坂道小説スレ
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>>51
ドラマらしいドラマが起らなくても、淡い恋心だけで物語はつくることはできるというわけですね。
光景の描写だけで語り手の心理を推し量ることができます。
いちいち説明的でなくても、何気ない会話や行動で語り手の心情が浮き彫りになってきます。
ある程度は本を読んでいなければ、大阪府さんの良さは分かりにくいでしょうね。 >>54
永井荷風の『小説作法』にこんな記述があります。
「一 小説は人物の描写叙事叙景何事も説明に傾かぬやう心掛くべし。読む者をして知らず知らず編中の人物風景ありありと目に見るやうな思をなさしむる事、これ小説の本領なり。史伝は説明なり。小説は描写なり。」
理想ですね。
青空文庫で短いのでよろしければ是非読んで見てください。
ついでに自分のなかでずっと引っ掛かっている一文を解読してくれるのではと期待しておりますw
「外面より観察してこれを描写するは易く内面よりするは難し。」
後半あたりの一文ですが、内面が何を指すのか理解できずにいます。
登場人物の内面か、作者の内面か、何処から何処へのアプローチかが分かりにくいんですよね。
>>55
幾分詩人が好きなものでw >>56
その一文とその前後の文章を読めば、登場人物の内面と解したくなりますね。
また、その後の文章に、次のように書かれていますね。
>叙景【も】外面の形より写さず内面より描く方法を取るべし。
「も」とあるので、登場人物の内面を描くことと叙景の内面を描くことは同じようなものだということのようですね。
叙景の内面というのはちょっと変な言葉使いですが、
表象だけで捉えるのではなく、その内部に潜んでいるものまで見抜けという主張でしょうね。
そうすると、登場人物でも叙景でも内面から深彫りしていくというのが肝要であるという主張だと解しました。
叙景の内面というのには思い当たる節がありますので、持っている本を引っ張り出して、例を挙げておきます、
ちょっと時間がかかるかもしれませんが。 >>57の続き
>菫の花を見るとき、我々は「可憐」だと感ずる。
>それはそういう感じ方の通念があるからである。
>ところが、ほんとうは私は菫の黒ずんだような紫色の花弁を見たとき、何か不吉な不安な気持ちを抱く。
>しかし、その一瞬後には、常識に負けて「可憐」だと思い込んでしまう。
>その一瞬の印象を正確につかまえることが表現する勝負の決め手となる。通念に踏みつけられる前に、その一瞬に私を揺さぶった菫の不吉な感じを救い出して自分のものにしなければならない。
(伊藤整「小説の書き方」。ただし本多勝一「日本語の作文技術」からの孫引きです。)
海に投げ捨てられた魚の臓物を見た後の描写。
>平穏な明るく透き通っている水の中に凄惨に美しい混沌が蔵されているのに気づいて身震いした。
>何か、胸が悪くなるような赤い色をしたもの、微妙なバラ色をしたものや、深い、気味の悪い紫色をした塊が、そこに横たわっていた。
>私は私の見ているものに堪えることはできず、それを避けることもできなかった。
>何故なら、それらの肉塊が私に抱かせる嫌悪は、その有機的な色の混乱やそういう浅ましい内臓の装飾的な効果が私に感じさせる疑いもない異様な美しさと私の裡で争っているからだった、
(ヴァレリー全集11「文明批評」に収録の「地中海の感興」P262)
綺麗→不気味、不気味→綺麗の方向性は真逆ですが、社会通念に侵食されるのを踏みこらえて、
一瞬の間に解放した真摯な感覚は鮮烈です。
独自性というきわめて困難なものを自分のものにすることができるヒントの一つにそういう姿勢があるのでしょう。
もちろん、そういう状況とはむしろ逆に、長く眺め続けることによって浮かび上がってくる叙景の内面というものもあるのでしょうが、
いずれにせよ本質を顕現させるためには、その中に入り込んで見ることが大切ということなのでしょう。
それは人物の内面についても当てはまることだと思います。 >>58
それとは気付かずに知らず知らずのうちに描写の持つ小針で刺されていたというような経験をすることがありますが、なぜその描写に引っかかりを覚えたかの理由は覚えていない。
ただその描写そのものの感覚だけが残っている。
概してその描写は先入観を捨て去った極めて写実的描写であって、決して共感を覚えるような象徴的な描写ではないんですよね。
伊藤、ヴァレリー両氏の主張する描写の一例は、アンビバレントな要素を含んでいるので、一歩間違えれば描写が独り歩きして作品のハイ・コンセプトから逸脱してしまう。
だからこそ、読者に気づかせてしまっては意味がないと思うのですが、東京都さんはそのあたりの処理がうまいので尊敬してるわけでございます。
上記のような例は、映像のサブリミナルの狡猾さとは違って、証拠が文字としてしっかり残っていることが、また文学のいいところですね。
大変参考になる文献をご提示いただきありがとうございます。 >>59
本当は衝撃を受けているのに、なぜ惹かれたかを説明できずに心に未消化のまま残るというのはたしかにありますね。
読み終えた後にざらついているものやもやもやしたものが残っているとき、頭の中に留めて持ち帰り、再び考えなおす。
知はそういったものから芽生えやすいというのも確かですね。
>概してその描写は先入観を捨て去った極めて写実的描写であって、決して共感を覚えるような象徴的な描写ではないんですよね。
これもよく分かります。
象徴的な表現を安易に狙いに行くと、一見高尚なように見えて、その実、中身がスカスカということがよくあります。
大阪府さんが書くもので、心象風景が象徴的に見えるものもありますが、
写実的足らんとするのを心掛けているのであって、象徴的というのは結果としてついてくるだけなので、その描写は常に充実していますね。 ちょっと訂正します。
×心象風景が象徴的に見えるものもありますが、
○情景描写が心象風景を表しているように見え、さらにそれが象徴的に見えるものもありますが、 書き込みがないので、保守がてらに雑文でも。
雑誌「ダヴィンチ」に長濱ねるのエッセーが新連載された。
高台にあって海の見える銭湯が地元・長崎にあるが、あまり繁盛はしていないということから始まる。
誰もが簡単に書けそうな描写に思えるが、けっして凡庸ではない。
淡々としたさりげない中にも、行間を読ませて、想像させ、読み手を引き込ませるという腕がある。
砂時計のところでは、意味がなかったり不合理であったりする習慣や伝統に人々がしがみついていることのアレゴリーのようにも読める。
もちろん、そんなことを長濱は意図はしていなくて、単に不条理なことを不条理なこととして描写しているだけだと思うが、
その丁寧な描写に読み手は勝手に深読みへと誘われてしまう。
マダニのところはギリギリを攻めているなあ。
小さいとはいえ、あんな気持ち悪いエイリアンのようなものが自分の体に穴を空けたということを吐露すれば、偏見を持たれかねない。
ましてや、アイドルは辞めたとはいえ、若くて可愛い芸能人で売っていく立場の者としてはイメージダウンになりかねない。
でも、その気持ち悪い描写も長濱の人柄のフィルターを通すことで浄化されていく。
その人柄を知らなくてエッセーを読んだ人も多いだろうが、文は人なりという言葉通り、
その全文から長濱ねるの人柄をうかがい知ることはできるので、同じように浄化されたと思う。 鈴木絢音が写真集を出すということで、久々に乃木坂板を除いたら、絢音の個スレに面白いリンクを見つけた。
「本が私と家族をつないでくれた」
乃木坂46きっての読書家・鈴木絢音が語る、本の魅力
https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/8045
その中で、次のようなことを述べている。
(1)電子ブックよりは紙の本に惹かれる。
(2)山や海への外出が嫌いな自分でも、その先が書店や図書館なら安心できたということで、
自分と家族、ひいては自分と他人との紐帯の役割を本は果たしてくれてきた。
そして、(1)と(2)の両方に関係するするエピソードとして、次のように言う。
>学生時代、友人からある本をもらったことがあります。
>彼女はあることにとても悩んでいて、それが理由だからか、表紙やページに傷ついている箇所がありました。その痕は、彼女がどういう思いでその本を読んでいたのかを私に訴えているようでした。
>書物には人の心が宿っている。そのときから、モノとしての本をより大切にするようになりました。
新潮社のPR誌「波」に載った宮田愛萌の書評の次の箇所を思い出した。
>私の本棚に並ぶ本たちは何度も手に取られ背表紙の端がボロボロになり、私だけのための本になっている。
>きっと、目隠しをされたとしても触るだけで自分の本を見つけることができるだろう。
内容だけでなく物質としての本への思い、中身と容れ物とが切り離せない本というものへの思いというものが上の二つに共通している。
本というのは汚されたことや損じられたことで価値が出てくることもあるということにそれは発展する。
上のような考えは他のことでも当てはまるかもしれない。
茶道には詳しくないが、欠けた茶碗を修復して使う「見立て」という考えがあるらしい。
壊れたものだからこそいっそう愛情を注ぐというものである。
あるいはキリスト教では、知恵の身を食べ、生命の樹にまで手を出そうとして楽園を追放された人間は穢れているが、
だからこそ神は慈愛を与えるという論理構成となっている。
さらに変態なら、未使用のパンティより、絢音や宮田が使ってシミのついたパンティのほうが価値があるという考え方をするかもしれない。 「変態なら」とすると、二人に失礼になるな。
「正常な男なら」とすべきだったか? 「本の道しるべ」という番組がいま放送されている。
毎回それなりに面白いが、第5回がなかなか見ものだった。
ライター夫婦(パートナーという言い方していたから、籍は入れていないかもしれない)の自宅が紹介されて、
家中に本棚があり、これから入れる予定のものも含め5万冊の蔵書がある。
真似しようとは思わないが、その光景は圧巻だ。
本に対する姿勢も参考となったところがあった。
今の自分の能力や状況でいらないと思っていた本でも今後は必要となるかもしれないから買っておく。
読書に没入することは大人になってからはできなくなっているので、それができた子供のときに読んだ本を原体験として置いておく。
上の二つは心にしみた。
第5回の再放送はNHK Eテレで翌週火曜のAM11:30〜11:54で放送される。 鈴木絢音“辞書を読む”――言葉の森の遊び方 辞書に「乃木坂46」を載せるなら?
https://www.fanthology.me/entry/suzuki-ayane
>>69のリンクでは紙の本全般に対するこだわりを見せていて、「乃木坂工事中」の中でも同じようなことは言っていたが、
ここでは紙の辞書に対するこだわりを絢音は述べている。
紙の書籍は電子ブックにはない有利なところがいっぱいあるというのは間違いない。
その最大の利点はランダムアクセスができることだと個人的には思う。
すぐに思いつくのは次の二つ。
(1)たとえば、現在読んでいるページと前のページとのつながりを確かめたくなったときにはそこに簡単に飛ぶことができる。
電子書籍でもおそらくブックマーク(チャプターマーク)を付けることはできるだろうが、最初からそこが重要だとはわからないことも多いのであまり有効とは言えない。
(2)一度読んで自分の頭の中にぼんやりと残っていることをもう一度詳しく読み直したいと思ったとき、意外と楽に見つけることができる。
調べるページが本の厚みのどこら辺で、また見開いたときに右側・中央・左側とかいうのはけっこう覚えていてそこを見つけることができる。 ただし、辞書や百科辞典に関しては電子もののほうが個人的には使い勝手がいい。
いくつかの種類の辞書や百科辞典が一つの電子辞書に収められているのが普通である。
それらを横断して言葉を調べることができる。
特に紙の百科辞典なんて置物になっているだけで、いざ調べようと思っても分厚い本が何巻も並んでいるだけでその気が失せる。
それに対し、電子辞書だとコンパクトだから手元に置いておけ、気軽に調べられる。
さらに、履歴機能を使うことで過去に調べた言葉を簡単に呼び出すことができる。
上のリンクでも「乃木坂工事中」の中でも紙の辞書に対する熱量は感じるが、優位性ということでは絢音はどう考えているのだろうか?
利便性ということでは最新鋭のホテルに軍配が上がるが。趣がある老舗旅館に泊まりたいというのと同じように、
電子辞書よりも質感がある紙の辞書を使いたいというだけなのだろうか? 『渦潮』
「うずしお」とひらがなで表記すると、平穏な水面に浮かぶ小さなうずが連想される。
ところが「渦潮」と漢字で表記すると、途端にその渦巻は白い波しぶきを伴ったものに変化し、時には、蟻地獄のような底なしの深さといった印象も加味される。
深い人物、それは時に怖さを伴う。
もちろん浅ましくないと意味を取れば褒め言葉であるが、一度でもその人物に巻き込まれてしまえば溺れてしまう可能性だってあるわけだ。
海なんてものは水面の形態がどうであれ、元来から人間が歩くようにはできていない。
だから特別に渦潮が危険であると言いたいわけではないのだが、それでも一度落とされた後に浮揚するには、その形態によって方法を変えなければならないし、必要な力もまちまちである。
そしてたちの悪いことに、浅瀬であるかのように錯覚させる「渦潮」は、初めのうちは「うずしお」に見えてしまうものである。
その「うずしお」がファースト・インプレッションであった彼女の名は、潮紗理菜である。 「出会いは一瞬出会えば一生」
初めて彼女が僕を振り返ったとき、彼女が僕から目を切って前を向いたとき、その両局面で彼女が残した言葉である。
その言葉通り、出会いは本当に一瞬の出来事だった。目の前が白くなったかと思うと、次の瞬間にはつぶらな瞳がこっちを向いていた。
彼女はハンカチを折りたたんでいる。かすかなヘリオトロープが漂っていた。
「ごめんなさい。風で飛ばされちゃって」
たとえ何を言われたって許せてしまえそうな、全くもって嫌味のない声だった。
そう、これが桜舞い散る4月の陽気に包まれた中での出来事ならばどんなによかったか…
彼女と出会う、もっと正確に言えばちょっとした会話ができるような関係になるには余りにも遅い時期で、とうに寒さになれすぎた頃であった。 女の子と臆することなく喋るのは難しい、そう信じ切っていたのだが、どうやら例外もあるらしいことにこの時初めて気がついた。
それは、今この人物と話しておかないと一生後悔をするレベルのルックスを彼女が持ち合わせていたということもあるし、何よりも一瞬で温かい空気を醸し出せる能力によるところが大きいのだと思う。
「あの…潮さんですよね?」
自分でも驚くほど情けないくらい貧弱な声が出た。
彼女は少し顔を上げる。
「お知り合いでしたっけ?」
その答えに淡い期待が弾け飛ぶ。まあ無理もない。彼女とは学年が同じくらいで他に接点はないのだから。
「いや、なんでもない。僕が個人的に知っていただけです」
そう言って、踵を返した。
「あ、ちょっと待って」
「なんですか」
彼女が僕の肩にわざとらしく手を置いた。
「君はわたしのことを勘違いしているよ」 「おそらくだけどね。優等生で真面目でおまけに人気者の潮さん。」
「は?」
「そうやって私のことをカテゴライズしているでしょ」
「あぁ…まあ、そうなのかな」
「人に先入観を植え付けたり、注意を引きつけたりするのは、実は簡単なんだよ」
彼女は見覚えのある財布と時計を両手に持っていた。
僕は慌てて自分の腕と尻ポケットを確認する。あるはずの物がない。
「ほらね。ハンカチで目を塞いだすきに財布をスって、肩を強く叩いたときに時計を外す。これくらいのこと簡単にできるんだよ」
「いつの間に…」
「それと同じで人は自分のことだって先入観ありきで見ている。あまり自分のことを過小評価しないこと。」
彼女は時計を財布を僕の手元に返す。
「〇〇くんだよね。出会いは一瞬、出会えば一生。よろしくね」
そう言って、彼女は恥ずかしそうに僕から目を切って前を向いた。
カランカランと鈴のような音が響いている。
桜舞い散るいつかの4月、また同じ音を聞くことになるとはつゆ知らず。
高校の合格発表で初めて彼女が僕を振り返ったときの出来事はもう少しあとの話である。 おしまいでございます。
2020/6/1 潮紗理菜ブログ「一期一会。」より >>81
お久しぶりですね。
柔らかな文体でストレスなく読ませるのはさすがです。
「渦潮」を潮紗理菜の「潮」にかけ、さらに音だけでなく、
表面的なペルソナの奥に別の人格が「渦潮」の如く宿っているという設定ですか。
善の奥に悪が、悪の奥に善が宿っているというのならよく見受けますが、
善の顔の奥にどこまで突き進んでいっても善人であるというのがオリジナリティのあるものとなっています。
現実の潮紗理菜の人格とも符合していて、文体だけでなく内奥も心地よく読めます。 >>82
お久しぶりです。
潮ちゃん見てると、意外と足が速かったり、いわゆるブラックなっちょな面があったり、面白い存在だなって思います。
外見、声なんかに全く尖ったところがないからこそ、そういった意外性を感じるのかもしれませんね。
結局のところ渦潮がどう足掻いても海であるように、人間も時と場合を無視すれば普通と呼ばれる人格に落ち着くのではないかと思っとります。
スナックスレの超紐理論、オカルトやスピリチュアルの分野だと思っていたんですが、れっきとした研究対象なんですね。
もっとも、難解過ぎて私たちの生活のどう貢献するのか見当もつきませんが笑 >>84
今の科学は難解になりすぎて、細分化して研究しないと、人間の頭が耐えられないんですよね。
だから、最先端の科学者でも自分の専門分野以外はオカルトのように感じるでしょうね。
超紐理論どころかニュートリノなんかでも人間の生活に役立つ日はおそらく永遠にやってこないでしょう。
原子力発電でも太陽でもその放出エネルギーの99%はニュートリノで、もし利用できれば、一気にエネルギー問題は解決するのですが、
利用する方法は絶望的なまでに閉ざされているんですよね。 >>85
夢があるんだか無いんだか笑
何らかのパラダイムシフトが起きて実現したとしても、今度はその膨大なエネルギーにより人間が滅んでしまったりして… たしかに今の科学技術は飽和気味で、全般的には明るい未来を感じられませんね。
まだまだ進化の余地がありそうなのはAI技術とゲノム編集技術くらいでかね。
もっともその二つも危うい面があり、最悪の場合、暴走して人間を滅ぼすかもしれません。。。。。
古本屋で雑誌を立ち読みすると、進化し続ける科学の明るい予想図が描かれているのを見つけることがあります。
生まれる前に発行されたものであるにもかかわらず、なぜか懐かしい気分にさせてくれます。
希望にあふれた科学技術というのは、もはや過去の物語となってしまったという世間一般の共通認識に侵食されているからかもしれませんね。 長濱ねるがレギュラーの「セブンルール」をまとめて観たていたら、ハバードとジュリアード音楽院を立て続けに首席で卒業したという才女とその母親にスポットが当てられたものがあった。
その中で、ロックやラッセルといった錚々たる大哲学者の教育論に混じって、>>58に挙げた本多勝一「日本語の作文技術」が映っていた。
おそらく母親の教育の礎となったものとしてさりげなく紹介したのだと思う。
エッセーとかなら、共感させるとか着眼は面白いとかを優先させて、必ずしも論理的である必要はないし、ときにはわざと曖昧にする場合もある。
だが、論評や論文なら、誰が読んでも同じ結論に達するという文章でなればならないので、そういう論理的な文章を書くためには読んで損はない本だと思う。 「白線のゆくえ」
わざとらしい咳払いで彼女を振り返らせた。
一瞬流れる沈黙。
彼女が再び黒板の方を振り返る。
そこに書かれていた一文は力強い。
少なくとも僕にはそう映った。
しかし彼女にとってはそうではないらしい。
「今のなしで」
その言葉とともに、真っ直ぐな眼が訴えかけてくる。
恥ずかしさなど微塵もないのが不思議である。
彼女は指先でその一文を消し去った。
「すごくいいと思います!」
フォローで気遣って言ったわけではなかった。
あんたに何がわかる?
とでも言いたげに口を半開きにさせたまま、小坂さんは生徒会室を去っていった。
黒板にはまだはっきりと筆跡が残っていた。
筆跡の強さである。
同じ生徒会で活動しているから、その異質さはよくわかる。
普段彼女が書記として作成する書類は淡々とした文字である。
今回の例外をどう捉えようか。
一旦遠ざかっていった足音が、再び近づいてきたため、急いで言葉を吟味する。
「本当にそう思う?」
小坂さんは息を弾ませながらそう言った。
「あの‥はい!だって、その、先輩キレイだし‥」
僕は俯きながら答えた。
彼女からなんとも言えぬ笑い声が漏れた。
同時にチョークの走る音が聞こえる。
『いっそアイドルにでもなってやろうか』
強く重ね塗られたその言葉はもう二度と消えそうになかった。
右横に添えられた彼女のサインには、まだまだ恥じらいが残っていたけれど。 × 筆跡の強さである。
○ 筆跡の強さが見られる。 「奢りと驕り」
ペットボトルのカフェオレは人肌程度にぬるくなっていた。
自販機から生徒会室までそれほど距離はない。ゆっくり歩いて10分弱である。
冷たい手をあたためながら廊下を歩いた。どこからか吹いた冷たい風が頬をなでる。
カフェインの覚醒効果よりも、外気のほうがよっぽど目が覚めた。
スライドドアに指をひっかけた。
電気が消えている。つけっぱなしで席を立ったはずだ。
室内はまだ温かい。これも、つけっぱなしにしていたストーブのためである。が、今は消えている。
壁掛けのホワイトボードを見た。右端の会長から順番に一番下っ端の僕の名前までが縦書きで並んでいる。
「出席」「欠席」「出張中」などのマグネットが各名前の下に貼られている。
そのいずれも、正確に現在の状況を表していない。
小坂菜緒「欠席」
珍しくこれも偽である。
通常であれば入室と同時にいのいちばんにマグネットを貼り替えているはずである。
それが今日は「欠席」のままであった。
特有の香りが室内に残っている。一度部屋に入った証拠だ。
勝手に彼女のマグネットを貼り替えた。
念の為に置きっぱなしにしていたカバンの中をチェックする。
みじめになって、その作業を瞬時に取りやめる。
「そんなわけないよな‥」
寂しい独り言である。
ボトルを開けて残りのカフェオレを流し込む。
立ち上がって、ボードの日付を更新する。
2月14日。
別に祝日ではない。だから今日だって普通に授業があった。
特に追記する事項もないとの結論に至る。ペンのキャップを閉める。
ボトルを手に取り、角のゴミ箱に投げ捨てる。音を立ててスポッと入った。
その数秒後にドアが開いた。
「おつかれさまです」
彼女は、後輩の僕に対して敬語で挨拶をした。いつも第一声のみこうである。
「おつかれさまです。小坂さん、マグネット貼り替えておきました」
「なんで?」
その問いかけに一瞬言葉が詰まった。普段どおりを装う。
「さっき部屋入っていくのが見えたので」
「そっか。でも今日は本当に欠席なんだ。部活あるから」
そう言って小坂さんはマグネットを貼り替えた。
そして開きっぱなしのドアに向かった。
ちょうど出る寸前で足を止めた。
「ほれ!」
不意に飛んできた“物体”をキャッチする。
「いつも飲んでるのそれだよね?」
「えぇ‥まあ」
「あれ、違った?」
「いや、あってますけど」
小坂さんは一瞬だけホワイトボードを見た。少し微笑む。じゃあねと軽く手を挙げる。
その後少しの間があったが、何事も起こすことなく去っていった。
心なしか手のひらのカフェオレは温かかった。 「読解力」
ちょうど単純な計算に飽き飽きしていた頃だった。
「今日テストが返ってきて、現文が30点だったんですよ」
帳簿に数字を並べながら、何気なしに発した言葉である。
別に特定の誰かに向けた言葉でもないが、顔を上げて「しまった」と思った。
声の届く範囲には、小坂さんしかいなかった。
愚痴に付き合ってくれるほど親身な人でもなければ、社交辞令でアドバイスをくれる人でもない。
ところがである。
「わたしは100点だった」
珍しく得意げな顔をしている。
ペンを止めて、明らかに返事を待っている。
いつもであればペンを素早く走らせながら、最低限のことしか言わない。
そんな彼女が今は何だか楽しそうである。
「えっとその‥すごいですね!どうやったら点数上がりますかね?」
「知らない」
ペースメーカーとして出場したマラソンの30km付近でレース終了を言い渡されるほどには、予想できていた展開である。
「でも‥ひとつ教えてあげられるのは、考えすぎないこと。答えはだいたい本文に載ってるから」
「へえ、だとすると現文ってあまり面白くないですね。」
「そうだよ。生活の中で分かりっこないことをあれこれ考えるほうがよっぽど面白い」
「小坂さんは?」
「ん、何が?」
「いやだから、小坂さんもあれこれ考えたりするのかなと思って」
「うーん、するよ。例えば、今は少なくとも君のこと考えてるから」
それは本当に“少なくとも”なのだろう。
彼女は会話の途中でまた下を向き、ペンを素早く走らせながらそう答えた。
その速度はいつもより少し早かったような気がしないでもないが。 「つながるということ」
「で、そいつにわたしから連絡しろと?」
小坂さんに“連絡先”を伝えるのは多分これで二度目だと思う。
一度目は自分の連絡先を伝えたはずだ。
方法はちょっと忘れたけど、現に小坂さんの連絡先が携帯に入っているから、一応交換はしたのだと思う。
まだ、彼女からは電話は愚かメールでさえも来たことがない。
「でも、そいつ僕のクラスでは女子から一番人気なんですよ」
「で?」
「で?とは?」
「だから、それでなぜわたしがわざわざ知らない人に連絡しなければならないわけ?」
「そいつが小坂さんのこと気になってるから‥とか?」
「理由になってない。仮にそうであっても直接わたしのところに来るべきだわ」
僕は以前にも似たようなことを言われていた。
集合するのが面倒くさいからと、夏休み中の生徒会の会議をメールで済ませたときのことだ。
休み明け、小坂さんが会長にこう言っていた。
「やっぱり、休み中でも一度くらいは集まったほうがいいと思います」
会長はすんなり承諾した。というか可愛いからか何なのか、小坂さんの意見には大抵の人が賛成する。
言いたいことを言い終えると、小坂さんは席に着いた。そして、独り言のように僕に問うた。
「メールだと、タイムラグがあるし、何より想いが伝わらないよね?」
彼女が珍しくポニーテールにしていたから、それは鮮明に覚えている絵であり、言葉でもあった。
「いいわ。挨拶文くらいだったら送っても」
「本当ですか!?なんかすみませんね‥」
「まあ生徒会室って敷居高いから、その人の気持ちがわからないでもないし」
その時、ふと思い出した。
桜散る4月の生徒会室、「何か困ったら、これに連絡して。生徒会室でだったら話くらい聞いてあげるから」と丁寧に紙に書かれたアドレスを渡され、それ以来僕は何の相談もしてこなかったことを。
ありきたりな枕詞をとりあえず言ってみることにした。
「小坂さん…伝えたいことがあるんですけど」
「何?」
唇がわずかに震えた。なるほど彼女の言うとおりだと思った。
メールでは、想いが伝わらないし、バレもしない。
こんなに緊張するなら、きっと何時までたっても想いなんか伝えられないと悟った。
僕は誤魔化しにかかる。
いつの日か友達がメールで送ってきたことを直接本人に言ってみる。
「生徒会じゃなくて小坂さんが敷居高い人なんですよ」
「えっ、そうなん?」
傾げた首に、困り眉、小坂さんは意外と面白い。 「ガラスの靴」
型にはまらない人というのは、自分から意図的にそうしている。
だが多分彼女は、自然とそうなっていると言ったほうが近いだろう。
少しずつ背伸びして違いを表現していくというよりも、そもそも最初からぶっ飛んでいる。
彼女を最初に見たのは大学の食堂だった。
ちょうど空席探していた時だった。
人でごった返す食堂のなかで、たまたま食事を終えた軍団が席を立った。縦に長く並ぶテーブルの中央辺りだった。
周りにも人はいたのだが、何故か彼女に目が留まった。
彼女だけが異質に見えた。それを単純にオーラと表現しても良いのだが、残念ながら違う。
彼女は真っ白なワンピースを着て、カツカレーを一人で食べていた。
別におかしいことは無いのだが、童顔で色白で白いワンピースを着た少女と、大学食堂の安いカツカレーとが、どう考えてもミスマッチだった。
ちょっと面白くなって、一つズラして座ればいいものを、わざと彼女の向かいに座った。
「ハロー、“あかり”ちゃん」
名前にアクセントを置いて呼んでみた。
彼女とは初対面だが、名前は知っていた。彼女は驚いた顔で「ハロー!……?」と返した。
なぜ私の名前を知っているのと言いたげな様子から察するに、英語の授業で使った名札をそのままワンピースに付けっぱなしにしていることに気付いていないらしい。
名札を指差すと、彼女は無邪気な笑顔で自分の名を告げた。
「ありがとう。丹生明里です」
束の間の昼食だったが、話しているうちにすっかり意気投合した。
その流れで丹生の研究室まで一緒に歩いた。
しかし2月の寒空は、やがて二人の声を黙らせていく。
そんな時だった。
「あの…よかったら今日晩ごはん一緒に食べませんか!?」
意外な誘いに少々驚いた。丹生の唇が震えている。
たぶん彼女なりに勇気を振り絞ったのだろう。その種の緊張を見るのは嫌いじゃない。
なるべく軽い感じを醸し出して、いいよと答えた。
「実はね、私…4年間、研究に没頭しすぎてゼミ以外に友達ができなかったの。だから最後の思い出にと思ったんだけど、やっぱり迷惑かな?」
「ううん、そんなことないよ。」
丹生は悲痛と安堵とが入り混じったような笑顔を見せた。
今は2月、つまり大学4年生の彼女は、もう来月には卒業してしまう。
その最後の友達が2つ下の自分でもよいのだろうかと思った。
「じゃあ私が奢るから、好きなところ選んでいいよ」
丹生が言った。
その後の顛末は、結局、安い居酒屋を選び、その飲みの席で特に面白いことは起こらなかった。
ただし、酔っていたからか、帰り道に無駄な買い物をしてしまった。
なぜそんなものを買ったのか今でも思い出せないが、透明な靴を二人で買った。
かなり酔っていた丹生は、その靴を履いて帰った。
自分が勧めたので、少し気が引けたが、一夜限りの飲み友達だと自分を納得させることにした。
丹生が同じ大学の院に進み、学部生の自分と何度も顔を合わせることになるとわかったのは、もう少し後だ。
実際に、4月以降も大学構内で、彼女を何度も見かけた。
大抵、ベンチで本を読んでいた。
「丹生ちゃーん」
彼女はいつも驚いた顔を見せる。
やがて恥ずかしそうな笑顔を見せる。
あの時買った透明な靴を、本人は気に入っているらしく、シラフの状態で履いている。
「なんで、金村は履かないの!?」
最近よくそんなツッコミを受ける。
彼女を見ているとなんだか不器用なシンデレラのようだった。
だから私は、親しみを込めてその透明な靴をこう呼ぶことにしたのだった。
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