安倍公房を振り返って思ったけど作家は欲望をタブーにしないところが作家なんじゃないかな
確か大沢在昌も同じこと言ってた気が
ちひろがすい(あきら)を触媒にして文学の更に高みを目指したように、店長はあきらを自分のものにすべきだわ
それにあきら自身、一時離れても夏の虫のように店長に惹かれていくと思うな
店長を作家にさせるにはあきらしかいない