センゴク 宮下英樹 198番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックは1-19巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
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※前スレ
センゴク 宮下英樹 196番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1591781105/
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センゴク 宮下英樹 197番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1592484440/
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だいたい6万5千石くらいだな
上田と沼田、あと少々でこんなもんだわ
面積の割に山間地が多いから石高はあまりない 表石高=実収でもないしな、
正味米の生産量を表したものだったり
商業経済込みの数字だったり
真田の場合温泉多数による入浴料や
善光寺参拝客や山岳信仰の修験者の落とす金は見込めるが
一次産業による特産はこの時代はまだあんまりじゃないかな 石高=面積だと思ってた頃
徳川関東250万石だけど実質300万石とか見て混乱したわ まあ畿内とその周辺の身内子飼い連中の検地は厳し目で表高と実高の差がほぼ無いか小さいが
外様連中の検地は甘々で表高と実高の差が結構あったからな太閤検地
中には実利より見栄を張る外様もいたけど 同じ量の米なら同じ石高?
魚沼産なら3倍!みたいなブランド米の概念なかったんかな 石高少なく申告してるとかその辺中央からの監査とかあったのかね 国中隅々まで歩いて確認するわけにもいかないから、監査が来て申告書類見てどうせ誤魔化してるんだろの精神で何割増しとかしてそう。 >>250
品種のブランドの概念は無かっただろうが産地による価格差はすでにあったんじゃないか
江戸時代には庄内米がブランド化してるし 前にググってた時に知ったけど
仙石が淡路で太閤検地以前の検地をした貴重な報告書が見つかってるんだよね
小諸では太閤検地のルールと違う独自算出してたらしい
まあ実態は依然として津々浦々、gdgd奇々怪々だったんだろうね ワシも太閤検地じゃとか勇んでやるけど文官タイプがいないから失敗する風景が浮かぶな >>261
上から下まで荒くれオールドタイプだらけじゃ、そら国も荒れるわ・・・
まぁ正直難しいよな。元々荒廃した土地に新参でろくに家臣が揃ってなかったわけだし。 豊臣期の小諸は安定してて荒れ出したのは関ヶ原後
五十代になって頭固くなったゴンベが幕府(秀忠)のために妙に張り切ってしまったのが原因 安定していたっていうか噴火の影響で超低空飛行なだけじゃないかそれ
あと天災は仕方がないって感じで逃散て発想にならなかったのでは
ゴンがやらかしたなら逃散すれば意思表示になるけど山は聞いてくれないからな 浅間山の山麓って気候どうなんだろう
高原っぽいちょっと避暑地的な涼しい土地なのかな
夏バイクで通った時は暑かったけど >>267
違う
軽井沢はもうちょい東
間に御代田挟む >>248
宇都宮さんは本領安堵で18万石だったのが
検地やったら倍の石高が判明して改易 >>268
軽井沢はもうちょい東でも浅間山が気になるな
江戸時代に噴火してなかったけ? あの山 >>270
横光版政宗で政宗と宇都宮家当主が並んで秀吉を出迎えるシーンがあって
関東仕置を生き残った宇都宮のその後を全然聞かなかったがそういう理由で改易されてたのか 丹羽ジュニアなんて言い掛かりで所領削られるわ家臣引き抜かれるわでゴンベレベルの挽回オトコよ 肉親以上に秀吉が優遇した宇喜多秀家とか、アレだったあたり
秀吉の人を見る目は、次世代に対しては微妙だったようだな >>275
秀家は秀吉が可愛がってた利家の娘(養女の豪姫)の婿だから秀吉の義理の息子ポジションだからなぁ
唐末五代の群雄の仮子ブームじゃないけど徒手空拳から成り上がった人間の悲しさよ >>277
代わりに秀頼が粛清されてそう。
天武帝や永楽帝ムーヴや 宇喜多秀家は佐竹義宣の雪の峠みたいに主君専制にしたかったのかな >>279
あれは旧領との関係が殆ど切れた(黄門さまに言わせると相当苦労したらしいけど)からできたケース
豪族連合の盟主みたいな宇喜多がそれやるのは無理あるわ。そもそも幼主とは言え主君人質に差し出す連中やぞ しかも秀次は割と他の大名にも慕われてたみたいやしなあ 佐吉は秀次事件でどう振舞ったんだろうな
秀吉に讒言し、証拠まで捏造した、という話もあれば
秀次の無実を秀吉に訴えたが、聞き入れられなかった、という話もあって…
どっちもありそうに思えるのが佐吉 三成にとって家康ならともかく、秀次を追い出して混乱招いて得になることってあるかね? >>283
秀次の家老連中が取り仕切るようになるわけだから主流派から外されるんじゃね >>274
堀家も跡取りがまだ少年だからってがっつり削られそうだったらしいよ
ホリケン氏が秀政の忠義を仇で返すなら討死覚悟で一戦交えるって手紙を自分の息子に届けさせたんだって
そのおかげで堀家はスムーズに家督相続できてホリケン息子はその度胸を気に入られて秀吉の小姓に 前世代の家臣と次世代の家臣の争いは徳川でもあったんだよね センゴクの秀吉像って何気に新鮮な気がする
真田丸とかへうげものの秀吉は、大人物ながらもどっかしら弱さや闇を抱えてて、それがまた何しでかすかわからない恐ろしさに拍車をかけてたけど
センゴクの秀吉は、そういう弱さを一切感じさせないパーフェクト超人であんま怖くない >>285
豊臣政権ではそういうエピソード多いよね
その辺が徳川幕府と違うところ
理にかなった異議申し立てはちゃんと受ける感じがある
これが徳川幕府だと、公儀に対して異議申し立てなど不届き千万って
儒教の則っての方針だから理屈が通らない
戦国時代は実力主義だから勝てるわけだから
合理的にならざるを得ないけど
戦国が終われば違う理屈が正しいと
江戸時代がどうしても好きになれないのはこういう所なんだよなあ >>287
パーフェクトだけど、それが他人に頼らない信頼しない自分の判断が常に正しいって感じの驕りになりつつある怖さはあるだろ。
そんな怪物が持てる力を全振りで鶴松の為だけに天下を動かしつつあるんだぞ・・・ >>288
俺も同じような理屈で江戸時代好きになれん
結果論だが、徳川幕府のせいで日本は小さく纏まってしまった感がある
安土桃山は華と侘び数寄と南蛮文化が混在する、東洋のルネサンスとも言うべき日本史上最大レベルの発展の時代だった
あの路線が続いてれば日本は色んな意味でもっと上に行けたと思う >>287
その弱さで尾藤ぶったぎって
ゴンベに懺悔したばっかやないか
へうげと大してポジション変わらん
超人秀吉というなら慶次秀吉じゃね
てか秀吉はガチで凄すぎるんだよ
だから他に主人公を立てても
気付けば秀吉物語みたいになってしまう >>291
慶次の秀吉は今際の際で完璧超人でいられなくなった落差が哀しかったなぁ
石田に与えてるプレッシャーでは共通するものがありそうではあるけど >>287
成り上がる過程で悩みも苦労もしたが全部自力でなんとかしてきてしまったから他人を頼れなくなったのが
偉くなるにつれ段々響いて来ているように見える センゴクの秀吉は今んとこなろう主人公状態だな
何でも出来る全能っぷりだし、他作品だと大抵腹に一物ある茶々をガチ惚れさせてるモテ男だし
まあ北条攻め終わったし、この当たりから老害化が始まるんだろうけど お籠りのあれが未だに納得いってないんだけどあれはいいのか?
秀吉と鶴松血繋がってないやん…ないよね? >>288
信雄の改易とか不届き千万の最たるものじゃね? >>298
まぁ秀吉と息子達の血の繋がりは日本史の謎の一つだしこの漫画ではハッキリどちらとも描かれてないからな 秀頼との身長差で秀吉の子じゃない疑惑とかよく言われてるけど
そもそも、秀吉自身も本来ならそれなりに大きくなれる素質あったんじゃないかね?
子供の頃は貧乏暮らしだったから栄養足りずに成長止まっちゃったのと対照的に、秀頼は生まれた時から栄養満点のもんたらふく食えたからポテンシャル通りに大きくなれたとか
同じ一門で、育ち盛りの頃には既にかなり裕福だったであろう秀次の身長とか、どれくらいだったんだろう いや完全に別人の種だってはっきり描写してたでしょ
少なくとも鶴松はこの漫画の中では秀吉以外の種の子だよ バテレンにまとわりついている猿たちもスティッチ絡みかと思ってしまった。 >>288
秀吉の気分次第やさしたる理由なしに改易減封
将軍の気分次第や理由なしに改易にはできない減封もできない
江戸幕府の方がましな気がする
御大名皆そう思ったから豊臣公儀見限って徳川についたんだろ >>287
尾藤を斬るときの怯えもあったしそこ普通の人間として
描かれてるでしょーよ
これはある作家の受け売りだが
従卒のもとに英雄なしって言葉がある、
どんな英雄も従卒の前では小物だったり
人間臭い一面も見せるという言葉だが
逆に従卒程度の目線では英雄の英雄たる側面を
側にいても認識できないという意味でもある
その点は俺らも変わらん、
所詮人間は自分の次元でしか考えられん、
三英傑も所詮はロリコン!身内に甘い!とか
低俗な方にばっか評価したがる人はお察しなんよ >>304
一応「殺したらアカン」「暴れたらアカン」って現代なら当たり前の価値観を日本人に植え付けたのが江戸時代やから。
極端な話、江戸時代以前は知恵ついてるだけの蛮族が刀振り回してるだけくらいの認識でも問題ない >>304
つっても徳川幕府の体制が完成するのって、緒大名が徳川方に付いてから大分後じゃね?
豊臣潰して徳川が益々締め付け強くしていってから、緒大名も「なんでこんな事に…」って思ってたんじゃないか
まあ当時の人間が何考えてたかなんて今では知る由もないが そもそも緒大名は本当に豊臣政権の政治体制とかに不満があって見限ったのかね?
まあ秀吉の晩年の暗君っぷりを見るに、不満は少なからずあったんだろうけど
それは豊臣を見限った主な要因ではない気がする
単純に関ヶ原開始時点で徳川内府様が強すぎて逆らったら怖い+三成が嫌いで東軍参加
関ヶ原終わると、ただでさえ強くて怖かった徳川様の権力が絶対的なものになり、逆らったらお家取り潰し必至で服従以外の選択肢はない状態に
みたいな感じで、豊臣に不満があったというよりは単純に家康が怖くて徳川に付かざるを得なかったようなのが大半だったんじゃないかね >>285
なお家督相続した堀家は越後へ国替えとなるが、
同時に会津へ国替えになった上杉がその年の年貢を持ち去った後で、堀家はめっちゃ困ったとさw
国替えの際に年貢を持ち去るのはご法度だったのに、公儀に訴えても豊臣はスルーw
(ちなみに家臣も移封先へ連れて行くのも国替えのルールだったが、上杉はこれも破ってる)
つーことで直政は徳川へ接近するが、関ヶ原直前には息子と、豊臣徳川どちらにつくか論争になってる
>>307
「現政権を倒せば世の中よくなる、と思ってたのに・・」というのは古今東西よくある例だねえ 秀頼に関しては浅井の血が強く出ただけって可能性もあるし身長差だけで決めつけるのはどうなんかのう 先生が描く秀頼が初期の浅井長政そのものだったら面白いな あの寺に篭る子宝願掛けのシステムがよく分からん
仔細分かってるのか?って聞き返したからには当然秀吉も全て理解しているわけだけど
愛妻が小汚い下郎に托卵される儀式をよく承諾したな 丹羽蒲生への扱い見てたら、世代交代控えた他の大名家が不信抱くの当たり前だろ。特に丹羽なんて貢献度は前田以上だったのに。
それに引き換え江戸幕府は家康、秀忠の代の功を理由に、とんでもないお家騒動引き起こした某家を幕末まで大名として存続させた。本来なら一発改易。
改易の基準も嗣子断絶、お家騒動、大規模一揆ぐらいのもんで、幼君を理由に国替えはあっても、あからさまな減封まではない。そこら辺が諸侯連合の統治に効いてる。 利家が秀吉より先に死んでたら、たぶん前田も丹羽蒲生と同じ運命たどってたよね
・・・つまり秀吉が家康より長生きしてたら、豊臣政権がずっと続いてたw 次世代ないがしろにして誰に秀頼支えさせるつもりだったんだ…
自分みたいに一人で何でもできるやろ、と思ってたのかな >>316
どうだろ、ちゃんと人質に出されていたわけだし。
宇喜多みたいに保護されたんでない? 千姫嫁ぐの早くから決まってたし家康が史実通り亡くなるなら30半ばの秀忠なら特に問題ない気がする
家光まで行ったら微妙だけど 秀忠だろうが家光だろうが石ころだろうが
土井利勝が補佐するから何の問題もないよ >>317
そら家康やろ
秀吉って本気で家康を信頼して、右腕と思い込んでた感がある
じゃないと秀忠と江をめ合わせて徳川に織田の血族を与えたりせんやろ >>321
そういえば作中だと信長も信忠のこと任せる気だったなあ センゴク作中でも秀吉自身が触れてるが家康は自分より目上がいる時は明確に従い野心を見せないので
最初から野心を抱えていたのを伏せていたのか上が不慮の事態で倒れたら流れに乗ったのかは当人でもなきゃわからんが >>322
信長は信忠世代の一門の信澄や蒲生
森兄弟や堀久たち側近をいつでも視界に入る距離でしっかり育ててるよね
自分と同世代の家臣たちの跡取りにも娘たちを嫁がせて囲ってる
秀次と連座!じゃ若い世代の心は離れていくよね >>307
徳川幕府がすげーのは法度で
「跡継ぎできないで死んだら改易な」
「たとえ養子がいても将軍にお目見えしてなかったら改易な」
ってのを初期の段階で作ってその通りに運用したことよ
子種にしても寿命にしても運だもん
運で改易だからな、しかも法度のとおりなので文句は受け付けられない あれは本来なら嫡系になるはずだったのに徳川姓すら貰えてないからな やむを得ん
俺の名前は引導代わりだ
迷わず地獄に落ちるが良い 戦国大名の血筋って大半が実質は断絶してるよね?
養子迎えて藩は存続しても
逆にこの血統は残ってるってとこどこだっけ?
徳川、島津? 確か最後の薩摩藩主のお孫さんが平成まで宮仕えしていたから島津は残ってるはず 何を持って「断絶」とするかだな
宗家の嫡流が途絶えたって意味での断絶なら、確かにその通りだろうが
例えば端流でも女系でもいいから遺伝子受け継いでるって意味でならほとんどの大名家の血統は残ってるんじゃないか
繁殖力がクソザコな豊臣家でさえ、皇室の血脈にしぶとく残ってるんだし 秀吉の姉ちゃんは本当に大金星だな
結果的に姉ちゃんのお陰で豊臣の血統は首の皮一枚繋がって今でも続くようになった
高齢出産で男3人も産むし
秀吉は生殖関連の運気を全部姉ちゃんに持ってかれたんじゃないか >>288
すぐ撤回されるレベルの理に適ってない命令を簡単に出してくる豊臣家怖すぎるだろ。ゴンベみたいに後ろ盾なければ、抗議してもその場で首チョンパだし
逆に法度に明文化されてれば、ちゃんと後継者問題を普段から考えておくことで養子なりなんなり対策はできる。あとは幕閣や有力大名とつながりを作っておく工作を怠らないこと。それも藩のしごとの一つ。首が繋がってなくても生きてることにしてくれる裏技まである。 この場合は一番有名な武将に直系傍系問わず
辿れる血統あるかのニュアンスだった 伊達家も嫡流直系ではないが、DQ竜政宗の子どもから辿れる当主が続いてたはず。 iモード開発者の松永さんが松永久秀の子孫だったな
前に自称武田信玄の子孫で万引きやらかしたモデルに対して武田家から「そんな女は知らん」って突っ込まれてたけど、一応存続してたんだっけ? >>337
iモードが海外で爆死したのはそのせいか あったなーそんなの
トリビアの泉でオセロ打ってた人が子孫の会の会長やってたんだったかな 伊達家当主は見た目も振る舞いも殿様って感じで凄いよね。 ビトーさんの子孫だって実は現在も
どこかにいるのかもしれない。 あまり名乗りたくないだろうが >>331
>>333
姉の子孫って血統的に秀吉との関係性は微妙じゃね
自分の遺伝子持ってる子の血統でなくていいなら別に福島辺りだってその一世代前では繋がるし たしか爆笑問題太田光の妻太田光代(旧姓 松永)も久秀の子孫 江戸幕府の改易の7割が無嗣改易だからな
中には末期養子をOKになってから
養子が早死にが3連続で改易とかいたし 中国の名軍師、陳平は「オレ謀略やりすぎたから、その報いできっと子孫は絶えるだろうな」っていったそうだけど
リアル修羅の国日本では、日本の陳平こと黒田官兵衛の家でも謀略やりまくっても大丈夫 >>344
宇喜多直家、斎藤道三「不思議なこともあるもんですね」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています