ブランチ・ダヴィディアン事件

ブランチ・ダヴィディアンはアメリカを拠点とする新興宗教団体であり、「ダビデ派セブンスデー・アドベンチスト教会」から
955年に分裂して立ち上げられたプロテスタント系のセクトである。
選民思想が説かれ、ブランチ・デヴィディアンの信者だけが最終戦争後に生き残ることを神に認められていると主張して
教祖のカリスマ的な魅力もあり多数の信者を獲得する。

終末思想を思想体系とした小さな宗教団体にすぎなかったが1990年にバーノン・ハウエルが教祖に就任したのを
きっかけに急速に選民思想が説かれ、ブランチ・デヴィディアンの信者だけが
最終戦争後に生き残ることを神に認められていると主張して教祖のカリスマ的な魅力もあり多数の信者を獲得する。
教祖バーノン・ハウエルはこの後デビット・コレシュと改名した。これはユダヤの英雄の名にちなんだものである。
教団は児童虐待の容疑をかけられ、武器不法所持の疑いも強まり時の司法長官ジャネット・リンはATFに強制捜査の命令を下した。
そして1993年2月28日テキサス州ウェイコの教団本部についに捜査官が突入する。

その数は100人に及ぶ精鋭であったが、対戦車ライフルまで装備していた教団の反撃によって捜査官4名という
犠牲を払って敗北した。このとき教団側の信者6名も死亡している。
教団が準備した武装は自動小銃を中心にアンチマテリアルライフルや手榴弾まで含む膨大なもので、その火力はちょっとした軍隊に相当した。
この武装衝突を受けて捜査権限はATFからFBIの手に移った。

全米国民が見守る中、51日間の膠着が続いた。ダビディアン側は武器弾薬に加え、1年分以上の食料を備蓄し籠城した。
同年4月19日、司法長官ジャネット・リノは強行突入を決行。19台におよぶ戦車、装甲車、武装ヘリコプター、催涙弾などで突入。
ところが、信者は意に反し投降しなかった。その後、突然建物から出火、教団本部は炎に包まれ、ほとんどの信者は焼死した。

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有名なATFの突入シーン
https://www.youtube.com/watch?v=Er7gzj0BbSE