今日は日本社会の話をしたいとおもいます ※最終的にETHの話に帰結します

日本のシステムでは「空気 × 自己責任」を徹底せざるをえませんでした
これは社会インフラの必然性からです

@ 法が極端に曖昧なのは、国家側のコスト削減策

日本の法体系は
・条文が広すぎる ・例外規定が多すぎる ・ガイドラインが曖昧 ・運用が空気依存
という特徴をもちますよね?

この曖昧性は偶然ではなく、訴訟コストを社会全体で抑えるための装置
つまり国家が「厳密な個別判断と裁判の大量発生」を避けるための仕組みなんです

法で全部決めると、国家も企業も国民もコスト跳ね上がりますよね?
日本はここを空気・慣習で処理して行政コストを最小化しています

A 曖昧な法の結果➞訴訟が減り、個人の「自己責任」が肥大化します

・「何が合法か違法か」は個々の判断 ・トラブルは自分で処理が前提 ・国家はノータッチ ・紛争は当事者同士で解決

つまり、国家の代わりに国民がリスクを自分で処理する文化が固定化される

日本は国家責任を個人に委託した社会なんです

B 個人に自己責任を押し付ける免罪符が「外圧への協力」

自己責任を強要するためには「全員にとっての利益(外圧利益)」を盾にするしかありません
だから日本では常にこうなります

・「みんなの迷惑になるからやめろ」
・「全体の和を乱すのか?」
・「協調しろ、譲り合え」

これは外圧(全体利益)を守るために個をぎせいにしろというロジックなんです
そして外圧に属しない一部の内圧不利益者は完全スルーされるんです