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【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part8
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0001名無しんぼ@お腹いっぱい2019/05/09(木) 16:15:30.43ID:++CpQMJx0
公式ページ
博多編
https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_CW01200704010000_68/
対馬編
http://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_KS00000007010000_68/

アンゴルモア 元寇合戦記【ヤングエースUPの陣】
https://web-ace.jp/youngaceup/contents/1000045/

作者ツイッター
https://twitter.com/7hiko

アニメ公式サイト
http://angolmois-anime.jp/
アニメ公式ツイッター
https://twitter.com/angolmois_anime

前スレ
【日本史】アンゴルモア 元寇合戦記 たかぎ七彦 part7
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1536410309/
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
0682名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 08:50:57.48ID:dEEHJBD70
>>640
南宋滅亡の原因は、単に軍事力の不足だけではなく
当時実権を握っていた大臣が武官嫌いで
文官優遇、武官冷遇、前線で戦ってる武官の危機を隠蔽したり
といった失策をやらかしまくったことにある

自国の武官にすら冷淡なのに他国の武官に友好的にはならないだろうし、
国の滅亡に対する危機感自体が欠けていただろうから他国の力借りるほどの危機感あったかどうか
そいつが失脚した頃にはもうかなり不利になってるし、
皇帝は幼帝でリーダーシップをとれる人材が欠けてるから
反対も大きいだろう他国との同盟なんて決断して反論をとれる人間もいなかったと思う
0683名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 08:57:34.96ID:dEEHJBD70
反論をとれる→反論を抑えられる

>>647
日本にも弘安の役以後も遠征計画立ててたしな
ベトナム戦とか国力の疲弊とか色々あって中止になったが
それも日本遠征が元にとってそんなに優先順位高くなかったからだろうし
南宋と同盟してたら危険視されて遠征が続いてたかもな
0684名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 15:16:59.56ID:iIDGbPUf0
3回目の元寇があれば朝廷は元側について鎌倉を攻める
0685名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 15:53:09.48ID:jveHSRPp0

六波羅探題もあるし、承久の乱の時のように軍事力を持ってはいまい
しかも結局九州の武士団で撃退できてるから、京から鎌倉攻めようとしてもいろいろ足りない
というか勅額書いてるように朝廷もそんなに呑気じゃない
0686名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 16:01:14.04ID:rVxbNKT80
>>683
2度遠征して拠点すら確保できなかったんだから無駄
優先順位とかでなく不可能だと諦めた
0687名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 16:02:51.29ID:rVxbNKT80
>>684
ないわー
高麗が略奪されまくって北朝鮮みたく貧困になるだけ
0688名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 16:55:51.67ID:O/4J2EpV0
>>684
朝廷は元寇の前に出す予定だった返書は喧嘩売るレベルで拒絶してるし
元寇中は亀山天皇は日本が侵略されるなら自分の命を取ってほしいと神に祈ったし
別に元に寝返るような動きもなかったし、そんな気配微塵もないよ

>>686
まあ何回やっても無駄だったろうけど、クビライは三回目の遠征する気満々で
その準備もしてたことが元史にも書かれてる
0689名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 17:17:48.68ID:O/4J2EpV0
>>684
つうか元と戦ってるのは鎌倉じゃなく『日本』で、
天皇の祈願みても朝廷は戦ってるのが武士だろうと
対岸の火事や他人の不幸は蜜の味じゃなく
ちゃんと『日本』の危機として受け止めてる

幕府に勝つために侵略を利用するほど頭お花畑じゃなかろう
0690名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 17:27:17.55ID:rVxbNKT80
世界帝国のモンゴル遠征軍を九州辺りの武士だけで撃退してたんだよな
モンゴル軍が戦ってのは日本の地方軍だと知ったらどう思っただろうか…鎌倉から本隊が出てきたら…

幕末も大英帝国が薩摩に返り討ちにされたりしてるし九州がヤバいだけかもしれないがな
0691名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 17:38:25.47ID:fTCmfwEk0
薩摩藩だけでイギリスと戦争して引き分けたからなw
0692名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 18:11:30.97ID:O/4J2EpV0
>>684
あと従属した高麗が日本遠征に参加してるのを見て、
日本が従属すれば高麗兵の運命は日本の民の運命かも、
ってことは考えるんじゃないかな当時でも
しかも弘安の役では高麗兵(というか南宋兵以外)は
生きて捕虜になっても皆殺しという末路を迎えてる
侵略の尖兵にされれば侵略に激怒したその地の民から
凄まじい報復を受けるということが実際に日本で行われた後でもある

元と組んで鎌倉滅ぼしたとしてもその後に、鎌倉以外には安穏とした未来があるなんて、
夢想できるような状況でもなかったと思う

まあ仮に朝廷が元についたところで、元が鎌倉にすぐに攻め込めるわけでも
長期的に持ちこたえられるほどの軍事力が朝廷にあるわけでもないから
承久の乱再びになって上皇は配流、帝も場合によっては廃位させられて
鎌倉にとって都合の良い皇族が即位して皇統が変わるだけじゃないかな
0693名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 18:22:36.53ID:+Hi6vE6V0
>>587
家康は馬に乗りながらウンコするのも海道一
0694名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 18:59:11.60ID:Aun38Jde0
まあ実際対陣が何ヶ月も続くようなことも珍しくないし
戦闘が朝からずっと続いてたりみたいなこともあるわけで
そこらでのんびりとクソ垂れる暇もないことって割とあったと思うけどね
だから家康より上手い馬上グソの垂れ方を編み出した武将がいたかも
半ケツ出してクソ投げながら逃げるとか
0695名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 21:26:43.33ID:vi0LUm4t0
お前ら朝鮮人、朝鮮人って朝鮮の事そんなに好きなのか?

文永の役では朝鮮人は8000人で残り25000人はモンゴル人と中国人。
弘安の役にいたっては朝鮮人1万人に対して、残り13万人はモンゴル人と中国人。
朝鮮人は少数派なんやで?
0697名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 21:48:04.37ID:vi0LUm4t0
>>592
日本人も曲芸やるぞ。
↓の用な神事が伝わっているという事は日本の武士も似たような技術を持っていたのだろう。
しかしこれは、一歩間違えたら動物虐待になるな。
ちなみに、この藤森神社の宝物殿は重要文化財の大鎧をはじめ、
甲冑、刀剣、大筒、馬に関するものなど、戦いに因んだ社宝100点が展示してある凄い所である。


京都・藤森神社で駈馬神事 疾走する馬の上で曲技
https://www.asahi.com/sp/video/articles/ASL554W7QL55PQIP00F.html
0700名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 23:43:26.15ID:Ax+5PlBD0
>>697
>↓の用な神事が伝わっているという事は日本の武士も似たような技術を持っていたのだろう。
そういう技術を持った武士もいるにはいただろうけど、
さすがに歩き始めてすぐ馬に乗り出すような、遊牧騎馬民族と比較しても仕方なくないか?
飼ってる馬の数も全然違うんだぞ?
0701名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 23:49:17.13ID:GrPxglzs0
>>699
南宋人かなと思ったけど、南宋人は弘安の役だけだから
文永の役のは金やそれまでに落とされた地域の分かな
0702名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/29(日) 23:51:48.82ID:GrPxglzs0
>>695
まあ最大は南宋人だけど、南宋人のみ助命されたの見ても
当時の人も数は数が多いことと関与の深さを=にはしてなかったんじゃない
0703名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/30(月) 00:01:19.70ID:gAhd/neS0
元の情報を知ってたんだろ
クソカスの高麗兵だけ処刑してるとこみると
0704名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/30(月) 00:17:44.66ID:66914Qxt0
>>684
朝廷に攻める力がないのはもちろん、
御家人たちだって二度も元に攻め込まれて元の脅威がよくわかっていて
それでいえ防衛成功しているから降伏するほどの脅威ではないという状況だから戦意もあるだろうし
元につくなんていっても協力するような御家人はいないんじゃない?
勅命でどうにかなるもんじゃないのはそれ以前の朝廷と鎌倉との争いを見ても明らかだし

九州武士強すぎて、元の侵略と朝廷の鎌倉攻めが同時に起きたとしても
九州勢で元軍を抑えている間に鎌倉がさっさと京攻めて院と帝すげ替えてから
九州に向かって合流しても十分間に合いそう
0708名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/30(月) 01:43:23.37ID:gHm9JYxw0
>>694
人が恐怖で漏らすものなら、脱糞は戦場ではよくあることだったはず…
なんで家康だけそんなネタにされんのw
0710名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/30(月) 07:15:50.99ID:L8A5jXk+0
>>697
藤森神社は馬の神社といわれるほど馬に因んだ物や行事や逸話が多い
最近は刀剣が某ゲーム関係で注目されてるなw
今は御物になってるからもう現物はないが
0711名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/30(月) 21:23:47.07ID:l+obe9SX0
信長も馬と弓の鍛練に熱心だった。
他には鉄砲と水泳に励んでた。
刀や槍に目もくれず、飛び道具に夢中なあたり、合理的な信長らしい。
0712名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/30(月) 21:35:50.31ID:l+obe9SX0
西洋騎士はモンゴルの弓騎兵に槍で戦おうとした。
なんで飛び道具に刃物で戦うかな?馬鹿なんじゃないの。
飛び道具に刃物というとこれを思い出す。
https://m.youtube.com/watch?v=ua_TZ84hmEA
0713名無しんぼ@お腹いっぱい2019/09/30(月) 22:45:11.16ID:NeILFNgQ0
>>711
相撲と池の水抜いてるイメージしかない
0714名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/01(火) 02:03:46.54ID:6iqSkGCA0
>>711
信長は刀のコレクターでもあるんだよな…
かの有名な圧切長谷部を筆頭に大般若長光・鬼丸国綱・鶴丸国長・不動行光・不動国行 錚々たる名刀ばかり

槍に至ってはかの有名な3間半槍なんてものがある

普通に信長も刀槍に興味津々だったのに目もくれずとかよく言えるな  無知すぎる
0715名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/01(火) 02:32:41.75ID:6iqSkGCA0
714だけど追加に
童子切安綱・宗三左文字(義元三文字)・薬研藤四郎・備前長船(景光・光忠・長義)
(小手切・氏家・大通し・三好・上龍下龍)政宗 (荒波・長篠)一文字・佐々木国行・実休光忠

銘のある錚々たる名刀業物ばかり 
このうち童子切・鬼丸は天下五剣 圧切長谷部・長篠一文字・大般若長光は国宝宗3左文字は重文に指定されてる
0716名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/01(火) 13:07:47.31ID:Hb60ktCB0
アメリカ人のホモはチンコに銘を付けてるんだぞ

シュニッツとか
0717名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/01(火) 16:35:01.76ID:BlNiNbMQO
天皇制はどこからきた
0721名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/01(火) 21:30:40.29ID:+zR7a1In0
>>714
コレクターである事と武芸の鍛練をする事は違うと思うよ。
0722名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/01(火) 22:29:06.41ID:2+STpks/0
信長がどうかはともかく、飛び道具が戦場の主兵装だから刀槍が不要とはならんなぁ
白兵戦には白兵戦の役割があるし射撃戦には射撃戦の役割がある
モンゴルだって軽装弓騎兵だけじゃなくて、軽装弓騎兵で敵を消耗させてから
重装騎兵を突っ込ませる戦法を取ってるわけで

当時のヨーロッパ本土よりモンゴルのバランス感覚が上だったというだけ
あとは、宗教がらみで内輪の政争にうつつをぬかして外敵への対応が遅れたとかもあるが
東欧がイングランドばりのヒャッハーぶりだったら、もうちょいいい勝負になってたかもね

まぁ、重装歩兵のくせに騎馬の敵指揮官を走って追いかけて仕留めた
スパルタ兵みたいな変態は例外として
0723名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/01(火) 23:10:57.11ID:c/0L7hfz0
現代の兵隊だってアサルトライフル持ってても拳銃も持ってますわな
刀は護身具として必要ですわ
それと槍は戦国時代でも主兵装だし
0725名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/02(水) 04:34:19.31ID:pryr0km/0
信長は大蛇退治した武勇伝がある
0727名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/02(水) 12:40:37.72ID:QriLdMd70
俺も幼少期の頃、ひなたぼっこしてるシマヘビの尻尾踏んだら
凄い勢いで追いかけられたぞ
0728名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/02(水) 14:30:33.70ID:Bg54oPMy0
>>712
白兵戦突撃を行わなければ、臆病者扱いされるから。
臆病者扱いされるとその騎士は、親族や貴族仲間から孤立したり、出世できなくなってしまう

そのような風潮が強すぎたが故にヨーロッパの騎士は突撃バカが多かったし、
信頼性がある厳格な指揮官でもない限り、複雑な作戦行動も取れなかったという
0729名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/02(水) 14:57:29.69ID:GwspWMfg0
>>711
実は織田信長も剣術を学んでいる。というのも戦場で生き残るためでなく、
日常的に起こる殺し合いを切り抜けるための護身として必要だったから

鎌倉時代や室町・戦国時代の人々は血の気が多い人間が多かったので、些細なきっかけで殴り合いや切り合いのケンカになるケースが多かったらしい

中には逆ギレして上司にすら切りかかるやべー奴もいたとかなんとか
0730名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/02(水) 19:45:43.97ID:d/XlOWAJ0
下剋上やね
0732名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/02(水) 21:21:53.36ID:22s5RgDO0
>>700
遊牧騎馬民族ほどではないけど、日本の武士も起源は東北の蝦夷で農耕民族ほどヤワじゃない。
彼らは狩猟、採集、多少の農耕を行って生活していた。
幕末の武士の写真とか見ると彫りが深くて目がぱっちりしている。
長州藩(笑)は弥生顔だけどw
0735名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/02(水) 21:48:29.50ID:22s5RgDO0
南部馬の歴史6
https://aomori-miryoku.com/2011/01/14/%E5%8D%97%E9%83%A8%E9%A6%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%EF%BC%96/

>この世に足跡を残す最後の南部馬が『盛号』です。
>盛号は明治5年に三本木(現十和田市)で生まれた青毛の牡馬で、体高5尺(151cm)という格段に大きな馬でした。

>そのレースでは日本の馬だけではなく、外国の馬も何頭か出走しました。
>そのレースで盛号は、並み居る強豪馬(サラブレッドも含む)を寄せつけず、2位以下を大きく引き離して優勝。
>翌年の第2回開催時にも優勝して連覇を成し遂げました。
0736名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/02(水) 23:47:41.00ID:9dFeRrr40
ID:22s5RgDO0
長州コンプレックスはいい加減卒業しな、東北の負け犬君。
そもそも東北の蛆虫共は元寇と関係ないんでオナニー見せびらかすのは止めてね。気持ち悪いから。
0737名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/03(木) 06:39:07.08ID:bBn+9uik0
最後の笑顔で生首掲げた武士の集合写真
中東の戦場でも同じ事してネットに流すのを見てると、
人間は変わんないもんなんだね
0738名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/03(木) 07:29:32.46ID:35xBfqvO0
>>732
いや、狩猟民は牧畜民や農耕民よりヤワなんですわ

食料供給が安定しない上に、量も少ない。
だから多人数を養えない、最低限のことしかできず、大々的な生活向上の研究だとか、専業兵士の育成というのが出来ないから、戦争に弱いし国家も成形できない。

歴史上、巨大な国家を築けた国家は皆、農耕民か牧畜民のどちらかで
狩猟民と言われてるのはほぼ牧畜民で
狩猟民とは全く違う民族だ。

例えば騎馬民族とよばれる人々は、牧畜がメインで狩猟はオマケ
0739名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/03(木) 12:26:46.73ID:vBYHBFHJ0
>>737
敵兵に対するのと、民間人拉致してするのは全く違うわい
0740名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/03(木) 12:31:20.11ID:yDKGYRPRO
武士が生首刈るのは物理的な合理
あっちの宗教とは違う
0741名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/03(木) 13:52:37.14ID:k+siGkSF0
首一つにいくらの値段があるから取れればうれしいさ
0742名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/03(木) 18:06:12.58ID:7nLk/AOP0
完全狩猟民っていつまでいたんだろう
元寇の頃にもまだどっかにしたのかな
0744名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/04(金) 07:44:14.16ID:wmKuo39K0
完全狩猟って・・・
狩猟民は基本兼業でしょ
普段は採集を主にして、チャンスがあれば狩猟
焼き畑も相当に歴史古いみたいだし、これも狩猟採集民の範疇に入るのでない?
0745名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/04(金) 09:53:22.16ID:6cAjxAtiO
山地なら狩猟採集メインはありえる
0747名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/04(金) 11:34:11.21ID:OL6eKgtz0
北極圏やシベリアにはいるかも知れんけど
政府からなんやかんやもらって裕福だから
0749名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/04(金) 12:37:54.88ID:6cAjxAtiO
稀少な野性動物と同じようにノーコンタクトに近い保護政策を受けている原始的な部族がいるにはいる
野獣と変わらない

ようは狩猟民スタイルなんてのはただ原始的なだけ
それが強いというわけではない
軍事と狩猟を兼ねる場合があるのも狩猟が役にたつというより主にコストの問題
コストが許すなら軍事専用の訓練を充足させるほうが強い
そして軍事コストは狩猟スタイルのままでは産み出せない
0750名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/04(金) 20:21:37.17ID:9BRQrHMN0
>>749
>ようは狩猟民スタイルなんてのはただ原始的なだけ
そうなんだよね
完全な狩猟採集生活なんて、
過剰に獲得しても保存が困難だから、
必要分をみんなに分け与えるだけ
>ブッシュマンのサンの場合、
>優秀なハンターは大量に捕獲した後は
>狩りにでないようにし供給そのものを減らし、
>分配される側にまわる。

農耕・牧畜が始まったから貧富の概念も生まれ、
身分の差や所有物の奪い合いも起きるようになった
0751名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/04(金) 22:28:30.74ID:ySuJOW7s0
狩猟狩猟言うから、モンハンみたいな世界になったらどうなるんだろうとか考えてしまった
真っ先に飢え死にか、ジャギィあたりに食われて終わりそう
0753名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/05(土) 06:03:24.73ID:rUenJiJa0
主人公のこと忘れてしまう
0755名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/05(土) 15:57:21.54ID:YL98/N2i0
>>744
狩猟もまた進化し、動物の群の制御を覚えた狩猟→遊牧、の進化と思われる例「も」あるし
狩猟民同士でも戦争はする

女真族のように、「狩猟民が、鍛えた武力で略奪・拉致→奴隷に農作業させる」
つまり狩猟民が農耕民を支配するパターンに

アイヌのように、「交易に依存する、職業的狩猟採集」パターンもあり
オロンコ岩では、アイヌが敵対する先住オロッコ族を虐殺した伝承がある
https://shiretoko-style.com/ho0516/

また、アイヌ同士でも奴隷制はあったし
江戸時代に北方へ漂流した日本人が、現地人(千島アイヌなど)に捕まり奴隷にされてた例もある

ていうか、この作品のスレで過去に出たように
アイヌ(加害者)がモンゴル支配下の民族(被害者)を渡海侵略したのは
ニヴフの鷹匠拉致などで、アイヌが鷹羽流通を支配しようとしたからだ

その結果、モンゴル怒らせて負けたアイヌは中国王朝に朝貢するようになった
0757名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/06(日) 20:41:19.45ID:9s+fhvx5O
女真
毛皮ビジネスでカネもってた
0758名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/06(日) 22:24:06.28ID:xq7XJs6T0
迅ちゃんは嵐にあって海ぽちゃして死んでしまう未来が見える
0762名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/07(月) 09:56:24.60ID:LTGJ91sl0
結局
対馬編ではガチで戦った地域&メンバーはほぼ全滅なので
「神話」的に何でもぶちこめるが
撃退した博多編は「歴史」として事実に縛られる
ってことかね
0763名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/07(月) 18:15:34.30ID:x+0cBqfT0
魔界転生
0765名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/07(月) 20:20:50.27ID:/P/7x3DU0
すいません全巻購入しようと思ってるんですが
今史実で言えばどの辺ですか?文永の役あたり?
0766名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/07(月) 21:43:42.68ID:+nFRBlhu0
>>736
東北産の馬が西日本に送られているのだから関係あるだろ。
元寇の戦場にも体高140〜150cmの東北産の馬が居ただろうし。
もし菊池兄弟の乗っていた馬が東北産なら、
日本の馬はあんなデカくなかったという批判に対し、あの描写で正しいと言えるだろうし。
当時の武士の間で東北産の馬はどの程度普及していたのだろうか。
もしかしてモンゴル軍の馬より武士の馬の方が大きかったかもしれない。
0767名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/07(月) 21:49:45.32ID:+nFRBlhu0
>>755
>>女真族のように、「狩猟民が、鍛えた武力で略奪・拉致→奴隷に農作業させる」

これ、まんま日本の平安時代末期から江戸時代末期の武家政権だよな。
狩猟採集生活を行う蝦夷を起源とした武士が、農耕民を支配すると。
日本の場合、武力と食料生産を両立していたと言えるんじゃないか。
0768名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/07(月) 22:04:35.05ID:kSCw9/Bk0
>>766
源平合戦の義経が奥州から合流して活躍したのはそうかもな
なるほどね
0769名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/07(月) 22:19:48.41ID:jHcHVT5f0
>>768
というか北方貿易で当時奥州には女真はもとよりモンゴル人さえ来てたって話がある
義経は彼らから兵法を学んだとかね

あと競走馬と軍用馬は求められる能力違うからね
そりゃ見栄えはしないが、小柄で粗食に耐え燃費がよくスタミナもある最適種
東北の馬がデカかったのなら、それは戦場では採用されない
0770名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/07(月) 23:17:00.17ID:pQwyeS2Q0
まあねー日本刀の形は各地で様々に影響うけて違うし
佐賀県の素環頭鉄刀なんか、1〜2世紀ですでに片刃で反りがある

武士団や刀剣の経緯も、九州ほか西国だと近い大陸や海賊活動の影響も大きくて
いや・・・東国からの派遣部隊の影響も勿論あるけど・・・

瀬戸・九州の水軍などが有名なように、西国は海戦が得意、騎馬戦は苦手、とされる
さらに東西で源平・承久など対立した西国武士は、幕府から要注意の監視対象

神風信仰に際しても、西大寺など寺社勢力が幕府に影響力もった以外に
幕府軍の出る幕なくほぼ西国武士だけで圧勝したから

要注意勢力である西国勢の軍功を称えたくなかった、という話も出てて・・・
0771名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/08(火) 01:39:11.38ID:+8GtHj7h0
そういや、前にどっかで韓国人が薙刀を馬鹿にしてるのを見たな
物資が少ない中で苦し紛れに作ったとかなんとか
薙刀と太刀や大刀は造りが全然違うんだが、
まさか矛が作れないから刀を無理矢理長柄にくっつけたとか、
青龍偃月刀の真似をしたかったが鉄が採れないから細身にしてごまかした、
とか妄想したわけじゃない……ないよね?
0772名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/08(火) 01:42:16.54ID:M/xIBcyH0
チョンは日本の文化の全てを嫉妬してんだよ
チョンの歴史は文化も何も無いから
0775名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/08(火) 11:15:22.87ID:eYcnAbyC0
>>773 そんな俗説がいつ生まれていつ死んだのかも知らなかったので
>>767は朝鮮人の口を開けばねつ造かと思ったよ
0777名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/08(火) 19:57:58.66ID:rNL5OmRR0
>>775
チョンは次は起源とか言い出すよ
0778名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/08(火) 20:13:45.18ID:M/xIBcyH0
宇宙の起源はチョン
0780名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/08(火) 21:25:04.59ID:+aWy608l0
>>736
さらに言えば、
九州に領地を持つ武士がイコール九州に住んでいたかというとそうでもなく、
九州に領地を持つが東国に住む武士が多かった。
その場合、一族郎党の誰かを代官として現地に派遣した。

元寇の時には当然、幕府は東国に住む彼らに対して九州に下り異国から防衛するよう命じている。
0781名無しんぼ@お腹いっぱい2019/10/08(火) 21:36:01.20ID:+aWy608l0
>>769
>>768も指摘してるけど、義経の馬は奥州産なのよ。

鎌倉・戦国時代には武士に競って求められ普通に戦場で採用されてるぞ。
戦場で採用されたという事は、デカくて、さらに粗食に耐えスタミナがあったという事かもしれない。
体型は日本在来馬同じだしね。

https://aomori-miryoku.com/2011/01/14/%E5%8D%97%E9%83%A8%E9%A6%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%EF%BC%94/

>木曽義仲の乱
>木曽馬と南部馬の戦い=義経が勝利した後、武士たちは家財を投げ打っても南部馬を買い求めるようになった。
>以後、その傾向が江戸時代まで続きます。
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