調べたけどどこが使い方間違ってるのかわからん
ショタコン変態祐輔くぅ〜ん(通名:陸道修一郎)は、いつも「仲のいい人とはショタエロ話をしてる」と自慢げに語る犯罪者一歩手前のペドフィリア
泥棒猫が嫌いなむっちゃんこに顔写真をザックザクに切り刻まれそうやなさ
単行本の櫓に登ってるヨイショ、ヨイショがかわいい。姿が見えない今、何かによじ登ってる最中と思うさ
教えてくれ
全部読みな
ショタコン変態祐輔くぅ〜ん(通名:陸道修一郎)は、いつも「仲のいい人とはショタエロ話をしてる」と自慢げに語る犯罪者一歩手前のペドフィリア
えらい言いがかりだよね、あれ
そういえば、みんなで写真撮ってた時、尾形はどうしたんだろう
ルンルンで撮ってたら嫌だな
撮ってないないよな、きっとさ
自分の言葉で説明できないのは理解できないってことだよ
よくいるよな
ショタコン変態祐輔くぅ〜ん(通名:陸道修一郎)は、いつも「仲のいい人とはショタエロ話をしてる」と自慢げに語る犯罪者一歩手前のペドフィリア
尾形は手が回りの男に比べると小さく描かれて可愛いなと思うさ
これは伏線 あれも伏線 って勝手に思い込んでる奴
ショタコン変態祐輔くぅ〜ん(通名:陸道修一郎)は、いつも「仲のいい人とはショタエロ話をしてる」と自慢げに語る犯罪者一歩手前のペドフィリア
身体も比較的華奢で可愛い
あくまで比較的w
白石は裸回とかですっと守られポジションに入るのが可愛いさ
漢祭り回では尾形も肌の見せ具合とかがある意味守られポジションだなと思った
(事務所NG的な)さ
で、続きが無くほったらかしだと未回収とか喚いてるw アホすぎ
ショタコン変態祐輔くぅ〜ん(通名:陸道修一郎)は、いつも「仲のいい人とはショタエロ話をしてる」と自慢げに語る犯罪者一歩手前のペドフィリア
ラッコ回で脱がされてる尾形の顔が色っぽくてすこ
あと杉元達と一緒に行動するようになってからのモブ顔がいちいち可愛いさ
三八で上手く隠してたのは笑った
ラッコ鍋は倒れたおかげで脱がされはしたものの
相撲の取り組みに参加しないで済んだから
ギャグ回避補正みたいなものが辛うじて残ってるのかなさ
坑道から出てきたときの疲れてる雰囲気、なんか良いわ。さ
腕折られても呻き声ひとつ上げなかった尾形が
ガスで苦しそうなのは印象的だった
杉元ですら相当苦しそうだったからガスはやばいなさ
腕と脚を折ったことあるけどイターぐらいですぐ歩けるよ
もちろんスタスタ歩けるわけではないけど
でもダジャレと笑顔は出なかったかもさ
尾形がストレートに痛そう辛そうな顔見せたのって月島に父君を超えたいが為に仲間を売ると言われた時ぐらいか
直後にふてぶてしく毒吐いてるから痛そうな顔もほんの一瞬なんだろうけどさ
そんな尾形をなんてこったと唖然とさせた姉畑先生のウコチャヌプコロさ
姉畑先生への畏敬の念が感じられた。尾形以外の一同にも。さ
火鉢やストーブの側にいつもいるのが気になる寒がりなのか
土方のアジトではジジイ二人が差し置いて火鉢の側にいるし
加筆された吐かせてる祖父母のコマでも火鉢の側だしさ
フラグフラグ言うけど最初はモブ扱いだったのが眼光消えてから逆に延命した気がするさ
尾形の年齢だけど、まだ赤子の頃に異母弟が生まれたって言ってたからせいぜい一歳差くらいだよね
で、203高地当時の花沢勇作はまだ少尉ってことは二十代なのは確実
尾形も以外と予想より若いのでは…
そして鶴見中尉どんも階級から推定すると見た目より若い
まあ鶴見は上官に危険視されて昇級が遅れてそうだけどさ
鶴見は武勲を上げ(旗立ててるし)たか野戦昇進した可能性ある
実際の旅順攻囲戦で上官がかなり死んでるしさ
自己レス
回想シーンで花沢少尉は連隊旗を持っている
wikiに
>旗手(連隊旗手)は、新任の少尉(稀に中尉)の中の成績際優秀者が1年間交代で務め
とあるので花沢は新任少尉だった?
203高地(1904年)当時花沢勇作が22歳くらい、尾形が1〜2歳年上、
作中の現在が1907年とすると尾形は20代後半になるのでは さ
旅順当時は鶴見少尉で戦後中尉に昇進したと?
たぶん当時から中尉だったと思うので昇進してたら大尉になっているのではさ
ちょっとわかりにくいけど中尉の袖章つけてる(左のは明治三十三年陸軍服制)
戦時昇進で服まで変わるとは思えないから二〇三高地占領前から中尉っぽいさ
見落としてた
ありがとうございます
となると上官の頭は上がらなくなったが自分は昇進出来なかったってことか…
そりゃ野望に夢見ちゃうわなさ
尾形が17で入隊したとすると現場では5年先輩になるのかな?さ
考えてみると
花沢少尉を撃ったのも(1904年)
鶴見中尉の前頭葉が吹っ飛んだのも(1905年奉天会戦)
花沢中将を暗殺したのも(1906年?)
作中現在から見れば最近の出来事なんだねさ
現役志願は家業や勉強に差し支えないよう成人前に兵役済ませちまおうって制度だから
普通の徴兵と同じく下士にならない限り三年たったら除隊するので5年先輩とはならない
弟が話し掛けてる場面の尾形が召集された予備役ではなく志願の現役中でかつ弟が21任官なら18か19での志願になる
旅順で享年21の少尉は少なくないんだけどもし花沢少尉もそのパターンだったら
谷垣そいつはもうダメだって走ってたアレが21か22ってことになって
なんというか、悩ましいさ
花沢弟が陸軍幼年学校卒業者卒だとすると、16〜17歳で士官学校入学、2年後卒業だから10代で少尉もあり得る
あと幼年学校は、陸海軍の士官子息であれば学費は半額だったそうな
幼年学校出身者はエリート扱いだったみたいだし、花沢中将のご子息となれば幼年学校卒なんじゃね?さ
で、いくつなんだ
お前ら自身持って何歳かなって発言しろよ
妄想が進まないモスさ
花沢少尉が享年21歳くらい
尾形が戦時22歳くらいで現在25〜6歳が可能性高いかなあと…
見た目そうは見えないのはたしかだけど
明治の20代は現代の20代よりはるかに老成してたし
杉元や谷垣は戦時二十歳前後
梅ちゃんやフミちゃんは10代でお嫁に行ったパターンさ
幕末や明治の人って、プラス10歳補正したら現代の感覚(周囲の扱い、社会的立場)と同じらしい。
尾形は今なら30代前半な感じするから、実際は23〜25かな。さ
作中の現在が1907年って、原作のどこかに出てたっけ?さ
石川啄木が北海道にいたのが1907年1月〜1908年3月だったはず
ちなみに啄木は1907年当時21歳(!)さ
寅次の骨持って行ったのが関東でレンゲが咲いてる春でアシリパさんと会ったころは2、3月くらい(作者ブログ)だから
日露終結の翌々年明記40(1907)年早春じゃないかって感じ
ただ、公式年表でも1話の年月明記してないし作者ブログでも具体的な暦を意図的に書いてないと言ってるし
作者の中で年代はちゃんと決めてあるけどそれに縛られて出したいものを出せなくなるのを避けるためわざと曖昧にしてるのかなとは思う
網走監獄の五条舎房もシスター宮沢の教誨堂も明治42の火災で全焼した後
施設を刷新近代化して明治45年に作られたものらしいからほんとは年代的に合わないしさ
詳しい考察他色々ありがと
作者ブログ初めて見たw
1907年で間違いないみたいだねさ
だけど、どうしても尾形の年齢が気になってもう一度調べてみた
陸軍幼年学校 3年学(満13歳以上15歳未満)→陸軍中央幼年学校(1年8月)→原隊で士官候補生として訓練(半年)→士官学校(1年7月)→原隊で見習士官(半年)→少尉となり将校
これを順当に過ごすと勇作が少尉になるのは20歳は過ぎることになるけど、当時は飛び級、修業期間短縮で19〜20歳で少尉任官のケースが結構あったらしい
ちなみにこの辺りを超絶詳しく考察してる個人のブログがあった
尾形と勇作が1歳差だとすると、尾形は24歳くらいじゃないかと
個人ブログなんでURL貼り付けは憚られるから、気になる人は頑張ってググってみてくれwさ
大体察したけど多分中の人書き込んでるだろうからやめて差し上げろwさ
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