1964年東京オリンピック当時の首相、池田勇人は、オリンピック前に病に倒れ、閉会式翌日の10月25日に退陣を表明した。そして翌年8月に死去した。享年65。

池田勇人 - Wikipedia
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池田 勇人(いけbセ はやと、1899年〈明治32年〉12月3日 - 1965年〈昭和40年〉8月13日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正二位。勲等は大勲位。

生涯
退陣、死去

1964年9月9日、国立がんセンターへ喉頭癌の治療のため入院した。すでに癌は相当進行していたといわれる。病名は本人に告知されることなく、「前がん症状」と発表された。政治家、とりわけ首相や実力者が病に倒れた場合には政局変動の要因になるため、その病状がひた隠しされることが通例と言われる。池田の場合も池田派の側近議員らが癌であることをひた隠し通した上で、任期を残して退陣する演出を行った。東京オリンピック閉会式翌日の10月25日に退陣を表明、自民党内での後継総裁選びの調整を見守った上で11月9日の議員総会にて佐藤栄作を後継総裁として指名した(池田裁定)。後継総裁選びを、退陣予定の総裁の指名に委ねた戦前・戦後を通じて最初のケースであった。

その後、療養に努めたが、翌1965年8月13日に死去した。享年65。