>>525
それは後に証明されたから一つの説が定説みたいになってるだけで、当時はあくまでも机上の理論。
実際、マレー沖はコタバル強襲上陸作戦という非常に重要な作戦を実施している時に、空母は無く戦艦は真珠湾の後詰めで残しておかなければならず
どうやってもコマが足りないという状況で苦慮していた。
金剛と桑名を派遣したものの巡洋戦艦と旧式戦艦ではどう考えても不利(補助艦艇で勝ってはいたが、昼間戦では戦艦に対抗出来ない)
そうした中で苦肉の策で実行されたもの。鮮やかな勝利と思われがちだが実は薄氷だった。
機動性の高い艦攻ならともかく、手持ちがあったのは陸攻だし。
日本軍が有利だったのは新型の一式陸行がスーパーチャージャー搭載で低空での運動性がこのクラスにしては非常に良かったこと。

五十六は、戦力的に不利な方が飛車に飛車をぶつけても最終的には勝てない、飛車を歩で討ち取るから価値がある
と言ったとか言わなかったとか言われているが、これはマレー後の逸話だし、まあフカシ半分に聞いた方がいいだろう。