ゆうきまさみ総合41【新九郎 奔る!】
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■前スレ
ゆうきまさみ総合40【新九郎 奔る!】
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1663920869/
■作者公式サイト「ゆうきまさみのにげちゃだめかな?」
http://www.yuukimasami.com/
■ゆうきまさみtwitterアカウント
http://twitter.com/masyuuki/
■次スレは>>980がたてること
■>>1の本文一行目に「!extend:on:vvvvv:1000:512」
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>32
そっかあ!
じゃあこれから登場する新九郎の家族の女性は糸関連の名前なんだ!
弦様も厳密には家族だよね! 従兄嫁
そんな言葉あるのか知らんが
>>33
そのうちおキヌちゃんとか出てくるのかね 盛頼も本妻がいてあくまで政治的判断に基づく側室とはいえ
よく他の男の種付きの女を引き取ったよな
しかも息子はどんどん疑惑の男に似てくるというのに >>29
North Branch Early Cloud >>37
娶った時点では石女で通ってたし、新九郎の種かは作中で意図的にボカされてるやん
まあ、郷の者全員が『暗黙の了解』なんだろうけども >>40
ついでに、(他家だが)武田信縄も関係してきたら面白いな
文明三年生まれというし、龍王とか聡明とかに近い世代かなあ?
武田は駿河のとなりだし、関東との関わりが深い家だから、今後の展開で武田氏の何人かとは関与することになるだろうし >>37
貞藤「ライバルの子を二人も産んでる女性を後妻にしましたが」 >>40
>>42
足利茶々丸の諱に「政綱」説がある件。
これも関係しているのか? 貰った名前を下に付けるって無礼過ぎだから無関係だろ
下に付ける人がいなかったわけではないけど >>47
近世後期に高松松平家が編纂した『歴朝要紀』は茶々丸の名を政綱とするが、その出典・根拠は明らかでない。(足利茶々丸wikiより)
普通なら本家筋の室町殿から偏諱を賜うわな。
足利義尚から貰えば「尚○」、義材から貰えば「材○」。
仇敵の異母弟義澄からは絶対に受けないと思うけど。 >>45
実は早くに元服してて義政から貰ってたのかな そういや春風亭昇太師匠はいつになったら柳昇を襲名するんでしょうね。 >>48
水戸の御連枝だけあってそういうの好きだな >>52
修史事業大好き水戸徳川家♪
>>50
足利持氏・義久父子みたいに将軍職への野望があったら慣例無視して「義○」と自称したかもね。 秋本家が柳昇の名前をボッてきたから割に合わないとかいった風評被害 >>53
三代目古河公方さん
「本家から偏諱頂戴したら狙ってないのに
色んな意味でヤヴァい人と同姓同名に… >>56
一回名乗ってたのか、その時に気付かなかったのか? 円楽は誰が襲名するのかね
昔の人は名前コロコロ変わって周りは混乱しないのか?新九郎はずっと新九郎のままみたいだけど >>58
昔は本名、諱で呼ばないから混乱しない
変えても通称は変わらないから何の問題もない >>56
>明応4年(1495年)に元服して、室町幕府第11代将軍・足利義高(後の義澄)の偏諱を受けて高氏(たかうじ)と名乗るが、初代将軍足利尊氏の初名と被ってしまうため、後に初代鎌倉公方・足利基氏(尊氏の子)の一字により高基または義基と改名した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E9%AB%98%E5%9F%BA
遐氏(とおうじ)や澄氏(すみうじ)だったら問題なかったのにw
ちなみに足利義澄wikiを読んだら、義澄には「義高」でなく「義尊」と名乗っていた説もある模様。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E9%AB%98%E5%9F%BA
そしたら「氏」が通字の古河公方三代目に偏諱したらまんま「尊氏」やんけw 足利尊氏は後醍醐天皇(尊治)から尊の字を貰うまでは
足利高氏と名乗っていたのでそのまんまだよ >>61
古河公方の代目にとっては、一族のレジェンドの初名高氏よりも、天皇から偏諱賜った尊氏の方が馴染み深くてずっと畏れ多いだろうなとレスしたかったが、説明不足ですまんな。 よく考えたら5代目兼新九郎のひ孫も
大概な名前だな
伯父上三代目新九郎の意図かしら? 関係無いけど戦国大名、のち仙台藩初代藩主の伊達政宗の先祖に同名の「伊達政宗」
がいる。 スピリッツの煽り、政知が弟になってるけど兄だよな?
義勝基準だったら弟だけど… Wikipediaより
織田信成(おだ のぶなり) - 織田信行(1536年? - 1557年、戦国時代の武将、織田信長の弟)の別名。
織田信成 (戦国武将) (おだ のぶなり、? - 1574年) - 戦国時代の武将、織田信長の従兄弟。
織田信成 (旗本) (おだ のぶなり、1650年 - 1710年) - 江戸時代の旗本、織田信行の子孫。
織田信成 (大名) (おだ のぶしげ、1843年 - 1898年) - 幕末の大名、大和国柳本藩主。(信長の弟)織田有楽斎の子尚長の子孫。
織田信成 (フィギュアスケート選手) (おだ のぶなり、1987年 - ) - 元フィギュアスケート(男子シングル)選手、現プロスケーター。
フィギュアスケートの人以外はすべて織田信長関係者 >>74
あれは廟号って言って、日本で言う院号か戒名みたいなもん唐のころ、従来の皇帝名が長くなりすぎて呼びにくくなったので、それ以後の皇帝の呼び名として代用してる感じと思う、いちおうそれ以前の皇帝も大抵は廟号あるけど、普通は廟号では呼んでない >>71
義栄がもっと頑張っていたら栄宗だったかも >>72
政知、実年齢は義政の兄なんだけど、義政の母が日野氏な関係で立場的に弟扱いなのよ
そういった面でも義政に対する鬱屈した感情があるのかもな あーあもう少しで単勝も中ったのに
複勝中っただけでもよしとするか
梅ちゃん息してるー?
えーお話変わって
細川さんとこの永青文庫で漆芸コレクション見てきた
16年ぶりに公開したとかいう国宝の鞍があったんだが
13~14世紀に作られたらしいんでもしかしたら世に名高い作の鞍かも!
11/13までの限定公開なので見たい方はお早めに
三井記念美術館の大蒔絵展の半券があると200円引き >>78
そういえば梅ちゃんも茶々丸同様、諱不明なんだよな。いや、諱どころか姓も不明か。 つけたし
永青文庫からちょっと足を延ばすと山吹の里伝説の碑があるらしい
今回は行かなかったけど
あと近くに一休橋ってのがあるんだけど
江戸時代に橋の近くに一休名残蕎麦って店があったんだって 梅ちゃんネタ、当人達はあくまでも軽妙なトークしてるつもりっぽくてキツいな
おじさん構文と同じ加齢臭を感じる >>80
あさのときしだ「終盤まで名前不明だった俺らに比べれば」 ジジイになるとネタが古いのにやり続けるからどんどんウザがられるようになる 実は氏政から貰ってたんだけど秀吉に降伏するにおいて無かったことにした、というのはどうか 当時は馬に乗ってか徒歩かで移動だろうから、新九郎がちょっと荏原に
行くのでも実際はかなりかかっているのだろうな。 第9代の大膳大夫政宗は誰から偏諱を授けられたんだろう?
息子の氏宗は鎌倉公方足利氏満(義満の従兄弟)から、孫の持宗は室町幕府4代将軍・足利義持(義満の子)からの偏諱らしい。 真面目に借金返してるのに幕府から返さなくていいんじゃない、って言われたらやる気なくなるよな。
これ幕府が貸手に保証するわけないよね。借りてた相手から恨まれるのは新九郎だし あの人に勝ちたい→あらぬ謀反の噂を流して暗殺させる
史実があるから仕方ないけど、主人公としてとうなんだw 破産手続開始の決定
小林山城守が登場する前のページのフキダシ
「兄上!」ってネームのミスだな 生活力はダメだが政略絡みだと父ちゃんが頼りになるねー
新九郎の指南役は外政が父ちゃんで内政が盛頼なんだな この先の茶々丸絡みの話が救いのない悲劇になってしまうのだが 茶々丸と義澄を双子の兄弟にしてきたか
けど同腹なのに長男の方を庶子に落とすのは違和感あるな >>100
分一銭の話か?
当然のごとく後の幕府権威の失墜に影響を与えてるよな >>101
能力で上回りたいでいいだろ
新九郎と定正が連携するのは道灌死語なんだし >>107
先に出てきた方が後から出てくる奴の露払い(お膳立て)→後から出てきた方を上とする
的な思想だったかな うーん、そもそも先に出たほうが弟というイメージなのだよなぁ >>101
謀略や外交で勝ちたいんだろ
外交戦で勝って殺させたんなら、無事に勝てたってことじゃん 双子って後から出てくる(=より奥に先に宿ってる)方が兄姉とされるのが今でもメジャーでしょ
室町期はどうかわからんけど >>114
それって明治期に欧米の文化を取り入れてそうなったって聞いたことある 明治初年の太政官布告では先に出たほうを兄姉とするようだが… 布告はともかくばあさんの世代はあとから出たほうが兄だったね。いまのことは知らんけど >>101
あの程度では暗殺までは見込んでないだろう。
ただ少しでも道灌の動きを止めたいだけで。
ただこの時点で既に家中でも警戒されてきてるし当方滅亡に繋がって行ってるが。 現在は生まれた順に兄・姉→弟・妹だね
声優の松田姉妹なんて誕生日も違う(出産が日を跨いだらしい)から逆だとややこしかったろうね なる程これで後に茶々丸が自分の出生の秘密を知って・・・ということになりそうだな これだけ困窮してたらそりゃ結婚もってことで、新九郎がおそらく晩婚だった理由も描写されてる >>101
アムロ「ランバラルには謀反の企てが」
蝉川夏哉@osaka_seventeen 2021年11月20日 19:30
「勇者よ、魔王軍への対処はどうするべきだろうか?」
「王国の領土に比較的近いゴブリンの大酋長の息子が二人いて
後継問題で争っているので弟側に与して武器と食糧を供与しつつ、
無能な兄の方を人間は恐れているという噂をばら撒いているので、
恐らくは内紛で暫く動けなくなるかと」
「やな勇者だな」 掲載順序がどんどん後ろになっていってるのが気になる(少年ジャンプ脳) サンデー系はむしろ後ろの2つくらいは完結まで安定ポジ
ビッグコミックのゴルゴなんて最後にいない方が珍しいし 「後にも先にもただ一件」の徳政申請を金貸しや周り(特に未来の舅殿)はどう見るのか気になる 太田道灌について、徐々にフラグが立ちつつある気が。
やはり伊勢家を敵に回してはいけなかったか 双子設定いる?
いやもちろん考えがあって敢えてそうしたんだろうけど ウィキペディア見てきたけど、茶々丸も義澄も潤童子もみんな同じ正室の子供なのか、新九郎世界じゃ
茶々丸が真実知ったらそりゃ素行不良になるわな 双子だから同じ顔だろうし牢に幽閉する口実になるな
堀越公方がドロドロしてきたな 一卵性か二卵性かあるけど、顔が全然違う設定にはしないわな普通は
潤童子のほうが義澄より年上になるんけ? 骨肉の争いになるようにするのか容赦ないなゆうき先生
そうなると茶々丸はむしろ周囲に担がれたってことになるのかな
年齢から考えて
やはり当時は双子って忌み嫌われていたんだなあ
むっしゅうは相変わらずだが杉本苑子「武蔵野の虹」でも
新九郎が流言飛語を使ったことにしてた
こっちは素浪人説だけど 万里先生の目を通して描かれてる
しかしこれだけお金や凶作で苦労すれば仁政敷かざるを得ないな…
太郎は窶れても太って見える >>130
茶々丸と義澄が双子でも、義澄は早くに寺に入ってるからそこは関係ないんじゃないかな 定正さんのかぶっている烏帽子が折烏帽子でなく偉い人と同じ立烏帽子になってるね。 畜生腹とはまたパワーワード
記録に残っていないだけで生まれてすぐいなかったことにされた赤子とかいるんだろうか
間違いなくいただろうけど この双子設定をやるためにこの漫画を描き始めたな、こりゃ >>136
よくて里子か寺入り
そこまでできない庶民の家は… >>137
鉄仮面に顔を奪われ十と七とせ
生まれの証さえたたん、このあていが
なんの因果かマッポの手先 wikiで知ったんだが装甲悪鬼村正にも出てたんだな茶々丸
安永先生の漫画でしか作品は知らんが >>140
やめとけよここでは老害扱いが関の山だぞ。 考えてみたら「白クロ」で取り上げられてたカインとアベル
ヤマトタケル、イザナギイザナミ
みんなころし合ってるな
他にある? >>121
小笠原さんは借金塗れの婿は嫌だって言ってたけど、他の有力家系の人たちはどう思ってたんだろ。腐っても伊勢家家中で若いながらもそこそこのやり手として名が通ってたんでしょ?
しかも御所様からは慕われているし・・・・とここまで書いたら大御所様からは疎まれていたことを思い出した・・・・orz この漫画の道灌って不必要に他人を煽りまくって自滅してる印象 >>123
青年誌のラストは大トリかベテランよ
楳図かずお、土田世紀などなど 今週号電子版読んだけどページ抜けてない?
404Pの最後のコマから次のPに違和感がする >>150
兄上! が多分誤植 新九郎! が正しいと思われます
この説明で違和感がないならページ抜けはないと思う 新右衛門さんの質問コーナーに弥二郎出てたからごちゃ混ぜになったんだろう>誤字 幕府にショバ代払えば借金踏み倒してもよいってよく考えたらヤバいな 大河ドラマ直虎でも徳政令をやるかどうかがクライマックスだったな、というか井伊直虎なる人物の史料がそこしかない 徳政令を悪用し客の荷物を奪った宿屋の主人が客に宿屋を奪われたって話を漫画日本の歴史で読んだ記憶がある >>154
当時の借金は最初から貸し倒れを想定した超高金利になってるから別に 学習漫画って普通室町時代の扱いがいい加減なのだけど、それやった学習漫画は後醍醐の反乱の始まりから応仁の乱終焉まで結構真面目にやっていたな
でもハンコを押したように、義視と義尚(日野富子)の対決が応仁の乱の原因にされているな、富子と義視の対立自体は、義政の死後からである 調べる程義満と義持の時代くらいしか安定してないし
その時代も討伐討伐だし関東はその頃から乱れっぱなしだし
江戸時代が特異に見えてくるレベル 義教が些細なことで女官の髪の毛切るシーンは子供心ながらびっくりした フキダシ、領民の負担について父親とはなしてる所も
おかしくない? あの悪名高い茶々丸の生誕をこう描くのか
この先どうなるか楽しみだわ 次回でようやっと1483年に入るのか(都鄙合体)政知がキレるかな? >>159
安定してる時代の義満義持でさえ、大名たちの意見を聞き流せない、むしろ迎合しつつ自分の意見で微修正する程度にしか意思を押し通せてない(本人による感慨)というんだから、
自我を押し通した度合いだけみたら義教や義政も大差ない気がする
国内の安定度は段違いだけども。 「後にも先にもただ一件」とあったけど何件も徳政申請した人が多くいたの?
そう何度もチャラにしたらそもそもお金貸してくれなくなりそうだけど 刀を持って店に行ったら何故か不思議とお金を貸してくれるだけだぞ >>98
史実だと翌年にまだ債権者の渡辺さんと一悶着あるらしい 茶々丸と清晃が同腹の双子ってのはアクロバットな設定にしたな。
茶々丸は伊豆系の庶子だったので、地元の国人や扇谷に圧迫された犬掛系披官が擁立したから
幕府がバックにいた宗瑞に対し結構しぶとく抵抗できたのかと思ってた。 正鎮パパの晩年は記録されていないから、このあと
いろいろと物語で暗躍しそうだな。
家督を新九郎に譲ってからは気楽なもんだし。(借金を除いては) 徳政令で思い出したけど、れいわ新選組山本太郎代表は
「奨学金徳政令」を公約に掲げているな。今の奨学金は実質的にローンだと。
大学以上だと給付型の奨学金がほとんど無い。
どんどん海外に優秀な人が出て行ってしまう。
(関係無い話でごめん) れいわ新撰組とか知性と理性と良識を失った奴が行き着く掃き溜めじゃん
幸福実現党と1mmも変わらん 昔からローンだよ、徳政令っていろいろ不公平だろ、真面目に払ってきたやつはバカみたいになるし 高卒でも働けばいいんだよ
大卒の学歴の資格を持つべきでない奴が大学に行きすぎる
あと企業が日本人を雇わなすぎる
そういう社会にしてしまった(スレチ)
そうか徳政令っていうなれば自己破産みたいなもんか。融資するしないにおいては信用問題だもんな こんなところで急に政党名出したりするからカルト扱いされるんだろう 借金から逃げるーってのはゆうき先生らしいけど
徳政利用した自分から逃げるーのかもしれない
観念的過ぎるけど 裁縫してる新九郎のそばにいるの、、
龍王丸だよね?
顔が薄いのは氏親の木像に寄せてる? 双子説とか、扇谷と道灌の不和は伊勢家からの陰謀説とか、色が出てきたね
面白い >>182
昨日から山本太郎が行動していることを見るべき >>184
それは生まれてきた瞬間に決まるからどうしようもない。 中国から金を貰って反日活動をしてるわけだから
まともな政治家が出てきたら全員死刑になる事は分かってるのかね?
自民はチキンだから死刑にしないだけで、
法律的には死刑しかない罪を犯してるんだから完全アウトなわけだが 自分で関係ない話をしているといってるのに夜が明けたら率先して蒸し返してくのか… >>183
いや、昔は給付型奨学金も件数の2割ぐらいあった気がする
給付型が減ってローンがどんどん増えてた頃に学生時代を送ったような記憶がある
つまり、俺より上の年代だと、給付型の奨学金が主流だった頃の人すら存在するんだよ
さすがに、給付型が主流だった頃に学生だったような人はそろそろ定年だろうけど >>200
喜怒哀楽ははっきりしてきたような
読み書きは出来るんだろうか >>202
花押の書類がなかなか発行されなかったのは、やはり書けなかったんですかね?
※その間、印鑑で代用 今週号読んだ(遅
茶々丸来ちゃったか
暗雲立ち込める 嫁さん美人じゃなく愛嬌あるタイプに描いたのはなんか理由あんのかね? 新九郎みたいな生真面目で神経質で物事思い詰める奴にはあんな能天気な子が逆に合うだろ
堀越や小田原攻めの苦悩や後悔を縫ちゃんが笑って許す 「チェンソーマン」が林業の話ではないように
「新九郎、奔る!」もアスリートの話ではない なんでやまだ12なんだから美人に育つ可能性はあるやろ!
性格はあのままだろうけど 茶々丸と義澄?が双子説はゆうき先生のオリジナルか
それとも誰か唱えてるのか
もしかして黒田先生の入れ知恵だろうか
誰かきいてみて 説ってなんだよ
トンデモでもいいからとにかく説として残ってなきゃダメで創作は一切入れるなってか 多分だけど双子話が書きたいからこの漫画書き始めたんだろ
ヒストリエのフィリッポス、アンティゴノス同一人物とかと同じ だとしても上手く当て嵌めたと思うわ
八郎兄ちゃんの処遇みたいな凄味を感じる
かなりえげつない展開になりそうだけど
年齢面をどう解決するか楽しみ
茜丸っぽくするのかな 史実の茶々丸って生年不明なのね。
母親も調べてみたけど早くに亡くなってるらしいことしか判らなかった。
確かに妄想の余地というか創作のつけ込む隙みたいなのがあるねえ。 むしろ茶々丸双子ネタドロドロ展開を書きたいがための新九郎連載だった、説まである >>217
側室こさえる時、縫ちゃんになんて言われるやら >>221
生没年が不詳の歴史上の人物は創作されまくりだからな。
有名なのが石田三成の家臣・島左近。関ヶ原で討ち死にしたと
考えられているがそれを見た者はいない。
われらが新九郎や斎藤道三は没年ははっきりしているが名前が
知れるまでは諸説紛々だったことはこのスレの人々には釈迦に
説法だろう。 茶々丸の生年自体が不詳だからなぁ
本作ではかなり遅い方に振れた生年の設定で
政知が亡くなった時点で10歳程度ということになるね
政知の継室である円満院にしてみれば、清晃は実は実子ではないということになるので、
茶々丸に殺されるほどの恨みを買う理由がどうして生まれたのかという経緯について
どう物語を組み立てていくのかが楽しみではある 徹底的に調べると空白部分をどうするのか
自ずと見えてくるんだろうね 全然関係ないけど、母の友人で年子の双子を生んだ人がいるらしい。4人全員男。家の中大変だっただろうな。 清晃と潤童子の生母の円満院が実は茶々丸の実母でもあり
しかも円満院が潤童子もろとも殺害されたときに茶々丸はまだ幼少
どんな複雑怪奇な事態で2人が死ぬはめになったのか
という話では グリフォン拡大
【コロナ】新たな変異株“グリフォン”と“ケルベロス”が世界で拡大 日本でも拡大の可能性 [puriketu★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1666856304/ 1932年生まれ説だった頃の新九郎は遅咲きの苦労人というイメージで語られてたけど、
56年生まれ説のこの作品でも20代も半ばで無位無官で借金まみれ、駿河館襲撃は5年後って、
政元や義尚なんかを見てると思いっきり遅咲きだよな >>224
「妾(側室)で勉強してくださいね?」だったら怖い >>238
それを言うなら戦前だろ
二次大戦はそんなに長くないぞ 戦中派の意味でなら間違ってない
戦時中に少年期を過ごしたことになるから >>243
10年後と言うと貞藤の生誕600年か。 >>244
2人同時にお祝いかな
双子にしたのが黒田先生と相談の上なら楽しい
また小田原での講演会みたいなのやらないかな >>245
2056年まで待てば新九郎生誕600年祭とゆうきまさみ生誕99年祭が同時に(ry
盛定父ちゃんの生誕祭は2年前に過ぎ去ってしまったので見事にスル。 しかし今の新九郎が駿河館襲撃するようになるのが全然想像付かなくて先が楽しみだな 須磨の所領からの収入って今どうなってるんだろうね
八郎兄上の鎧サクッと買い取るくらいあったのだから東荏原よりも高収入だったりしないのかな? >>248
あの時代って奥さんが死んだり、離縁した時点で所領は親元(須磨の場合だと伊勢守家)に戻してたような…。 >>249
化粧田のwikiから六角氏式目辿ったら確かにそうなってるみたい
六角氏の専横を規制するために作ったやつにあえて書いてあるってことは
実際は有力な夫側が妻の所領を懐に入れてしまうてケースもあったんだろうね
もちろん備前守家の場合は伊勢守家の財産奪うとかできないだろうけど >>249
平安時代の婚姻形態が続いてたってことかな
女性はあくまで生家の一員で財産はすべて生家のもの >>254
蘇我入’鹿’じゃなくて
小’鹿’範満じゃないの? ワイもそういう意味だと解釈した
鹿を追うからよろしくね→牛に火をつけて放ったろ
のパターン いい人だからこそ担がれたら担いでくれた人らを見捨てられないんだよ 三郎景虎という人がおりまして
担いだ人が次々さっさと死に逃げる悲劇 新九郎「カッとなってやった。相手は誰でも良かった」 >>267
室町時代の争いの多くはそんなパターンじゃないかなあ、と思わなくはない >>267
普広院様の介入で家督争いに負けた親父世代の派閥が小鹿さん担ぎ上げて意趣返ししてるだけで
小鹿さん自身はそこまでの野心も遺恨も無いってのがやるせないな >>271
相手は誰でもよかったという奴は自分より強そうな奴には手を出さないのよね >>275
それは(直接的な)遺恨の有無と無関係という言い訳に過ぎないからな でもちょっと前にいたよな、九州場所で会場警備してる元力士に突っかかったやつ。
あと、女子プロレスラーにわざと体当たりしようとして脊髄反射でタックルを返された奴が複数いた話とか。 ようやく最新号を読んだ
あの小林山城守ってのは後々の重要人物か? >>282
幕府の公式文書に名前が載っているから出しただけでは
もっとも、他に記録がなければ逆に便利に引っ張り出して使えるキャラかも知れない 競馬ネタで慣れ合うの、いちいちここでやらないように言わないと駄目なのか?
ブーイモさんよぉ >>277
相撲といえば、作中で鍛錬のために相撲を取ったりしてるけど、この時代だとまだ丸い土俵はないんだっけ 今日、高崎の上野三碑が直に見られる(明日まで)ってんで行ってきたけど
その中の金井沢碑(726年造立)に人名が並んでいて
ひづめちゃんと若ひづめちゃんって姉妹の名前があった
国字だと思うが馬偏に爪って書いてひづめ ひづめちゃんと言われて、四女だと思い出すまで5秒くらい要してしまった。 >>291-292
こないだチコちゃんでやってたな。力士を東西で分けるようにしたとかルールを整備させたって。 >>293
国字の中でもさらにレアな方言漢字かもしれませんね。手元の漢和辞典には載ってなかったのですが、ネット検索で見つけました。 >>299
なるほど
碑の製作者が勝手に作った字かもしれないんですね
当て字は当時この地方では使われてなかったみたいだし >>301
古代「我々がしなければならなかったのは、殺し合う事じゃない。愛し合う事だった…!」 しかし祖父と孫、遠征先で討ち死にとかなんか因果感じるなぁ 食料が限られてるからガチの殺し合いで勝ったほうが生き延びる
愛し合ってたら口が増えてみんな餓死だ >>305
元々この系統の祖今川範国が五男なのに跡をついだのは中先代の乱で兄が3人戦死したからだからな >>308
細川だって、頼之が当主になるまでは死にまくりだったし、南北朝時代前半までは戦死者多発してる家が多いような >>308
三男の真田昌幸が家督を継いだのも兄2人が戦死したから。 >>308
作中だと三人の兄ってなってるけど実際は二人だよ
今川頼国と今川範満
小和田が討ち死にした今川三郎は系図の頼周だって主張して通説化したけど
この人別名が三位房だし読みがらいしゅうだしどう見ても僧侶だから違う あと範国は中先代の乱より前から今川家当主だから兄弟の討死で家督が転がり込んできたわけじゃない 深い交わりのあった伊勢家が過去に因縁のある北条を名乗ったら
今川家としても心中穏やかではなかったのでは 那須与一なんて十一男だかならなあ
そもそも新九郎からして、次男でしかも妾の子なのに、長男が殺されて(表向きは病死だが)家督が転がり込んできたわけで >>315
池田輝政も父親もろとも討ち死にした兄に遺児由之がいた
由之は万石クラスにはなったが大名でなく家老にとどまった >>315
勝頼の指示だね。長篠の戦いのせいで弱体化した家臣団を維持するためには幼子でなく成年の棟梁が必要だと判断したかな?養子に入った武藤家からわざわざ真田家に戻しているから。
家督継承を正当化するために信綱さんの娘と自分の息子(信幸)娶わせたよね。
>>317
センゴクの池田恒興・元助親子の最期の回は泣けたよね。 >>316
那須与一ってそもそもいたんだろうかって気もしてる
源氏に味方したから家督を継げたけど結局20歳くらいで亡くなって
兄が継いだんだよね
殺されたのかもしれんが >>320
出家した段階で家督放棄している訳だからなぁ・・・ 一族の男子全滅したら還俗して子作りに励まされることになるんだろうけどw
伊勢さんが仕えた足利将軍家は還俗だらけだな。斯波や吉良、今川に継がせるという選択肢は無かったのだろうか。 隣県だがやはり与一伝説がある
まるで神功皇后か弘法大師だ >>321
自ら放棄したのでなく外されただけだから必要になれば戻れと言われるし本人も満更ではないでしょ
実際のとこ足利全滅したら一族が継いだのか宮将軍になったのかは気になるけど 足利絶えれば吉良が継ぎ、綺羅が絶えれば今川が継ぐって言ってんじゃん。 >>323
中島らもの戯曲に百姓二人が
「おらとこの畑は弘法大師様が井戸を掘ったおかげで水浸しだあ」
「おらとこの畑もだあ」
って嘆いてるところに弘法大師が踊りながら登場して
「井戸を掘りましょ掘りましょ井戸を」
って歌いながら杖を立てようとして百姓たちが泣きながら羽交い絞めするってのがあったそうだ Wikipediaの貞宗の項目が充実しとる
俺が前見た時は5行くらいしかなかったのに 安達太良って、安達太郎のことだから、安達太郎与一になってんだよね、あれ 太郎二郎とか二郎三郎とかサブローシローって珍しくもないだろ >>324
御三家を用意してた徳川ですら家綱の後は宮将軍が議論になったし時の実力者次第っしょ >>324
それ今川家が勝手に言ってるだけだし…… ヒューマンバグ大学とかいうアニメの主人公?が後藤課長にしか見えない 今さらだけど実際の系図だと豊後守になってる盛景伯父上がこの漫画だと掃部助のまま隠居したのはなんでなんだろう 四郎次郎は四郎さんの2番めの息子
二郎三郎は二郎さんの3番めの息子
わかりやすくして家督争いが起きないように 三郎さんが本家の当主になると以降の嫡子は三郎が通称になる場合多いよね >>343
安城松平家初代が次男の三男だったから… 広忠の子には不詳な点が多い
創作では庶長子がいたり、家康と同年同日同刻に生まれて即出家させられた兄弟がいたりするな
母方の弟は引き立ててるから、なおさら 家康と実父広忠の年齢差は小さいし、庶兄我いた可能性は低いと思うがなあ 松平親忠 二郎三郎
松平長親 二郎三郎
松平信忠 二郎三郎
松平清康 二郎三郎
松平広忠 二郎三郎(岡崎三郎)
松平家康 二郎三郎
松平信康 二郎三郎(岡崎三郎) >>347
家康産んだ時お母さん13歳くらいだっけ? イチローだって次男だし。
まあ、山本五十六は別に五十六男ではないが。 >>351
通称は新九郎だが
幼名は氏綱→氏康と二代続いた伊豆千代丸とは違うんだよな
まあ早世した兄も伊豆千代丸ではないらしいが やっぱ三英傑周りは歴史ヲタの食いつき半端ないな
みんな釣られてレス合戦するんだもの >>355
既に相模をとっていて関東全土を手に入れようとしている北条家にとって
伊豆に永遠にいるなんて名前は縁起が悪いからな >>357
末裔達は自分らの出自が室町幕府政所執事の係累の伊勢氏だったってのはずっと覚えていたのかねぇ >>353
母親が(!)81歳の時に生まれて八十一(やそいち)と名付けられたという記録的な高齢出産の話が 黒田基樹編著「今川氏親」を読んだら、「足利政知が氏満に改名し、龍王丸に『氏』を偏諱した」という伝承が「富麓記」に載っていた。
これを受けて家永遵嗣氏は「政知が二代目関東公方と同名に改名したのは古河公方政氏征討計画のため。龍王丸への偏諱も今川・伊勢を参加させるため。ところが計画実行の前に政知が急死。茶々丸が潤童子を殺し堀越公方サイドが大混乱、新九郎も氏親も茶々丸征討に切り替えたので古河公方サイドを刺激する『氏親』名を秘匿し『五郎』を使って判物その他を出したが、茶々丸討滅後は堂々と公表し新九郎や扇谷定正と組んで古河公方&山内顕定とドンパチ(第二次長享の乱)始めたのではないか?今川氏&伊勢改め後北条氏の通字は『氏』になったのも、こうした堀越公方の潤童子擁立派との提携や堀越公方近臣取り込みがきっかけなんじゃないの?」と推測している。
面白い説だけど、「新九郎、奔る!」のアンニュイな政知おじさんが政氏を煽るために氏満に改名するとはちょっと信じられんw 新九郎は生涯北条と名乗らず氏綱から公称し出したというがどんな経緯で北条名乗りだしたんだろう
箱根の坂では伊豆でか細く生きてた北条の末裔を早雲が保護し、いつの間にか早雲も北条様と呼ばれるようになったと書かれてたが >>364
「駿河大宅高橋家過去帳一切」によると、氏綱の正室(前室)養珠院殿は「横江北条相模守女」だそうです。また、「異本小田原記」には氏綱の重臣として横江越前守の名があり「本国尾州の住人なりしが、弓矢修行に東国に下りて、北条殿に所縁ありて、一方の大将を承る」とあるそうです。養珠院の兄弟かな?
愛知県郷土資料刊行会が編纂した『尾陽雑記』では、尾張横江(横井)氏は北条時行(逃げ上手の若君)と熱田大宮司家の女の間に生まれた時満(行氏)の子時任が愛知郡横江村に達し、さらにその孫で赤目城築城主・横井時永を初代としています。
また、「新九郎、奔る!」では、新九郎や弥次郎、大道寺太郎の母方の祖父は尾張国蟹江郷の住人横井掃部助時任となってます。
氏綱は嫁さんと曽祖父から北条(本当は横井or横江だが)姓をいただいたんじゃないの?坂東でのブランド高いし。 本当は>>363は>>362あてな。
なんかレス番ズレちゃった。 >>359
高齢出産の何割かは
娘が不義の出産をして、母親の子供という事にしたパターン 名古屋一族といい横井一族といい
尾州今川氏といい
尾張は何であんなに北条氏飼ってたんだろう
縁も所縁も無さそうだし
基本守山や犬山や瀬戸の山ん中以外
開けた土地だから落人が住み着くには無理があるし >>371
今川仲秋(遠江今川氏の二代目)が尾張守護を経験しているし、今川那古野氏の始祖高範は実の親が北条尾張守高家。尾張に所縁が全く無いわけじゃない今川・北条一族の皆さん。ただ、横江(横井)氏の逃げ上手の若君落胤説は仮冒くさいけどw
ちな「今川氏親」を読んだら、今川那古野氏の当主は少なくとも二度は没落して駿河の本家で亡命生活を余儀なくされている模様。1回目は明応元年(1500)頃で当時の当主は国氏(兵部大輔・大夫判官)。2度目は天文7年(1538)で当時の当主は氏豊(左馬助)。信長パパに城を乗っ取られた連歌マニアのあの人ね。
氏豊は年代的に無理そうだけど国氏やその子新五郎(氏豊の父説あり)は「新九郎、奔る!」に出てくるかな~ >>372
尾張の在官子孫かなるほど
今の大河見てると一族戮滅も因果かと思えるけど
片棒担いだ上で更に酷い事をした足利一族が
木っ端大名とはいえ明治まで関東で命脈保ってるのは
なんだかなあ
まあ義教パパとか三代目新九郎により
自業自得な理由で滅亡の危機は何回かあったけど >>371
横井「実は先祖はあの中先代で有名な(略)」
斯波の殿様「なる程そうであったか(随分と話盛りやがったな、コイツ)」
みたいなやり取りがあったのかな。 >>360
自己レス訂正、生前の政知が煽った(?)のは政氏でなく成氏だな。
>>373
古河公方の末裔喜連川家は禄高5千石だけど10万石の大名扱いで、格式は高いが内情は貧乏。見かねた同族の吉良義央が名門大好き綱吉に口利きして、三河への加増転封狙ったが赤穂浪士討ち入りあぼーんした模様↓
https://ameblo.jp/1480sn/entry-12237603428.html >>373
鎌倉北条氏は、日本中全ての国に少なからぬ規模で領地を持っていたから、北条氏と縁のない土地はほとんどなかったはず
鎌倉幕府滅亡時点で、北条氏より規模の小さい足利でさえ何千ヵ所もの荘園をりょうゆうしてたんだから、北条一門全体では何万ヵ所もの荘園を持ってたはず
また、鎌倉時代には国司の官位は名目ではなく実務を伴っていたから、尾張守さんは尾張の国務を(代官任せではあろうが)行っていて、北条領でない土地の領主たちとも所縁があったはず >>374
木こりの先祖を新田氏にした徳川家ほど盛ってる家も少なかろう 大河ドラマ太平記に出ていた当時の足利家の子孫は徳島県にいた系統だったような >>376
桁が一つ多くない?平家没官領が500箇所、承久没官領でも3000箇所 >>376
強大だった鎌倉北条氏も、東勝寺合戦&観応の擾乱でほぼ滅亡。著名な子孫は板部岡江雪斎と水野忠成(伊豆田中氏→岡部氏)、横井小楠(尾張横井氏)くらい?
>>383
へえ~面白そう。 つうても、平安末期や鎌倉時代初期と鎌倉時代末期では荘園のサイズが大違いで荘園の数がすごく増えてるわけだし、よくわからないよ えばら新九郎まつりとかにらやま新九郎まつりとかやらんかね >>384
森家のヒャッハーな家臣達の一人
那古野山三郎も子孫じゃなかったか? >>359
70代で子供できちゃった夫婦のドラマやってたな 往年の名優高倉健も北条篤時の末裔と称していたな。もしガチなら鎌倉北条氏の子孫でナンバーワンの有名人か?
https://www.excite.co.jp/news/article/Jisin_2056354/?p=2
ただ上の記事、金沢篤時と名越篤時を混同してないか? 健さんと北条氏 ~旧長岡町(伊豆の国市) - PSYCROSS
http://psycross.com/blog/?p=1307
金沢でなく名越の方の篤時が健さんの先祖(らしい) 新九郎の漫画とその延長の話以外をしたい奴は全員>>383に移動した方が有意義だな
そこで存分に答え合わせすればいい 室町幕府奉公衆の進士賢光は、将軍足利義輝の命を受けて政所執事伊勢貞孝(貞宗の孫の養子)邸で酒宴中の三好長慶を襲うも失敗して自害している。末裔がパトレイバーの進士幹泰巡査だったりしてw 先祖がはっちゃけてあちこちから恨み買ったのを知ってるから健さんは物静かで言葉遣いも丁寧なんだな >>396
健さんの本名は小田剛一。鎌倉幕府滅亡から何百年もたっているから苗字も変わったし鎌倉北条氏の通字「時」も入っていない。某魔王の末裔と自称する棒アイススケーターとは違うのだ。 >>381
奇子は息子の嫁に手を付けた結果だから、より陰湿さが増すな。低迷期とは言えあんな怪作をビックコミックがよく連載したもんだわ。 >>387
似たようなイメージの斎藤道三はやって貰えるのに、新九郎や宇喜多さん家の直家さんは祭りの主役にして貰えずかわいそうではある。 >>397
ずっと前に棒のWikipediaを見たんだが数代前の先祖の名前が不明となってたw
末裔名乗る家でそんな事はあり得ないと思うがなぁ >>401
やっぱり仮冒かな(^_^;)
>>400
大河ドラマの主人公になれば祭の主人公になれるさ! >>387
井原北条早雲祭りは存在する(今年は中止らしい)のと小田原市では北条五代祭りをやっているので、まあ…。 今でも小田原でイベントがあるってことは、地元民にそうとう慕われた証拠では 上田の真田や熊本の清正とか江戸期以前の領主を慕う祭りは多いよね 以前の領主を慕ってるというより、その後の領主に対する当てつけだぞ >>401
ウチも慶長期以前の先祖は百官名しかわからん >>405
大河ドラマ「麒麟がくる」でも三好長慶襲撃事件を取り上げていたけど、伊勢貞孝は出てこなかったな。オリキャラに尺使い過ぎで出す余裕無かったか。 ちょっと外れるけど
山形も最上家をもっとフィーチャーしてほしいよな
花笠まつりももともとは義光祭であったものが変わってしまった 山形城址には最上義光の立派な銅像はあるけど最上の城下町って匂いはほぼないからなぁ
山形に限らず東北は中小の藩が乱立して旧藩領がほぼそのまま現在の県となったのは宮城県しかない 義光さんはめっちゃ良いキャラクターしてるから大河やればブレイクしそう
でもまぁ大河なら我らが新九郎の方が確率高そうだけど なんか昭和期の地元の大企業の専制君主が嫌ってたとかなんとか 新九郎は大河やったら絶対面白いんだが地元枠の静岡(伊豆)が超激戦区
祭もライバル多そう でも、最上というと伊達の対抗馬ってイメージがそれこそ大河で付いたからな。
秀次がこけなきゃもうちょっと頑張れたろうにあれで気持ちがくじけたんじゃね? >>416
地元で天皇と呼ばれるくらい権力持ってたアレか 最上義光は家を大勢力にはしたが後継者育成と組織作りには失敗してるからな
駒姫の件を別にしても見ててあまり楽しい物じゃない >>417
前半生で戦に全然参加してないのがどうかな
応仁の乱も傍観者みたいな立場だし
作中でも高い金払って直した鎧まだ一度も使ってないな 前半傍観者は真田丸でやってるしそこは問題ないでしょ
どっちかというと真田丸と違って
後半が戦ばっかで濃すぎて前半削るしかなくなるだろうなっていう方が >>419
服部敬雄は地元山形じゃ天皇以上の権力を持ってたからな。メンバーは一応否定してるけど、詞の内容が一目瞭然の「服部」は朝日ジャーナルと同じく山新グループの買い占め対象になったほど。 >>414
いや、それは近畿地方も大差ないぞ
特に大阪は、小藩どころか、旗本領とか小大名の飛び地とか、とんでもなく小さい領地が多かったほどだ
まあ、幕府の出先機関である大坂城代とか規模の大きいとこもあるけども、それとて大阪市ぐらいのサイズ >>426
利根川の付け替え工事みたいなことをやるのか 葛飾北斎の映画思い出した
巨大タコと絡む樋口可南子がとてもエロかったです >>433
やっぱり出たか┐(´д`)┌ヤレヤレ
だまって見過ごすのがおっさんの誉れ >>424
地元はただでさえ狭い市域が
隣市に城のある大名、隣県に陣屋のある大名
その他諸々の旧領地の寄せ集めで
うちの殿様なんて親近感を持てる大名はいない
複雑すぎて小中学生向けの郷土史でも当時のことはほぼスルー
実際には、超有名な家出身のマイナーな小大名の陣屋があるにはあったが
一代で断絶したし 僕の先祖も近畿の小勢力でした。血がつながっているとは思わないけどあまり多くない名字なので勝手に祖先だと思っています。 大河やりたい自治体放り出して
誰得な紫式部選んでる時点で
次次々回大河もあんまり期待できない
と思われてるから
そろそろ朝倉とか後北条の何代にも渉る
大規模なのをやれや >>439
紫式部は父親が越前の国守になった時ついてって
国府で何年か暮らしたそうだからそれで何とか >>437
大阪府南部、大阪狭山市には北条の子孫がいた
新九郎の子孫で唯一の幕藩大名だ、もちろん小大名な >>439
紫式部とかどういう経緯で選ばれたんただろうな?内容によっては花燃ゆより酷い代物になりそうで怖い。 福井は朝倉家の大河ドラマ化を推進してるけど認められず、今度紫式部が大河ドラマ化するからそっちをプッシュし始めたわ >>445
応仁で活躍した朝倉孝景とか実に面白い人物だと思うんだが、如何せんマイナーなんだろうな。 >>446
戦国大名よりも戦国大名らしい人だよなあ >>445
ああ父親が貧乏国の国司はイヤじゃってごねて越前行ったんだっけ? 昨日の中日新聞朝刊にゆうき先生インタビューが掲載
記事ではタイトルからして強引に
北条早雲だから緩やかに人気漫画みたいな強引な説明
俺らが新九郞読んでるのは
ゆうきまさみ先生最新作だから
なのに >>448
そうそう
道長と一条帝に漢詩で泣きついてね >>448
当時、遠国は(都視点で見て)貧乏な地域が多かったので、広い範囲をまとめてひとつの国にすることで1国あたりの収入を増やしてたんだよな
だから、ほとんどの国は広い
対するに、かなり狭い面積の河内国とか、そこまで狭くはないけど狭くて高収入な摂津国とかは都に近いこともあって大人気だった
越前は、それらに匹敵する(まあ、面積も広いしな)人気の国だったような >>446
そいつ孫か曾孫が全く同じ名前だからややこしい >>452
面積っていうか昔の越前は物流の要だから >>452
北陸は水源豊かで広い農地があるから
米取れ高良かった
戦前までは新潟県が日本で一番人口の多かった県だとか
今では信じられないのも
農産物豊かだったかららしい 江戸時代以前の新潟、つまり越後はあんなに広くて39万石しかない
参考として同時期の他の国の数字を出すと越前が49万石、越中が38万石、加賀が35万石、能登が21万石
近江が77万石、尾張が57万石、伊勢が56万石、美濃が54万石(つまり信長最強)
今川近辺だと駿河が15万石、遠江が25万石、三河が29万石、伊豆が6万石、相模が19万石、甲斐が22万石
越後で米がもっと多く作られるようになるのは江戸時代に治水対策をしてから
そして美味しい米が作れるようになったのは、更に時を進めて昭和に水稲農林一号が開発されてから >>449
「マスゴミ」と「牽強付会」はほぼほど同異義だから >>459
ちなみに、若狭が狭い国なのは、(京都ではなく奈良のだが)朝廷にとって重要な土地だったから
同じように、安房や伊豆、志摩なんかが要地
地元勢力である郡司ではなく中央から派遣する国司が最高責任者になってくれないと困る土地ってこと
だから、対馬とか壹岐とかのいくつかの島も単独で国司(に相当する、中央から派遣の官)がいるわけだ
そういうのがいない島の方が多いが。
それにしても、面積の狭い河内国の石高は異常
どんだけ狭いと思う? なんだ
頼んでもないのに講師口調で語り始めたぞ
これ誰かが答えなきゃいかんのか >>460
なお江戸時代ずっと検地してないのに
太閤検地のデータで石高表してた
新田開発農業技術革新で実質の生産量は増加していたのに >>469
名目上の石高は変えてなくても徴税は上げてるんで 領主が見栄を取るか実を取るかで表石高は決まるところがある 石高増えると負担増すからやりたくないもんな
馬鹿殿の中にはあえて実石高以上の石高にして見栄張るのもいるけど >>476
真田信直(信利)のことか!
>明暦2年(1656年)、祖父の松代藩主真田信之が隠居したのに伴い、沼田領主であった叔父信政は本家松代藩を相続し、沼田領は代わって信直が領有することになる。
>信政は2年後の明暦4年(1658年)2月に死去した。松代藩はまだ存命だった隠居の信之の決定により、信政の子の幸道を後継者とし、幕府に届け出た。一方で信直は自身が信之の長子信吉の子であることを理由として「真田家の、松代藩の正統な後継者は自分である」と幕府に訴え出て、幸道の本藩相続撤回を求めた。
>信直には正室の実家の土佐藩や老中酒井忠清、信之の長女光岳院殿の嫁ぎ先である高力氏が後ろ盾となり、大規模な家督騒動を展開したが、6月、幕府は幸道をもって松代藩の後継者と最終決定した。このとき、幕命により沼田領は松代藩から分離独立させられ、信直を藩主として沼田藩として立藩した。
>これ以降、信直は10万石の松代藩に対抗するため、寛文2年(1662年)より領内総検地を断行し、表高3万石に対して実高14万4000石を強引に打出し幕府に報告した。のちに沼田藩改易後、幕府が再度検地をしたところ、実高は6万石に過ぎなかった。当時の幕府は各藩に対し、申告された石高に相当して参勤交代の行列規模、御手伝普請を命じる制度になっており、実高6万石の土地の収益から14万石相当のこれを満たすために高率の年貢をかけられた沼田領民の負担は深刻であった。また、江戸の藩邸も松代藩邸に引けをとらぬ豪奢な造りに改装したため、領民は重税を強いられ多数の餓死者を出すなど、ますます窮乏していった。(真田信利wikiより) >>443
北条氏勝が1万石貰ったよーな
立派な孫娘の子孫
乗っ取られたけど そういや
後北条じゃない鎌倉の北条て
皆殺しなの?
ようやく逃げ上手の若様読んだけと >>479
繋がった(笑)
流石にサビは、国名では思いつかなかった >>470
長州藩は清や朝鮮との交易収入入れたら結構裕福な藩らしいとか >>476
大名で唯一斬首刑にされた松倉さんの悪口は止めろ いつまでも新九郎に関係ない歴史談義やってないでさ、都鄙合体目前、嫡男は双子と散々な政知さんの心配でもしてあげようよ >>480
北条氏重(氏勝の養子)がちゃんと養子貰っていればな~
氏勝の甥で、宮本武蔵と仲良しで軍学者兼地図製作者で有名な氏長(氏重より14歳年下)に後を継がせることはできなかったのか。
>>478
すまんな。wiki読んでるうちにちょっと信直に同情しちまったんだ。 糸井 ただ、「歴史好き」という人のことを、ぼくはどうも、敬遠していて……
語りあいになったらキリがないというか、説教されちゃいそうなところが、あるじゃないですか。
みなもと この前も、飲んでて、横にそういうのがいた。
「え? おまえ、歴史漫画を描いてるのか?坂本竜馬を殺したのは誰か、知ってるか?」
うるさいですよね。あの手の輩はもう、いちばんキライです。
ああいうのって……自分に自信がないから、外のものを、持ってきちゃうんでしょうね。
https://www.1101.com/minamoto/2004-04-09.html >>485
政知さんの氏満改名説は採用されるのだろうか? >>486
家臣一同で繁広排斥したというウィキペディア記述が気になる
一体何があったんだ? >自分に自信がないから、外のものを、持ってきちゃうんでしょうね。
三国志大好き
京劇呼びまくりの庶民の王の悪口は止めるんだ
仏罰が当たるぞ >>489
繁広がDQNで家臣の総スカン食らった&氏重が家康の甥で徳川家の覚えがめでたかったから?
なお、繁広の子孫は有能で幕閣の要職を歴任(二代目氏長は大目付、三代目氏平は江戸北町奉行、四代目氏英も大目付、七代目氏興は御側衆)。家禄も五百石から三千四百石に加増。
ただ、幕末の当主(十代目氏和)のときに二千石減封&寄合→小普請→甲府勝手小普請(甲府山流し)に。「九代目で隠居の氏珍が無駄遣いした」「氏和の姉が三百両の支度金貰って本所の検校に嫁いだのにすぐに実家に帰ったので先方が老中に駕籠訴した」「米の代わりに寝具まで取るなど過酷な徴税をしたせいで農民が老中・勘定奉行・甲府勤番支配に訴えて甲府勤番中は蔵米支給になった」等、先祖の新九郎が草葉の陰で泣いてそうな状態だった模様。ソースは小川恭一の「江戸の旗本事典」。 >>487
みなもと先生は母がボケる前に祖父のことをしっかり聞いて「松吉伝」を完成させるべきだった。先生も外にかまけて内を怠けたか。残念や。
https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2021/08/24/153113
ゆうき先生は悔いの残らないよう「新九郎、奔る!」を完結してほしいわ。 >>485
作品に関係無い歴史話と競馬の話はここでは常識と化してるからなw 「でぃす×こみ」について語りたい猛者はおらんのか? でぃすこみはキレイに収まりすぎててあまり語る所がない
応仁の乱でオキナガになった茜丸とか匂わせてる狐の話のほうがまだ膨らむんじゃないか
あとまんま大工の息子の神父とかかな そういえば梅ちゃん京王杯2歳SとファンタジーS中てたんじゃないかなあ
どっちも10番人気が勝ったからなあ >>497
本命サイドが来ても外すし人気薄が来ても外すんだよなぁ まぁ人気薄は組み合わせが大量にあるから簡単には当たらないのは当たり前だけどね >>491
リンクかいてよ
乱世を真面目に生き抜く姿に共感 「北条早雲」主人公の漫画『新九郎、奔る!』が人気 作者ゆうきまさみさん背景を読み解く
2022年11月4日 16時00分 (11月4日 16時00分更新)
https://www.chunichi.co.jp/article/576287
無料で全文読めるのはいいね
どっかの廃れ新聞社とちがって 悪知恵に長じたイメージを払拭と言う割には
割とカルマ上がってる気がするんだけど
義兄の文書偽造したり
従兄弟の嫁寝取って托卵したり あの順番では「嫁寝取る」にはならんだろう
ちゃんと読んでないのか? 側室とはいえあの時点で既に婚姻内定していたから
室町社会的にはNTRだな >>504
いやさすがに分かっちゃいるよ後者は
ただ順調に悪九郎に進化してるなあと
姉ちゃんとのやり取りとか
まあそれでもまだまだ甘ちゃんだけど
一話冒頭までどこまで悪くなれるかは
結構期待してるけど
台詞からしてやっぱり振り回されるんかね 新九郎世界の絶対悪は
舅の病死直後に妾つくって須磨さまの純情こじらせさせちゃった盛定だけだな ワールド イズ ダンシング完結してたのか
モーニング購読止めてたんで知らんかった >>508
ここまでは無位無官ゆえの苦労だったけど、ここからは義尚→政知→義材→義澄と主君がころころ変わって、同時に今川家の家臣としても働いて、と宮仕えの苦労が続くんだよな >>502
私文書偽造はともかく、NTR呼ばわりはさすがに気の毒じゃねw >>501
あざーっス
…だいたいそんな意図があるのかなあとは思ってたっスけど
なんか作者本人からネタバレくらった感がなからずも笑 >>514
享年88歳説で書かれた司馬御大の箱根の坂でNTR展開あるのよ
だから、そのイメージあるってことかと >>514
あっ、ごめんちゃんと読んでなかった
この漫画での話か、、、 横浜市歴史博物館で開催中「追憶のサムライ」展行ってきた
鎌倉幕府と畠山重忠中心だったけど
「源頼朝袖判平盛時奉書」(国宝)ってのがあって一瞬ぶっ飛んだ
新九郎のわけないですね 頼朝の祐筆ですね
さすがに字がきれいでした 同じ盛時なのに
荏原那須家もあれくらいのを作れば騙せたのに
武士のリアルwwwってコーナーでは横浜市立大学所蔵の古文書を展示していて
その中に安保文書というのがありまして
上杉禅秀の乱で足利持氏に味方した安保家に対する
持氏の御教書が4枚展示されてました 27日まで 細川政元が新九郎を使いパシリにしようと決めた回だな >>519
そっちは平禅門の乱で有名な平頼綱のお父さんだね。 >>519
>>527
新九郎オキナガ説は露と消えたり そういや烏帽子を被らなくなったのは戦国時代になってからかな 修験道も烏帽子じゃないけど何か被り物付けてた気がするけど、その辺はスルーなのかな?>ゆうき先生 ちょんまげはびっと決めるとかっこいいな
おまいらのゆるい頭に乗せてもしょうがないけど 政元の方が新九郎よりはるか格上なのに敬称つけて呼んでくれるんだな 龍王ももう9歳なのか
弥次郎が7歳のころと比べるとごにょごにょごにょ
政元はやはり切れ者だな 怪しいけど
当時烏帽子をかぶらないのは裸でいるようなものだったのかな
「大御所の愛妻」は「愛妾」の間違いだよね
富子さんも容赦ないなあ仕方ないけど
貞宗さんも相変わらず胃が痛そうだな
ラストの姉ちゃんはいったいどうしたんだ >>527
いや北条得宗家に仕えた平盛時(頼綱父)と
幕府設立以前からかなり長いこと頼朝の祐筆を勤めた平盛時がいるらしい
この人は生没年不明でよくわかんない人
今回展示されていたのはこのよくわかんない人が書いたもの
オキナガ新九郎かもしれないけど >>541
この人か。同姓同名多くて混同しちゃうw
平盛時 (鎌倉幕府政所知家事)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%9B%9B%E6%99%82_(%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B9%95%E5%BA%9C%E6%94%BF%E6%89%80%E7%9F%A5%E5%AE%B6%E4%BA%8B) 信も長も非常に多く名前に使われてた字なのに信長という名前が織田信長しかいないのは奇跡といえる
長信はいっぱいいるのに >>544
平安時代の公卿で藤原信長という人物がいる 武田信長っていたな北条や里見と下総で抗争してた大名で 当人は九条どのと呼ばれてしかも養子に兼実というのがいるが、
九条兼実とは別というなかなか有名人の名前に縁がある人 武田義統(1526-1567)(若狭武田家当主)が一時「武田晴信」を名乗ったことがある。
甲斐の武田晴信(1521-1573)と生きた時代が同じで、東西で同名の人物がいた可能性がある。 >>544
藤原信長、一条信長、武田信長、南部信長、八戸信長、松平信長、小山田信長 >>555
信長
部長
課長
係長
みたいな役職に見えてきた >>553
下はパンツだけで人前に出るのは確かに非常識だな >>501
作中に登場する人物で今一番英雄のイメージに近いのは道灌なのかな?その分、尊大傲慢で鼻持ちならないけど お前ら知らないのか、同時代に源義昭が三人かぶったことがあったんだぞ。 いつの間にかみんなおっさんになってたな…
新九郎と一緒に寝ろと言われてモジモジしてた駒若きゅんも21か あのような者とか言われてやんの
まあ親父が失脚して以来10年間ほぼ無役じゃコネはあってもそういう扱いだよな 権兵衛まだ三十三つっても人生五十年のあの時代なら相当いってるだろ >>561
それより百年ちょいまえ、義政さんの叔父も義昭だったような
ただし、僧侶なのでヨシアキじゃなくギショウだが 逃げ上手の若様で
小笠原家ご先祖様が
中ボスしてたわ >>540
どっちかってと女装してた感じじゃないの? >>566
26歳って政国から見たらまだまだ若僧だろうしな >>570
確かに女性は何もかぶらないもんね
男のくせにって感じか >>540
家に客を呼んでるのに家主がパンツ丸出しみたいな感じ あの時代常に総髪の人種というか職種あったっけ?
山伏くらい? >>575
そもそも常に月代を剃るのが戦国時代以降
それまでは戦場に行った際に一時的にやる程度 今年の大河で頼朝が家来への罰として烏帽子取って髻(もとどり)切ったのあったな
あれって人前でパンツ脱がせたみたいなもんだったのか >>576
そういや老人や出家した人以外新九郎はじめ総髪ばかりだったな
ありがと >>577
髻切られるのは究極の恥になる
ある意味、死刑レベルのヤバさ 強姦の法定刑が御家人なら所領没収、凡下なら片鬢削ぎだもんな まあ髪は時間が経てば生え揃うから、入墨が無期刑なら髻切は有期刑みたいな感覚だろうか >>567
まあ相当ヤバいレベルだが、所領の相続権とか無い部屋住みぽいからなあ
上の兄弟になんかなきゃ一生あのまま
結婚とか一家を構えるとか事実上諦めてるんじゃね
諦めきれない往生際の悪いのが悪あがきすると…まあろくなことにならない中世模様 その部屋ずみが長くてもグレずに大成した人が幕末にいまして
桜田門外ノ変で以下略 吉宗て四男なのに 都合良く兄たちが死んで
幕府八代将軍になれたときに
お庭番もつれてきたということは、、、 マツケンは兄弟親族競争相手が次々に不慮死を遂げて将軍位に上りつめたからねえ
そこに何らかの意志を見る人は尽きないが、でも個人的には、誰がそれを押し上げたかが瞭然としなくていまいち首肯しきれない >>583
外見は元に戻るけど、刑を受けた事実はみんなの記憶から消えないからね…
社会的な死刑みたいなもんかな >>586
井伊直弼は十三男だっけか
そりゃ世を儚んで自分の住む離れに埋木舎なんて名付けるわな 直弼が大老まで登ったのはたまたまの運命だと思うが、吉宗はその後御三卿作ってまで権力に執着する様を見ると将軍になるまでの陰謀論も頷ける >>587
吉宗は最初は分家をおこして小大名として独立する手はずだったのが、父親と兄が続々と死んだって経緯
部屋住み生活を過ごしたことはないはず たしか、元服の頃に新将軍だった綱吉から特に目をかけられてたので「吉」宗だたかと
まあ、同時期に元服した大名家の子息で「吉」は多いと思うけど、
偏諱受けたなかでも特に目をかけられてたような? 髻も 皆で落とせば 怖くない by室町幕府初代将軍 でぃすこみを読んで思ったのだが、ゆうき先生が全力でBLを描いたのを読んでみたい。 >>598
駿平「佑騎さん、俺は俺はぁ」
佑騎「ひびきが妊娠中だからって止めろ!」 BLってそういうんじゃないだろう。
まず、女が出てこない。 駒若はあの中だと超武闘派のゴリライメージある
読んだ小説がそういうキャラだったからだが 遅咲きという評価は新九郎より多米(多目)さんの方が相応しそうだな
でも当人も息子も優秀で北条家に大きく貢献するのだから縁というのは面白いね >>603
遅咲きの代表は早雲でなくなった、
なら後醍醐天皇と伊能忠敬が次なる遅咲き代表かなあ? もしかしたらいま亀ちゃんの縁談が進んでるのかもしれない
無位無官無役の三冠王に加えてチョンガーの叔父がいたら破談になるかもしれないし
しかも弥次郎と政元との噂が流れているのかもしれない
姉ちゃんはせめてチョンガーの叔父だけでも何とかしようとしてるのかもしれない 昭和の頃は独身者の事をチョンガーと呼んでました、念の為。ちなみに語源は知りません。 >>610
確か中国か朝鮮の未婚の男性の髪型がチョンガーって名前だったかと 新九郎の部下も全員おっさんの歳になってたが
まさかみんな童貞ってことはないよな…?
新九郎も例の一件以来エッチしたことないなんてことは…
京の都なら現在の新宿みたいに本番可能な性風俗店もあって
通ってたりしたのかな(カネ高そうだが 長尾景春は古河公方の和睦の取次に意欲燃やしてたけど、幕府からは取次の中で一番下のランク扱いなんだな >>600
出てくるだろう。美容師×弁護士の作品だって大勢出てくる。 愛知県豊橋市に多米町ってところがあって
多米城なんてのもあったとされてて多米権兵衛もそこの出身らしいんだけど
本作品の多米さんはそんなイメージないね 城と言っても掘っ建て小屋を柵で囲っただけだったかもしれない。 >>619
いや、さすがに土塀と空堀ぐらいはあるだろ >>618
多目城の辺りは現在は宅地化や朝倉川の付け替えで地形が変わってるけど、国土地理院サイトで1960年代の航空写真を見ると方形状の区画と堀の名残らしい水路が確認できる
土塁までは確認できないけど、これが城跡なら中世武士の居館としてはよくある形態になってる
すぐ北側に山地があるのでそこに攻められた時に籠る詰めの城もあったのだろう >>621
よく30分程度でそこまで掘り下げられたもんだと感服した >>615
鴨川の河原には男女問わず流入民がたむろっとるで
端金にぎらすかわずかばかりの食料で野外でゴー
病気持ち率高いが、梅毒渡来前だから致命的な病気の不安は低い そんな夜鷹を相手にしなくても性風俗店くらい古来からどこにでもある
静岡に旅してる時に泊まった宿にも必ず女郎はいるだろうし 家格的に下級娼婦抱く理由ないもんな。この時代は白拍子はまだ存在したのかな。傾城屋とかになってたのかな >>624
いや、中世は時代の特徴として限界ギリギリまで広域商業、流通が衰退してるから…
都市が、数えるほどとあとは寺社の門前町程度しか無いし
最低限のインフラとして宿泊施設は存在してるけど、江戸時代以降みたいなそんなお気楽な時代じゃないんだわ
大半女どころか飯さえ出ない
そしてケチンボ若殿の郎党の部屋住みに遊ぶ金なんてあるわけない
京の街なら性風俗はそりゃあるだろうが、指咥えてみてるしか無いだろ
>>624
作中の新ちゃんなら女に使う金あったら借財の返済に回すだろ
しかしこの時代だと、自分ですますにも紙も高級品で浪費できるものじゃないんだよな
布団もないし畳も高級品だから、板張りならいいほうで土間の上?
手コキするにもハードよなあ これで新九郎が女を買ってたら歌友達に会わせてもらえない父上や借金踏み倒された渡辺某が激おこだよ 器用な新九郎のことだからきっと人形をうわ何をするやm >>616
関東管領家の家宰ならともかく前家宰の息子(謀反中)じゃなあ… 買うのが女だけだと思ってるのか
どんな生き物にも穴はあるんだぜ!メェーコケコー >>626
宿泊施設なんてホントに存在してたんだろうか?
各自の伝を頼って知り合いの家に宿泊するだけだったかもしれんと思ってる 家の使用人に手を出すのはごく普通
平安時代なら召人って沢山出てくるし(紫式部も道長の召人だった説あるし)
子供ができても母親の使用人という身分は変わらないことが多い 庶子は結婚前に使用人や遊女相手に熱いパトスを迸らせてしまった結果だしな 又次郎=ブライト 三郎=カイ 多米=ルパン
としてそれぞれの奥さんの顔を想像してみる >>626
戦国時代でも
街道の宿屋は24文で統一されていて
朝夕の2食取れたそうだが
大部屋で雑魚寝、枕は別料金だが
いつの間に整備されたん? >>638
平安時代も半ばごろになると、一般のお役人たちに払う給料を国が用意できなくなってきたから、摂関家をはじめとした有力貴族の家でバイトして生活費を稼ぎつつ国の仕事もするみたいな感じになった
国の仕事だけで生活できる役職が少なくなり(国司みたいな収入の多い仕事が少なくなった)摂関家などに雇われてる官僚が多数派になったので。 多米さん見てると山田康雄さんの声は聞こえないんだよなあ
野沢さんの声かな >>626
風俗店は古今東西どんな時でもどんな悲惨な所でも普通にあるから
一番簡単に出来る商売なんだから当たり前と言えば当たり前だが >>645
つうか初代自身が庶子として成長したんだしな 本来なら母が北条出でない高氏は跡を継げなかったからな 「庶子で家の子」といえばこの漫画の新九郎なのにそれっぽい話題ならええやろの精神で全く関係ない話ばかりのセンゴク民 >>626
国家インフラであった駅馬は崩壊したけど民間業者の馬借がハッテンしたので
そこの労働者たる馬子による食事と夜の女性の需要が発生してるので
常設施設が生まれていてもおかしくないと思います
さらに想像を逞しくすると梅毒が日本上陸した16世紀あっというまに全国に広まったのは
彼らの移動能力が関係しているのではないのかと考えるのです >>650
梅毒は、ヨーロッパ人が日本に来るより前に中国経由で日本に来てた可能性も高そうなんだけどな
迅速な拡大速度が日本列島の中だけじゃなくユーラシア大陸内でも同様だったってだけだが。 >>649
尊氏も直冬も、庶子だが家の子とは違うような気がする 梅毒というと朝鮮出兵をイメージするかな
加藤清正や浅野幸長辺りは梅毒が死因説あるよね >>641
どこのファンタジー世界だそれ?
一文百円相当として24文じゃ2400円
それで朝夕の飯まで出してくれるとかどんな慈善事業だってよ
ユースホステルもびっくりだな
>>654
素人童貞往生しろや 関銭について書いてないな
僧侶は免除されてたのか、それともこの記録では手形持って通過してたのか >>647
バンテットという漫画がモーニングであったよ
残念ながら六波羅探題が落ちたところで打ち切りになった >>655
1文100円なんて、インフレが進んだ幕末ならともかく
戦国時代の良銭1文なら1000円以上に相当すると思う 1/12に第十二集発売!
あと行田市忍城の郷土博物館で何かやるらしい 奔
意味
駆け回る → これは借金なのは分かる辛苦労だし
全力で逃げる → 誰から?何から?
欲望のままに振る舞う →縫ちゃん?事案?事案なの? 読みはあくまで"はし-る"で"ほしいまま-にする"ではないから「欲望のままに振る舞う」は違うと思う
"はし-る"だとほかに「駆け落ちする」とか「敗走する」の意味がある >>663
そこで紹介されてる試算、1文=150円ってのは、かなりおかしいと思う
その頃にはもう撰銭が行われていて、もうしばらくたつと、良銭1文=びた銭4文ぐらいに落ち着くんだが、
びた銭価格と同じ安い価値で流通した私鋳銭の価値で江戸幕府の公用貨幣が流通していき、それが江戸時代の物価になるわけよ
つまり、戦国時代の貨幣での1文は江戸時代の4文相当
江戸時代の貨幣なら1文=150円の試算もありえるけど(俺的には、1文銭の価値は百円玉と五百円玉の間ぐらい、なんだが)その4倍近い価値のはずの戦国時代の1文なら五百円以下はあり得ない >>662
パシる
将軍様や姉ちゃん、領民のために 題名の奔るは奔走って意味だろ
それ以上でもそれ以下でもないよ 早起きは3000円の得だったらわいも早起きしようかな
、、、新聞配達それくらいか? >>667
奔放だとか
東奔西走だとか
あるいは京を出奔するだとか
いろんな意味は込められてると思うよ 当時の政府高官関係者としては常識外れの奔り回りっぷりではないかと 荏原行ったり駿河行ったり伊豆行ったり京に戻ったり遠江行ったり相模に行ったり
大変だな >>671
ピークで義視の取次役だからどう考えても高官ではないな >>673
黒田先生はむっしゅうとの交渉はなかったかも だしね >>671
あの世界は固定電話と新幹線あるからヘーキヘーキ >>677
あの時代、荏原には新幹線止まらないから駄目だよ!(そうじゃねえ) そういやJR西日本はあるんだよね
荏原には1日あれば移動できるな
民営はどうだか知らんが びんぼっちゃま御一行だから、山陽新幹線なんて乗れないでしょ、御由緒六家共々在来線で各駅停車の旅。 貧乏旅行でも新快速なら乗れる
京都からだと姫路あたりまでは阪急と山陽電鉄を乗り継いだ方が安上がりかしら? >>663
自レスだが
永禄六年は信長が小牧山城にはいった年だわ
さっき登ってきた岐阜城の展示に書いてあった
(本当は先週くるつもりが、キムタコ祭りでヤバイらしいので自主延期してた) >>681
とは言え新快速のおかげで山陽本線と井原鉄道でも一日で到達出来るのは凄い。これが美作だと高速バス一択になる。 当時高速バスはあったんですかね
JR西日本のがあったのかな >>685
新九郎の時代にJRなんてあるわけ無いだろ…
国鉄に決まってんだろ >>686
66話を見る限り既に民営化しているようだな
JR西日本 国鉄は民営化されてるけど電電公社は残ってるかもしれない 専売公社がなくなるとタバコ農家が買いたたかれてしまうじゃないか >>689
貞藤さんが固定電話使ってたけどガラケーはまだなさそうだしね
あ、でも新九郎が荏原に行く準備してるときタブレット端末があったような 電話とか新幹線とか老衰で死没した大昔の作家がさんざん使い倒したギャグをゆうきは使うなよ
おもしろいと思ってるのか もしかして、国鉄JRとか電話とかの切り替わり基準に西暦の下二桁を使ったりするのかなあ?
1490年代後半ぐらいにはケータイが登場したり、1510年前後になれば(なるのか? 新九郎の没後だよな?)スマホが出てきたりするんだろうか? >>693
ゆうきまさみはそれこそ大昔からああいうことをやってきた作家の一人だぞ。 >>693
80年代の古いマンガ、たとえば「ヤマトタケルの冒険」(著者:ゆうきまさみ)とかにもありましたもんね、たしかに古いかも 太田道灌がスターシステムぽいけど
ほかにも過去作からのカメオおるの? 手塚も石ノ森章太郎もF先生も横山光輝も、
老衰で死んだ人なんて思い浮かばないが 老衰っぽいのは水木しげるくらいか。
もしくは小説家の方かな? さいとうたかをはガンだけど
水島新司と藤子Aが微妙なライン >>699
マンガ家なんて不摂生の極みのような生活だから、老衰なんて穏やかな死に方はそう無い。やなせ水木我孫子の3人が比較的近い死に方してるが。 >>694
>>698
肉世界も1988年の設定なのにうっすいタブレット端末登場するけどなんの問題もないぞ 水木しげるは自宅内で頭を打って亡くなられているから事故死でしょ >>703
同時代設定の男坂はGPS機器がゴツい筐体で個人で所有しているのは世界でもごくわずかってことにしていたな えっ水木先生はそもそも黄泉とこの世を自由に行き来なさってる方じゃないですか ギャグ描写としての明らかなオーパーツは置いといて、通常のシーンでの風俗や技術なんかの描写がどの程度正確なのかは気になる ギャグ描写といえば、「盛定スクリーン」がいまいち吹っ切れてないよな。
引きずり出すシーンがあるだけで、
あとは単なる説明コマに小さい顔+吹き出しがあるだけになってる。
せめて説明役が指し棒を持ってるとか、次のコマにスクリーンが残ってるとかないと、
スクリーンである意味ないよね。 妖怪は零落した神様だから
いうなれば祀られなくなってあの世に行けなくなった神様が妖怪 >>710
第一話ではちゃんとシュルシュルシュルって上に上がる描写があった
以後省略されてるらしい
親元ボードもあるな これは単なるホワイトボード
親元さん達筆だから 黒田基樹編著「伊勢宗瑞」に収録されていた藤井駿(1906年生、故人)の論文「北條早雲と備中国荏原荘」によると、荏原村在住の平井政太郎氏の家は先祖が伊勢氏被官で、家に新九郎が伊勢隆資に所領を譲渡したとする古文書があるらしいが、藤井氏は精査してない。昭和30年に訪問したら政太郎氏は物故し、古文書は散逸してたそうな。もったいない(伊勢隆資様御代官長尾分反銭納帳一巻、隆資(花押)平井八郎三郎宛下知状等一部の古文書は昭和14年に別の研究者から写しを借覧した模様)。
ちなみに平井家由緒書によれば隆資は伊勢新左衛門と称し荏原の領主となり、その子に兵庫助盛勝と豊後盛秀がいて、兵庫の総領(盛勝の子)は新左衛門高晴で、高晴の子又五郎が天正9年(1581)に毛利氏に属して伯耆国で戦死し伊勢氏衰滅、ただし明治まで毛利藩士に伊勢氏を名乗るものがいたので、備中伊勢氏の末裔は江戸時代も余命を保った模様。
政太郎氏→平井安芸守の子孫
伊勢隆資→元服後の伊勢千々代丸
天正9年の伯耆国での戦い→鳥取城の戦い
って理解でOK? >>713自己レス訂正
新九郎が伊勢隆資に所領を譲渡したとする古文書があるらしいが→あったらしいが >>706
たまに報道であるよ。80代以上の人が亡くなったときに使う。
特に疾患が無かった人はそうなるのでは? 朝、家族が起こしに
行ったら亡くなっていたとか。 >>713
おおよそ個人的な予想に合致する資料で嬉しいがスレじゃマイノリティなんだよなぁ >>715
特に疾患がない場合は、普通は心不全だ。
お前が見てるのは報道じゃなくてワイドショーとか週刊誌だろ。 >>716
【こんな「新九郎、奔る!」は嫌だ】
「幻の平井家古文書をついに発見したぞ!」と思ったら盛定スクリーンでずっこける黒田基樹氏 >>713
飢え殺しの犠牲者か…
飢え殺しに最期まで頑張った吉川経家や
日航機墜落事故の犠牲者の人なんかがそうだけど
避けられない死に直面した際の家族への遺書は
書き間違いや書き殴りの文字に感情が滲み出てて
涙が出てくるよなあ
というわけで義忠殿の譲り状に
一切の嘘偽りなど有るはずがないのです 鳥取城は因幡じゃね?
その時の支城網殲滅戦かもしれんけど >>720
伊勢行長【いせゆきなが(14??~14??)】
窪屋郡高越山館主。通称新左衛門。高越山館(300貫)を領した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。←盛定パパの別名説あり
伊勢盛勝【いせもりかつ(15??~15??)】
後月郡高越山館主。室は小田政清の娘。1566年、「萌黄ヶ原の戦い」で小田政清を支援して村上隆重勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。
伊勢高晴【いせたかはる(15??~15??)】
伊勢盛勝の男。別名伊勢貞信。1575年、「備中松山城の戦い」で三村元親に従い小早川隆景勢と戦い敗退した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。
伊勢又五郎【いせまたごろう(15??~1581)】
伊勢高晴の男。1581年、伯耆の戦いで羽柴秀吉勢と戦い討死した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。←注目!
http://takatoshi24.blogspot.com/2011/12/blog-post_24.html?m=1
確かに鳥取城篭城中に戦死or餓死したのなら伯耆でなく因幡で討死になるな。
1581年10月25日~28日伯耆国馬山の戦い(現鳥取県東伯郡湯梨浜町)、これかな?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%94%BB%E3%82%81 馬ノ山砦
https://shiro-tan.jp/castle-tohaku-umanoyama_toride.html
鳥取城開城で切腹した吉川経家の弔い合戦として吉川元春が背水の陣を敷いて兵力十倍の羽柴秀吉軍と対峙した「馬ノ山の対峙」か。ええな。
本格的な戦闘は起きず小競り合い程度で終わったらしいから伊勢又五郎がここで戦死したかは不明。 盛定スクリーンにしろ電車移動でもギャグだし作品に関与しないから別にいいじゃん
名探偵ポワロのオリエント急行殺人事件なんて本来は戦前の話なのに
最近の作品では電車内からパソコンを使って容疑者たちの経歴を調べてたからな
ギャグじゃなくて普通にそれで事件の大半が解決した >>717
厚労省の死亡診断書マニュアルにも老衰はあるんだけど
お前には何も見えていないみたいだな
https://www.mhlw.go.jp/toukei/manual/dl/manual_r04.pdf#page=12
>死因としての「老衰」は、高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然
>死の場合のみ用います。 千々代丸が荏原の領主になるって、盛頼の嫡男の盛慶君は? ワクチン接種後死者のリストにも老衰って何名か記載されていますね 突き詰めれば内臓のどれかが死因なんだろうけど年寄はそれでいいね 高越山は東荏原だから
西荏原から養子をとったという形にすれば社会的にはきれいに収まるな >>719
>というわけで義忠殿の譲り状に
>一切の嘘偽りなど有るはずがないのです
草w
>>728
盛慶君が早世して千々代丸君改め隆資君が伊勢掃部助家を継ぐんじゃね?「隆資」という伊勢氏らしからぬ諱は、母方の叔父さん(那須弥三郎資頼)の養子になる予定が変更になった名残りかも。
なお、隆資も天文七年(1538)に非業の討死を遂げたとの説あり↓
http://ad19420605.livedoor.blog/archives/1978856.html >>732
西荏原の当主が嫡男盛慶で、東荏原が隆資か。確かにそっちの方が収まりいいな。ゆうきまさみ氏はどういう解釈でゆくのだろう。
以下>>733のブログより引用。細部は異なるが平井政太郎氏の古文書の内容とだいたい一致している↓
>この伊勢氏の居城高越山城は、記録を調べると、天文二年【1533年】ころから出雲の尼子経久と、それに従う勢力が備中国を攻めだし、備中松山城が落城し、天文七年【1538年】に備後国神辺城の杉原理興こと、山名理興が尼子氏と和議を結び、尼子方となるとあって、天文八年【1539年】に尼子氏が備中、美作の両国を占領するとある。この当時、備中国の守護鴨方城にあった 細川氏が攻め滅ぼされたとある。
>当時の伊勢氏の当主は、記録によると、伊勢隆資と言う人で、法泉寺の記録によると、天文七年【1538年】十月二日没となっていて、おそらくこれの少し前9月頃、この高越山城が落城したのではないかと推測される。
>この伊勢隆資の子息が、伊勢兵庫助盛勝と、盛秀という兄弟がいて、西に落ち延び、毛利氏を頼って荏原の庄から逃走したとある。
>盛勝の跡継ぎが、伊勢新左衛門高晴という人で、慶長元年11月2日没となっていて、高晴の子息が、又五郎高平と言う人がいて、毛利氏の吉川経家と一緒に、天正九年【1581年】16才で鳥取城に出陣して、羽柴勢に包囲され、死亡し、弟の又千代と言う人は、平井という家に養子に入り、事実上、慶長元年11月に、伊勢新左衛門高晴が死去して荏原伊勢氏は断絶したらしい。 >>728
ああごめん>>716を読んでなかった
那須の所領はどうなるんだろ 東荏原伊勢氏(新左衛門家)は尼子軍や羽柴軍にボコられて最終的には毛利家臣になるみたいだが、もし新九郎が関東へ行かず東荏原の所領を守り続けていたらどうなっていただろう。史実通り毛利家臣ルートか、あるいは尼子を返り討ちにして戦国大名化し、関東の雄でなく中国の雄になっていたか。 >>717
ごくふつーに老衰が死因(自然死)の死亡診断書出るぞ
遺族からすると天命を全うしたと思えるから文句は出にくい >>740
伊勢宗瑞(1456~1519)
尼子経久(1458~1541)
ほぼ同年代の謀将。名勝負必至ですわ。 新九郎さんの場合は姉ちゃんと甥っ子を守るために奔走してる
うちに関東の主になったというか >>742
だから備中国にいたら東荏原の一領主で終わった可能性もありうる。 >>742
新九郎の頃はまだ関東の主にまではなりきれてないな 関東最大勢力にはなったが主と呼べるほどの武威はあっただろうか
北関東と房総半島は完全に支配下に置けなかったし >>746
古河公方の末裔と組んだのもポイントかな 越後の龍が北から攻めて来るから安定化が難しかったかもね 結局秀吉に敗れて滅ぼされたから評価低いけど氏政は一応関東の主だったと呼んでも良いのではないだろうか >>749
氏康が10年かけて達成寸前だった上野攻略をたった一度の来襲で御破算にされたからな
以降北関東の豪族たちは北条に付いたり上杉に付いたりを繰り返すようになる 京で幕府の役人続けてたらどうなってたかな
新九郎や弥次郎が京に残っていたら政元暗殺あたりの歴史も変わったかも >>754
三好長慶とその兄弟たちみたいに、足利将軍家や細川家を抑えて近畿にでかい政権を樹立する新九郎ファミリーか。 宗家の貞宗を差し置いてでかいことやらかすとは思えないけど >>756
やはり中央の統制が及びにくい関東へ行って割拠した選択は正しかったか。 政元さんが暗殺されずに恐怖政治が続いて
変に真面目だからその手先として忠実に働いちゃって
後世に悪名を轟かせていたかも >>753
真田はもともとは武田の家臣だぞ
武田の滅亡にともなって独立せざるを得なくなっただけで。 真田は幸隆の代から武田に従属していた国人領主であって家臣ではないな 幸隆は浪人してから武田のバックアップで復帰したから微妙だな 龍王は「じゃじゃ馬」の佑騎の友人に似てる
ユラユラしてるけど模擬レースで勝って重賞勝って新人賞も取った子 矢口高雄展行ったついでに書泉グランデ行ったら
歴史コーナーに「逃げ上手の若君」が並んでた
「新九郎」も置かんかいオラァ amazonKindleでとりみき共作土曜ワイド劇場やつ11月15日までセール99円らしい。 土曜ワイドのKindleキャンペーン99円は11月15日から9日間だったやゴメン。 鳥取城主の吉川経家の子孫が先代三遊亭圓楽なのは有名ネタ? 有名だと思うが馬面の圓楽が話題に上がることそのものが少なくなってるんだろう 吉川経家は鳥取城主じゃなくて
鳥取城主の山名豊国が家臣に追い出された後に毛利家からの派遣で入城しただけ 新九郎一党ももうアラサーかおっさん集団になってきたな ざっくりとしか流れ知らないけどあれだけこだわってた荏原捨てて今川の重臣なるとかなんか想像つかないな >>775
元々宇治田原だからねぇ。(右馬介が領地取られた) >>780
宇治田原から小田原を通りすぎて子孫は大田原に
行ったりしたら駄洒落が効いてたろうに 今川の重臣というのともちょい違うのかな
当時の新九郎の別称は豆州だよね?
伊豆のボスみたいなのというかなんというか。
それ兼駿河守護当主代行みたいな感じ 今川家の家老兼伊豆守護代って感じだったのかな?
本格的に独立したのは次の氏綱からかな 新九郎が伊豆を実効支配したけど守護は山内上杉家だったからねぇ
敵対する扇谷に付いてたからうやむやになったけど >>787
河東(富士川以東の駿河)もそうだな
だから氏綱の代で後北条が完全独立したときに揉めた 駿河のうち河東+伊豆って、まんま、昔の沼津ナンバーの地域か。 直接幕府に出仕する、できるんだから今川の家臣というより客分だろうな 幕府「ん?うちの家臣だよ」
今川「は?うちの家臣だろ」
北条「あ?独立勢力だが?」
周囲「今川と親密なポッと出のよく分からん奴だな」
当時からこれくらい認識違ってそう 新九郎が独立したというか、上方の管領細川政元が暗殺されたことで内紛、混乱状態になって関東に構ってられなくなって結果的に独立出来たのではないかな、と
んで新九郎が亡くなったら幕府との縁が切れたので氏綱は自力でなんとかするしかなくなったのでは あと上杉家が底無しすぎるのもね。
扇谷から「山内家が大軍で攻めてくるの、助けて!!」と助けを請われて新九郎、氏親連合軍で駆け付けて大勝したのに、領国に帰ったら直ぐに「今度は越後の上杉家が大軍で攻めて来たの!!また助けて!!」とか言われるという。 この後将軍家が跡目争いでグダグダになっていくね
それに応じて新九郎も立場が変わる 途中くらいから新九郎(道灌がいてくれたら…)とか思ってそう ドーカンは謀略とかあんま使わなそうだから
結局悪の新九郎に負けてそう >>798
かつてはその分家に過ぎなかったんですが
越後上杉家 >>801
てか、山内の分家だよね、扇谷は関係ない
上杉の4家って、山内と扇谷のほかに2つあるけど、越後上杉はその4家に含まれてない
犬懸上杉家と宅間上杉家だよな 上杉禅秀の乱で没落しちゃった犬懸上杉家。でも、禅秀の子の多くは鎌倉公方の勢力拡大を懸念する幕府に保護されて仕えたため血統は存続し、上杉教朝、政憲父子が堀越公方足利政知の関東執事となった。 >>804
政憲さん、「新九郎、奔る!」ではどんな最期になるのだろう… そういや「喜連川」って「きれんがわ」でなくて「きつれがわ」なのな。 東京いった時、やたら電車内で喜連川という地名を見たなあ
(JR東日本の分譲地の広告) マジか東京に30年住んで喜連川って初めて聞いた
(歴史に疎い) 栃木住みだったので
喜連川(きつれがわ)読み余裕でした JRの駅とは程遠い場所にあるけどな
いいとこだけど
毎年あの辺に鮎食べにいくから、道の駅にはよく寄る >>802
犬懸の凋落は上杉禅秀の乱なのは知ってるが
詫間って四家と言われてるのに
いつの間にかフェードアウトしてて
よく分からんな >>814
あれやこれやで政知の怒りを買って自害に追い込まれエンドか。可哀想。
>>815
他の三家に比べると地味だけど、江戸時代は宅間氏を称し、旗本として存続したから実は勝ち組。 龍王みたいにユラユラしてる方が
領主としては良いのかもな 龍王クンの息子たちは謎の死を遂げたり(氏輝、彦五郎)、後継者争いに敗れて戦死したり(恵探)、尾張の織田に敗れて戦死したり(義元)、居城を奪われたり(氏豊)と軒並み不幸に見舞われている件。オヤジのユラユラ感は遺伝されなかったのか。 義元さん当主になった前半は内側をまとめるのに必死だったんやで定期 >>819
太原雪斎だけでもってた今川家だもの
コーエーゲームでの知識でふが >>820
信長も前半生で尾張統一に14年かけたが、その後は天下統一に邁進した(尾張統一での苦しい経験が生きた?)
義元も桶狭間の戦いで信長に勝てば、尾張や美濃を併呑し天下人に雄飛できたのかな~と妄想してみる。
>>821
寿桂尼「私の頑張りは?」 >>822
名古屋城がまだ那古野城の名前のとき
信長の父に謀略で奪われているから尾張半国取り返しに行く程度感
三河の安祥城まで侵攻されていたから
桶狭間のときも別に京に向かって大軍驀進してた訳ではない
大軍を展開しすぎてて
混乱の中入り込んだ小部隊が
本陣奇襲できたのはむしろ
今川方が寄せ集め大軍だったせい
ただ信長自身は桶狭間のような捨て身戦法は二度とやってないのよね wiki読むと新九郎は今川家の武将として遠江を転戦して平定?して三河まで侵攻、徳川家康の高祖父と戦ってるという記述があるな >>823
義元は戦死時の享年が42だっけ?
桶狭間の戦いで勝ってその後も順調に織田をボコって尾張を完全制覇しても、天下取り本格着手の前に寿命が来そう…(ちな龍王パパの享年は54or56)ま、義元はそもそも天下人に関心なく東海地方の雄で満足してたのかも知れないけど。 >>823
那古野城で思い出したけど、連歌愛好仲間の信秀に城をだまし取られた今川氏豊さんって桶狭間の戦いには従軍してないんだよね。戦い以前に死んだのか、あるいは「アイツは使えねえから連れて行かない」と義元にダメ出しされたのかw義元との関係も兄説、弟説、ただの分家当主説と諸説あって謎の多い人物。ゆうき先生、氏豊の生涯も漫画化してくれ。 >>824
そのあと明応地震がやってくるのか、、、
鎌倉大仏殿まで津波が到達して無くなってしまった大地震が >>823
天王寺の戦いで桶狭間なんか目じゃない突撃をぶちかまして負傷してる >>828
なるほどその戦いで信長が死んでいて影武者が成り代わり
影武者が暴走したので光秀が討った
という妄想できるな >>825
織田信秀の病死の享年もだいたいそれぐらいだったような? で、戦国後期の織田家の話が今の本編と何の関わりが?
半端歴ヲタは然るべきところでやれよ >>830
そのとおり。享年42。
信秀もう少し長生きして、信長に家督を譲る&大御所ポジで後見していれば、信長の天下取りスピードも加速したかも。信勝(信行)も謀叛を企てて粛清されることも無かったかな。
…というわけで、64歳まで生きてちゃんと息子氏綱を育成し、自身の死後後継者争いが起こるのを回避した伊勢宗瑞さんはエライ!w >>831
義元(氏親の子)と享年が同じぐらいだな(同じだよな)と言うだけの軽い脱線がいやなら5chなんて使えないだろ、なんで使ってるの? >>827
明応の大地震って2つあるんだよな。
明応4年8月15日(1495年9月3日)と明応7年6月11日(1498年9月20日)。「新九郎、奔る!」では、震災復興に尽力するホワイト宗瑞さんが見られるのか、あるいは震災で大打撃を受けた茶々丸や大森氏ら敵勢力を容赦なくボコるブラック宗瑞さんが見られるのか、どっちだ? >>833
戦国時代の衛生概念まじおかしいから
刀傷とか馬のウンチを塗り込むんだぜ >>831
今川家、後北条は滅亡してゆくが
その敵は歴史を作った主役になるからな
逃げ上手の若様読者が
こっちよんだら唖然としそう >>835
駒若丸(才四郎)が九死に一生を得た長谷川の屋敷も地震でえらいことになってたらしいな >>834
炭水化物メインだからってラーメン漫画でカレー語るようなもんだな
軽い脱線でもなければ開き直る理由にもならないだろ そろそろ応仁の乱が入る大河ドラマを見たいんだが新九郎なら伊勢家ががっつり食い込むからありだな
本当は義視の西奔に新九郎が着いて行ってたらより楽しいが当時10歳そこそこなら厳しいか 応仁の乱で伊勢家は戦闘に参加してないからなあ
山名宗全や細川勝元は途中で病死しちゃうし、最初から最後までドンパチやってたのは畠山家の2人くらいか? >>845
作中じゃあんま描写されんかったけど畠山義就のトンパチぶりやべえ。 >>837
これは感染症不可避ですわ(白目)
>>838
眉太な縫ちゃんの御先祖様が「逃げ上手」の変態目玉親父貞宗さんの弟だと最近知って「小笠原一族は目がチャームポイントなのかw」と妙に納得してしまったw >>843
1994年の大河ドラマ「花の乱」が、三田佳子演じる日野富子主人公でガッチリ応仁の乱取り上げているけど、もう20年近く前なんだよな。 作品の話題を振れば皆喜んで返答するんだから何か振れよ
何もないから雑談が脱線していくわけで >>849
10年前「平清盛」に抜かれるまで
あれが20年近く視聴率ワースト記録を維持した影響は小さくない >>850
1行目には同意するし時々は話題投下もしてるけど
何もないなら全く筋違いの話題をわざと振ってもいいと思ってる奴が数人居直ってるのが問題なんだが
梅ちゃんっていえば競馬の話題してもいいと思ってる爺さんとかいるでしょココ 「振られないからスレ違いの話題続けさせてもらうぞ。作品の話題ふらないお前らが悪いんだからな」宣言は頭おかしいとしか思えない 子どもの頃じゃじゃ馬グルーミンが大好きで今新九郎にはまってるが実は代表作のパトレイバーとかまだ読んだことない
いつか読まねば 案の定織田家の話しかしてなくて草
開き直ってんなこいつ 新OSの話で「クラブマン(タカアシガニ)でドーファン(人型)と同じ作業をしてのけた」とあったが未だにどんな作業をしたのか皆目検討もつかない >>855
ワイは逆にパトレイバーは漫画もアニメも見ているが、グルーミン見ていない…orz
なので、梅ちゃんが最初何者か知らんかったw 伊勢宗瑞さんにクラブマンを提供し韮山城建設に活用してもらおう。なお操縦者。 >>859
悩むがやっぱたづなかな
おっさんになると逆にひづめちゃんも悪くないがw あぶみ ひびき たづな ひずめの4姉妹か。みんな馬由来の名前かな? 懐かし漫画板の関連スレはそろそろゆうきまさみ総合にまとめるべきかと思うんだが >>870
新九郎もそうだが、白暮のクロニクルもアニメ化しないかなあ。 沖縄戦と男娼と言うなんか色々クソめんどくさそうなものが物語に含まれてるからなぁ 応仁の乱で焼け出された結果羊殺しになった茜丸と新九郎奔るのミッシングリンクは…特に無いまま乱は終結しちゃったな 私も新九郎のぞけば白クロだわね
>>873
そもそもあの世界に竹内さんがいる気がしないわ >>874
宿禰は平安京に遷都してからは明治になるまで大内裏から5キロ以上離れたことがなさそうな気がする
福原遷都時も京に居残ってそうだ >>875
ぶっちゃけ一番魅力がないかも…(個人の感想です >>872
昔の東映ヤクザ映画なら沖縄戦も在日ヤクザも差別ネタもガッツリ描いてたのに >>863
鐙、手綱、蹄は分かるけどひびきってどんな馬用語? ひびきは裕騎(だっけ?)と双子だからその命名ラインから外れてるんじゃ? >>880
「いななき」だといくらなんでも変だから「ひびき」にしたとか?(テキトーな推理)
>>881
双子の片割れには「騎馬」の「騎」がしっかり入ってますね。 じゃじゃ馬は梅ちゃんで持った漫画と言っても過言では無いと思う >>843
応仁の乱は
当時の人でも訳分からん戦なので
いまやってもやはり分けワカメだと思います >>871
ゆうき先生はなぜかメディア化許可しない
パトレイバーは企画のコミカライズで
あーるはOVAしかみたことない
薄暮はNHKドラマでやってくれんかな >>886
でぃす×こみもNHK土曜ドラマ枠で実写化されたら面白そう >>843
以前の1532年誕生説の新九郎の話なら司馬遼太郎の箱根の坂だね。大河もアニメもないので小説を読むべし。 本編とのカラミは薄かったけど例の「あの人」そのまんまな入来神父は存在自体が改変されそう
当時の人類分布通りなら『骨ばってて浅黒い』特徴でほぼ間違いないのに白人至上主義の信者はそれさえ受け入れなかったようだし ジーザス本人とかはどうかな
まあ聖おにいさんを実写ドラマするNHKなら大丈夫か >>886
バーディーガッツリ2クールもアニメ化してんだろ何言ってんだ >>892
前世紀に作られたOVAこそがゆうき原作どおりだが
十数年前のアニオリバーディーをアニメ化といえるかどうか
テレビアニメ版脱落したんですまんが 本命や、セリフォスも勿論買ったがな・・・裏目ーっ! >>893
テレビアニメも調べたらもう14年前なのか
14年か… >>890
凄まじく見当違いなんでレスの意味がちょっと把握出来なかった
格安回線のブーイモさんらしい頓珍漢ぶりやわ >>883
仮面ライダー響騎
すまん、言ってみたかっただけや。 >>902
太鼓叩く方か、カードバトルで殺し合う方か ゆうきまさみと河合克敏の描く女の子がかわいくて好き >>871
作品中至るところで血まみれだからアニメ化も難しいと思う。 >>906
「うどんちゃん」ってなんかユルい漫画を >>886
すっくと立ち上がり睨む瞳が燃え上がる
決めのセリフが、、、ああ出てこない 縫ちゃんが、亀の遊び相手として伊勢家に入り浸るのか。
無職の新九郎との接点を増やす方法としては最適だね。
そして、几帳面すぎる新九郎と、適当な縫ちゃんというベストカップルを、生暖かい目で見守る貞宗さん
後半が尊過ぎて前半忘れたわ 政知に伊豆の支配権を譲る。守護にしてあげるから許してね?
って穏便に終わった感じだけどまだ一波乱あるかな? >>912
確か初登場時12じゃなかったか?それから何年経ったんだろ >>880
遅レスになるが双子で名前を一括り
佑騎の佑は助けるの意味
ひびきは漢字だと日々騎
二人合わせて、毎日馬を助けるよってことらしい >>913
伊豆って当時も海上交通の要衝なのかな?
米よりそっちの方が旨味ありそうだが >>913
守護になったってことは後継者問題が起きるってわけだ、お飾りの鎌倉公方なんて地位は誰も欲しくないけど
伊豆守護の地位ならほしくなる >>915
今回1話のうちに1年経過したから
最終的には4年
ぼつぼつ嫁に出す頃合いか しかしまだまだ戦国って感じになってないのに11巻まできたけど最終的に何巻で完結させるつもりなのかな 新九郎(=伊勢宗瑞=北条早雲)の存在そのものを戦国時代の発端とするなら最終回のエピローグからスタートでもおかしくない
この作者ならやりそう >>921
最終巻数は判らないけど、ひとまず3年後に山城国一揆発生だね。貞宗の息子の貞陸が山城国守護になるけど、最終的に守護代に権力を奪われるんだったっけ? 白暮のクロニクル、ドラマ化してほしいな〜
新九郎からパトレイバー、じゃじゃ馬、白暮を読んで全部面白かった
そこらへんにいそうな人のドラマチックな話がうまい 扇谷上杉と道灌に離間の計かけたりと徐々に関東とのつながりの描写は増えてきたが
龍王が元服しないと本格的に東に向かうという話にはならんだろうし
戦いでどうこうという話になるまでは、まだ時がかかりそうではあるな 太田道灌暗殺もそれなりに話数使うだろうなぁ
あの人に勝ちたい言って数コマで相手死亡とかないだろうし まず道灌死亡の報が新九郎に伝わって、びっくり仰天ことの顛末は?で数ページで解説ってところじゃないの?
新九郎は直接関係ないし、そんな何話もかけるような話でもない >>921
応仁の乱もあったし、なんなら関東はずっとドンパチしてるでよ それらは秩序同士の争いといった感じがして戦国という感じじゃない
むしろ東軍同士で争おうとした義忠のほうが誰よりも戦国 >>923
え?守護畠山氏内紛(政長✕義就)に対しての国人一揆じゃないの? 太田道灌もあっさり殺られちまうからな
太田道灌との直接対決があればより新九郎物語に色がつくのにな 龍王は成長が遅いだけで頭が弱いわけじゃないよね?
仮名目録を作ったんだし 今のままだと龍王は大名なんてやれる感じしないけど、どっかで一気に成長するんかねぇ >>930
両畠山が一揆勢に追い出された後で将軍家の領地にしようと幕府(政元)が画策。で、調停の意味も含めて貞陸が守護になった模様。ただ伊勢家だと武力が無いので(?)、守護代に政元の配下の赤沢氏(小笠原氏庶流)が入ったと。 道灌と政元が風呂で殺された、と聞いたら風呂に入るのも怖くなりそう 堀越で何年も鬱屈した生活送ってたら伊豆くれてやるから関東公方はあきらめろとは、さすがに政知が気の毒だ
京都で僧侶してた方がマシだったように思えるが最初は関東公方になれる(予定)のを喜んでたし弟が将軍なのが相当コンプレックスだったのかな
京に帰ろうにも一家を成し人に傅かれる生活にも馴れて今更無為な人生には戻れんだろうし
貞宗が新九郎と縫ちゃんをくっ付けようと画策し出すか? せめて息子が将軍になるまで生きながらえてれば少しは報われたんだろうがなあ この漫画の中だと義政は対外的には泰然とした大物風にも見えるんだろうけど、
風見鶏だったり常に選択を間違えてたりで後世に無能呼ばわりされるのもさもありなんだな
実際泰然としているというより何も考えてないだけにも見えるという 龍王はエジソンやアインシュタインみたいな成長過程なのかね
ぬいちゃんと亀ちゃんが遊んでるとこが見たい
お人形ごっこでしょうか貝合わせでしょうか
大御所が政知さんに負い目を感じてるのが意外だった
弥次郎も親元さんとビバークして大変だなあ
政国さんゲスト出演お疲れ様です
貞宗の明子姉ちゃんははっきりいってきもい
しかしああやって仲良くなっていくとはなー
ただ何といっても政元の末恐ろしさよ スピリッツ編集部もそんなファンレターが送られてくるなんて大変だな >>924
白暮は血まみれすぎてアニメ化も無理だろう。
未読の人のために詳しくは書かないが、常に血がテーマの作品だから。 前にも誰かが書いていたけど、
伊都(いと→糸)
縫(ぬい)
と来て氏「綱」につながるのだからゆうき先生もよく考えておられる。 >>945
そうか?血まみれアニメなんてそこらにあるだろ >>934
「余がこれまでうつけを演じていたのは小鹿の一派を油断させるため」的な伏線では >>950
そうだったらいいな
今週の鼻垂らしながらのヘラヘラ笑顔は将来が心配すぎる >>942
何も考えてなくはないんだろうけど
打たれ弱くて粘れないんだろうなと思う(この漫画内では)
自分もそうだからちょっと共感してまう 最後のページ貞宗さんが市原悦子してるw
貞宗「あの2人、もしかして・・・何かあるよ」 じゃじゃ馬ではヘラヘラナヨナヨ男が若手ジョッキー最強だっただろ
あれと同じで有能にされるだけ 北条氏親がか?
有能かどうかわかる前に死んだんだろ >>955
歴史上では今川氏を単なる守護大名から戦国大名に発展させた人物として名君扱いだったはず。 それこそ氏親当主時代の有能な部下でもあった伊勢新九郎の活躍もあったのだろうて>今川氏の隆盛 新九郎が三河まで出張って頑張ってたのは最近になって知ったわ
流石に常勝とはいかず勝ったり負けたりだったようだが そう言う動画とか読み物しか見てないからかもしれないけど
今川家の家臣ってあんま有能イメージない(早雲は除く) やっと今週号読めた
意地でも成氏の顔は出さないのな スピリッツはどこにも売ってないからネットカフェ行かないと読めないもんね… 伊勢守様でも「知らんけど」使うのかw
あとは堀越様の「世は鎌倉公方」は余の誤字だよな?細かいけど あれ?401Pのど真ん中のコマ、やりとりがやりとに誤食ってるねえ
単行本では直ってますように >>964
堀越源五郎って人物は瀬名に改名するのか >>973
今川家臣としての期間は短いというか、桶狭間の前哨戦が初陣じゃなかったか
立派に仕事は果たしたが、有能な家臣と言えるかどうか
いや桶狭間時点では元康になってたから元信は戦場に出てはないということになるか? ヘラヘラナヨナヨクネクネじゃなくてユラユラ>ひょーたん >>947
主人公が深手を負って、さすがの息長でも回復に時間がかかった
場面はかなりエグかったと思う。(未読の人のためにぼかして書く) サントリー美術館の『美を尽くし展』に
「室町時代の同人誌!?」が展示されてたな
男装して帝に仕えてやがて帝の子を身ごもった女性が子供を姉に託して出家するって話の物語絵巻
ちょっとBLっぽい
伊都姉ちゃんはBLが好みだから作者じゃないだろうけど >>986
そういう先達の話を聞くと日本人に生まれてよかったとつくづく思う
>>980
乙 >>980
スレ立て乙です!
で、頭痛ですか。お大事に。 >>988
ありがとーもう復活済み
借金も踏み倒したしぬいちゃんとの結婚に支障はなくなったな >>987
日本の同人誌文化は古より続いている。
和歌の私家集なんかそのまんま個人誌だし。 >>989
復活良かった☺
縫ちゃん以外の嫁(葛山氏女、善修寺殿)はいつ登場するのだろう。大奥や中国王朝の後宮みたいな女の戦い勃発はいやだな😓 >>991
独孤皇后「側室を作る方が不潔じゃないですか!あり得ません!」
尼将軍「皇后さまの仰る通り!妻がありながら他に妾を作るなど不潔極まりないです!」 >>991
どもーご心配かけました
新九郎もまじめだからなあ
山積みの呵責とストレスで胃潰瘍に…
そういう生真面目さは兄ちゃんにもあったね 「駿河大宅高橋家過去帳一切」によると、縫ちゃんは永正3年(1506年)7月18日に死去(法名は南陽院殿華渓宗智大禅定尼)するらしい。亭主の新九郎より年下なのに亭主より早死にするのかよ😢
一方、側室の善修院殿(狩野氏女)は天正2年(1574年)7月25日に死去(法名は善修寺殿梅嶺宗意大姉)。縫ちゃん死後に後妻として入ったのなら過去帳に「継室」「後室」と記載されるはずだから(氏綱の後妻勝光院殿は『後室』表記)、やっぱり縫ちゃんとかち合う!?😓
なお、もう一人の側室葛山氏(新九郎の三男葛山氏広の母)については「過去帳」に記載なし。なぜハブられた?😅
それとも、有光友學説の通り氏広は新九郎の息子でなく孫で、新九郎の側室葛山氏は非実在なのか?🤔 >>992
作中の新九郎は側室持たなそう。正室(縫ちゃん)の心情を慮ったわけでなく経済的な理由でw
で、縫ちゃん死後に周囲から「後添えをもらいなさい」と勧められて狩野氏の娘をもらうと(あくまで私の根拠なき予想です)。 新九郎の性格的に側室持つのは無理かもね
何かの事情で孫を養子にするのはあり得るな >>998
通説では氏時には実子がなく兄貴の氏綱の三男為昌(氏時から見ると甥)を養子にもらっているんだぜ。
氏広を葛山氏に養子に出したときは他にも息子がいたけど先立たれたのかな?で、今さら氏広を呼び戻すわけにもいかず甥を養子にしたと。 このスレッドは1000を超えました。
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