>>153
幾が見た累の闇と、累が幾の演技を通して見た『自分』はごく一部に過ぎないのでは?
幾が累の顔で世界を見た時に呟いた「まだ何も見えていない」という言葉も、

・幾が見たものが絶望のほんの一部に過ぎないこと。
・累が前向きに未来を生きていく上での光明が見いだせないこと。

これらを指し示すものではないかと。
累は母のルーツを探るうちに「宵を演じる」=母と同じ地平に立って自分を包む闇を見据え向き合う決意を固めた。
が、光明を見出すには、闇の一端を見た幾に暁を演じてもらうことが必要不可欠なのではないかと。