことであると知り、まことでないものを、まことでないと見なす人は、正しい思いにしたがって、ついに真実(マコト)に達する。
(´・(ェ)・`)つ
ふむ。そりゃそーでありましょう。 そうじゃ、嘘ばかりついていると本当と嘘がわからなくなってしまうのじゃ。
まことであるものをまこととしるのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第一章 ひと組みずつ
13 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。
14 屋根をよく葺いてある家には雨が洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することか無い。
くまの住み処は雨漏りだらけであります。
ちょぴっとづつ修理中であります。
(´・(ェ)・`)つ 鬼和尚、こんばんは。
雨漏りしないように修理するのは、強い意志力を要するでありますね。
たいへんであります。
今、くまがやってるのは、雨漏りしてるところに器を置いて、床が腐らないようにしてるだけみたいであります。
それでも、今のところ何とかしのげちゃうので、屋根を修理しょうという強い意思が欠けてしまうのでありましょう。
(´-(ェ)-`)つ 真理のことば(ダンマパダ)
第一章 ひと組みずつ
15 悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。かれは、自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。
16 善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。かれは、自分の行為が淨らかなのを見て、喜び、楽しむ。
17 悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。「わたくしは悪いことをしました」といって悔いに悩み、苦悩のところ(=地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。
18 善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。「わたくしは善いことをしました」といって歓喜し、幸あるところ(=天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。
(´・(ェ)・`)つ 真理のことば(ダンマパダ)
第一章 ひと組みずつ
19 たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。──牛飼いが他人の牛を数えているように。かれは修行者の部類には入らない。
20 たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執著することの無い人は、修行者の部類に入る。
(´・(ェ)・`)つ >>580 観察が進めば自然に出来るようになるじゃろう。
欲も観念によるものであるからのう。 >>583
観念で観念を克服しようとするから、議論になるのでありましょう。
観察もありのままも観念でありますが、
ありのままに観察すれば、きっと、観念を克服して、何か実感できるのでありますね!
(´-(ェ)-`)つ 真理のことば(ダンマパダ)
第二章 はげみ
21 つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の境涯である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、死者のごとくである。
22 このことをはっきりと知って、つとめはげみを能く知る人々は、つとめはげみを喜び、聖者たちの境地をたのしむ。
(´・(ェ)・`)つ
ふむふむ。
つとめはげむくまになり、かつそれをよろこぶくまにならねばならぬのでありますね。
なまけものはダメなのでありますね。 苦の直中にある時は、止観瞑想が救いとして効果を実感できるので、励めるのであります。
それで、ちょぴっと楽になると、怠け心にまけるくまであります。
(´-(ェ)-`)つ >>584 そうじゃ、実践あるのみなのじや。
更にはげむとよいのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第二章 はげみ
23 (道に)思いをこらし、堪え忍ぶことつよく、つねに健く奮励する、思慮ある人々は、安らぎに達する。これは無上の幸せである。
24 こころはふるい立ち、思いつつましく、行いは清く、気をつけて行動し、みずから制し、法にしたがって生き、つとめはげむ人は、名声が高まる。
(´・(ェ)・`)つ
やっぱり、一所懸命努力しなけりゃいかんのでありますね。
たいへんであります。
けど、たいへんだと思わなけりゃ、たいへんじゃなくなるのでありましょう。 鬼和尚、別なスレにも謝罪を書き込んだのですが、
何年か前、何も知らずに「鬼和尚は悟ってない」などと書きこんでしまい申し訳ありませんでした。 真理のことば(ダンマパダ)
第二章 はげみ
25 思慮ある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流もおし流すことのできない島をつくれ。
26 智慧乏しき愚かな人々は放逸(ホウイツ)にふける。しかし心ある人は、最上の財宝(タカラ)をまもるように、つとめはげむのをまもる。
鬼和尚こんばんは。(´・(ェ)・`)つ
智慧乏しく愚かなくまなれど、
思慮あるくまをめざすであります。 >>591 ゆるすのじゃ。
これからは善事を積み、精進あるのみなのじゃ。
そうすれば福楽はつきしたがい、苦はなくなるじゃろう。
>>592 そうじゃ、勤め励んで思慮あるくまをめざすのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 鬼和尚ありがとうであります。
精進することを目的とするであります。
(´・(ェ)・`)つ >>593
鬼和尚ありがとうございます。
精進します。 真理のことば(ダンマパダ)
第二章 はげみ
27 放逸に耽るな。愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は、大いなる楽しみを得る。
28 賢者が精励修行によって怠惰をしりぞけるときには、智者の高閣に登り、自から憂い無くして(他の)憂いある愚人どもを見下す。──山上にいる人が地上の人々を見下すように。
(´・(ェ)・`)b
ふむ。 この点は間違いでありましょう。
見下したりしたらいかんであります。 悟った後にもラマナ・マハルシは実母を特別扱いしています。
彼女の病気回復を懇願する賛歌を作ったり、彼女の死後は定住地を彼女の墓のそばに移したり。
鬼和尚にとってもお母様は特別な存在ですか? >>594 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>595 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>597 そうかもしれん。
恩を受けた分を返すのじゃ。
急な出費などで、今月の生活費?家賃、携帯代が足りなくてお困りの方。
ヤミ金でお困りの方。
保証人、担保不要です。
是非ご相談下さい、詳しくはHPをご覧下さい。
会社にお勤めの方、自営業、フリーター、風俗・水商売など業種にかかわらずお気軽にご相談ください。
エヌ ピー オー 法人 エス ティー エー >>598
レスありがとうございます。
恩を受けたと思っているのは自我ですか? のことば(ダンマパダ)
第二章 はげみ
29 怠りなまけている人々のなかで、ひとりつとめはげみ、眠っている人々のなかで、ひとりよく目醒めている思慮ある人は、疾くはしる馬が、足のろの馬を抜いてかけるようなものである。
30 マガヴァー(インドラ神)は、つとめはげんだので、神々のなかでの最高の者となった。つとめはげむことを人々はほめたたえる。放逸なることはつねに非難される。
(´・(ェ)・`)つ
ふむ。怠け者では何もかわらぬでありますね。
どん怠け者でも、否応なく修行に向かわせるために「苦」が平等にあるのでありますね。 >>600 仮の観念なのじゃ。
それがなくては法を説くことも無いのじゃ。
それも報恩の一部であるからのう。
>>601 そうじゃ、勤め励むのじゃ。
そうすれば一切の苦も消えていくのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第二章 はげみ
31 いそしむことを楽しみ放逸におそれをいだく修行僧は、微細なものでも粗大なものでもすべて心のわずらいを、焼きつくしながら歩む。──燃える火のように。
32 いそしむことを楽しみ、放逸におそれをいだく修行僧は、堕落するはずはなく、すでにニルヴァーナの近くにいる。
(´・(ェ)・`)つ
僭越ながらくまも、ニルヴァーナの近くにいるような気がするときもあるのであります。 真理のことば(ダンマパダ)
第三章 心
33 心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直くする。──弓師が矢の弦を直くするように。
34 水の中の住居(スミカ)から引き出されて陵の上になげすてられた魚のように、この心は、悪魔の支配から逃れようとしてもがきまわる。
(´・(ェ)・`)つ
少しづつでも精進して、
水の中に戻れば、よいのでありますね。 >>602
レスありがとうございます。
仮の観念がそうすることを要求するのでしょうか? >>603>>604 そうじゃ、近いじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
>>605 何も要求しないのじゃ。
為すがままなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第三章 心
35 心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。
36 心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。
37 心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。この心を制する人々は、死の束縛からのがれるであろう。
38 心が安住することなく、正しい真理を知らず、信念が汚されないならば、さとりの智慧は全からず。
39 心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることが無い。
(´・(ェ)・`)つ
38 を検索してみたのである。
『「信念が汚されないならば」の原文はPariplavapas?dassa(パリプラワパサーダッサ)ですので、「信念が動揺している人」または「信念が不安定な人」と訳す事ができます』
カップ麺情報とともに教えてくれてる賢者のサイトがあったであります。 >>606
レスありがとうございます。
仮の観念は鬼和尚の意思とは関係なく浮かんでくるのですか?
また、悟ってないものの観念と悟った人の仮の観念との違いは何なんでしょう? 真理のことば(ダンマパダ)
第二章 はげみ
39 心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることが無い。
40 この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城廓のように(堅固に)安立して、知慧の武器をもって、悪魔と戦え。克ち得たものを守れ。──しかもそれに執著することなく。
こんばんは鬼和尚(´・(ェ)・`)つ
計らいとは計算でありましょう。
まさに観念のことでありましょう。
観念は、実感に繋がらないでありましょう。
ひたすらに実感を求める実践のみが、悟りへの道なのでありますね。 >>609 わしの意志によるものじゃ。
もはやわしはいないがのう。
誓願によってあるとしているのじゃ。
悟っていなければ観念を観念と気付くこともなく、自分と思っているのじゃ。
そしてそこからぬけ出せないのじゃ。
悟った者は観念を観念と知っているのじゃ。
いつでも抜け出せるのじゃ。
>>610 そじゃ、実践によって観念は観念と気付くのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第二章 はげみ
41 ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろう、──意識を失い、無用の木片のように、投げ棄てられて。
42 憎む人が憎む人にたいし、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする。
43 母も父もそのほか親族がしてくれるよりもさらにすぐれたことを、正しく向けられた心がしてくれる。
(´・(ェ)・`)つ
ふむふむ。 >>611
レスありがとうございます。
悟っていない私の場合、日常生活のほとんどが記憶のパターンにより意識せずとも成され
それが何らかの理由で実行できない、もしくは初体験など該当するパターンが無いと
注意がそれに注がれるという状態なのですが
悟った人の仮の観念(鬼和尚の意思)による行動には、このようなパターンによるものというものがありますか? >>610>>612訂正。
第三章 心
で、ありました。(´・(ェ)・`)つ 真理のことば(ダンマパダ)
第四章 花にちなんで 】
44 だれがこの大地を征服するであろうか? だれが閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろうか? わざに巧みな人が花を摘むように。善く説かれた真理のことばを摘み集めるのはだれであろうか?
45 学びにつとめる人こそ、この大地を征服し、閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろう。わざに巧みな人が花を摘むように、学びにつとめる人々こそ善く説かれた真理のことばを摘み集めるであろう。
(´・(ェ)・`)つ >>613 同じなのじゃ。
ほとんどは記憶によって日常のことなどは行うのじゃ。
同じでなければ衆生の心がわからないから無意味なのじゃ。
真理のことば(ダンマパダ)
第四章 花にちなんで 】
46 この身は泡沫(ウタカタ)のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると、さとったならば、悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへいくであろう。
47 花を摘むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、眠っている村を、洪水が押し流して行くように、──
48 花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果たさないうちに、死神がかれを征服する。
(´・(ェ)・`)つ >>616
レスありがとうございます。
ニサルガダッタ・マハラジは例えば下記のように『アイ・アム・ザット 私は在る』の中で
"覚者のようにふるまう"指導を幾人かの人に指導しています。
鬼和尚はこの方法をどう思われますか?
--------------------------------------------------------------------------------
「自分自身を乞食だと信じきっている王子を
決定的に確信させる方法はただひとつしかない。
彼に王子としてふるまうようにさせるのだ。
そうして何が起こるかを見てみなさい。
私の言ったことが、あたかも真実であるようにふるまってみなさい。
そして実際に何が起こるか判断するがいい。」
「あたかも完全に得心したかのようにふるまいなさい。
そうすれば、確信はやってくるだろう。
単なる言葉が何の役に立つというのだろう?
マントラや精神的パターンは助けにならないだろう。
しかし非利己的な行為、身体の関心事とその利益のすべてから自由になった行為が
あなたを実在の確信そのものに連れていくだろう。」
(『アイ・アム・ザット 私は在る』より/コピペ元『アセンション館通信』様)
-------------------------------------------------------------------------------- ↑それもよいじゃろう。
自分の限界を広げる効果があるじゃろう。
大抵の者は自分は悟りなど得られないとか思い込んでいるからのう。
実践あるのみなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第四章 花にちなんで 】
49 蜜蜂は(花の)色香を害をずに、汁をとって、花から飛び去る。聖者が、村に行くときは、そのようにせよ。
50 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。
51 うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。
52 うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りあるものがあるよえに、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りがある。
(´・(ェ)・`)つ
ふむふむ、観念、知識は実践をともなはなければ、無意味なのでありますね。 >>620
49をググってみたら↓こんなのがでてきたのである。
ジャイナ教聖典にも、
「蜜蜂は樹の花から蜜を吸い、花を害わずに自身を満足させる。世間において、所有を離れた沙門たる修行者は、そのような花における蜜蜂のように、布施と食物を求めるべきである」
(『ダサヴェーヤーリヤ』12、3)
(´・(ェ)・`)つ そうじゃ、知識とは実践のためにあるものじゃ。
実践が無ければ全ての知識は無意味なのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第四章 花にちなんで
51 うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。
52 うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りあるものがあるよえに、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りがある。
53 うず高く花を集めて多くの華鬘(ハナカザリ)をつくるように、人として生まれまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ。
54 花の香りは風に逆らっては進んで行かない。栴檀(せんだん)もタガラの花もジャスミンもみなそうである。しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く。徳のある人はすべての方向に薫る。
55 栴檀、タガラ、青蓮華、ヴァッシキー──、これら香りのあるものどものうちでも、徳行の香りこそ最上である。
訂正>>620
害をず→害わず
(´・(ェ)・`)つ 徳のあるくまになりたいものであります。
(´・(ェ)・`)つ そうじゃ、学んで実践すればなれるじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第四章 花にちなんで 】
56 タガラ、栴檀の香りは微かであって、大したことはない。しかし徳行ある人々の香りは最上であって、天の神々にもとどく。
57 徳行を完成し、つとめはげんで生活し、正しい知慧によって解脱した人々には、悪魔も近づくよし無し。
58 大道に棄てられた塵芥の山堆の中から香しく麗しい蓮華が生ずるように。
59 塵芥にも似た盲(メシイ)た凡夫のあいだにあって、正しく目ざめた人(ブッダ)の弟子は知慧もて輝く。
>>625
鬼和尚、おはようございます。
(´・(ェ)・`)つ 真理のことば(ダンマパダ)
第五章 愚かな人
60 眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。
61 旅に出て、もしも自分よりもすぐれた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。
62 「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。
63 もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。
(´・(ェ)・`)つ
第五章はくまのことでありますね。
けど釈迦さんは優しいのであります。
ちゃんと、63でフォローしてくれてるのであります。
然れど、愚かなくまに変わりはないのであります。 >>626 こんばんはなのじゃ。
>>627 自分が愚かと知れば賢者なのじゃ。
賢いくまなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第五章 愚かな人
64 愚かな者は生涯賢者につかえても、真理を知ることが無い。匙(サジ)が汁の味を知ることができないように。
65 聡明な人は瞬時(マバタキ)のあいだ賢者に仕えても、ただちに真理を知る。──舌が汁の味をただちに知るように。
66 あさはかな愚人どもは、自己に対して仇敵(カタキ)に対するようにふるまう。悪い行いをして、苦い果実(コノミ)を結ぶ。
67 もし或る行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。
68 もしも或る行為をしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善い。
>>628
(´・(ェ)・`)つ
68のように思えるくまになりたいものであります。 そうじゃ、どんどん善事を積むとよいのじゃ。
そうすれば後悔はせず喜びがあるのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第五章 愚かな人
69 愚かな者は、悪いことを行っても、その報いの現われないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける。
70 愚かな者は、たとい毎月(苦行者の風習にならって一月に一度だけ)茅草の端につけて(極く小量の)食物を摂るようなことをして、(その功徳は)真理をわきまえた人々の十六分の一にも及ばない。
71 悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。
72 愚かな者に念慮(オモイ)が生じても、ついにかれには不利なことになってしまう。その念慮はかれの好運(シアワセ)を滅ぼし、かれの頭を打ち砕く。
鬼和尚こんばんは。(´・(ェ)・`)つ
72でいう『念慮(オモイ)』とは、状況を切り抜けるための思いつき、みたいな意味でありましょうか? そのようなものじゃ。
その場の思い付きとか浅い考えなのじゃ。
常に善事を思っていればそのようなものに惑われることも無いのじゃ。 >>632
(´・(ェ)・`)つ鬼和尚、ありがとうであります。
欲にとらわれず、自分を計算に入れずにありのままを認識することができれば、正しい智恵もわくのでありましょうが、難しいでありますね。 真理のことば(ダンマパダ)
第五章 愚かな人
73 愚かな者は、実にそぐわぬ虚しい尊敬を得ようと願うであろう。修行僧らのあいだでは上位を得ようとし、僧房にあっては権勢を得ようとし、他人の家に行って供養を得ようと願うであろう。
74 「これは、わたしのしたことである。在家の人々も出家した修行者たちも、ともにこのことを知れよ。およそなすべきことなすべからざることとについては、わたしの意に従え」──愚かな者はこのように思う。こうして欲求と高慢(タカブリ)とがたかまる。
75 一つは利得に達する道であり、他の一つは安らぎにいたる道である。ブッダの弟子である修行僧はこのことわりを知って、栄誉を喜ぶな。孤独の境地にはげめ。
(´・(ェ)・`)つ
愚かな人の章は以上であります。 >>633 そうじゃ、日々の実践が難しいことも出来るようにしてくれるのじゃ。
日々精進あるのみなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第六章 賢い人
76 (おのが)罪過を指摘し過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、その賢い人につき従え。──隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従うように。そのような人につき従うならば、善いことがあり、悪いことは無い。
77 (他人を)訓戒せよ。、教えさとせ。宜しくないことから(他人を)遠ざけよ。そうすれば、その人は善人に愛され、悪人から疎まれる。
78 悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。善い友と交われ。尊い人と交われ。
79 真理を喜ぶ人は、心きよらかに澄んで、安らかに臥す。聖者の説きたまうた真理を、賢者はつねに楽しむ。
(´・(ェ)・`)つ そうじゃ、真理を喜ぶのじゃ。
そして実践あるのみなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第六章 賢い人
80 水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め、大工は木材を矯め、賢者は自己をととのえる。
81 一つ岩の塊が風に揺るがないように、賢者は非難と賞讃とに動じない。
82 深い湖が、澄んで、清らかであるように、賢者は真理を聞いて、こころ清らかである。
83 高尚な人々は、どこにいても、執著することが無い。快楽を欲してしゃべることが無い。楽しいことに遭っても、苦しいことに遭っても、賢者は動ずる色がない。
84 自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。財をも国をも望んではならぬ。邪なしかたによって自己の繁栄を願うてはならぬ。(道にかなった)行ないあり、明らかな知慧あり、真理にしたがっておれ。
85 人々は多いが、彼岸(カナタノキシ)に達する人々は少い。他の(多くの)人々はこなたの岸の上でさまよっている。
(´・(ェ)・`)つ
子や財は、望んではならぬのであって、子や財を持つこと自体は別問題なのでありましょう。
得るために、ずるっこしたらいかんのでありましょう。 無我の実感を得て、悟りに至るためには、まず、努力してしっかりした自我を確立せねばならぬのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ そうじゃ、自己を整えてこそ日々の修業も続けられるのじゃ。
心が乱れれば修業もおろそかになるものじゃ。 デパスマンだ!
\\\└(՞ةڼ◔)」////
デパスマンすごいなあ! デパスマンだ!
\\\└(՞ةڼ◔)」////
デパスマンすごいなあ!
デパスマンかっけーなー! 真理のことば(ダンマパダ)
第六章 賢い人
86 真理が正しく説かれたときに、真理にしたがう人々は、渡りがたい死の領域を超えて、彼岸に至るであろう。
87 賢者は、悪いことがらを捨てて、善いことがらを行え。家から出て、家の無い生活に入り、楽しみ難いことではあるが、孤独のうちに、喜びを求めよ。
88 賢者は欲楽をすてて、無一物となり、心の汚れを去って、おのれを浄めよ。
89 覚りのよすがに心を正しくおさめ、執著なく貪りをすてるのを喜び、煩悩を滅ぼし尽くして輝く人は、現世において全く束縛から解きほごされている。
(´・(ェ)・`)つ そうじゃ、束縛を離れて自由になるのじゃ。
それが真の自由なのじゃ。 鬼和尚こんばんは。
苦しむ自我があると言うのが錯覚だったと気づければよいのでありますね。
自我から解放され、真の自由になるのでありますね。
主体はないと確信できれば、その確信した主体も消え去り、ってか、後ろに下がる感じでありましょうか?
意識が、記憶や感情を、高ぶりも落ち込みもせず、たんたんくまくまと見てる感じでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ 真理のことば(ダンマパダ)
第七章 真 人
90 すでに(人生の)旅路を終え、憂いをはなれ、あらゆることがらにくつろいで、あらゆる束縛の絆をのがれた人には、悩みは存在しない。
91 こころをとどめている人々は努めはげむ。かれらは住居を楽しまない。白鳥が池を立ち去るように、かれはあの家、この家を捨てる。
92 財を蓄えることなく、食物についてその本性を知り、その人々の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれらの行く路(=足跡)は知り難い。──空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。
93 その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれの足跡は知り難い。──空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。
空にして無相の境地・・・・でありますか。
(´・(ェ)・`)つ パキシルくん
\( ‘ᾥ’ )/
デパスマン
\\\└(՞ةڼ◔)」////
リスペリドン
(´◉◞౪◟◉) >>645 そうなればもはや何もないのじゃ。
ただ妄想から覚めた感じなのじゃ。
一切が一つに感じられるのじゃ。
ただ一つであるのみなのじゃ。 >>648
鬼和尚ありがとうであります。
(´-(ェ)-`)b
ただひとつでありますね。
エアコンと灯りを消してちょぴっとすわるであります。 パキシルくん
\( ‘ᾥ’ )/
デパスマン
\\\└(՞ةڼ◔)」////
リスペリドン
(´◉◞౪◟◉) 真理のことば(ダンマパダ)
第七章 真人
94 御者が馬をよく馴らしたように、おのが感官を静め、高ぶりをすて、汚れのなくなった人──このような境地にある人を神々でさえも羨む。
95 大地のように逆らうことなく、門のしまりのように慎しみ深く、(深い)湖は汚れた泥がないように──そのような境地にある人には、もはや生死の世は絶たれている。
96 正しい知慧によって解脱して、やすらいに帰した人──そのような人の心は静かである。ことばも静かである。行いも静かである。
97 何ものかを信ずることなく、作られざるもの(=ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を絶ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人、──かれこそ実に最上の人である。
98 村でも、林にせよ、低地にせよ、平地にせよ、聖者の住む土地は楽しい。
(´・(ェ)・`)つ
ふむ。
何かを信ずことではなく、努力して作るものでもないのでありますね。
気付けばよいだけなのでありましょうが、
それが難しいのであります。 >>649 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
ただひたすらに観察していけば気付きもやってくるのじゃ。 鬼和尚、こんばんは。
>>651
97 >(善悪をなすに)よしなく、は何故善をなすによしなくではなくて、善悪なのでありましょうか?
善悪も観念であり、妄想であるからでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ 自分にとって善い事とか悪いことなのじゃ。
自我の性質によって好悪があり、執着があり、苦も生まれるのじゃ。
その分別が無ければ一切の苦もない者なのじゃ。 >>654
鬼和尚ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ
なるへそへそのごま! で、あります!
何ですぐそれに気づかなかったなでありましょう。
修行不足でありました。
至道無難唯嫌揀択 でありました!
真理のことば(ダンマパダ)
第七章 真 人
99 人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は楽しむであろう。かれは快楽を求めないからである。
第八章 千という数にちなんで
100 無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。
101 無益な語句よりなる詩が千もあっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。
102 無益に語句よりなる詩を百もとなえるよりも、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。
103 戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。
104、105 自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、──このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。 唯だ一つの自己にうち克ち、じつに最上の勝利くまになるであります。
(´-(ェ)-`)つ 真理のことば(ダンマパダ)
第八章 千という数にちなんで
106 百年のあいだ、月々千回ずつ祭祀(マツリ)を営む人がいて、またその人が自己を修養した人を一瞬間でも供養するならば、その供養することのほうが、百年祭祀を営むよりもすぐれている。
107 百年のあいだ、林の中で祭祀(マツリ)の火につかえる人がいて、またその人が自己を修養した人を一瞬間でも供養するならば、その供養することのほうが、百年祭祀を営むよりもすぐれている。
108 功徳を得ようとして、ひとがこの世で一年間神をまつり犠牲(イキニエ)をささげ、あるいは火にささげ物をしても、その全部をあわせても、(真正なる祭りの功徳の)四分の一にも及ばない。行ないの正しい人々を尊ぶことのほうがすぐれている。
109 つねに敬礼を守り、年長者を敬う人には、四種のことがらが増大する。──すなわち、寿命と美しさと楽しみと力とである。
(´・(ェ)・`)つ >>655>>666 そうじゃ、計らいを捨てて勝利者となるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第八章 千という数にちなんで
110 素行が悪く、心が乱れていて百年生きるよりは、徳行あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。
111 愚かに迷い、心の乱れている人が百年生きるよりは、知慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。
112 怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きるほうがすぐれている。
113 物事が興りまた消え失せることわりを見ないで百年生きるよりも、事物が興りまた消え失せることわりを見て一日生きることのほうがすぐれている。
114 不死(シナナイ)の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。
115 最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きるほえがすぐれている。
>>658
(´・(ェ)・`)つ
鬼和尚、ありがとうであります。
最上で優れた一日を迎えられるよう、張り切って参ります!! そうじゃ、一日でも怠らずに精進するとよいのじゃ。
そうすれば一日も早く悟りも訪れるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。 真理のことば(ダンマパダ)
第九章 悪
116 善をなすのを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ。
117 人がもしも悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪がつみ重なるのは苦しみである。
118 人がもし善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことがつみ重なるのは楽しみである。
119 まだ悪い報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし悪の報いが熟したときは、悪人はわざわいに遭う。
120 まだ善い報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遭うことがある。しかし善の果報が熟したときは、善人は幸福(サイワイ)に遭う。
(´・(ェ)・`)つ
鬼和尚、こんばんは。
一日も怠らずに精進するのは難しいでありますが、
常に意識的にあろうとすること、無意識に妄想に巻き込まれることに気づくことは。
ちょぴっと練習するだけで、くまでも誰でもできると思うであります。
そのことだけでも、生きることがむちゃくちゃ楽になるでありますね。 なにしましょ?
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|*・(ェ)・*)
|⊂ノ.
|`J
くま98%
明日は4時おきせねばなりますまい。
納涼会強行離脱して帰巣せねばなりますまい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています