>>851
永野がサンライズ来たのはいつ頃か次第じゃね。

川村万梨阿

富野由悠季はアニメデビュー作『聖戦士ダンバイン』の監督で、芸名「万梨阿」の漢字の名付け親でもある[10]。「マリア」という名称自体は、それ以前から本人が名乗っていた。

富士見高校入学後は、マンガ研究会に入って放送劇に参加しつつ[1]、アニメファンの活動をしており、江古田にあったアニメファンのたまり場の喫茶店「まんが画廊」で、小牧雅伸、ゆうきまさみ、蛭児神建らとともに常連客であった[2]。
「まんが画廊」の友人の誘いでアニメ雑誌の編集のアルバイトをするようになった[3]。

高校卒業後の1980年(昭和55年)に、東映の演技研修所の研修生となる。初仕事は、ワイドショー『小川宏ショー』のレポーターで、女優デビューは『太陽戦隊サンバルカン』第8話(紳士服店の店員役。本名の川村繁代名義)。
その他にも東映制作のスーパー戦隊シリーズや『特捜最前線』『Gメン75』など実写のドラマに出演するなどの活動をした[3][4]。東映研修所を卒業し、研修所付属の東映演研プロダクションに所属。

その頃、友人の手伝いでアニメ雑誌でアニメ監督の富野由悠季を取材し、しばらくして新作のオーディションを受けるように誘われて[5]、1983年(昭和58年)に『聖戦士ダンバイン』(チャム・ファウ役)で声優デビュー[6]。
『聖戦士ダンバイン』の後番組である1984年(昭和59年)放送の『重戦機エルガイム』のガウ・ハ・レッシィ役のオーディションに合格したことから、声優への転身を決意し、東映演研プロダクションから設立されたばかりの声優プロダクション、アーツビジョンへ移籍する[7]。