かなり盛ってる黒田長政の遺言(渡邊大門によれば正文らしい)
だと大軍師官兵衛

(関ヶ原の時に官兵衛が西に味方していれば自動的に清正や九州諸将も味方するため) 、
九州の大名が結束して官兵衛と清正が西上すれば 、中国地方の軍勢も加わって十万騎になる 。
これだけの大軍が家康一人と戦うことは 、卵の中に大きな石を投げ入れるようなものだ (相手はすぐに潰れてしまう ) 。
もし 、家康が三河 ・遠江へ進軍し 、思いがけず我々と一戦を交えても 、出陣した西軍の大名は心変わりしないので 、関ヶ原合戦のように家康に情けない敗北はしないであろう 。
仮にやり損なったとしても 、我々は近江あたりへ引き返して諸所の城を堅固にし 、島津を大坂城に籠め 、長政と宇喜多が伏見を支えて家康を待てば 、
関東の勢力は瀬田よりも西へ進軍できないはずである 。
(中略)
九州から官兵衛と清正が後詰すれば 、日本はさておき 、たとえ異国の孔明 ・大公 ・項羽 ・韓信が来たとしても 、我らの陣に勝利を得ることはできないであろう 。
最近の日本における織田信長 ・武田信玄 ・上杉謙信らを家康に加えたとしても 、ことごとく彼らが無事に引き返すことができれば十分ではないか 。
そうなれば家康の浮沈は 、危ういことになったはずだ 。