マインドフルネスも瞑想も何が目的なのか。
結局、自身が神であると知ることが目的だろう。
自身の内にある神を感じるのが目的だろう。
どうすればいいのか?
マインドフルネスでイマココを意識すればいいのか?
瞑想で無心になればいいのか?
そんなとこに神はいない。
自身の内にある神を発見する方法を教えよう。
神を想いながらハートに意識を向け続けなさい。
しだいにハートに愛と慈悲と安らぎと調和の感覚が溢れてくるだろう。
まるでキリストのような心になってくるだろう。
それが本質の自身だ。
それが神だ。
脳には幾多の前世と雑多な今生の様々な世俗の記憶がある。
それは自身じゃない。それは偽りの自身だ。自我だ。
本質の自身は神だ。つまりハートの愛と調和の感覚、それそのものだ。
それだけが本質の自身だ。
それが神だ。
唯一の神だ。
これが人は神ということだ。
わたしは神であるとはこういうことだ。
それが真我だ。真我は神であり愛と調和なのだ。
その愛と調和は、無心状態で今ここに存在する。
しかし、無心で今ここを意識すれば神に到達できるわけじゃない。
つまり無我の瞑想もマインドフルネスも、技術的なものでしかない。
無心にならなくとも、今ここを意識せずとも、
神を想いハートに意識を向けることで、無心となり今ここに意識が在る状態になる。
神を想い、神の愛を感じる時、自然に無心に今ここ状態になっている。