>>566
そう、ミュラの治世は意外にも善政だった。改革派の南イタリア出身者を重要ポストに起用するなど、現地に配慮した政治もやっている。
ミュラは留守中カロリーヌに任せてたんだけど、その政治は暴君レベルだった。ミュラが従軍するたびにナポリ王国民から戻ってきて下さいと嘆願書が殺到する有り様。
ロシア戦役でミュラが離脱したのも、嘆願書が届いてナポリ王国が気になっちゃったのが原因の1つともされている。
これがナポリ王国にとんでもない置き土産を残した。ミュラと子孫が正当なナポリ王だと主張するミュラ派が形成された。このミュラ派は火種となり政情不安に繋がっていくことになる。