海はどんな川の水も拒否しない。だから水が集まってきて、大きな海になる
Pete Townshend - The Sea Refuses No River (海はどんな川も拒否しない)
https://www.youtube.com/watch?v=vOFyO6IqYk0
道元禅師の教え
〜教える人も教わる人も共に包まれる〜
『自侘(じた)は時に随うて無窮(むきゅう)なり、
海の水を辞せざるは同事(どうじ)なり、是故(これゆえ)に
能く水聚り(よくみずあつまり)て海となるなり』
訳:(自分の慈悲と相手の立場はその時に応じて自由で境目はありません。
海がさまざまな川の水を拒否しないで相手を受け入れて和して導く働きを同事というのです。
それゆえにいろいろな水を受け入れて、大きな海となることができるのです。)
http://www.ryuganji.or.jp/soyo_06/5.html
「海はどこから流れてきたどんな水であっても(汚水であろうが赤や黒の色がついた水であろうが)、分け隔てなく
受け入れることができる。だから、水が集まってきて、海ができるのである。同事とは海のようなものである。」
http://www2.spacelan.ne.jp/~t-kawabata/newpage294.html
続けて道元様はこう言われています。「さらにしるべし、水の海を辞せざる徳も具足せるなり。」と。水もそそぐ先の
どの海がいいとか区別しないので徳を備え持っているのだということです。どうせ海に注ぐなら太平洋がいいとか
日本海がいいとか言わないのです。
水も海も、自然界そのままの姿でいる限り、徳の大きさを私たちに示してくれています。
http://koushouji.or.jp/mini/archives/72 「同事」とは「一つになること」を意味しますが、「一つになる」とは「差別しない」ということでしょう。差別しないから
一つになりうるのだと思います。
道元禅師は「海の、水を辞せざるは、同事なり」「よく水あつまりて海となり」と説かれ、海と水を使って同事を説明されています。
一滴々々の水は違っていても、それらが辞さない(差別して避けない)からすべてが一つとなり海となっているわけです。
すなわち、一つとなるといっても全く同じになるというわけではありません。皆違っていていいのですが、扱いを
差別せず、一つのまとまりとなることかと思います。
別な言い方をすれば、全体(海)を一つと見てその中の自分(一滴の水)を全体を構成する一要素であると見るわけです。
自分を全体の一要素と見ることができれば、あなたも私も彼も彼女も、ある一つのものの部分であり、かけら
同士であって、差別するいわれはありません。
私たちの体は無数の細胞でできており、この細胞の一つひとつに血管が行き渡り、水分や養分を配っています。
これが布施であり、利行でありましょう。
無数の細胞が集まって一人の人間を形作り、人間が七十億集まって人類を形成しています。
http://www.haginet.ne.jp/users/kaichoji/hw-zen41.html 第二十四節
同事というは不違なり、自にも不違なり、佗にも不違なり、譬えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、
佗をして自に同ぜしめて後に自をして佗に同ぜしむる道理あるべし、自佗は時に随うて無窮なり、
海の水を辞せざるは同事なり、是の故に能く水聚りて海となるなり。
◆訳◆
同事ということは相違がないということである。自他ともに相違がないことである。たとえば人間界に如来は
人間としてお生まれになり、人間に合わせてくださったようなことをいう。相手にまず自分を受け入れさせてから、
自己の仏道の教えを相手に受け入れさせようとするのが道にかなっているであろう。自己と他者の関係は
時々に関わりあいながら限りなく続いていくものなのである。海が水を拒まない、こういうことも同事である。
海は水を拒まないから、水が集まって海となるのである。
道元禅師のみ教え 『修証義』
https://www.bukkyo-kikaku.com/archive/no127_15.htm 同事ということは、区別や差別をつけないことです。自分に対しても他人に対しても区別や差別をしない。
逆に言うと、自分を認め、他人を認める。カール・ロジャーズのカウンセラーの必要にして十分な条件の
受容・共感・自己一致に通じるところがあります。他人を認めるは、「受容・共感」、自分を認めるは、
「自己一致」です。「自にも不違なり、他にも不違なり」は、「受容・共感・自己一致」といってもいいかと思います。
海はたくさんの川の水を受け入れる。受け入れてもらえるから水も自然と集まって海になります。仏教的に
言うと海は無我であって、色々な川の水を受け入れる。色々な川の水も無我であれば無我の大海と自然と
融合していく。ですから、同事とは、無我の世界をいっていることでもあります。
禅には、「自他一如」という言葉があります。自と他は一つが如し、つまり自分と他人は、同じことであって
区別するものではない、ということです。カウンセリングでは、「相手の立場に立って」という姿勢を大切に
します。この姿勢の究極が「同事」ということになると思います。
道元ワールド 12 「同事」(人のよろこびは我がよろこび)
http://www.osaka326.co.jp/dogen-world01.html 自分の奇行をいくら取り繕おうが言い訳しようが奇行は奇行でしかない
キチガイはキチガイでしかないし嫌われ者は嫌われ者でしかない
どれだけ誤魔化そうが皆知ってるしわかってる
土井剛はストーカー 寄生虫 もう誰かの恋を応援するという体でのストーカーは出来なくなったぞ
お前の居場所はここじゃないから ここにはないから
俺がどんだけ絶望になろうがお前になびくことはないし
とにかくストーカーのお前から逃げたいの一心
ほんとは話しかけたくもないし無視したいけど嫌がらせされるからな
頼むから潔く死んでくれ。関わってしまった人たちのためにも。社会のためにも
お前は被害者なんかじゃない、誰一人そんなこと思ってない
土井剛、お前はいつ逮捕されてもおかしくない犯罪者で、100%加害者
反省したり自戒したり学んだりすることが一切ない社会の癌 何もほめられないサイコパス
誰一人心からお前を必要とする人なんていない
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/streaming/1587960611/l50 お前の奇行を正当化する言葉を探そうが見つけようが
なぜおまえは幸せじゃないのかをよく考えてみればいい
なぜ他人にそこまで寄生しなくては生きていけないのか?
なぜ他人の邪魔をしないと自分が保てないのか?
なぜ他人の足ばっかり引っ張るようなことをするのか?
なぜ自分を抑えることができないのか?
なぜ自分を客観的に見ることができないのか?
なぜ天才ならここにいつきそんなことをしているのか?
なぜ実現できないその場しのぎの嘘ばかりつくのか?
なぜ約束を破って平気な顔をしているのか?
なぜ人が怒っている理由がわからないのか?
なぜつきまとうのか?
刺し殺したいけどお前のせいで捕まりたくなんかない
皆そういう気持ち
お前みたいなやつのせいで自分の人生に汚点を残したくない
人生がうまくいってなくて誰からも愛されてない不幸な人だから怒らせてつきまとわれたくない
皆そういう気持ち 俺は海じゃないから海に行ってください
その場しのぎの嘘ばかりついて逃げてはつきまとうガイジ
誰一人としてお前を信用している人間はいない
いるとするなら怖いからそういう態度してるだけ
避けたいからそういう態度してるだけ
誰一人お前をリスペクトしてないし
誰一人お前を愛していない
俺に寄生虫することをやめれば人生は好転するだろう
俺に寄生することをやめれば
どっちが自己中で傲慢だったか
いずれわかる日が来る
ハールアン
揉め事を探す人という言葉がある
お前のことや土井
暇人 お前にパートナーガいるとか聞いてないことを話すなよ
前もそう エイズだと言ったらわざわざ時間たってから伝えてきたり
そんなこと興味ないねんこっちは
お前とそういうことになることはないんだから
お前がエイズだろうがなかろうが知ったこっちゃないわけ
思いあがるなよ
パートナーガできたんなら一緒に出て行ってくれ
金は要らんからどうせないんやろうが
ただただ消えてくれ
これ以上もめ事の種を作るな 約束したんならちゃんと金を渡してから一丁前に自己主張せえや
それができないなら許したるからただ消えろや
お前ももう30やぞ土井剛おっさんやんけ
目覚ませや現実を見て東京へ帰れ 川の流れのように?美空ひばりが生涯最後に“想い”を込めた名曲にまつわる運命的なドラマ 2020.03.04
http://www.tapthepop.net/era/76695
「秋元さん、この曲はいいよね。1滴の雨が木の根を伝ってせせらぎが小川になる。
やがて大河になってゆっくりと海にたどり着く。
人生っていうのも同じように真っ直ぐだったり、曲がっていたり、流れが速かったり、遅かったり…
本当に川の流れのようなものなのよ。でもね、最後はみんな同じ海にそそいでいるのよ。」 いつもの浮浪者の爺さんと、その知り合いのおっさん達3人の5人で岡山市の北に有る
三野公園に出かけた。
爺さんの知り合いの3人はわしと爺さんが露出狂で変態だとは知らない、行く途中で
酒屋に寄ってから酒やつまみを買い込んだ。
公園の裏側の駐車場に車を停めてひたすら山道を30分ぐらい歩いてやっと公園に着いた。
山の上にある公園なので、滅多に人が来ないのでたまに爺さんとここのテラスでやりまくるが
最高の場所だ。
案の定テラスにはだれも居なかったので、わしも爺さんも七分と地下足袋になりテラスの
床にすわり紙コップに酒を注ぎ飲み始めた。
3人のおっさんもめいめいに座って酒やら焼酎やらをがぶがぶという程飲んでいる。
上がって来てから2時間も立つとわしと爺さんは魂胆があって余り酒を飲まなかったので、
酔っていなかったが残りの3人は割と酔っ払っていた。
最初に爺さんが酒に酔った振りをして七分とシャツを脱いで越中褌と地下足袋になり
ベンチに横になってからわざと緩めた褌からちんぽをわし達が見て居る前で引きずり出した。
『あ〜〜!ちんぽが立ってきてしょうがねえ〜〜や!せんずりでも掻くかなあ〜〜!』
言いながらオイルをつけぐちゃぐちゃとせんずりを掻き始めた。
わしが『爺さんよ!!気持ちえかろうが!わしのちんぽ、舐めてくれや』と言ってちんぽを
爺さんの口にあてがってやったらじゅぼじゅぼと舐めはじめた。 確か宮本武蔵もブルース・リーも水ってのを武道の究極としているよね >>14
正しくは水が器の形に合わせてどのようにでも収まるように
形や決まり事に囚われない融通無碍な境地を目指せと言ってる 言ってることは正しいとは思うけど
現実を見た場合あまりにも理想論というか?
例えば人が人を差別するのはある程度差別しないと自分が差別されるからだし
柄悪い見た目の人見たら一定は警戒しないとね すべてを受け入れるというのは、ようはすべてを赦す(ゆるす)ってことだよね どこの海
人間が勝手に名前付けただけ
俗世の概念にとらわれる坊主
受け入れてるわけじゃなくて土地が低いだけ
大自然の威を借りて人間ごときを当てはめ大層なことをいってやった感出したがる俗人
悟れないかまって >>18
無機物だからやってられるんじゃボケ
奴隷製造に荷担するな
修行といい働きもせず見もしないあの世を語り崇高に物を請う坊主と芸人はエンタメで食うキリギリス
働け 坊主はまず一度死んであの世を見てきてから坊主名乗れな
人が言ったことパクって見聞きしただけで語って詐欺師と同じだからな
帰ってこれたらの話だが メンバーがイメージ最悪にするのはお隣の迷惑国家群だけですし