精神転送の前に「俺はオリジナルになるのかコピーになるのか」って悩んでるとする
客観的に見たら確かにそれはちょっとアホらしく見えてしまう、何故なら「オリジナル」の運命は既に決まってるから
でも実際に転送が行われると、生まれたコピーはオリジナルと同じく「オリジナルになるかコピーになるか」でさっき悩んだ記憶を持ってる
コピーの主観では、「さっきは悩んでた(記憶がある)けど、どうやら俺はコピーになったらしい」という風にしか捉えることしかできない
客観だと「派生」として捉えることができるけど、主観だとせいぜい「分岐」があったとしか思えなくなる

この分岐がシータで問題になった、連続性に対する賭けのこと
オミクロンでコピーとして生まれたサイモンは、一度この分岐を経験して今に至ってるから、コイントスに勝ったという風に感じてる
そしてその経験のせいで余計に、arkに乗るときもまたコイントスに勝てるものと信じてしまった
ちょっとうまく説明できなくてすまんが、ともかく主観で経験したら理屈以上に奇妙に感じるんだろう