この構造は、インターネットとイントラネットの関係と完全に重なる。かつてイントラネットは、管理者が明確で制御しやすく、安全そうに見えた。しかし世界を覆い尽くしたのは、誰も管理しておらず、誰も責任を取らず、信頼を前提としないインターネットだった。インターネットは、参加者の善意や運営者の誠実さを前提とせず、それでも通信が成立するように設計されていた。だからこそ、国家や企業、特定組織の寿命を超えて存続し続けてきた。

Ethereumをはじめとする真に分散したネットワークは、この「信頼を前提としないインターネット」と同じ設計思想の上に成り立っている。誰かが消えても、裏切っても、敵対しても、それでも止まらない。一方で、信頼できる主体の存在を暗黙に前提とするネットワークは、どれほど効率的に見えても、本質的にはイントラネットの延長に過ぎない。管理可能であることは、スケールした瞬間に最大の弱点へと反転する。その意味で、Ripple社によるマーケティングやロビー活動は、運営主体の存在を際立たせてしまうという点で、むしろ採用に対して逆効果となる。インターネットはマーケティングされたから普及したのではなく、必要とされたから使われたのであり、Ethereumも同じ道を辿っている。

インターネットとブロックチェーンは、切り離された別物ではない。両者は同じ思想の上に生まれ、互いを補完しながら拡張されていく存在である。インターネットが「情報の信頼」を特定主体から切り離したように、ブロックチェーンは「価値と契約の信頼」を主体から切り離すための技術だ。その延長線上にある以上、ブロックチェーンはインターネットの進化の一部であり、対立概念でも代替物でもない。

だからこそ、インターネットの拡張に、一企業の主体が深く入り込む余地は本来存在しない。特定の企業がプロトコルを制定し、管理し、変更する余地がある時点で、それはインフラではなくサービスになる。インフラとは、運営者の都合で挙動が変わらず、存続を心配されず、交渉や説得の対象にもならないものである。企業が求めているのは「信頼できる会社」ではなく、「信頼という概念そのものを必要としない構造」だ。

結局のところ、XRPに大手企業による本格採用がほぼ存在しないのは偶然ではない。それは市場と企業が、「信頼を前提としない」「止まらない構造」を選び続けた結果である。Ripple社やリップラーの方向性が間違っているという指摘は感情論ではなく、分散の本質を理解した者だけが到達できる冷静で現実的な結論だ。なぜ企業がEthereumを選び、XRPLを選ばなかったのか。その答えは、すでに一度、インターネットの歴史の中で明確に示されている。XRPが企業インフラにならなかったのは失敗ではない。インターネットと同じ思想を持たなかったという、必然の帰結なのである。