霊性進化のために我々が目指すことを語り合う [無断転載禁止]©2ch.net
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主に霊界通信の本、スピリチュアリズム(キリスト教、仏教、その他多くの啓蒙書との比較も可)を参考にして
我々がより一層霊性進化する道を語り合いましょう
この板で使えるか分かりませんが、SLIPの設定をしてみました(荒らし対策)
もしSLIP設定不可能であれば、すぐ落ちてしまう短命スレになるかもしれません
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 成功しました!
本来はこちらで語り合うべき内容が、当時スピリチュアル板が無かったためオカルト板で代用されていました
旧名「シルバーバーチ等の霊界通信について語る」※最新スレはありません
スピリチュアリズムを語り合うために参考となる書籍
「シルバーバーチの霊訓」(関連書籍多数)
「永遠の大道」「個人的存在の彼方」
「霊の書」「霊媒の書」「スピリティズムによる福音」「天国と地獄」「霊との対話」
「モーゼスの霊訓[上][中][下]」「インペレーターの霊訓」
「ベールの彼方の生活[1][2][3][4]」
「天と地を結ぶ電話(アガシャの霊界通信[上][下])」
「ホワイトイーグル霊言集」(関連書籍多数)
「迷える霊との対話」
その他
「小桜姫物語」「新樹の通信」「ジュリアの音信」「死後の世界」
ここはまじめにスピリチュアリズムと霊性進化について語り合うためのスレッドです
コピペだけの投稿や個人的なグチ話はNGです。そのためにSLIP設定しました
今日から再出発です。オカルトの旧スレッドでまじめに投稿していた方が戻ってこられるのを祈りつつ 【説明】
ここはスピリチュアリズムを肯定的に受け入れて、実生活の心の拠り所にしている人達のためのスレッドです
スピリチュアリズムを頭から否定する方や、侮辱・誹謗中傷目的の方は参加をご遠慮ください
ただし中立な立場にある方や、この思想について知らない方からの、まじめな疑問や参加は歓迎します
【注意】
ネット上に氾濫している「スピリチュアル(スピ)」という名称を用いた思想は、名称が似ていますが
【スピリチュアリズム】ではありません。根本的に内容が異なるので混同しないようご注意ください
【目的】
1.互いに情報交換し、スピリチュアリズムをより深く理解する
2.スピリチュアリズムの疑問点について議論し、可能な限り解明する
【推奨】
私達の霊性向上に結び付く倫理や摂理や行動原理について語り合いましょう
スピリチュアリズムの観点から世相をどのように判断するかという話題も歓迎します
(ただし霊界の諸相についての話題を制限するものではありません)
【禁止】
他者が信じる思想を誹謗中傷目的で攻撃するのは、他者の個性及び自由意思を尊重するスピリチュアリズムと相容れません
ただし教義内容そのものについて、スピリチュアリズムの観点から吟味し、差異を明確にするための指摘は問題ありません
またスピリチュアリズムによる霊性進化の道を語り合うのが主眼なので、それをニューエイジ等の思想に置き換えて主文とするのは禁止です
コピペだけの投稿や個人的な愚痴を書き連ねるのも禁止ですが、荒らしや禁止行為があってもSLIPが味方になるのでIPマスクで防衛しましょう 霊性追求に偏らず肉体面も鍛えた方がいいと思う。
最近闇堕ちする人多いから皆さん気をつけようね…。 |┃ __
|┃ ガラッ イ´ `ヽ
|┃ 三 / /  ̄ ̄ ̄ \ ハァハァ…
|┃ /_/ ∞ \_ ・・・・呼んだ?
|┃ [__________]
|┃ 三 | ///(__人__)/// |
|┃ ハァ… \ ` ⌒´ ,/
|┃ /ゝ "` ィ `ヽ.
|┃ 三 / ,│ │ \
,⊆ニ´⌒ ̄ ̄" y(~~)====(~~~)==r、 ヽ
゙⊂二、,ノ──-‐'´|..~~ ~~~ .| l" |
|┠ ' | l/'⌒ヾ
|┃三 | (x) |ヾ___ソ
|┃ / \ / l スピリチュアリズム(シルバーバーチの霊訓だと明確)では、霊主肉従ということが定説です
「霊が健全であれば肉体も健全である」
それは自分自身でも日常生活の経験から追認できています
ですが、肉体は「神の宮」として大切に扱わないと霊に悪影響を及ぼすのも事実です
過度な運動や鍛錬は慎むべきだと思っていますが、学生や社会人であれば
それぞれの立場で出来る適度な運動または体を使う仕事であればそれに打ち込むことで心身とも健康でいられると思います
精神面ではバランスを取ることが大切でしょうね。真剣で生真面目に過ぎるのは害になるでしょうし
(スピリチュアリズムを学ぶ人はこれになりやすそうです)、だらけた生き方も害になります
精神面が疲弊したり何かストレスを抱え込んでいる時は、大霊に身を委ねきるよう心を良心の奥深くに引っ込め
安静にしていることで回復を図ることが出来ます(そして落ち着いて元気を回復したらそこに至った原因を反省する)
これは是非どなたにもやっていただきたいことです さっそく荒らしが登場しましたが、専用ブラウザ(Janeなど)を使っていればNG設定で除外できます(透明化で消すことも)
それにIPが明らかになりますので、複数回同IPで荒らし行為をされたら、運営に該当IPが所属するプロバイダーを
書き込み禁止処置にするよう動かぬ証拠付きで依頼することが出来ます 闇の話が出ましたが、それに関して一言
闇は、それが何なのかを正しく状況把握、理解し
そこから得られた気づきや省察を良心と相談するのであれば
我々にとって素晴らしい進歩の材料になるはずです
むしろ問題になるのは行き過ぎた強い光、すなわち強固な偽善になると思います
闇によるネガティブな状態は容易に気づきますが
偽善による光側の行為はなかなか自覚できないものです。そこに落とし穴がある >>10の続き
シルバーバーチの霊訓を元に自分の言葉でまとめると
我々は光に目覚め視界が開けと性急に事を進めたくなり、結果を早く出したくなる(素晴らしい成果を早く味わいたいと思うようになる)
しかし自然の摂理に反するかのような一朝一夕の成果は望めないし、仮に一時的に成功しても
それはホンモノではないので長続きしない。曰く「自然は真空を嫌う」(意訳:自然はダミーやフェイク(あつらえた偽善)に置き換えることは出来ない)
よって、我々が進める最善策、曰く「自分に出来得る精一杯のことをする」(注釈:精一杯とは限界までと言うことではなく、能力が及ぶ範囲内で心身ともに健全さを損なわないレベル)よう努め
そして、それは全て『最高の自分のガイドである良心の声に従えば間違えることがない』
大切なことなので何度でも自分自身に言い聞かせる必要があります。日本語のことわざで言えば
「急いては事をし損じる」「急がば回れ」
継続が大事。何よりも微々たる善意を一日たりとも怠らずに続けることが大切。分相応に自分で出来る範囲内でどんな些細なことでもいいということです
自分自身を見極めることの大切さは古代の聖賢からも語り継がれてきました
「汝自身を知れ」 これはあくまでも個人的見解ですが
自分がスピリチュアリストだと思っただけで偽善の入り口に近づいていると思います
なぜそう思っているのか。それはシルバーバーチの霊訓を熟読していて気づいたことです
曰く「ラベルやレッテルに興味はありません」
曰く「大切なのは結果です(良き種を蒔けば良き結果の実がなる)」
自分の思想が何であるか(どう呼ばれるべきか)など、それこそどうでもいいことだと思います
何にせよ、シルバーバーチは特定の固有名詞には一切こだわらない神霊でした あんまり他人に構い過ぎないで、まずは自己の霊性を高めて、相手や状況に飲まれないようにすることが先かなと最近思う >>13
それでいいと思います。自分に無理強いすることだけは避けて、現状で無理なく出来ることをお互いやっていきましょう いつでも保てる
穏やかな感情のコントロール大切ですね 私達は極力「比較」をしないほうが良いと思われます(人間関係そのものだけじゃなく、自分の考えていること思っていること指向など全て)
比較をすることで心の中に様々な不公平感や葛藤や劣等感、軋轢などが生まれ、不純な思念となって善霊を遠ざけてしまいます
そんな時、SMAPの「世界に一つだけの花」は個人のあり方として素晴らしい教訓が含まれていると思うので
「比較」によって自分の心に濁りを感じたら、この歌を口ずさむのもいい気分転換になるかもしれません
ただし、参考のための比較、見習いたいと思わんがための比較なら話は別です
比較検討したのちに良い点を真似ようと心がけることは、霊性の進歩につながりますから 比較の話の続きです。今度は霊訓関連
さまざまなスピリチュアリズムの本で、多くはイエスの偉大性が語られ
イエス以上の聖賢はこれまでの人類史上で誕生したことがないと言われています
これにはちょっとしたカラクリがあります
それはほかならぬシルバーバーチ自身が霊訓で語っていることです
全文引用すると長くなるので、お手持ちの霊訓(二)P.66-67を読んでみて下さい
「霊媒現象はすべて霊媒の潜在意識を使用している」
西洋の文化圏では最高の聖賢はイエスという認識が非常に強く広まっていると思われます
どちらかと言えば西洋はプラスを積み重ねるモラルを追求し
東洋はマイナスを減らすモラルを追求する方向性があると思われます
西洋「自分がしてほしいと思うことを・・・」東洋「自分がされて嫌なことは・・・」
だから西洋の文化圏なら他の聖賢と比較してイエスを最上とするのもうなずけます
ですが東洋の文化圏ではそれは当てはまらないと思います
もし東洋の文化圏でスピリチュアリズムが誕生したとしたら、おそらくは仏陀がイエスのように称えられていたに違いありません
私自身は、イエスと仏陀を比較してどちらが上かなどと考えたこともありません
どちらも霊性進化への教訓を、アプローチの違う方法で説かれた。ただそれだけであり
比較すること自体に意味が無いし、尊敬する聖賢に対し不遜だと思っているからです
私のような未熟者には、イエス・仏陀はもちろんのこと、どんな聖賢であれ、まぶしい存在です
聖書はニケーア会議で改竄されたと言われていますし
パーリ語訳の原始仏典でさえ、後代の編集者の手が間違いなく入っており(特に12縁起などは哲学そのもの。こんなのを一般民衆に語っても理解できるわけがない)
どちらもオリジナルな教訓では無くなっているのが非常に残念です 結果が大切なのは、瞬時に原因と結果がさらされる霊界ならではですし
この世界でも社会人として会社勤めや自営においても結果を最重要視されます(この世では金銭的利益として。霊界では奉仕力として)
ですがこの世は学びの世界であり、学校でもあるので、普通の会社では通用しない「結果(利益)が出なくてもプロセス(善意)を重視」
というあり方が、この世では通用しなくてもあの世では重要視されます。シルバーバーチ曰く「動機」です。動機によって手段も変わります
もちろん動機が正しくても慈愛に満ちていても、法則の働きは絶対無謬なので、結果に対しての責任は負うことになるとも教えられましたが 偽善に注意。偽善は善ではありません。いつわりです。だから偽善といいます
イエスも聖書の福音書で偽善者を喝破しているとおりです
偽善でもしないよりはしたほうが良いと考える時点で、すでに「霊である自分が何をしにこの世に生まれてきたのか」を
見失っていると言えます。この世は学習であり修行の場であり、永続する世界ではありません。試される場です
心に偽善の葛藤があるならば、「動機」はやましいものとなり、したがって手段も偽りで、結果も偽りです
ですが結果については法則が働くので、霊性の幅が広がる(応用力が効く)ことにつながるかもしれません
ただし霊性向上へはつながりません。断言できます
「純粋であること」
これこそが動機も正しく、したがって手段も正しく、結果も正しい、という霊界規準です(仏陀の縁起説風にまとめてみました)
もちろん、平凡な霊から高級霊に至るまで、同じ内容について行動に移すとしても、違ったものになるし
平凡な霊が行えば、智恵不足による誤った手段で結果を出し、ひんしゅくを買うことにもなるかもしれません
ですが純粋性を貫いた時点で、上位の霊からの暖かいアドバイスが望め、霊性向上へ結びつくこと間違いありません 仕事で霊性を高めたいと願っています。
でも会社生活の中で純粋ではいられず悩んでいます。
理不尽なことも多くて…
そんな中でも純粋であり続けることが霊性を高める修行なんでしょうね。 ですね!
負に取り込まれないよう清い心で
頑張りましょうね >>21
私自身もそんな感じで日常を過ごしています
4行目のコメントは、良心の導きに素直に従って諦めずがんばっていこうという裏返しと受け取りました
ここから実践的な話も交えて、自分がどのように人間関係が交錯する現実世界を有意義に学ぼうとしているのか参考意見として紹介します
まず、自分自身の精神性・心の内奥に(良心よりも浅い界層の潜在意識下。顕在意識で素直な気持ちで見つめればすぐに分かるレベル)
個性としてこれまで蓄積してきた一切の「原因(良いことも悪いことも全て)」があります。結果はその原因があるから因果律として法則が働いて現実化するわけです
そこで、自分が不快な経験をした場合、例えば自分の考えを頭ごなしに否定されたり、馬鹿にされたり
思いも寄らぬ誤解を受けたりした場合に、普通の人であれば反論したり誤解を解こうとしたり身の潔白を証明しようとするでしょうし
その過程で腹立たしくなったり怒り心頭になったり悲しくなったりがっかりしたりといった心の葛藤が起きると思います
それはそれで正常な反応だと思いますが、その後未解決で物別れした場合に空しさやストレスを抱えることでしょう
そして普通はそれで終わり。特に深くその件について追求せず、自分に何らかの言い訳をして慰めるか、相手のせいにするか
はたまた趣味や娯楽・飲酒などで憂さ晴らしして忘れようとするでしょう
私の霊性進化への学びの第一歩は、そうした事態が起きた当日に帰宅後、静かにその状況を見つめ直し、原因を探ることから始まりました
素直に自分の心を見つめ直せば見つめ直すほど、いかに反省すべきことが多いか、理解したくなくても理解せざるを得ない状況に
嫌悪感を味わうことも度々ありました。毎日が反省、後悔、やり直しの決意・・・この繰り返しでした。昭和も終わりに近づいていた頃です
そこから二〇有余年の現在。今では、事象発生即反作用(原因)想起、という思考回路が形成されていて、それが複雑な要因が絡んでいて
即座に想起できなければ自宅で検証しますが、単純なことであれば、例えば10年位前にこんなことがありました・・・
自分とは親子ほど年齢の離れた若い同僚の社員に、仕事についてレクチャーしていたところ突然キレて罵倒されました
自分としては丁寧に説明したつもりでしたが、すごい剣幕で口汚く罵られました。もちろん不快な気分を味わったのは言うまでもありません・・・
それを瞬間その場想起
「自分自身、過去に同じようなことはしなかっただろうか?相手の説明を頭ごなしに否定して非難したり怒鳴ったりしなかっただろうか?」
「似たようなケースで相手に不快な気分を抱かせなかっただろうか?」「丁寧に説明したつもりだっただけで、実際は相手への配慮を欠いていたのではないだろうか?」
・・・etc・・・「それらにおいて作用反作用の法則が今ここで発動したのではないだろうか?」
なるほど確かに自分にもあった。違うパターンではあったけど、別の会社で目上の先輩社員にけんか腰で非難批判して食って掛かったことがあった
ああそうかそれが今返ってきたんだな、確かにこんなことされたら非常に気分悪くなるよな、あの先輩には過去ずいぶんとひどいことをしてしまった
○○先輩申し訳ありませんでした。自分の当時の言動をお許し下さい。今ここで気づきを得ました。自分の未熟な精神面を今ここから刷新します
という感じで、現実のキレた若手へのフォローをしつつ、同時に意識をフル回転させて反作用を理解し素直に現実を受け止め、反省と新生決意を固める
・・・と、こんな感じで心の純化を進めてきています。大抵は何度も同じような不快感や心痛を得る経験が積み重なるので、思考スピードもかなり早いです 当時参考になった文献は、シルバーバーチの霊訓はもちろんですが、アガシャの霊界通信も強い影響力をもって心に染みいりました。一部紹介
過去世の生活態度、行為によって、われわれすべての者は、ある性格的な傾向、素質、あるいはある人は不調和に向かう業(カルマ)を
持って生まれてきている、ということができる。そこでわれわれは不幸や苦難の運命を受け、この世は悪であると見なしたりするような
傾向をもつことになる。われわれはこういう考えを現実で真実とつい見なすが、それは正しくない。
喜びに満ちた生活は、手のとどかない生活ではない。生命が理想的に表現された場合、苦痛や不幸が起こるはずがない。
もし人間が悪い反作用がくるようなことをしさえしなければ、喜びのみの生活によって悟りに達することができるのである。
どのような反作用になってかえってくるかは、もし意図的に悪いことをした場合は苛酷に、知らないでした場合は緩和された形で
かえってくるものである。人生の目的は常に理解を深め智慧を増し、生命の神秘、即ち神の生命を現わすことによって悟ってゆくためである。
よく考えること−(熟慮)−と反省と瞑想を他から強制されたり束縛されたりせずに、自然にすることによって、その時
問題にしていたことへの解答は自然に直観となり客観意識となって浮かび上がってくるものである。そしてその生活は、生活
そのものが喜びであることができるし、またそうあるべきはずである。その生活を過去と現在の愚かさが傷つける時にのみ、
それは悩みとなり不幸となってくるのである。
「アガシャの霊界通信(下)」P-118・119
今回紹介した経験は、自分に内在する負の側面を払拭する方向のアプローチから霊性向上を試みた一例です
どっちかと言えば西洋スピリチュアリズムよりは原始仏教の方向ですね
機会があれば人の役に立つための本来のスピリチュアリズムの観点から例を挙げたいと思います 神の善意を疑ってるんだけど
ネットで神を否定する書き込みをみると何様なんだと思う
神に対する考えが混乱してる >>25
シルバーバーチの霊訓を読まれたことはありますか?
一般的な「神」とは認識の異なる「神」として説明されています
今日は遅いのでこのへんで ノ´⌒ヽ,,
γ⌒´ ヽ,
// ""⌒⌒\ )
i / ノ ヽヽ )
! (゚ )` ´( ゚) i/
| (__人_) |
\ \__| /
/ \ 新規の荒らしが2件出たので、専用ブラウザのほうで設定をして消去(透明化)しましたが
みなさんは専用ブラウザを使われていますか?私はJANE STYLEを使っていますが
とても快適です。荒らしに悩むのは新規の荒らしがきた時のみになりますから。2回目以降はコメントごと消去されるので
不快な状況に悩まされることはほとんどなくなります
もしJANE STYLEで、荒らしを透明化する設定が分からない方がおられたら、説明しますよ スピリチュアリズム、特にシルバーバーチの霊訓による神の概念ですが、こうなります
神=法則
神=霊
神=生命
呼び方「グレート・ホワイト・スピリット」日本語訳(近藤氏)では「大霊」
このうち、霊は生命であり生命とは霊です、ということははっきり語られていますが
法則は霊、法則は生命、とは言われていませんので全部が等式で結ばれているわけでは無いです
なぜかというと、根源の神である大霊は全て等式で結ばれているのですが、ここから
神道流に言うと分け御霊として、宇宙のあらゆる所にさまざまな形態になって存在するからです
我々人間もそうですし、その辺の石ころだってそうです(石にもオーラがある)
こうした、分離した霊(生命)は、なんらかの特徴を持たないと存在そのものとして形態を表せません
石であれば様々な鉱物などですね。動植物や魚や人間もそうです。そして一旦そうなると
純粋な生命そのもの、霊そのものではなくなります。だから=法則とは言えなくなるわけです
次に一般的に言われている「神」であれば、スピリチュアリズムだと「高級霊」ということになります
歴史上で語られている、何らかの名称がついた神は全て高級霊(またはその名をかたる偽物)です
純粋さを増して進化すればするほど大霊に近い存在になり、その慈愛も途方も無いレベルの高い状態になっています
世間一般で認識されている「神」「神々」において、疑念がわいたり宗教関連では戦争になったりするのも、その対象が
高級霊であってそこには個性があるからです。上のほうで西洋と東洋の文化圏においての違いを簡単に説明しましたが
高級霊もまさにそのように様々な個性があります。ですが共通事項として、大霊に近い存在になればなるほど
自ら無償の慈愛を発揮する光り輝く存在になります、例えればどんな悪党にも分け隔てなく熱や光を与えてくれる天空の太陽のように うーん・・・新規荒らしがまた増えましたね。透明化するので次のコメントは見えなくなりますがその前にスレ主として一言
>1をよく読んで下さい
コピペのみの投稿は禁止
もちろん特定の主義主張の宣伝も禁止 >31の続き
実はこの地上界にも、未来の神(高級霊)候補は相当存在するはずなのです(というか、そういう存在が転生してきたとも言えますが)
私自身は、現場を体験して確認したわけではないのですが、あり得る話として身近なところでは
「医師」「看護婦(士)」があげられます。特に戦場に近いところで、ほとんどボランティア的に活動し
凶悪な犯罪者であろうとも生命を救う方は、仏教的に言えば如来や菩薩と言ってもいいはずです
彼らはいつ命を落とすかもしれません。それどころか助けた患者に傷つけられあまつさえ殺害される可能性だってあります
そういう状況下においても、自らの利得をなげうって、いのちを救おうと献身される方は
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」福音書ヨハネ15-13
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。
天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも、正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。
兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか」福音書マタイ5-44…47
とイエスが語られているように、最高の愛を発揮しているのです。本当に心の底からそのような方には頭が下がります
私ごとき未熟者には、まだその境地へはたどり着けません。ですがいつか少しずつ努力を重ねた末に、たどり着きたいです 天国と地獄の長い箸の話とか、正義の反対語は愛(寛容や優しさ)だとかをつい先日知ったけど、昔の人は、短い言葉でうまい具合に大事なことを伝えるもんだね クレヨンしんちゃんのお父さんが「正義の反対は悪じゃねえ!もう一つの正義なんだ」って言ってたけど、すべてを包み込む愛という言葉も素敵ですね。私自身は仏陀の自燈明という言葉を拠り所にしてます。 >>34
厳密に言うと正義の対義語は不義、愛の対義語は正義ではなく憎悪。ですが不毛な地上世界の正義を語るよりも「愛」の
素晴らしさを習得するべく様々な方法で導こうとするのは良い方法だと思います。霊性を磨けるのはスピリチュアリズムだけでは
ないですし。学ぶ人のレベルにあった方法がこの地上界にはたくさんあります。仏陀も対機説法をしていました。イエスは・・・略
蛇足ですが、地上界においても霊界でも、正義の対義語は不義であり、ではその不義の本質は何かというと「利己主義」です
霊界でも一般的な霊界人が犯す罪は利己主義です。ただし霊界の場合は摂理が即座に働くので、気づいて修正しようと心がけるのも
早いということです。シルバーバーチによれば霊界で犯す罪は利己主義の罪と語っています
あと、長い箸の件ですが、自分の記憶違いでなければ、確か30年以上前に漫画の「エースをねらえ」を読んで、その長い箸の話に
当時は、うまいことをいうもんだなーと感心したのを思い出しました。どんな文献からの出典かは書かれていなかったような・・・ 正義や愛といった良い題材が提供されましたので、それについて語ってみようと思います。長文注意
結論から、しかも誰にでも分かりやすく定義すると、正義とは「決まり事を守ること」です
そしてこれは地上界でも霊界でも全く同じです。では、なぜ地上界の正義はこんなにも混沌としているのでしょうか
それは「地域」「人種」「民族」「風習」「慣習」「教育」「経験」「年齢」「能力」「個性」・・・etc
これだけの様々な違いが世界中にあるからです。さらに加えると「霊性レベル」も大きな要因です
その様々に異なって認識・定義されている「正義」を、守らない者には守らせようとすること
これが本来、バランスを取ること・調和、といった良い方向性に展開されれば問題無いのですが
互いの「正義観」が異なることから戦争になったりもします。根深いものでは宗教戦争などがあります
そして良い方向に正義が働けばいいのですが、大抵は「目には目を歯には歯を」といった報復と
その強制施行をもって正義とすることが問題です。「悪を裁く」。聞こえは良いですが地上の概念では
そこに愛や憐れみの要素が加わることは非常に稀なことでしょう。現代でもそうですから、法やルールが
国家や地域でしっかり制定されていなかった時代は、相当ひどかったはずです
そこでイエスが登場されました。イエスは律法を廃するためではなく、成就するために私はきた、と
語っています。律法は今からおよそ3000年前にモーセによって神託された十戒が元になっていますが
それは人間の尊厳を守るための「正義」であり、当時では最も適切なルールでありモラルでした
しかし結局報復合戦や復讐の途絶えることがなかったのでしょう。結局、こう語られています
「目には目を、歯には歯をと言われていたことは、あなたがたの聞いているところである・・・中略
・・・しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ」福音書マタイ5-38…44
もし我々の生命が、この地上だけで終わるのであれば、このイエスの言葉ほど空しく意味のないものはないでしょう
このイエスが説かれた究極の愛は、死後も生命が続き、転生を繰り返しながら永遠に存在することを
心底理解(願望としてではなく確信)していなければ、通用しない教訓です。この地上界は学びの場であり
永遠の生命の旅路の非常に短い期間です。愛や慈悲や善意を発揮するための訓練の場です
この混沌とした正義がまかり通る地上界で、真の正義を発揮させようと努めるのはとても骨の折れる仕事ですが
霊性進化を志すのであれば、避けて通れない道です
さて、地上界の正義の概念が混沌としているのに対し、霊界の正義の概念は非常にシンプルです
霊界における正義(決まり事を守る)とは、「神の摂理を遵守する」ことのみです。ではなぜ霊界の正義は
シンプルで混乱がないのでしょうか。それは霊界では摂理が『即座に』自動的に働くからです。裁判官も執行官も必要ありません
自分で自分を裁くのです。しかも、霊性レベルに応じた反作用として返ってきます。不服を言おうにもどうにもなりません
自分の行動によって即座に結果が出、その責任を自分で取らないわけにはいかないのです。誰かがそうしているわけではなく
摂理としてバランスとして、その責任から逃げることは出来ない仕組みです
上で真の正義と言いましたが、それは地上界の混沌としてあやふやで地上で生存している時のみにしか通用しない、一過性の
正義とは違って、永遠に通用する「神の摂理」ことです。それを日々心がけて少しでも日常で反映させることこそが
スピリチュアリズムを学ぶ者の真骨頂でしょう。なお、神の摂理は、逆説的ですが原理は「目には目・・・」と同じです
「人のために己を役立たせる」=「己のために人が役立ってくれる」
「人の幸福のために身命を賭す」=「己の幸福のために他者が身命を賭してくれる」
原因と結果・作用と反作用ですから。唯一違うのは、霊性に磨きをかけ純粋性を増すほど喜びや幸福感が手に入るのですが
その方向性の鍵を握る行為こそが「愛」です。シルバーバーチも語るように「愛は摂理を成就する」ということです 明らかに間違ったことをしてる人を
「いつかは悟る日が来るから」ってほっといていいの?
人のこと言えた義理じゃないし責任とりたくないしで関わり合いになりたくない
(実際に周囲にいるわけじゃないです) >>38
上にある私のコメント(偽善のこと・比較のこと・正義のこと)をしっかり読んでもらえたものとして回答いたします
こう言うと無責任かもしれませんが、「(万人に通用する)正解はありません」
統一された正義というものは、地上では存在しません。そして霊性レベルによって犯す罪の深さも違います
混沌とした地上界で私達は自分の霊魂を磨く修行をしているので、単純に「こうだ」と言える回答がないのが悩みでもあります
ですが、どなたにも備わっている良心は、自分を欺かずに素直にしっかりと向き合えば、進むべき道を必ず教えてくれます
あとはその答えをどうするか。それこそが霊性向上につながる心の葛藤でもあります
自分が行おうとする勇気。もしそこに『一片の自己欺瞞もなく純粋に対象者や関係者のため』を思ってのことなら
良心は必ずゴーサインを出すことでしょう。なぜなら『 』でくくった部分は、動機が摂理に適っていて(愛そのもの)正しいからです
その場合に実行された行為の結果がどんなものになろうとも、実行者は何も後悔することが起きません
もしその行為の結果に落胆したり後悔するようなら、動機が間違っていたということになります
摂理を成就する愛の形とは、偽善ではなくホンモノであれば、決して「見返りを求めない」からです
(※純粋でなければ行動してはいけないということを言っているわけではありません。最初からやりたくないことを無理矢理に自分に強制する
偽善が間違っているというだけで、もし単に、ある勇気ある行為に「恐れ」を感じるなら、それを無視して自己強制するのではなく
「今自分は実行することを恐れていますが、正しいと思える行動を取ろうとしています。神よ、どうか私に恐れを克服する勇気をお与え下さい」
「どうか私に慈善を行う勇気をお与え下さい。恐れて怖じけている未熟な自分ですが、少しでも人の役に立ちたいのです」
・・・というような善意の心願を持てば、そしてその強さがホンモノなら、必ず守護霊・指導霊及び多くの善霊が協力してくれるはずです
そういう行為であれば、元は自分の心にやりたくない気持ちがあったとしても決して偽善にはなりません。意識や意志がまるで違うからです
なお、この場合は元が純粋さに欠けていたわけですから、その度合いに応じた落胆や後悔も当然出ます。それを少なくしていくことが私達の目標でもあるわけです)
他者との関わり合い、社会との関わり合いにおいて、自分はいかに行動すべきか?
これは霊性向上(と同時に地上界の浄化=模範的行動で「地の塩」を目指す)を心がける人にとって、各人各様に
刻苦奮励することが大切と言えます。社会の荒波や激流にもまれることを何度も経験することによって
自分の個性にふさわしい、自分にあった行動指針としての導きが、必ず得られます(良心からの智恵として) >>39
ありがとう
人の為に役立つことをってのが受け入れがたい
人間とは何か?って考えるのは好きだけど人間はあまり好きじゃない
情報の収集は好きなのでそれを自分のペースでやってる >>40
それでいいと思います。無理なく自分のペースで自分が信じた道を歩むのは、個人ごとに正解だと思います
何よりも「こうしなければならない」という思想の枠を、自分に当てはめようとすることだけは避けたいものです
一つの理解が増えるごとに、一つの納得があり、そうしてまた一つ進歩する。霊性進化の道はこの地味な経験の積み重ねですから 原点に戻り考えてみたいと思います
現在でこそシルバーバーチに代表されるスピリチュアリズムは、倫理的な教訓を伝えることが主眼になりましたが
最初はそうではありませんでした。まず死後の世界というものがあり、生命は地上で消えてなくならず生き続けるという証明を
これでもか、というくらい降霊実験を通して我々に提示することが大きな目標になっていました
なぜでしょうか?
そこには幾通りもの霊界側の計画があるはずですが、その中の一つに「神(大霊)の公正」が事実明白であることを知らしめる
前提条件として、霊界の存在を信じてもらうということが必須だったからだと思われます
なぜならば、原因と結果・作用と反作用の法則は、この地上世界だけでは完全に反映されないことが、直感的に理解できるからです
いくら崇高な倫理を語っても、もし生命がこの世限りであるならば、そこに一片の希望も見いだすことは出来ません
生命が再生(転生)を通じて、良いことも悪いことも必ず自分で受け取ることになり、また、望めば何度でもやり直すことが出来る
精神が未熟で善悪の判断が出来ない霊性レベルの初期段階の者にとっては、このシステムは牢獄のように映るかもしれません
しかしある程度成熟した精神を持ち、倫理や慈善に目覚めている者にとっては大きな希望以外の何物でもないでしょう
もしスピリチュアリズムをかじりながら、その時に知った希望や喜びや慰め、新たな人生への勇気とやる気。こういった天啓に
陰りが訪れて、いつの間にか元の何も知らなかった時の自分と何一つ変わりない生活を送っているとしたら、私達はもう一度
原点に戻り、自問自答してみるのがいいでしょう
自分は心の奥底から霊界の存在を信じているのだろうか?自分に都合良く解釈していないだろうか?そうあってほしいという願望だけではないだろうか?
その昔、仏陀の弟子になるには三宝帰依(仏法僧…仏陀を信じるか・仏陀の説く法を信じるか・仏陀の法を学ぶ仲間を信じるか)が必須でした
もし真剣にスピリチュアリズムを学ぶのであれば、スピリチュアリズム的な三宝帰依が必須でしょう。こんな感じになると思います
霊法心…霊界の存在を信じるか・大霊(法則・生命・霊の根源)を信じるか・良心を信じるか
この3つを信じ切っているスピリチュアリズムの学徒なら、その人はすでに誰から何も言われずとも日常生活で自分に分相応な慈善行動を起こしているはずです 自分がされて嫌なことを人にしないくらいしか出来ないな 「分相応」です。シルバーバーチは「自分に出来る限りのことをする。それ以外は求められていません」と語っています
つまり「己を知る」ことが必然的に求められているわけです。自分を過小評価してもいけないし、過大評価してもいけない
これは我々一人一人が現在の霊性レベルにふさわしい行動を見極めるということでもあり、上の方でもコメントしましたが
他者と比較する必要は全くありません。各人各様で出来ることや出来る範囲は全く違うのですから
もし行動に迷ったら良心に素直にたずねれば適切な回答が得られるはずです 神って自分を崇めさせたくて人間を創ったってことはないの? >>45
普通にお答えすることも、すぐに出来るのですが、あえて質問させて下さい(話がかみ合わなくなることを出来るだけ排除するため)
あなたがイメージしている(または認識、あるいは信じている)神とはどういうものでしょうか?
>30の説明がスルーされているようなので、違う解釈があるように思われます >>46
読んでもよくわからん
なんで始めも終わりもなく完璧な存在が無知なるものに対して進歩するように
強制できるのか納得がいかない >>47
まずは>30に対するコメントですね。分かりました
ただ受け止め方に誤解があるようです。大霊は何人たりとも強制させるようなことはありません
大霊は、我々人間が通常抱く認識はもっていません。生命であり、法則であり、霊です。そこに思想的な意識は一切存在していません
強制という意識があるのは精神を持つ存在のみです。神の摂理に従えば従うほど、己の魂の純粋さは増していき
より大きな自由を獲得できるのが死後の世界の仕組みでもあります。しかし、だからといってその神の摂理は
我々に強制させられているわけではありません。逸脱する自由すらあります。世間一般の概念では地獄とよばれる界層の住人が
まさにその状態です。彼らとて誰にも強制されているわけではなく、自分が望んだとおりの低次な精神性を発揮してその場にいるわけです
ですが、より進歩したい。より神に近付けるような存在になりたい。慈善や愛をごく自然に発揮できるような者になりたい・・・etc
こういった、霊性進化への道を選ぶなら、そこには必ず苦難があります。それは避けて通れません
なぜなら自分の未熟な精神を鍛え上げるのは、刻苦勉励以外にないからです。楽をしても得るものは何もないのです
現代の地上では洒落た言い回しでこう言っていますね(元はボディビルトレーナーのウィダーによる、40年近く前の金言です)
ノーペイン、ノーゲイン = 痛み無きところに収穫無し
シルバーバーチは、価値の高いものほど苦しみを経て獲得できるのです。楽をして得られるものには価値はありません。と言っています
さて、なぜ強制という意識が生まれるのか?実は自分にも若い頃に経験があります。これはシルバーバーチも語っていることですが
「結果を早く求める」ことに原因があります。いかに価値の高い精神性を獲得しようと決意実行したとて、一足飛びに進歩することは不可能です
少しずつ少しずつ地味な経験を積み重ねて、トータルで霊性レベルが高まっていくものです
だからこその「自分に出来る限りのことをする」のが大切なスピリチュアリズムの基本的概念なのです。限界まで自分を追い込めなどとは
言われていません。ある特定の善意をしようと思う時、そこに自己強制を感じるような嫌な感覚が生まれるのであれば
まだそれは自分にとってはちょっとハードルが高いのかもしれません。無理をする必要はありません。少しずつ出来ることから始めれば
やがて、当時は自己強制的に思えた行為も、少し先の未来では自然に行えるようになるはずです
そういう経験を、我々は数え切れないほどの再生(転生)をして獲得してきました。ただ、霊に精神が加わって初めて地上に誕生した我々にも
年齢差のようなものが当然あります。再生回数50回の者は、どうしたって再生回数1000回の者よりは霊性が未熟なのは当然です
そしてこの地上界では、そういった魂年齢の大きな差のある者達であふれているのです
他人と自分を比較する必要はありません。そして自分で自分を追い込む必要もありません。自分に対し過小評価や過大評価せず、よく自分の精神性を見極めて
自分で出来るペースで、分相応な形で少しずつ前進していきましょう。私もそうしています
※見当違いの回答になっていたらすみません。あと、今日はこの辺で失礼します。何か質問等あれば、明日回答しますので >2に様々な推薦図書を挙げていますが、難しいことはよく分からないがとりあえず霊界が存在することは納得できた
と思っている方に特にお勧めしたいのが「天国と地獄」です
ここには生前にどのような人生を送り(原因)、死後に霊界でどんな生活を送っているか(結果)
という話がまとめられているからです。神の摂理がなんなのかとか、法則の話はとりあえず脇においておきましょう
霊界の存在を心から信じている人にとってなら、事実は霊訓を補足して余りある情報になっています
よって霊性進化への道を志す人へ教訓として、自信をもっておすすめしたい良書です
(残念ながら、現在は新品で手に入れられることは出来ないみたいです。AMAZONで中古品は販売されています。500円程度) スピ系の本の中にはプレミアついてて元値の2倍くらいで売ってる本あるよね
本を読めば救われるみたいな免罪符的心理も働いてプレミアつくのだと思う
実践が大切で、実践こそが難しい >>30
神=法則 ではないですよ
スピリチュアリズムを語る上で非常に大事な部分ですので、そこははっきりさせるべきだと思います
シルバーバーチの霊言の中には、「神は自然法則です」と言ってる箇所がいくつかあるので、「神=法則」として
解釈している人は多いと思います。わたしも最初はそう解釈しました
ですが、シルバーバーチの霊言の中には
「私の抱いている神の概念は完璧な自然法則の背後に控える無限なる叡智です。」
「神は大自然の法則よりももっと大きな存在です。なぜなら、その法則を支配しているのが神だからです。
神とはその自然法則と同時にそれが作動する仕組みをもこしらえた無限なる知性です」
のようにはっきりと「神=法則」を否定する箇所もあります 「大霊とは宇宙の自然法則です。全生命――物質界のものと霊界のもの全て――の背後の創造的エネルギーです。完全なる愛であり、完全なる叡智です。
それが全宇宙のすみずみまで行きわたっているのです。人間の知り得た限りの小さなものであろうと、まだ物質界には明かされていないものであろうと、同じです。」
シルバーバーチは上のように、「神=法則」と受け取れる表現を割と多用しています
なぜ、こういう表現になったのか、それを考える時にはシルバーバーチが「いつ?」「誰に?」「なんのために?」神観を伝えようとしたかを考慮する必要があると思います
「いつ?」 1910年代〜1981年
「誰に」 イギリス人・キリスト教圏の地上人(イギリス人を経由して世界中の人)
「なんのために」それまでの誤った神観を正すため
最後の「それまでの誤った神観を正す」ことは、スピリチュアリズムが地上にもたらされた意義の中でも特に重要な部分です
地上人は、それまで間違った神観を持ち続けてきました。(今現在も持ち続けている人がいるわけですが)
その誤った神観が、戦争や飢餓といった今も地上人を苦しめ続けている問題を今なお引き起こしています
イスラム国の人間による破壊行為などはその最たるものと言えます
誤った神観とは、具体的に言えば「霊性の進化が進んだ高級霊(イエス含む)を神とする神観」「特定の人の願いを叶えたり特定の国に恩寵を与える神」
「怒りや憎しみと言った感情を持つ人間的な神」など
要するに過去の人間にとって神とは、不公平な存在、不完全な存在、唯一の存在ではない(多神教)と考えられてきました
それらを正すにはまず神の公平性を示す必要があるとシルバーバーチは考えたのでしょう
神の公平性を示すには、法則を持ち出すのが最も有効です。なぜかと言えば、地上人は法則の存在を理解出来ますし、
同時にそれが万物に公平に働いている事実も理解できるからです >>48
意識という表現が適切かどうか、それについての議論の余地はありますが、
(なぜなら神を表現するには不完全な人間が創った言語では限界があるから)
神は意識(に相当するもの)を持っています。神はあらゆる属性を至高の形で保持しています
人間を含めた全ての生命体、万物、物質界(宇宙)、霊界、あらゆる法則を創造したのが神です このスレッドも活発になってきましたね。ありがとうございます
今度は神の概念ですね。これは文章の限界もあるので上手に伝わらないのも仕方ないことです
>>52
さて私が「機械的」に説明した大霊の概念は、この地上界においては適切だと思っています
とにかく地上にいる人々の大半は、神=個(一神・多神問わず)と考えているからです
神は全てです。宇宙そのものが神本体であり頭脳でもあります。しかし分かれて存在しているのではなくて全てが統合して全体として存在しています
自然法則の枠外に存在しているのではなく、自然法則や愛も統合・融合された全体的包括的存在が神です
だからこそその特別なあり方に叡智の存在が内包されていることも理解できるのですが、叡智的存在が別に存在しているわけではないのです
というわけで機械的な等式をもう一つ増やしても問題無いと思います。神=至高の叡智
これを踏まえた上で、無味乾燥無機質な表現、機械的表現に抵抗がある方は、神とは愛の権化である。神は究極の叡智である・・・etcのように
とらえるのは何ら問題無いと思います
>>54
私の表現を、別の角度から表現すればそうなるでしょう。ではここでもう一つ別の表現をしてみます
人間でたとえると、生命活動そのものとは別枠に存在するのが意識活動になると思います
しかし神は統一統合されている存在です。生命活動も意識活動も(法則・・・etcも)融合していれば、そこにはもはや意識とよべる純粋な活動はないと言えるでしょう
以上のように、私が表現したかったのは、大霊が「個」という特別な存在ではなく、「全て」という特別な存在である、ということです(個人格を想起するような表現につながらないようにするため)
我々の視点から見ればそうなるのですが、大霊視点で見れば大霊という個が細かく全体に広がり分かれた、とも言えそうですが 仮に、神=法則 とした場合、わたしには無神論者の神観との区別がつかなくなります
地上人はみな、法則の存在を理解しています。法則が理解出来ない子供や精神障害者などの例外的な人を除いて。
有神論者か無神論者かに関わらず、誰もが法則の存在を確信しています
神=法則 が成り立つのであれば、この世に無神論者はいなくなることになります
神の存在を疑う人はいても、法則の存在を疑う人はいないからです
スピリチュアリズムが示している神観と、あなたが主張する神観は相容れないものだと思います
>自然法則や愛も統合・融合された全体的包括的存在が神です
自然法則が統合・融合された存在だと断定する根拠は何ですか?
シルバーバーチの霊言にも、その他の霊言にもそういう記述を見かけたことはありませんが?
神=法則 が成立しないという根拠をいくつか示します
神は創造主であり、無限の叡智、完全なる愛です
それら全てがイコールで結ばれます
ですが、法則と創造主、無限の叡智、完全なる愛はイコールになりません
これがまず根拠の一つです
法則とは、言ってみれば神が作った完璧な法律です
法律に意識・心が無いのと同様に、法則にもそれらはありません
愛とは心の働きです。法則が心を備えてないことは自明です 2つ目の根拠は、自然法則をごく一部ではありますが人間が科学によって解明しているという事実です
そのお陰で現代人の生活が豊かで便利なものになっているわけです
仮に、神=法則 とした場合、人間が部分的にではありますが神を解明したことになります
これはどう考えてもおかしいですよ >>56
より理解を深めるために質問させて下さい。まず共通認識として神=大霊(全創造源)ということで話を進めます
>有神論者か無神論者かに関わらず、誰もが法則の存在を確信しています
○その誰もが確信しているという「法則」とはどんな法則ですか?
>自然法則が統合・融合された存在だと断定する根拠は何ですか?
>シルバーバーチの霊言にも、その他の霊言にもそういう記述を見かけたことはありませんが?
○あなたが認識している大霊はどのような存在でしょうか(性質的な話ではなく実態的な話として)
個の存在でしょうか?全の存在でしょうか?
回答は急ぎません。書き込む余裕のある時にでもお願いします >>59
○その誰もが確信しているという「法則」とはどんな法則ですか?
万有引力などの物理法則です
○あなたが認識している大霊はどのような存在でしょうか(性質的な話ではなく実態的な話として)
まず「実態的な話」という意味が解りません
神(大霊)を実態的に認識することは不可能です
人間と神(大霊)は直接的な関わりを持つことは出来ません
法則を介して間接的な関わりを持つことしか出来ないのです >>60
了解しました
ここは区分けして考えたほうがいいと思います。一般常識(といってもまともに高等教育を受けた人に限りますが)は
この世界において広く認知されており、あなたの言われるとおりかなり浸透しているでしょう
しかし、その学識的な法則と神の摂理という人として生きるべき規範は、残念ながら分離されてしまっています
原因と結果、作用と反作用は何も特別な法則では無いけれども、じゃあそれが日常生活に浸透して誰もが認識して行動規範にしているか?
となると、皆無とは言いませんがかなり知られておらず浸透していないことは明白です。だからこそ霊界からメッセンジャーが派遣され
我々に道しるべとして教訓を与えてくれたわけです。それで、この質問で何を言いたかったかというと、学識的な人間が広めた法則は
現在我々が知りうる限り正当性を持つ事実ですが、それは範囲が地上世界で使われるためのものです。ですからそうとらえてほしくなかったこと
そして法則という単語は地上言語ですからどうしてもその地上世界で使われている学識のイメージがつきまとってしまいます
まさか学識的に知られている法則の基本概念が、自分たちの生き様、死後にも非常に大きな影響力をもっているなどと信じ切って生活している人はまずいません
であればなおのこと、神=法則 が腑に落ちないのはある意味当然だと思いますし、荒唐無稽とも思えるのも仕方の無いことだと思います
法則(神の摂理)は神の本体です。=という等式で結んでも何も矛盾しません。地上言語の法則とは質が違います。これはあなたの良心が
あなたに告げる認識と、私のそれとが一致しないだけ。それだけのことです。神の分霊である我々の良心が、最も大切な基本的概念である
「人の役に立つこと」から外れていないのであれば、遙か遠い存在への認識違いがあっても、それはそれで別に構わないと私は思っています
>神(大霊)を実態的に認識することは不可能です
答えが出ていますね。決して屁理屈ではなく、神≠法則とも言えるし、神=法則とも言えることになります
あとは、自分自身の良心がどうとらえるか。それでいいのではないでしょうか
私は本に頼ることはないのですが、あえて引用するならここは「霊の書(上)」(スピリチュアリズムの真髄・思想編)をあげます
そこには「第一原因」ということが書かれています。仮に神が法則を作ったとしましょう。そうすると作るための「何か」が必要になります
意識に関しては自分の見解をすでに語っていますので、それは意識とは呼べません
「何も」必要ないのです。なぜなら存在を仕組みを自分自身をそのようにするだけでいいからです。だから=愛でも=叡智でも
もちろん=法則でも問題無いと、私は認識しているというわけです。それらの単語の枠外にある存在ではなく、その単語そのものが同時に
第一原因と私は認識しているわけです。それが宇宙のすみずみの全体として網羅されていると認識しています
「神が結果であり、また同時に原因でもあるという筈はあるまい」霊の書・上P.15
「神は究極の原因であって、原因と結果の双方ではあり得ません」真髄・思想編P.26
このように、神は単体で独立した存在とは私は考えていないということです
付け加えると、我々にはあたなも言われるとおり、究極の存在を定義したりその存在を正確に言い当てることは出来ません
あとはお互いの良心がどうとらえているか。それでいいのではないでしょうか。私も自分で認識したことを良心の導きに従い、自分の言葉で表現したまでです
私の言っていることが絶対無謬などとは全然思っていません >>61
56は説明不足でした
法則と一口に言っても、様々なものがあります
物質界に働く物理法則をはじめ、物質界と霊界を通して働く因果の法則など。
わたしが法則という言葉を使う場合、それら全て、人間がまだ知りえていないものも含めたありとあらゆる法則のことです
ですが、56の2行目の「地上人はみな、法則の存在を理解しています」
の文中の法則は、文字通り一般的な人間が理解済みの法則(万有引力など)のことであり、ありとあらゆる法則を
理解しているという意味ではありません。その点はおことわりしておきます
摂理
1 自然界を支配している法則。「自然の―」
2 キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。
上は摂理の意味ですが、1の意味の摂理は法則と同義と言って構わないと思います
しばしば「法則(摂理)」という表現をされるわけで、シルバーバーチの霊言の中にも見られます
あなたが61で使っている「摂理」は2の意味ですよね?
それだと法則と意味が変わってきますよ? >答えが出ていますね。決して屁理屈ではなく、神≠法則とも言えるし、神=法則とも言えることになります
神(大霊)を実態的に認識することが不可能だからと言って、神≠法則とも言えるし、神=法則とも言えることにはならないと思います
あなたの論理だと、神をどう表現しても良いことになります
>私は本に頼ることはないのですが
それだと1に書いていること(主に霊界通信の本、スピリチュアリズムを参考にして)と矛盾しますよ
そういった霊界通信の要旨と異なる、あなた独自の見解を語りたいのであれば相応のスレッドを立ててそこでなさるべきです
繰り返しになりますが、神を実態的に認識することは不可能です
ですからそこは、シルバーバーチなどの霊言などを頼りにすることになるわけです
そこには当然読む側の読解力・解釈などの問題も関わってきます
そういうわけで、わたしもあなた同様、自分の見解が完全に正しいとは言い切れません
ただ、ひとつ言えることは、なるべく2に書いてある書籍の要旨と矛盾や差異がなくなるように努めるべきだと思います >>63
本に頼ることはないと言ったのは、自分の見解を「これこれこのようなことがこの本のここに書いてある」というような
本に書いてあることを正当性として出すようなことは基本的にしないという意味です。
そして、その時も本のコピーの一字一句違えず出すのが目的ではなく、それは自分の見解の参考として出したというほどの意味です
シルバーバーチの霊訓に青年牧師(彼は当時聖書を盲信していた)との対話の下りがありますが、そのような感じで
盲信する気はないというほどの意味です。それと、私がこのスレッドを立てたのは、注意事項にもあるようにコピーだけ出しても
意味が無いと考えているからです。我々はロボットでは無いのです。参考となるテキストを元に、自分の個性に合うように
良心と相談しながら参考図書が語っているエッセンスを実施していこうという意図からです
参考図書の一字一句を完全に違えずコピーするなら、わざわざスレッドを立てて霊性向上のための経験談を語るような場を設ける必要はありません
本を読んでいるだけで終わりです。参考図書はあくまでも参考図書であり、それを頼り切ることは意味があると考えていないわけです
上の方で35の方が仏陀の自灯明の話を出しておられましたが、スピリチュアリズムも同様で、自らの良心を最高のガイドとすることが大切だと考えております
そうなってくると、個性の数だけ神の摂理の理解は異なり、その人の霊性レベルにふさわしい理解と実施方法が生まれることになります
参考図書は基本であって、それをどう応用するかは我々次第であり、差異が出るのも当然あることです
差異が出ない見解、個性が同じような人ばかりの中で同じようなことを語ってどんな切磋琢磨があるというのでしょう。ここは地上界であって霊界では無いのです
「こうでなければならない」という学び方は自由を制限し、自分をがんじがらめにします。必要なのは良心に従うことです。そしてその良心も
霊性レベルによって返ってくる答えが変化するでしょう
最後に、神の存在については61でもコメントしたように、それぞれの人が別々のとらえ方をしたとしても、私は一向に構いません。私は絶対無謬ではないのです
大切なのは「己を人のために役立たせる」ことで、それを追求することが霊性向上への道であり、神の存在を研究しても霊性向上に結びつくわけではないですから
私の神の存在に対する見解がお気に召さないなら、捨て置いて下さい。どっちが正しいかとかには私は興味ありません。お互いの参考意見を出し合う以上の
論争につながるやり取りや、相手の見解を「こうあるべきだ」といって変えさせようとするようなやり取りは、自由な学びを損なう無益なことなので慎んでお断り申し上げます 摂理
1 自然界を支配している法則。「自然の―」
2 キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。
答えていただけなかったのでもう一度お聞きします
法則の話をしていたのに、いきなり摂理の話に置き換わったのはなぜですか?
1の意味の摂理なら、法則と同義ですから置き換える必要はないはずです
2の意味の摂理なら、法則という言葉の意味と変わってしまいますが?
あなたは上で、法則(自然法則)という言葉を使っています
大変申し訳ありませんが、神=法則に関する件から始まったコメントのやり取りは、64で終了させていただいております
考え方の違いを深く追求されても、こちらからはもう何もありません。霊性向上のための方法を語り合うのが
このスレッドの一番大きな目的です。直接日常の行動に関わらない概念についての話は、相手の話に納得が
いかなければ、それはその人の霊性レベルや個性の違いだと考え、捨て置いて下さい。以上です あなたはちょくちょく言葉のすり替えをしますね
わたしは、「そういった“霊界通信の要旨”と異なる、あなた独自の見解を語りたいのであれば相応のスレッドを立ててそこでなさるべきです」
と言ったのです
それがあなたにかかると「個性の数だけ“神の摂理”の理解は異なり」になってしまう
霊性進化の道を語るのは結構なことです
スピリチュアリズムをガイドにするのも結構なことです
しかし、霊界通信の要旨を勝手に変えて、あなた独自の見解を語るのは止めるべきです
あなたの発言にはそれが多く見られます
その理由は、スピリチュアリズムを知りたい、学びたいという人を混乱させるだけだからです 明らかにスピリチュアリズムと異なる見解を述べておいて、それを指摘したら「捨て置いてください」ですか…
ネットに書く以上、自分の言葉に責任を持つべきです。チラシの裏に書くのとはわけが違います
ネットに書く、ネットを読むという行為も日常の行動に他なりません
わたしのレスがお気に召さないのでしたら、捨て置くなりスルーするなりご自由にどうぞ
{汎神論とは、全ての物体や概念・法則が神の顕現であり神性を持つ、あるいは神そのものであるとする世界観・哲学。}
55であなたが述べているのは汎神論です
スピリチュアリズムは汎神論を地上に伝えようとしているのではありません
勝手に書き換えたガイドが霊性進化の参考になるわけないですよ あなたはかなりのエゴイストですね
実社会ではなかなかお目にかかれないレベルです
あなたと接していると、なんでも自分が一番じゃないと気が済まなかった、わがままな小学校の旧友を思い出します
あなたはとにかく 自分 自分 自分 自分 ですよね
このスレッドを読んでいるとよく判ります
3000年生きていて、世界中に伝わっていて、大勢の人に素晴らしい真理と認められているシルバーバーチの霊言・霊的真理も、
あなたにかかれば一刀両断に斬って落とされます >>52>>55
まるで、そんなチンケなものは真理ではないと言わんばかりです
それに代わって「あなた」の『自説』が来るわけです >>55
おそらく「『自分(あなた)』がそう思うから」くらいの根拠ですかね
あなたが最優先するのは自分ですから、自分(あなた)がそう思った説であればシルバーバーチの霊言にすら優先するわけです
わたしが使った言葉も、自由に「あなた」の好きな言葉にすり替えられます
その点を伺っても答えてはもらえません。「あなた」が答えたくないのだからしょうがないですね
会話をいつ打ち切るかの決定権ももちろん「あなた」にあります
わたしの意向は一切汲んでもらえません
さすがにちょっと言い過ぎましたかね
気を悪くなさったのなら謝ります
でも一言言わせてください。わたしにこういう文章表現をさせたのは「あなた」に原因があります
因果の法則が働いたとご理解ください このスレッドは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」です
論争に誘うような発言や個人攻撃、愚痴、それらは全て目的外とするところです
ネット上で特定の思想信条を持つ人に対し、差異を明確にするのは構いませんが
自己の思想を相手に押しつけるのは禁止になっています。このあたりをもう一度参加される方はご確認下さい
また、私達はネットの中で生活しているわけではありません。ネットはあくまでも日常生活に必要な情報を得る場所です
お互いの持ち得る情報をあくまでも参考としてここに持ち寄り、疑問点があれば確認し合い、差異が明確になった時点で終了です
あとは個人の自由を尊重するよう心がけましょう。自分の人生が自分自身のものであるように、他者も同じなのです
自分自身が充分に情報を得られれば、それでいいのです。ここは弁論術やディベートを練習する場所では無いからです
他者の情報に接点が得られないと感じたなら、そこで終わりにしましょう。全ては現実社会でいかに人の役に立つか、それだけです
皆様には不要な情報はSLIPで遮断することをおすすめします
スレッドルールから逸脱するようなコメントは、スレッドの正常進行の妨げになり、荒らしと何ら変わりありません
今回は、霊性進化とはまるで方向性の違う、個人的感情、恨み節とも思える自己の正当性をしつこく押しつける方に対し
SLIP処理させていただきました 【説明】
ここはスピリチュアリズムを肯定的に受け入れて、実生活の心の拠り所にしている人達のためのスレッドです
スピリチュアリズムを頭から否定する方や、侮辱・誹謗中傷目的の方は参加をご遠慮ください
ただし中立な立場にある方や、この思想について知らない方からの、まじめな疑問や参加は歓迎します
あなた自己矛盾を起こしてることに自分で気づきません?
あなた自身が>>52のスピリチュアリズムを>>55で頭から否定してるじゃないですか?
他人は駄目だが自分はOKってことですか? とりあえず、わたしが主張すべきことは主張させていただきます
一方的に会話を打ち切られたことで、わたしの真意が伝わらなかったので、改めて説明します
>>63のわたしの「霊界通信の要旨」という言葉が、次の>>64でoOpq+s3g0さんによって「神の摂理」という言葉にすり替えられ、
わたしが「神の摂理」と言ったとして論を展開し勝手に自己完結してしまいました
わたしが言ったのは、「霊界通信の要旨」です。例を挙げると「死後生・再生の存在」などを指します。
要は霊的真理であり、そこに差異や矛盾は生じません。なぜかと言えば、真理にはそれらが生じ得ないからです。
>>2の書籍で、同じ真理について語っている場合であれば、多少表現が違うことがあっても、書籍間での差異や矛盾は生じません
例を挙げれば、「再生の存在」についての表現が、Aの書籍では「生まれ変わりはある」、Bの書籍では「再生はある」だとします。
結局、表現が違うだけで言っている事は一緒なわけです。
それを踏まえて言わせてもらうと、>>64の11行目〜12行目
>そうなってくると、個性の数だけ神の摂理の理解は異なり、その人の霊性レベルにふさわしい理解と実施方法が生まれることになります
>参考図書は基本であって、それをどう応用するかは我々次第であり、差異が出るのも当然あることです
の箇所がいかに的外れなことを言っているかが判ります
こちらの言葉をすり替えて、勝手に「差異が出るのも当然」などと言って自己完結しているわけです。
くり返しになりますが、真理に差異は生まれません そもそもスレ主の方は>>52>>55を見れば明らかな通り、スピリチュアリズムの根幹である
霊的真理を真理として認めておりません。差異や矛盾が起こりえないはずの真理を簡単に否定し、
自分の作り上げた偽の霊的真理(>>55)を持ち出してくるわけです。ベースが偽物ですから、
その後の論も誤りだらけとなります
例を挙げると、>>30の「神=生命」。このベースが誤りであり、>>55で「神の生命活動」と更なる誤りを重ねるわけです
神は生命というより、生命の根源という表現が適切です
無始無終わの存在であり、外形を持ちません
仮に、スレ主の方に「神の生命活動について具体的に語って欲しい」と頼んでも、
いつものように逃げるでしょう。なんせ、本人にすらよく解ってないんだから、それを
他人に説明することなど出来るはずがありません
偽物の霊的真理は作り放題
それによって、スピリチュアリズムを真面目に学ぼうという人が混乱しようが知ったこっちゃない
偽物の霊的真理にツッコミが入ってもスルー
他人の言葉を勝手にすり替えて、謝りもせず自己完結
スピリチュアリズムを頭から否定する方はご遠慮下さいという但し書きを書きながら、自ら頭から否定
こんな人が霊性について語るんだから噴飯物です。ヤクザが人道を語るのを聞かされる感じでしょうか
他人の霊性をどうこう言う前に、その醜く肥大化した利己心をどうにかするべきです
まあ、これだけ言っても馬の耳に念仏でしょうけど ようやく解りました!!!!!!
スレ主の方が言われた「神は全て」という主張も、わたしの「万物・物質界・霊界・法則は神の創造物」という主張も、
シルバーバーチの「神は自然法則です」という霊言も「法則の背後に控える無限の叡智」という表現も、
それら全てがある意味正解です。それら全てが真理です!!!
それを今から説明します。神は万物・物質界・霊界・法則を創造されました
そして、それらの創造物全てに遍在していうのが神なのです
無限大の心、無限大の意識体と言うべき存在です。創造者と被創造物という意味では、
「神≠法則」となりますが、法則内にも神は遍在しておられますから、その意味では「神=法則」となります
シルバーバーチの表現が異なったのはおそらくそういう理由です
ですから、わたしの真理も正しいし、スレ主さんの真理も正しいのです
スレ主さん、失礼な発言してしまい済みませんでした
心から謝ります 物質界(宇宙)・霊界に神が遍在しているとはいえ、無限の過去から無限の未来に存在する神に対して(つまり原初がない)、
物質界(宇宙)が無限の過去から存在しているわけではない(宇宙には原初がある)、ということから考えると、
やはり物質界(宇宙)・霊界・万物・法則は神の創造物と考えるべきでしょう
だから、厳密に言えば、「神≠宇宙」「神≠法則」となると思います
>>52のシルバーバーチの霊言が真理でしょう ネットは必要な情報を得る為のものであるのは確かです。でも、それだけじゃないですよ
コミュニケーションツールでもあるわけです。実生活で出会えないような人とも簡単に出会えます
どこの誰かも分からない、顔も知らない人と簡単にコミュニケーションが取れる便利な物でもあります
文章だけのやりとりとはいえ、そこで人間関係について学ぶことも出来るわけです。霊性を高めることも出来るわけです
法則とは、人生の全ての場面に適用されるんです
職場での行動だけが霊性進化に関わるわけではないのです
家庭での行動はもちろん、それ以外の、人間が生まれてから死ぬまで、その間の行為・業(これには思念も加わります)が
霊性進化に関わるのです。ネットでの読み・書きももちろんそれに含まれます
ネットは単なる情報収集のみのツールだ、なんて考えて、画面の向こうの相手の心情を無視した行為をとることが、
果たして霊性進化に繋がるとお考えでしょうか?
わたしも酷い言葉を書いてしまいましたが、それについては反省します。あなたも、もう一度あなたの行為についてお考えください
わたしも欠点だらけの人間です。霊性が低いことは自覚しております。
欠点を指摘されるのは誰でも嫌なことですが、それが霊性進化のための「気づき」「自覚」に繋がることもあるわけです
わたしは、霊性進化において重要なことは、「気づき」「自覚」だと考えます
自らの欠点に気づき、自覚することで、それを解消しよう、無くそうという方向に向かうわけです
あなたがそういう方向に向かわれることを、わたしは望みます >>78
そうです
無限の叡智(神=大霊)によって創造されたのです
その被造物に、神(大霊)が遍在しているのです いまシルバーバーチの霊訓全巻を貸しているので、正確な確認ができないのですが、
シルバーバーチは「神は摂理だ」と言っていますが、交霊会に参加した人が、
「自分は自然法則を神と思っています」という自己紹介に対して、それは違うと答えています。
確か、その場合は誰が法則を作ったのだ、と言う話になるのでそれは違うよ、と回答してた気が。
全12巻のあとの方の巻数です。
シルバーバーチ自体がレッドインディアンでは無いとあとから言っていますから、
話の段階というものを重視したのでは無いでしょうか。
つまり初めは分かりやすく法則だと言い、
話しについてこれるようになった時に、改めてより正確な発言をしたとか。
そんな感じを自分は受けます。
まあ仲良くやりましょうよ。 遍在:あまねく存在すること
統合:二つ以上のものを合わせて一つにすること
融合:とけあって一つのものに なること
結局霊的真理は「神は全てに遍在している」ということだね
>>55で「神は全てに統合・融合している」と書いてるけど、遍在≠統合・融合 ということ
神が全てに統合・融合しているなら、人間=神 ってことになっちゃう
人間が全知全能な存在じゃないことは言うまでもない
スレ主さんの>>59の質問の意味もようやくわかった
>○あなたが認識している大霊はどのような存在でしょうか(性質的な話ではなく実態的な話として)
>個の存在でしょうか?全の存在でしょうか?
スレ主さんは「神が全てに遍在している」という霊的真理を「神は全てと統合・融合してる」と考えちゃってたってことだね
>>81
以後気をつけます >81
参考意見として受け止めさせていただきます
>まあ仲良くやりましょうよ。
まったくもってそのとおりです
「自分を人の役に立たせること」を理解し実行している【スピリチュアリズムを学ぶ同志】であるはずの私達は
個性の差による見解の違いなどにこだわる必要などありません。もしそれが「悪意」では無いのであれば当然のこと
もし悪意から出た見解ならば、諫めるのは同志の義務だと思います。それ以外は互いに「出来る限り」寛容でありたいものです
自分の穏やかな精神状態を損なってまで他者につきあう必要はなく、許容限界を超えると感じたら、身を引くのも大切なことだと思っています
会社においても、自分のおかれた現状や行動をありのままに説明しても、理解されないときがかなりありますが、そんな時は
自分の意見を押し通すことはしていません。「そういう事情ですから、ご検討をお願いします」と一言いれて、自分に納得がいかない決定事項であっても
受け入れるようにしています(彼らの正解として)。ここは様々な霊性レベルと個性を持った方々が存在する地上界だと理解しているからです
不毛な、空しい議論にはならないよう、そのあたりは特に若い人たちと会議で話す時も心がけていることです
そして、心を鍛え修養する場だと割り切っています。自分の若い頃はとてもとてもそんなことは出来ませんでしたが。今思うとその頃の自分は失笑ものでした
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
次のIPはこちらからは見えていませんのでご容赦下さい(使用ブラウザ:Jane Styleによる透明化)
[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125] new[60.42.110.26] 念のために言っておきますけど、神が遍在してることは、シルバーバーチの霊言やその他の霊信に多く出ておりますから知っておりました
生命(人間)、法則、宇宙、自然に神は内在してると明言しております
それをスレ主さんが「神は全てと統合・融合している」と考えてたということが解った、ということです
質問の答えは、「個の存在」ということです
全てに遍在していても、神とは「個の存在」なのです
今後はご自分で決められたルール、「スピリチュアリズムを否定しない」をお守り下さい
霊界の高級霊から地上にもたらされた霊的真理は、霊性進化にとって助けとなる大事な人類の宝というべきものです
霊的真理を真理であると認めることが大事なのです 自分は精神疾患を患っており、下手をするとシルバーバーチの霊訓のような本は
読むなと言う人がいるかも知れません。ただ読んでいた頃は体調は良かったです。
それで昨日の書き込みの「神は摂理だ」と言ったのか、「神の摂理が〜」と言ったのか、
いま全巻貸しているので確認できないのですよね。
全巻貸したのは実は幻聴にシルバーバーチの本を燃やせと言われたからです。
なのでライターで本の角に焦げ目を作りました。
あとになって輝く霊言を偽りの教えと思って燃やしたのかと思うと、心が痛みます。
それで読むのがつらくなって貸し出しました。本当は貸した人に差し上げたい気持ちです。
ただの状態が少し悪い古本として扱ってくれるでしょうから。
あの頃の地獄の幻聴はいまでは緩和しましたが、幻聴は本当につらかった。
「信じている」という言葉は、その中にまだ疑いを含んでいるのでしょうか。
それが当然なら信じないと言う事はあり得ないはずです。 それでシルバーバーチは霊的真理の開示を
時代に合わせて行った計画の一つだといまでは思っています。
つまり今はもうそれらは為されて事なので、シルバーバーチを引き継ぐ存在は、
現時点ではそれら計画に沿った別の事をしているのではないかと思っています。
今はヒーラーが主流なのでは無いか。どこかに書いてあったからそう思ったのかな?
ヒーラーが日本に居るのであれば、病気を取り除いたり何なりして欲しい。
健康に寿命まで生きたいです。
ただ死にたくもなります。幻聴に死ね死ねコールをやられたりしますから。 >>86
本なんか読んでたらぼろぼろの紙くずになっていくのだから、焦げ目くらい気にする必要はない
本が重要ではなく、教えが重要
俺なんかいろいろ古本買ってて、積ん読してるところに麦茶紅茶もこぼしてるから本が染みだらけだぜw
焦がすより汚いしそもそも読んでもいないんだから、罰当たり度は俺のほうが上 >>88
温かい励ましのお言葉をありがとう。
罰当たり度ですが、自分の方が罰当たりだと思うからこそ苦しみました。
「シルバーバーチは地獄の王」であり、「日本の神々と戦い、滅ぼそうとしている」と
強烈な声が聞こえてきました。なのでシルバーバーチを裏切る意味で焦げ目を付けたのです。
ですがどうか精神疾患の人間はスピを読むなとか仰らないで頂きたい。
苦しい中であの中身を読むと本当に希望がわき、前に進みたいと思うのです。
苦しくて死にたいと思うような時も、ちょっと読むだけで元気が出てきそうです。
それを自分が裏切った。これは自分で自分が赦せないのですよね。
その後読もうとしましたが、焦げ目が気になって読み続けられないのですよ・・・ スピを読むなって言葉の裏には、読んで現実世界から完全に乖離しちゃうのを警戒してるんじゃないかな
精神疾患の中には、解釈の仕方そのものがこじれてる状態のときがあるから、そういうときにスピリチュアルを読むと、内容をどう解釈することになるかわからない
なので、一般的には、スピと精神疾患は相性が悪いと思われてるのではないかな 返信、ありがた屋。
それで、多分そうでしょうね。
変な解釈をしてしまい、狂信的になった日にはシルバーバーチも悲しむかも知れません。
では別の話を・・・
ようつべで素粒子物理関係の動画を見ると、
中には宇宙の重力が思ったよりも多いとか少ないとか、
そんな事を検証しているアメリカの女性物理学者が居ました。
それで彼女が仮説を立てて、
宇宙の中には別の5次元宇宙がいくつも存在する、と言うものでした。
これは全くのファンタジー的想像なのですが、スピリチュアリズムで明らかにされた
死後の世界はもちろん宇宙の中にあると思いますので、
その世界に重力が行ったり来たりしているのかなーと、学術的意義を全く介さずに思っています。 詰まらない話をしました。霊的進化とは全く関係が無い。すみません。 いやダークマターとかダークエネルギーって明らかに霊界の存在を示唆してると思うけど。
私たちが観測できない電磁相互作用しない物質ってそれしかないでしょ。 やっぱりそう思いますか。
大霊とは何かを考えた時、生物だけで無くその辺の石ころすらも神の創造物ですから、
そこには我々とは違う生命が宿っているのかも知れません。
ひも理論とかそう言うのだと、素粒子やとにかく全てを構成している物質の素が
振動していると言うわけですから、その振動こそが生命であるとすれば、
石ころが生命を持っていると言っても良いかもしれません。あくまで想像ですが。 なぜ奴隷だと思うのか?って方向からアプローチしたほうがいいかと 人間がコンピューターからAIが生まれるのを待ってるように。
神も人間の中から宇宙を創造できるような存在が出るのを待ってるんだと思うよ。
違う個性を持った宇宙がいっぱいあってそれぞれに創造主がいるんだと思う。
まあ、人間がそんな存在になるのは先が長くてすべてがそうなれるわけではないと思うけど。
まあ、そんな長い魂の修行のひとつの過程が物理世界地球なわけだけど。 悪因悪果 善因善果 人間同士で苦しめあってるのはわかる
でも埋め合わせがあるからって悪い事してない人間を悲惨な目に遭わせるのは
横暴じゃないの?
ワシのものをどうしようが勝手
ワシのおかげで生きられるのにワシを崇拝しないなんて許せない
とか思ってんじゃないの? バーチの霊訓なんかが特に
そう思うのはお前がバカだから、神こそ至高
ってよく言うよね
たまに腹が立つ >>99
こんばんは。色々と疑問があるみたいですね
疑問とか不満は、霊性進化への行動につながるかもしれない「きっかけ」になることがあります
私自身も疑問と追求・不満と探求、そして幾ばくかの回答と解消を経て現在に至っています
ところで、悪いことをしていない人間を悲惨な目に遭わせるとは、どのような具体例があったのでしょうか?
今日はもう返答できませんが、明日以降コメントさせていただきます ◇変わり映えのしない単調な日々・・TVも同じようなことの繰り返し。
今更なにかを求めても。。現実は厳しいんだと…つぶやく日々。
大人になれば出来ない事が増えてゆく.ささやかな喜びを分かち合う事すら…
素直に笑いたい,子供のように。純粋に笑ったり…だけどそんなのどこでできるのか??
Q-CHAN牧師の伝道部屋inニコニコ生放送毎晩8じ〜 朝7時 約7年間ほぼ毎日放送中!
https://www.youtube.com/watch?v=zDCYiCEYKEQ(スカイプ質問が沢山あり面白い回です)
https://www.youtube.com/watch?v=rabTAxj-BpE (うつからの脱出!)
https://www.youtube.com/watch?v=rveenAyigqY 同性愛からの解放 - Kegan Wesley(他番組より
権威権力・組織・拝金主義や、プレッシャー等、なんにもありません。
※偽HP&ブログもあり。 ◇ >>99
悪いこと云々は、人間が蒔いた種なんじゃないかな
何もしてない人が〜で前世スレの書き込み思い出した
前世で盗賊か何かだった人間が、その記憶を持ったまま生まれ変わり、盗賊被害者の前世を持つ兄に暴力を受ける
なんていう話がたまーにある
わかりやすく書くと、加害者Aと被害者Bという赤の他人同士が、○○家の兄(B)弟(A)として転生したってこと
子供は何も悪いことをしていないけど、前世が引き継がれてる事例
今生でAがBに仕返ししようとして成功あるいは失敗したら、来世でAはまた被害者か加害者を繰り返すことになるだろうなあ 自由意志を尊重すること
これは神の摂理と照らし合わせても、最大限に守られることが望ましいと思われます
なぜでしょうか。それは各自が自力で学び、間違え、反省し、研鑽し、自力で成長するためです
もちろん、精神的にも霊性としても客観的にみて発展途上にあると思われる人へ、アドバイスをするのは正しいと思いますが
対象がそのアドバイスを望まないのであれば、過度の干渉は避けることが賢明な判断だと考えます
(物事には限度というものがあるので、周囲に悪影響を及ぼす行為に対してはこの限りではありません)
最近、新たに「霊媒の書」アラン・カルデック著(前田茂樹 訳)を入手し、翻訳者のあるべき姿というものを考えさせられたところです
この「霊媒の書」は、心の道場から出版された近藤千雄訳(スピリチュアリズムの真髄・現象編)とは違い
意訳がなく(この場合の意訳とは、スピリチュアリズムを前提に翻訳しているかどうかということです)
そして英語→日本語ではなく、エスペラント語→日本語として、しかも一切の省略のない完訳本です
この本を、大ざっぱに読んでみましたが(手に入れたばかりでまだ熟読していません)、近藤訳ではお目にかかれなかった
この本の真実を目にしました。スピリチュアリズムは、スピリティズムの下位の概念におかれているのです※。驚きました
※スピリチュアリズムを正しく伝播するためにスピリティズムがあるということのようです(ルソーによる霊信9
英語版はこの件について訳されていなかったのでしょうか?そんなことはないと思います
ということは、意図的に近藤氏が省いたと考えられます(スピリチュアリズムの沽券に関わることだから)
私は、どんなに自分にとって不都合であろうとも、情報の伝達は正直に素直にありのままを伝えるべきだと強く思っています
たとえそれが「良かれ」と思っていようとも、いやむしろそういう悪意のない善意があればあるほど
情報の「受け手」にストレートに全てを託し、判断はそれぞれの受け手に任せて然るべきではないでしょうか(日常生活でも仕事上でも考慮したいこと)
そういうことが過去から出来ていれば、聖書も(聖書はちょっと無理があるかもしれません・・・ニケーア会議で意図的に改竄されたそうですから)
原始仏典も、当時の語られたままの事実を伝承できたでしょう(あと、特別な場合における「善意の嘘」はここには含みません)
なにはともあれ、「自由」こそ神から送られた最大の賜だと思います。これがあるからこそ、我々はロボットにならなくていいわけですから
関連する霊信
「アガシャが教えているのは真の霊の自由であって、その人が自覚し悟りを深めた程度に従ってすべてのものが与えられる仕組みになっているのである
〜中略〜人間は生きて行っている間に、人間性の真の自由を自由に表現したいという本能が生まれてきて、その心がわれわれを悟りにまで
導いてくれるのである。それゆえにこそ人間は、誤りを犯す権利と試行錯誤によって学習しなければならない権利を持つのであって、その権利に
対して不自然に干渉する圧政に対しては闘わなければならないと直感するのである。〜中略〜われわれは、自分で自分を尊敬し(自尊心)、他人をも
尊敬するが、しかし、われわれが進歩するにつれて、われわれは相手の自尊心、自主性を重んじて、いかにお互いが最小限度にしか干渉し合わない
ようになるかということを知ってゆくのである。 アガシャの霊界通信(上) P.220-222 (天と地を結ぶ電話)
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
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[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93] あなたは真理の意味とスピリチュアリズムが地上にもたらされた意義を理解なさっていない
いいですか
くり返しになりますが、真理に差異は生じないのです
差異が生じた時点で、真理が真理でなくなります
>>74で説明しましたが、「表現の違い」と「差異が生じる事」は明確に異なります
あなたが>>55で唱えている「自然法則や愛も統合・融合された全体的包括的存在が神」というのは、
表現の違い、解釈の違いを通り越して、差異が生じています
つまりスピリチュアリズムが伝えている真理ではなくなっているのです
スピリチュアリズムは、その差異が生じない「真理」を地上人に伝えているのです
霊的真理を伝え、それを地上人の霊的成長・霊性進化の助けとする、というのがスピリチュアリズムが地上にもたらされた意義なわけです
ですから、「人間には自由が与えられている、だから真理をどう解釈しても良いんだ」という主張はおかしいわけです
独自の解釈で、霊的真理と差異が生じたものを真理として提示するのは、スピリチュアリズムを真面目に学びたい、知りたいという人を混乱させるだけだからです
スピリチュアリズムがもたらした霊的真理を真理として認めたくない、信じないというのであれば、それはその人の自由です
ですが、そうであればわたしが>>63に「そういった霊界通信の要旨と異なる、あなた独自の見解を語りたいのであれば相応のスレッドを立ててそこでなさるべきです」
と書いたように、相応のスレッドを立ててそこで思う存分語るべきです
このスレの>>3に「スピリチュアリズムを頭から否定する方や、侮辱・誹謗中傷目的の方は参加をご遠慮ください」とはっきり書かれているわけですから 「正しい神観」も霊的真理の一つです
これまで地上人は何千年もの間、思索を重ね、考え抜いても正しい神観にたどり着くことは出来ませんでした
ずっと誤った神観を持ち続けてきたわけです。今現在も誤った神観を持ち続けている人は大勢います
以下は誤った神観の例です
・高級霊・天使を神とする
・特定の人・国・組織に恩寵を与える神
・怒りや憎しみと言った負の感情を持ち雷や災害を引き起こす神
・宇宙や万物を神そのものであるとする(汎神論)
・神は存在しないとする(無神論)
スピリチュアリズムが唱えている神観・霊的真理は「創造神論」です
神(大霊)により宇宙・生命・万物・法則といったありとあらゆるものが創造された、
「神=無限の叡智、無限の愛」だと言っているのです
例に挙げた、誤った神観を捨てて、正しい神観を持って欲しい
要するに、地球上の全ての人間に共通の神観を持って欲しい、という思いから地上に霊的真理がもたらされたわけです
「人間は自由を与えられているんだから、その神観を否定して独自の神観を主張してもいいんだ、
その独自の神観が気に入らないなら捨て置け」、なんて主張はおかしいわけです
捨て置いていいわけないでしょ。真面目に学びたい人を混乱させるだけだし、そもそも無責任にもほどがあります
スピリチュアリズムの意義を否定すると同時に、誤った神観に地上人を戻らせる、逆行させることになるのですから >・怒りや憎しみと言った負の感情を持ち雷や災害を引き起こす神
小桜姫物語で質の悪い海神の話がでてくるんですが・・・ 大切なことは、日常生活で何をしてどのように奉仕し人々の役に立っているか。これに尽きます
ですから仮に私が行っている日常生活上の奉仕(どのように己を人々の役に立たせているか)について
問題点を指摘された場合なら、大いにありがたく拝聴するでしょう
しかし「スピリチュアリズムはこうでなければならない」的な教条主義には一切関わりを持つ気はありません
人間はロボットではないし、どのようにこの人生を経験し学びとるかの自由は誰にでもあります
スピリチュアリズムを教条主義的に特定の鋳型にはめ込もうとされる方こそ、まさに
スピリチュアリズムを頭から否定していることになります。批判目的の方の投稿は禁じているとは、そういう意味です
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
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[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27] 生命賛歌を仮に考えるとすれば、カップ麺食べただけで肉を食べる事になるのはどうなのだろうね。 「修身のすすめ」
シルバーバーチに代表される西洋スピリチュアリズムは、愛ゆえにこそ発揮される奉仕が教訓の中心になっており
自己を修めるあり方についての具体的方法論とかは特に触れられてはいないようです
この点は東洋の聖賢が伝えてきた教訓とは真逆になっており、双方で補完しあえれば素晴らしいと個人的には思っています
そうは言っても、スピリチュアリズムにも修身のヒントはいくつも示されているので、今回はその点について考えてみたいと思います
このうち、私達が特に気を付けておきたいと思えるのは、恐れ、不安、悲哀、憤りといった「負の想念」を心に宿さないことです
なぜでしょうか。逆方向における話はシルバーバーチによって説かれています。つまり、地上の人が今まさに善意を為そうと
行動しようとする時、その善意を何倍にも膨らませようとして、慈愛に富んだ善霊が集まってきてその人に対して善意のパワーを送る。ということです
よって逆の話を今回はしているわけです。地上の人が今まさに負の想念から行動しようとする時、その負の想念を何倍にも
膨らませようとして、悪意ある未熟霊が集まってきてその人に対して悪意のパワーを送る。ということが言えるわけです
双方の霊の目的は明確です。善霊はこの地上世界の浄化のため。未熟霊はこの地上世界の不純化のため
霊性進化が未熟な霊であればあるほど、純化した神の生命エネルギーをそのまま受け取ることはもちろんできず
未熟さに応じた濁って負に満ちた生命エネルギーという形で受け取ることになります。その量が多ければ多いほど彼らの活動は活発に行えることになります
そのような、地上の浄化とは正反対の方向に誤って自分自身を貶めないよう、常日頃から良心とともに自分自身の心の状態をチェックすることが大切です
常日頃から、仮に心が負の想念に傾きかけても、その状態にすぐ気づき、軌道修正出来るよう心がけていれば、守護霊や指導霊や善霊が
私達に近づきやすいので、慈善行為をしようとする意志も、小さくても毎日維持することが可能です。これは私自身も実感していることです
ずいぶんと上のほうで「比較をしない」ということについてコメントしましたが、柔軟で融通無碍な精神状態(ラベルやレッテルとは無縁)こそがもっとも善霊の心に適い
比較などの特定的な何かに「拘る」ことが、最も心にスキを生み出しやすく、悪意ある未熟霊に付け狙われる可能性も高くなります
(その拘っている事に対し、自尊心をくすぐるような、自負心を満たすような、正義と思わせるような「唆し」をすれば、スキのある人はたやすく落ちます)
対人面において、私達は相手の負の想念につきあう必要はありません。この場合、相手のおかれた状態を心から気の毒であると同情し
リアルではやんわりと受け流すよう働きかけ、ネット上であればスルーする。こうしてこちら側が負の想念を受け取らなければ、送られてきた負の想念は
元の持ち主に帰りますので、悪意ある未熟霊の企みの半分はくじく事が出来るわけです。彼らは負の想念の送り手と受け手の双方に
負の想念のとりこになってもらいたいと思っているからです
私達はほんの些細なことであろうとも、日常生活上で善意ある行為によって己を他者の役に立つよう心がけ、実行し
少しでも地上の浄化のために前進してまいりましょう。シルバーバーチが種まきの譬として語るように、行為によって結果によって
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
次のIPによるコメントは見えませんので(SLIPで透明可設定済み)ご容赦下さい
[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27] フライドチキンとハムはたまに無性に食べたくなる時がある 自分には肉食が良くないとシルバーバーチが言っていても、それを止める事はできないな。
肉が好きなんじゃなくて、今の食事にはどうしても入ってくると思うから。
>>111
その未熟な霊も元は人間で、一個の個人と考えれば、「未熟」ってのは可哀想な気がする。
もちろん未熟だとみなすのは良いけども、これは言葉が難しいね。 >>108
海神とは自然霊のことを指しているのだと思います 強要されてなくても摂理に反したことをしたら酷い目に遭い続けるわけでしょ?
それって善を為すことを強要されてるようなものじゃないの? バーチの霊訓はとにかく人の役に立つことをばかりで
人間嫌いには困ってしまう
霊訓だと正しい人として知識を追求する人(要約)が出てくるのでありがたい 霊的真理を否定して、独自の解釈を押し付けるのは負の想念からの行為に他ならないと思うのですが?
誤った霊的真理を主張し続けるのは、霊性進化を遂げる上で、マイナスにしかならないわけです
スピリチュアリズムを真面目に学ぼうという人を混乱させるだけですから。
それを散々指摘しているのに、この点についての言及を一切なさらないのはなぜですか?
わたしは、おそらくあなたと何年か前に、オカルト板の「シルバーバーチ等の霊界通信について語る」スレで今回と全く同じ議論、
「神=法則」か「神≠法則」かについて話し合っています
朝の5時前後という特徴ある書き込みの時間帯、文体、主張内容等から同一人物であることを、わたしなりにではありますが確信しております
その方も、「普段の生活で人の役に立つことが大事だ」ということをしきりに強調されていました
それでありながら、自説、「神=法則」には異常なこだわりをみせたのです
つまり、言行不一致だったわけです。なぜそこまで自説にこだわるか疑問に思ったので、それについて聞いて見ました
が、結局答えは返ってきませんでした >大切なことは、日常生活で何をしてどのように奉仕し人々の役に立っているか。これに尽きます
それは結構なことです
ですが、あなたのいう日常生活とは何ですか?
職場での生活だけが、日常生活ではないですよ。ネットは知識を得る為だけの場所ではないです
ネットでお互い必要な知識を与え合ったりして、奉仕しあう事も出来るわけです
ネットでコミュニケーションを学ぶことも、霊性進化の一過程であるわけです
顔と顔を合わせて話す事だけがコミュニケーションではないのです
あなたは誤った知識を与える事による悪影響について一切考慮されていない
巧みに話をすり替えて、その点から目を逸らそうとしているんです この際だからはっきりさせておきましょう。
>>30と>>55でスレ主の方が主張なさっている事は、スピリチュアリズムがもたらした霊的真理ではありません。
スレ主の方の自説です。
神=法則ではありません。
神=生命ではありません。
神は全てと統合・融合しているわけではありません。
人間も生命なわけです。神と人間(生命)が融合していると仮定したら、人間は既に完全ですから霊的に進化・成長する必要はないわけです。
神と宇宙が融合していれば、宇宙も進化する必要はないわけです。
スピリチュアリズムは宇宙も進化の途上だと言明しています。
スピリチュアリズムがもたらした霊的真理は、神は全法則、全生命、その他全てに遍在しているということ。
全法則、全生命、その他全てを超越しているということです。
この点をはっきりさせておく必要はあると考えます。
なぜなら、それをしないとスレ主の方がこの誤った自説をベースに話を展開するからです。
日常生活での霊性進化の方法論を語りたいならご自由にどうぞ。
ですが、単なる自説に過ぎないものを霊的真理として語るのは絶対に止めて下さい。
霊性進化にとって、プラスどころかマイナスにしかならないからです。 自説垂れ流しにどう対応するか
それもまた試練でござる 色々とコメントが出てるようですが、疑問点に関しては一括でお答えできます
私達を縛るものは本来何もありません。良心の導きに従って自由になんでも経験して下さい
良心の声を無視してエゴむき出しの行動を強行しなければ、間違った道にそれることはありません
シルバーバーチが、○○が、△△が、□□が・・・etc どう言ったとか、そういうこと(他力本願的なこと)を
参考目的以外の絶対的な判断基準にすることは私達の良心に背くことになります
あとは知恵を働かせることも大切だと思います。良かれと思って行動したことも、場合によっては不正解になる可能性もあるからです
それと、便宜上スピリチュアリズムというラベルを冠して高級霊シルバーバーチの霊訓が成り立っていますが
シルバーバーチ本人にとっては、霊訓で自らが語っているようにそんなラベルはどうでもいいことです。これは教条主義に陥らないために重要なことです
大切なのは、知識を得て活用し、それを人の役に立たせること。それがシルバーバーチの語る最初から最後までの本旨だからです
そしてこうも言っています。納得がいかず理性が反発するのであれば、受け入れないで下さい、と。私達はこの2つの教訓により
縦横無尽に個性を生かし、現時点の自分の霊性レベルにおいて可能な限りの努力と創意工夫によって、ささやかであっても
自分を人の役に立たせるよう動くことも出来るのです。もちろん偽善者になってまで奉仕する必要もないし、強制もありません。無理する必要は全然ありません
肉食や輸血に関しては、様々な見解があるでしょう。しかしこのスレッドは「スピリチュアリズムとは何か」ではなく
「スピリチュアリズムはどうあるべきか」でもありません。哲学的な論争を無意味に費やすことを良しとしていません
私達が得たスピリチュアリズムと名付けられた、霊界からの贈り物の教訓を元に、実生活に反映させて、その結果として
自他共に霊性向上を目指すための、参考となる経験や実生活に応用できる生きた知恵を持ち寄り
それをもって互いの益とするためのスレッドなのです。私が作ったテンプレートが至らないこともあって、様々な誤解や攻撃も受けていますが
このスレッドはスレ主である私が立てたものです。このスレッドのルールとして設けたテンプレートに至らない点があったことは反省していますが
コメントの流れを読み取り、自分の求めるものとは違うと思われた場合や、参加するだけの魅力も感じられないと思われたのであれば
このスレッドに固執する必要はありません。スルーするのが一番のおすすめですが、そのスキルが無い方やエネルギーの出しどころを
勘違いしている方には、立ち寄ってもらいたいとは思っていません。そういう方には、そういう方なりの良かれと思われるスレッドを
ご自分で立てられて、そこでご自分の見解を思う存分述べられればそれでいいのです。一応、そのような・・・・あまり言いたくはないのですが
他者のフィールドに図々しく居座って批判目的の荒らしをする方への対策を考え、SLIPの最高強度で設定をしたということもあるのです
なおこれは121氏の短いコメントを参照しています
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
次のIPによるコメントは見えませんので(SLIPで透明可設定済み)ご容赦下さい
[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27] それにしても自分はシルバーバーチの霊訓と現・スピリチュアリズム普及会の
ネット公開している部分の何冊かしか読んだ事がありません。
ホワイトイーグルでしたか、真理は一つの方法だけで語られるものでは無いと
言っているようですが、夢を考えるに我々の脳では理解できない真理が在るのでしょう。
今を一生懸命に生きると言っても、私はメンヘラでして困っています。
まず現在働けないという難問があります。
仕事と言うのは地上に於ける時間潰し兼生活の糧を稼ぐものだと思っています。
それと自分もNGにされそうですが、肉食に関してのあなたのご説明に関して、
あまり理解が進みません。何かや、どうあるかの形而上学ではなく、
スピリチュアルの本流の難問だと思いますよ。
まあそれより、ここでダスカロスを持ち出しますが、自分を癒やすために考えるのもどうでしょう。
どうすれば良いか分からないので、始めてすらいませんが、何か心が落ち着く方法があれば、
「実生活に応用できる生きた知恵」に十分なると思うのです。
繰り返しますが、やり方を知らないのでやっていません。仲間がいればな良いのだが。 一部の強欲者が悪目立ちするだけで
金持ちは人格が円満な人が多いイメージ >124
スレ主である私は、仕事を持つごく普通の社会人として、限られた時間しかネットに費やせないこともあり
スピリチュアリズムに関わる全分野について語り合えるようなスレッドを、立てるつもりが最初からありませんでした
テーマを絞り込み、そしてそれに専念できるようスレッドルールも付け加えたのが、このスレッドのあり方です
そういう事情なので大変申し訳ないのですが、スレッドの本来の主旨に則ってここを進行させていくつもりですので
「いかにして精神面の病に向き合い、それを克服するか」というスピリチュアリズムとも関連する話題について
取り扱うことがルールとしてできません。苦しい立場にある方に対し、ささやかでも何らかの手助けになるような
話し合いの場を持ちたいという気持ちはもちろん持っておりますが、このスレッドの主旨からは外れてしまいます
ご理解の程よろしくお願いいたします
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
次のIPによるコメントは見えませんので(SLIPで透明可設定済み)ご容赦下さい
[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27] >>126
ここは雑談する場ではありません
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
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[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27] 精神の病を治す方法なんて聞いていないし、あなたは排他的すぎます。
今回以降の分を見えないようにすると良いでしょう。
あなたはあなたの信じる狭量な道を歩まれると良い。
「大道無門」という言葉があるが、あなたには隘路がお似合いだ。 >>130
色々とご批判ありがとうございます。排他的に感じられるのは当然です
>127を熟読玩味せず無視されていると思われますが、そこに説明しているとおりです
私はスレ主として、限られた時間の中であっても、最も現在興味を持ち、そして推進したいテーマについて語り合いたいのです
それ以外は、スレッドのルールから外れるということを、少々不備・説明不足もありましたが>1-3ではっきりと提示してあります
あなた様のご病状の回復と、一日も早く社会復帰できることを衷心からお祈り申し上げます
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
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[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27] >>130を消さなかったのは、まだ話し合いの余地が残っていると言う事ですか。
スレ本来の目的は分かるのですが、今霊訓のようなものよりも、ヒーリングの方が、
霊界の作戦だと思うのですよ。なので、瞑想とかが鍵となっている気がします。
瞑想による内省、と言うのがメインだと思うのです。
シルバーバーチがこう言ったとか言って、昔のキリスト教の聖書のように、
振りかざすのでは人類の2000年の叡智が吹き飛びますから、それはしたくない。
あなた様がやりたいのは故丹波哲郎氏の「来世研究会」のように、
古今東西の心霊学の勉強したいという事でしょうかね。私は最近それを知ったばかりです。
有り体に申し上げると、何を書いて良いのか分からないのです。
なお疾患について痛み入ります。 大事な事を言うのを忘れていた。
まともに話が通じて良かったです。
あなたも時間を作ってこれを見ているのでしょうから、それに隘路を行けと酷い事を言った。
この点謝ります。 シルバーバーチ等の霊界通信について語る(part13)
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1416382225/
上のスレッドは、オカルト板でpart13まで続いたスレッドの最後のものです。
ここでわたしはおそらく、このスレ(霊性進化のために我々が目指すことを語り合う)のスレ主の方(219.117.181.190)
と2014年12月に議論しています。>>118に書いた通り、「神=法則」か「神≠法則」かについて話し合っています。
レス番号 62〜124 の議論の中で、「神=法則」という主張をしているのがスレ主の方で、「神≠法則」という主張をしているのがわたしです。
このスレ(霊性進化のために我々が目指すことを語り合う)のスレ主の方と、シルバーバーチ等の霊界通信について語る(part13)で、「神=法則」と
いう主張をしている方をわたしは同一人物だと考えていますが、その根拠は
○主張内容が同一
○言葉のチョイス、文体が似ている
○午前5時直前に書き込む習慣がある(上記スレ内のレス番号92が4:56に、レス番号103が4:57に書き込まれています)
(同様に、このスレでも>>8、>>72、>>109で午前5時直前に書き込んでいます)
○>>2でスレ主の方が「シルバーバーチ等の霊界通信について語る」スレに書き込んでいたことを匂わせている
などです。
興味を持たれる方は、ご自分の目で上記のスレッドをご覧になって下さい。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) >>132
SLIP対策するつもりはないです
理由1。哲学的論考目的(あるべき論)・批判目的(自分の見解が正しく他者が間違っている論)の投稿じゃないから
理由2。このスレッドのルールを、まじめに気にかけてもらえているから
理由3。癒やしや回復も、自己修身や奉仕活動を怠りなく継続させていくために必要なことだから(ただし霊障についてはテーマ外です)
理由4。これが一番の理由ですが、現在の自分のおかれている状況を打破しようと試みるための投稿だから
ここは空理空論を振り回す場所ではなく、他者の信条をいちいち批判論評する場所でもなく、無意味な雑談をする場所でもありません
日常生活に密着し、その延長線上としてスピリチュアリズムで得た知識を用いて
我々がどのように霊性を向上させていくかを語り合い、互いに参考にし会うためのスレッドです
現在、精神面に何らかの支障がある方にとっては、まさに「癒やしや回復」に関する知識とその実行が
最も大切なことと思われます。それを自覚していながら怠れば、霊性は現状維持どころか退歩することでしょう
そういう現状におかれている方々にとっての霊性向上とは、どうやって精神面の健康を回復し、ごく一般的な日常生活を
送れるようになるか。この点について色々試行錯誤することが第一であって、スピリチュアリズムの中心的な実践指針である
「己を人の役に立たせる」ことについては、次のステップだと考えています
というのも、その実行は社会に出て経験を積みながら行うことが、最も理に適い、かつ一般的な方法だからです
まずは社会の荒波にもまれても、それに耐えられる健康な精神を作り上げ、社会復帰できるよう尽力なさってください
テーマを絞り込んでいると話しましたように、ここで主流となるコメントのあり方とは、実際に社会人として
様々な人々との仕事や交流を通じて体験した、苦労や失敗、あるいはいかにしてそれらを切り抜けたか、という自己修身に関する話題や
どのような状況で、どのような方法で、他者の役に立つような奉仕が出来たか、という奉仕に関する話題
それらをスピリチュアリズムの知識を元に自己検分、自己評価、反省・自戒、さらに一歩前へ進むための考え方などをお互いに提供し合いたいということです
ただしあなたの場合は、霊性向上という目的の同一線上にある体験談として投稿されていますし、癒やしや回復についても主流のテーマではないのですが
関連していますので投稿されることを疎んじることはありません。むしろ積極的に語り合いたいと思っているくらいです。ですが限られた時間の中で
あれもこれもと多種多様なテーマに対応するには、残念ながらあまりにも時間が足りません。そんな事情ですので、心苦しいのですが、現在のテーマに絞り込んで
進行させていただいております。以上、ご理解の程、よろしくお願いいたします
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
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[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27] このスレのスレ主の方は、オカルト板にあった「シルバーバーチ等の霊界通信について語る」というスレで長い間、リアリストを自称して
「スピリチュアリズムがもたらした霊的真理は真理ではない、紛い物だ。日常生活で霊性を高める行為を実践することのほうが大事だ」という主張をしてきた人とおそらく同一人物です。
ですから、スレ主の方は、シルバーバーチ等の霊界通信が伝えた霊的真理を頭から否定することに、何の躊躇もないし、罪悪感もないのです。
霊的真理を真理だと認めてないのだから、罪悪感がわかないのも当然なわけです。
わたしがいくら「スピリチュアリズムを真面目に学びたい人が混乱するから止めてほしい」と頼んでもまるで聞く耳を持たないのは、そういう理由からです。
最初からわたしとスレ主の方との間には、大きな埋め難い溝があるのです。
人間はいかに生きるべきか、どうすればより良い人間になれるのか、その為の道徳や倫理について説いてきたものは、
宗教に限らず様々なものがあります。啓発本などは数え切れないくらい世に出ているわけです。
その点に焦点を絞った話をしたいのであれば、わざわざ自らが認めていない、信じていないスピリチュアリズム・霊的真理を持ち出してくる必要はないわけです。
自らが認めていない霊的真理を持ち出してきて、それを踏み台にして代わりに自説(偽の霊的真理)を語るから話がおかしくなるわけです。
人間に自由があることを免罪符にして、偽の霊的真理を唱えるのは無責任にもほどがあるし、絶対にやってはいけないことです。 >>123
>そしてこうも言っています。納得がいかず理性が反発するのであれば、受け入れないで下さい
シルバーバーチは、人間の理性が反発を覚えないだけの霊的真理を述べた上で、この言葉を用いたのです。
自らが提示した霊的真理に、疑いを持つ人、疑問を持つ人に長い時間をかけて説明し、答えてきたわけです。
あなたのように、「神と全てが融合している」などという、人間の理性が簡単に反発を覚えるような偽物の霊的真理を
垂れ流しにして、それに疑いを持つ人には一切答えようとせずに逃げ回る人が用いても、まるで説得力がありません。
シルバーバーチの霊言の中の、自分に都合の悪い箇所、自説と相反する箇所(>>52)は一刀両断に斬って落とすくせに、自分に都合の良い
「納得がいかず理性が反発するのであれば、受け入れないで下さい」という箇所だけは有難がって重用するのは滑稽としか言い様はありません。
オカルト板にあった「シルバーバーチ等の霊界通信について語る」スレでも、あなたは長い間同様のことをされていましたね。
自らの自説(偽の霊的真理)を語った後には必ず、決め台詞のように「理性が反発するのであれば、受け入れないで下さい」という
シルバーバーチの言葉を持ち出してきました。あなたにとってこの言葉は、偽の霊的真理を語る上での免罪符・魔法の言葉になっていたのでしょう。
「理性が反発するのであれば、受け入れないで下さい」という言葉を用いる資格があるのは、自らの言葉に責任を持てる人(霊的存在含めて)だけです。
あなたのような、偽の霊的真理を信じた人が混乱しようが知ったこっちゃないという無責任極まりない、偽の霊的真理を批判する人の声には
一切耳を傾けようとしない偏屈で狭量な方が使う資格はありません。 わたしには、スピリチュアリズムがもたらした霊的真理が、改竄されたものでなくそのままの形で、
地上人に伝わって欲しいという思いがあります。
わたし自身、スピリチュアリズムのもたらした霊的真理によって、救われたという気持ちが強いからです。
神(大霊)は、万人を公平に愛している、しかも完全で純粋な愛を全ての存在に届けていることを知っていただきたいのです。
神は機械的に働く法則ではありません。完全なる愛そのものというべき存在です。
この世で、人生に疲れたと感じている方、自殺を考えている方、メンタルに問題を抱えている方、その他様々な悩みを抱えている方に、
心配する必要はないと言いたいのです。
わたしの一連の行為をしつこいと感じる方には素直に謝ります。 なるほどなるほど。
無限で純粋な愛ですよね、確かに。(知ったかぶりです)
それと機械的に働くのは因果律ですよね。
しかし>>1はもはやあなたの発言を読む気が無いようなので、どうしようかなぁ・・・ ネット版のホストみたいなの発見。
イケメンなら稼げるんだろうけど。
話が上手けりゃ稼げるかな。
誰かレポ頼む。
メンガでググると出てくる。 >>123
>大切なのは、知識を得て活用し、それを人の役に立たせること。
それについては誰も批判してませんよ。
あなたが、スピリチュアリズムがもたらした知識(霊的真理)を頭から否定して、単なる自説を
知識(霊的真理)として話を展開している事を批判してるんです。
>「スピリチュアリズムはどうあるべきか」でもありません。
スピリチュアリズムはどうあるべきか、などという話をわたしはしておりません。
わたしがしたのは、「スレ主であるあなたが、スピリチュアリズムが地上にもたらされた意義を理解なさってない」という指摘です。
この、「スピリチュアリズムが地上にもたらされた意義」というのは、わたしの個人的な見解ではありません。
霊的真理を地上にもたらした張本人である、シルバーバーチが霊言の中でその意義をはっきり述べているわけです。
簡単に言えばその意義とは、「地上人の霊性進化の助けとする為」であるわけです。
その意義を理解してないから、スピリチュアリズム、および霊的真理を頭から否定するんでしょ。
地上人の霊性進化の助けとする為にもたらされた霊的真理を頭から否定することは、このスレッドの趣旨にも反するわけです。
その為にテンプレートを設けたわけでしょ。テンプレートに誤りがあるわけではありません。
スレ主である、あなたの行為が誤っているのです。 霊性進化のために我々が目指しているのは、「神」です。 霊性進化への道を難しく考え過ぎてあと一歩を踏み出せなかった自分を振り返る@
スピリチュアリズムに限らず、過去から幾度もいにしえの聖賢が、その時代にふさわしい霊性進化への道を説かれてきました
ですが悲しいかな彼らの言葉に耳を傾ける人は限られていたようです。そして現代でも同様です
いったいどうしてなのでしょうか?
もちろん、単純に慈善行為に興味が無い、自分の欲求を満たすほうが先決、といった意識がある人はそっぽを向くでしょう
しかしおそらくは心に善意の芽吹きを感じている人であっても、彼ら聖賢によって「説かれた内容が自分には高度でついていけない」
といった、高い壁を想定して諦めてしまった人も多くいると思われます。なぜなら私個人もまさにそのうちの一人であるから気持ちが非常によく分かるのです
私は霊性進化への道を志してから、長年その道を歩んできたつもりでいますが、その実態は何度も挫折を味わって神の摂理にそっぽを向き
霊性進化への努力を放棄した空白期間も断続的な年数としてかなりあります。今ではようやくその恥ずかしい過去を振り返り、その失敗を貴重な経験として
振り返る事が出来る程度の、進歩を得ることがどうやら出来ているようです
色々と当時を振り返ると、自分の生真面目さゆえの失態が思い浮かびます。もし自分がもっと楽天的である程度いい加減な性格であったら
おそらくはそうした精神的苦悶を味わうことは無かったと思います。ですからこれは私のような感受性が強く、精神面が脆弱、そして生真面目な方へ送りたい言葉です
「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」福音書マタイ5-48
イエスのこの言葉を知らずとも、生真面目な人はスピリチュアリズムの薫陶を受けると、そこに書かれてある内容を全部実行しようと思ったはずです
それが躓きの大きな原因です。無理を重ねれば精神が疲弊しきってしまいます。そして挫折することになり、場合によってはせっかく受け入れた宝を
放り出して二度と戻る気がなくなるかもしれません。偽善の罠にかかってしまうのです。自己強制してまで慈善を行うのは本末転倒になってしまいます
小さな、非常に小さな一歩から始めましょう。他人のことは気にせず比較せず、自分自身をよく観察して過小評価も過大評価もせず、わずかばかりの善意を使い
とりあえずはそっと前へ一歩踏み出してみましょう。自分自身の良心が全て知っています。自分の良心に導きを委ねれば、自分に現在出来る
ちょうど良い善意の使い方をきっと示唆してくれるでしょう
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
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[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27][220.220.41.40] 霊性進化への道を難しく考え過ぎてあと一歩を踏み出せなかった自分を振り返るA
シルバーバーチの霊訓にたびたび語られている、非常に有意義な教訓の一つとしてこういうのがあります
「自分に出来る限りのことをすれば良いのです」
「今自分に出来る精一杯のことをすれば良いのです」
「自分に出来る限りのことをする、あなた方に求められているのはこれだけです」
表現は色々ありますが、ようするに「ベストを尽くせ」ってことなんでしょう
ところが、気楽に受け止めればどうってことのないこの教訓、表現も、当時の私のような生真面目な方であれば
こう考えてしまう可能性があるでしょう
「自分に出せるギリギリの力を出す」
まったくもってお恥ずかしい限りです。これでは限界まで力を出すってことになってしまいます
しかし大真面目に馬鹿正直に当時の自分は「出来る限り=全力」「精一杯=全力」と受け止めていて、しかもそれを
「自分自身を完全燃焼させ後悔しないための最高の方法」と喜んで受け止めていました
その当時は若かったせいもあり、理想に燃えて、とある人為的なボランティア活動を数年間続けました。平日も休日も時間の許す限り「全力」で
その結果、どうなったかというと、今だからこそ冷静に言えるのですが、ある種の人間不信、疑心暗鬼にとりつかれ
知らずのうちに「負の想念」をかなり精神面にため込んでしまいました。そのせいで仕事にも身が入らなくなり
ついには当時おとずれたバブルの崩壊という経済的な不況とも相まって、失業しました。期間は約1.5年ほどです。茫然自失な状態で
何もかもいやになって、もちろん霊訓とか読む気すら失せました。最初の一年は失業保険のおかげで定期的に求職活動をして、その報告をするだけで
手当が毎月入ってきましたから、ぐーたらでろくでなしな最低な遊ぶだけの毎日になってしまいました
今思うと、これはまさしく偽善行為の反作用だったと思います。厳しく自己強制した振り子の振れ幅が、今度は逆に惚けてやる気のない堕落した生活に反動したということでしょう
しかしこの期間は「とても貴重な暗黒期間」でもありました。それは・・・・・・続きは明日以降で
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
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[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27][220.220.41.40] 続き待っています。
私はまともな就職、と呼ばれるものをした事がなく、履歴書にも書く事がありません。
バイトだけですからね。
年齢も年齢です。この際身軽に派遣を梯子しようかとも思います。
シルバーバーチにしても、何にしても、ある時期気持ち悪いと思っていました。
読んだのはここ1年の勉強期間です。読もうとしなかったのは勿体ない。
霊的な生き方なら、仕事をするのが手っ取り早いですね。
生活費も稼げますし、人生の時関す武士はもとより、充実感を得られます。 人生の時関す武士 → 人生の時間潰し。
得意のタッチタイプもできなくなってきたか・・・ 連休なのに書き込みないね
あとね>>1さん。どうしてもあなたの間違いを正さねばならなくなった。
シルバーバーチの霊訓は今、人にあげたので1巻から集め直しているけど、
その1巻にすら神は愛であり、愛が摂理を成り立たせていると書いてあるんだ。
摂理は法則だよね。
なので神が摂理というのは間違っているんだ。神が摂理を作り運用していると考えないと、
摂理=法則は作った存在がないといけない。それを作ったのが大霊よ。
なので>>1さんには厳しい意見になるものの、もう一度シルバーバーチの霊訓を読み直すのが、
一番効果がある方法だよ。 霊性進化への道を難しく考え過ぎてあと一歩を踏み出せなかった自分を振り返るB
なぜ「とても貴重な暗黒期間」だったのか。もちろん当時はそんなことを間違っても言えるような精神状態ではありませんでした
苦しいのです。つらいのです。空しいのです。自分が分からないのです。ごく普通の社会人として励める仕事も、有意義な行動も
何一つとしてこの手に出来ず、出来るのは自分を責めることのみ。内罰的で暗澹とした毎日が続くのは、本当の意味での地獄でしょう
そうした日々の中で考えることといえば「自分とはいったい何なのか?」などではありませんでした
今さらそんな哲学的な問いはどうでも良かったのです。「どうしてこんなに自分は苦しまなければならないのか?」
まさにその一点に集中していました。苦しみが魂を、精神を、向上させる最良の薬だとシルバーバーチの霊訓にはありましたが
苦しんでる渦中にある自分にとって、そんな霊訓は苦しみを取り除くための何の解決手段にもなりませんでした
結局のところ、作用反作用という観点から苦しみの原因を探るしか、残された方法はなく
「自分の行動の何が間違っていたのか?」という、ごく一般常識的な反省をすることになりました
それまでは反省と言うよりも、自分を責めるための後悔を伴う内省でしかなかったので、その点そのものをまさに反省し
そこからは冷静に客観的に自分自身に言い訳せず、また誤魔化さないよう第三者の立場から自分を眺め
正直にその言動をチェックするよう徹底しました。その結果、予想外の結論が出ました
自分は偽善者だったのです・・・非常につらく厳しく、認めがたい結論でしたが、そう判断せざるを得ませんでした
なぜでしょうか?それはその当時の自分の苦しみの真の正体に気づいたからでした
「全身全霊を込めて人の役に立つボランティア活動を何年も続けたのに、なぜ正当な対価が得られないのか?」
この場合の対価とは、自分にとって認めたくない恥ずかしい気持ちでしたが、嘘をつかずにその点を追求すると
それは「感謝されること」でした。それはボランティア活動中、ほとんど得られることはなかったのですが
それでも何年も続けられたのは、自分の信念である人の役に立つという気持ちに純粋で、毎日を自己満足して
過ごせていたからでしょう
もしこの純粋さの裏に「感謝されたいという見返りを求める欲求」という偽善が全く無かったとしたら
その毎日がどんな結果であっても、自分自身の行為に心から充足した気持ち、まさに
生きがいと希望に満たされた生活を送り、仕事にもしっかりと自分自身の役割を果たし
仮にリストラがあったとしても、嘆きや苦しみが生まれることは無かったはずです
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
次のIPによるコメントは見えませんので(SLIPで透明可設定済み)ご容赦下さい
[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27][220.220.41.40] 霊性進化への道を難しく考え過ぎてあと一歩を踏み出せなかった自分を振り返るC
良心は全て知っていたのです。小さな偽善であっても、それが毎日何年も積み重ねれば、積み重なっただけの
大きな反作用として自分に返ってくることを。まさに偽りの善の反作用です。見返りを求め、その見返りが
あるのは当然で、見返りが無ければ自分は本当はそれを「やりたくない」・・・!
「やりたくない」という気持ちは精神面の正常な反応であって、強行すれば精神面の健康を害します
その不健康な行為を、良心は知っていたのに自分自身の信念でそれを認めず何年も続けた
あまりにも当然と言えば当然と言える反作用が、精神面の健康を大幅に苦しめる結果として戻ってきたのです
このような自分自身に一点の嘘偽りの無い真っ正直な反省によって得られた成果は、当時は茫然自失したものですが
今では貴重な得がたい経験を得られたと思い、神に感謝しています。まったく、シルバーバーチの霊訓は
正しかった。本当に苦しみそのものが、最良の薬でした。この経験のおかげで、自分では見えてこなかったであろう
何点かの教訓が、心に刻み込まれることになりました。本を読んで理解したという浅いものじゃなく、生きた実体験としてです
自分自身にとって最も価値のある知識は、実体験して自分自身の魂に行動の経験を刻みつけることにあるでしょう
それによってしか、真の生きた知恵にはなりません。知識を頭から吸収しても、実体験によってそれを魂に刻み込まなければ
そんな知識はがらくた同然です。この時の苦しい経験によって嫌と言うほどそれを思い知りました
こうして、茫然自失の結果を素直に受け取った自分がしたことは、まずは疲れ切った精神の健康を回復させることにありました
正真正銘の反省をし、納得のいく結論が出たので心はすっきりし始めましたが、長年の積もった苦しみが一気になくなるような
そんな甘いものではなかったからです。そこで精神面を癒やすために自分の良心に素直に従うことにしました
求職活動を真剣に行う活動時間以外は、今後の自分の霊性向上についてのあり方を再検討すること、そのための参考として
様々な霊信や聖賢の古典などを読んで考えてみること。それ以外は思い切って「遊ぶ」こと「飲む」こと「食べる」こと
「運動」すること
(本当は)「やりたくない」禁欲的な生活を送っていたことも、反作用で返ってきた大きな精神的苦痛の中の一つでもあると
反省して気づいていたので、それから一旦解放することにしたのです。数年ぶりにドライブや旅行に行ったり
TVの娯楽番組を見たり(見てませんでした!)、ゲームしたり、おいしい食事(美食)をしたり(玄米や菜食からの転換)
数年ぶりに飲むアルコール飲料は、世の中にこんなおいしいものがあるのかと錯覚するほど精神の傷を癒やしてくれたものです
そうこうするうちに、心の傷、精神面の損傷はほぼ回復し、その間に朧気ながら自分自身でやりたい方向性というものが
少しずつ見えてきました。しかし直近で味わった大きな苦痛のためか、「今一歩前へ踏み出す気力」がなかなか出てこなかったのも
また事実でした。それは当然と言えば当然のことで、何しろ再就職につけておらず、生活は定年退職して引退した人と
何ら変わらない状況だったからです。そこでとにかく求職活動を、本心から倍増して積極的に探し求め続けることにしました
そうしてその甲斐あってか、貯金が尽きる前に仕事が見つかり、採用され無事社会復帰を果たすことが出来ました
そうしてまた転機が訪れたのです。それは・・・・・・続きは明日以降に・・・最近忙しいので結構間が空くかもしれません
※ここは「霊性進化のために我々が目指すことを語り合う」スレッドです
次のIPによるコメントは見えませんので(SLIPで透明可設定済み)ご容赦下さい
[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27][220.220.41.40] >>148
こんにちは。何をすることが自分自身にとって「霊性進化のために我々が目指すこと」なのか
今一度再考してみてはいかがでしょうか?
私を批判しても、あなたの霊性進化には何ら良い影響はありませんし
そもそも私はあなたに自説を押しつけるつもりは全然ないのですから
大切なのは、現実的にどう過ごしどう結果を出すか。これに尽きます
それに比べれば形而上的な話はどうでもいいことです >>151
意外と重要な気がするのですが、まあ霊的進化とは関係ないですね。
モーリス・バーバネルも再生はないと言っていたそうですから。後年意見を変えたようですが。
自分を偽善と自力で発見するのは素晴らしい批判力を持っていますね。
どうも内省が弱いのか、自分の道を見つけられないでいます。
本を読む人間であれば、色々と分かることもあるのでしょうが、そう言うタイプではありません。
毎日辛いですが、生きていることだけで両親に悲しい思いをさせていないので、よしとしています。
「(寿命で)死ぬまでは生きよう」と決めていますが、儚い浮き世をさっさと去ってしまいたいです。 >>152
私は今このスレに書き込んでいる過去の出来事において、反省の期間のことを書きました
その時の経験談が少しは役に立つのではないかと思います。参考になれば幸いです
つらく苦しい時期であったその期間、正直言って何の要領も得ないまま自分自身を責めまくっていました
というのも後悔や自責の念が、次から次へと思い浮かんだからです
それに対してことごとく反応し、あーでもないこーでもないと葛藤を繰り返していました
考えがまったくまとまらず、どうにもならない毎日を過ごしていたのです
そして自分自身を見つめ直す転機が訪れた時(作用反作用の観点から一般的な反省を思いついた時)
自分のそれまでの行動をメモ用紙に「箇条書き」してみました
なぜかというと、これまで頭の中で堂々巡りしていて、何をどうすればいいか全く見当がつかない混沌した思考状態だったからです
そこで何が苦しみだったのかを探るため、記憶の堂々巡りを避けるため、目に見える形で記録することにしたのです
するとどうでしょう、今まで見えなかった苦痛の原因が見え(分かり)かけてきたのです。というのも、書き殴った苦悩の状態を
一つ一つ何度も何度も冷静に明確に眺めることが出来たからです。それにより、それぞれの苦悩の状態が
なぜ・どうして・いつ起きたのか、その時の自分はどう反応し、どう対処したか(避けたか)、どう行動したかを、客観的に探るきっかけになりました
精神的な苦痛は、場合によっては肉体的な苦痛よりもつらいことを私自身よく理解しています
まずはそのつらさを、目に見える形で、自分の言葉でメモ用紙に書き出すことをお勧めします
色々なつらさがありますが、小さな事であっても、それが原因の一つかもしれません。誰が見るわけでもないので
自分自身でいつでも確認できるよう、記録してはいかがでしょうか
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[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27][220.220.41.40] ボランティアの話で思い出したが、バーチの本とは関係ないけど、
愛について、実際に行動しなくとも、心で相手を愛すればまずは十分だと教えてる書籍もある
行動を否定してるわけじゃないが、心で相手を愛していないなら、その先にある行動も愛を伴うものにならない
行動しないことが正解、たとえば見守ることが正解なこともある
親が子供を見守るとき、愛はあるけど親は行動してない 愛ある行動とは何だろう。
憎い人や嫌がらせをする人に対してどのような気持ちで居ればいいのか。
そう言う行為をする人には哀れみの心を持つべきなのかのう? >>154
そうですね、愛とひとくくりに語るのはとても難しいことです
基本は相手の立場に立つ「思いやり」だと思います
それを踏まえて「静」「動」の観点で適切に働きかけられれば良いのではないかと思います
我々日本人は「静」の立場が得意領域な文化的特質を持つと思われるので(例えば、言わなくても分かるだろ?とか、空気を読め、とか?)
その「静」の領域が免罪符になって「動」になるべきときに動けないことがないよう心がけたいものです(私はそれを自戒しています)
愛に限らず、全ての徳は適切な時に適切な量を適切な形で分かち合い、与え(受け)られればそれが最高の状態ではないかと考えます
体を動かして思いやりを発揮する、動かさずに思いやりを発揮する、という文字通りの行動については、それが時宜に適っていれば
どちらも大切ではないでしょうか(私は行動一辺倒を推奨しているわけではありませんし、そこまで行動的ではないです・・・) >>155
最初から、例に挙げられた人々に対して哀れみの心を持つような状態は、心に壁を作って相手を拒絶する形になってしまっていると思います
まずは、つらく苦しくてもそれが本当に自分自身のなんらかの言動に誤りがないか、確かめてみることが大事だと私は長年の経験で悟りました
というのも、我々には個性があるからです。そして霊性レベルが異なっているからです。そういう混沌とした学習の場で生きているわけです
仮に同じ文化的特質を持った同胞で、しかも霊性レベルが同じであれば、個性が違っていても次の教訓は常に正しくなるでしょう
あなたがしてほしいと思うことを他の人にもせよ
あなたがしてほしいと思わないことは他の人にもするな
現実はこの通りにいかないことが多々あります(地上は霊性レベルが玉石混交ですから)
哀れみの心を持って霊性が未熟な方を思いやる意識は尊いですが
だからこそ自分自身の言動にも何か誤りがないか確認するだけの心のゆとりはもちたいものです
もう何十回も現実で経験を重ねました
「自分がしてほしいと思うことは、実は相手はしてほしくない」
「自分がしてほしくないと思うことは、実は相手はしてほしい」
簡単な実例を挙げると、私は休憩中は、せめて静かに一人で読書したり思索してノートに書いたりしていたいのですが
そういう同僚はまずいません・・・全ての仕事場において、同僚は話し相手を求めている、というのが私が得たこれまでの現実です
私は休憩中という自由な時間だから一人で自分自身のやることをしたい
同僚は休憩中だからこそ親睦を深めるため(苦労を分かち合う愚痴を語り合うためや、楽しい話題で盛り上がりたいため)他の同僚と話がしたい
こうなると東西の金言は残念ながら全く役に立ちません・・・
このように個性が違いすぎると、自分ではごく普通の言動をしたつもりが、相手によっては激怒の対象になる、ということです
これは長年の経験で悟りました。まず相手の立場を思いやってから、本当に自分に落ち度がなければ、その時初めて哀れみの気持ちが自然に出るはずです
蛇足ですが、身近にいない人のことであれば、意識を向ける必要はないと思います >>157
いやあ為になりました。
霊性のレベルが違うというのも、他にも惑星があるのに何でまた地球に色々いるのか不思議です。 >>1さんの話を聞くと、経験者の言葉なので為になります。
自分は本を読んでいないか、読んでも上の空なのかと情けなくなります。
こてんぱんにやられる経験が多いのですが、そう言う奴らを想像の中で苦しめるという報復をしました。
するとスピリチュアルをかじり始めた頃から、そういう想像ですらいけないと知りました。
これは長い間続けてきたので、今苦しいのはそのカルマがかえってきているのかも知れません。 霊性進化への道を難しく考え過ぎてあと一歩を踏み出せなかった自分を振り返るD了
転機。それは変化という意味合いだけでなく、谷底に落ちた人間が山頂を再び目指して登頂を再スタートさせるという
復活の意味もありました。一旦、底に落ちた状態でしたが、社会人としてごく普通の生活を送ることが、こんなにも
ありがたみをもって実感できるとは、思ってもみなかったことです。それは、たとえ仕事が賃金を得るためとはいっても
社会に何らかの貢献・奉仕をしていることには違いなく、それが意識せずとも深層心理下で「人の役に立ちたい」という
願いと一致していたからでしょう
そこで気づいたのです。社会復帰してから一月ほど経ったあたりでしょうか。本来、奉仕の価値に高いとか低いとか
ないのではないかと。奉仕に携わった時間が多かろうと少なかろうと、奉仕は奉仕であって、その動機と自分に対して
ひとかけらの嘘偽りもなければ、全てが尊い行いなのではないかと。この気づきで目が覚めた思いがしました
全身全霊をかけて余暇をボランティア活動にうちこむことこそが奉仕の真髄だと、自分の能力や霊性レベルを考慮せずに
結果的に失望・絶望を得るまでやる必要はなかったのです。まったくもって恥ずかしい限りです。己を知らず、知ろうともせず
知識を鵜呑みにして理解したつもりで進めた、過去の行いの愚かさが思い起こされました
そして再び霊訓のことを考え直してみました−「出来る限りのことをする」−
これは文字通り受け取ってはいけなかったのです。行為の歯止めを考慮せず、素直に受け止めすぎてはならなかったのです
前提が必要でした。その前提とは「摂理」が支配する「自然」のことでした。自然は、決して「がんばる」ことはしません
「気合いを入れる」こともしません。「無理をする」こともないから「限界」とかも関係ありません
すべてが「あるがまま」です。なんでこんな当り前すぎることに気づかなかったのだろう・・・思わず笑ってしまったものです
自分の「器」。これを超えてはいけないし、使えるのに使わず遊ばせておくのもいけない。ちょうど良いこと。腹八分目。中庸
すなわち、「出来る限りのことをする」とは中庸が基準だったのです。デルポイの神託どおりでした「汝自身を知れ」「度を越すなかれ」
この2つの格言が「出来る限りのことをする」という尺度です
(「度を越すな」は意味を取り違えないようにしないとならないでしょう。これは決して上限を戒めているだけではありません
むしろそれは本能的に理解できるのでいいのですが、問題は気づきにくいことのほうです。「下限をも戒める」こっちがもっと大事です
私達は「自分の器」を程よく充分に発揮しているでしょうか。中庸の下限を外れ、遊ばせてはいないでしょうか。怠惰であることをも
この格言では戒めているのです)
そうして、「自分自身の身の程をわきまえよう」(卑下しているわけではありません)と思い至り、初歩の初歩から
誰にでも出来ることから、偽善に陥らないよう良心の判断・反応を確認しながら、その範疇において自分を他者の役に立てる
このように決意・日々実行して現在に至ります。どうやら現在の自分は、ささやかな一歩を進められた自分になれたようです
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[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27][220.220.41.40] 霊性進化への道を難しく考え過ぎてあと一歩を踏み出せない方へのヒント
小さな一歩、ささやかでもいいから前に進みたい。でも具体的に自分が何をすればいいのか分からない
そうですね、私も現在まで試行錯誤して今日に至りますが「自分を人のために役立たせる」という基本的かつ最重要なスピリチュアリズムの指針を
字句通りに受け取ってしまうと、何かのボランティア活動でもしなければならないのだろうか。と考えがちです
その行為は西洋文化圏の人々にとっては敷居が低いかもしれませんが、我々日本人には少々敷居が高い
ですからここは東洋らしく、我々にふさわしい方法で第一歩を踏み出しましょう
日本には「陰徳を積む」という尊い美徳が存在します。これなら直接的に人の役に立つことはなくても、結果として人々の役に立つことが可能であり
スピリチュアリズムの行動指針にも適っています。何も必ず直接的に人に対して役立つ行為をする必要はありません。それは自分で無理なく
行えるようになる少し先の未来(または次回再生後に持ち越し)でも構わないと思います。まずは小さなアクションを起こすことが先決であり
躊躇して何もしないまま一生を送るより確実に霊性向上への一歩につながります
なお、陰徳の本質は、人が見ていないところでの行いとは限りません。人が見ていないところでの行いは、自分の本心本質が出るので、そこでの慈善行為は
本物である(意識過剰になって行ったり自己強制がともなったら偽善なので陰徳でもなんでもないですが、その比率が低い)というのが本来の意義です
つまり、裏を返せば人が見ていようとも、慈善行為に対しなんら裏がなく、人の目を気にするわけでもなく、行為への評価等の代償を求めているわけではなく
ただただ自分の善意に素直になって行えるのであれば、それは立派な陰徳です
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[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27][220.220.41.40] 昨今、スポーツの国際大会における観戦客としての日本人の行為に、世界中から賞賛と驚嘆の声が上がったのを覚えていられる方も多いと思います
それは(もちろん中には偽善者もいたでしょうけど)、日本人の観客が試合終了後に観客席から去って行くと、他国では絶対にあり得ないといわれる
ゴミの散乱が皆無で、各自が各自のゴミを持ち帰っていた、というものです。ある意味、こういうことは習慣づけられている場合もあるので、むしろ
なんでこんなことで騒がれるのか?別に特別なことをしていないのに。と当事者の多くはそう思っているに違いありません。だからこそ
このような「社会奉仕」につながる行為こそ我々日本人の十八番であり、敷居も低くすぐに取り組める慈善行為でもあります
社会奉仕は直接的に人の役に立っているわけではありませんが、結果として人の役に立っている、立派な善意であってスピリチュアリズムの行動指針にも適っています
まずは身近なところから始めましょう。最も身近なところといえば家族や友人です。彼らが何かして、後始末が必要であれば、積極的に手伝ったりまたは肩代わり
してあげましょう(責任を放棄した人を甘やかそうという意図は一切ありません)。そしてそのような機会、自分が気軽に慈善行為を行える機会を得られたことに
大霊へ感謝を捧げながら行いましょう。ほんのわずかな時間、小さな労力であっても、そこには確かに霊界の通貨とも言われる真実の「奉仕」があったことになります
学校や会社では、何か忘れ物をした人へそれを届けてあげたり、大切な連絡などを知らない人に伝えてあげたり、ゴミがたまっていたら片付けたり
荷物持ちを手伝ったり、探せばたくさんの奉仕活動を見つけられます。その全てが我々にとってすぐに取りかかれることばかりです。必要なのは
あとはその行為に心からの思いやりの気持ちを込めるだけ。デパートとかでドアを開くのが大変そうなお年寄りのためにドアを開けてあげたり
落としてしまった商品を拾い上げることを手伝ったり、逆にこちらが何らかの親切な行為を受けたら、ありがとうございます、と笑顔を送って感謝の意を
表したり、こうした本当に小さなことであっても、おろそかにしないでそれを積み重ねていけば、どんどん慈善行為への自信も強化されていきます
あとはそれを無理なく自分に出来る分量だけを毎日欠かさず行っていくだけです。その積み重ねでやがては「なるほど神のメッセンジャーである」
と思われるような模範的な行為を携えた人として見られる日が来るかもしれません。お互い希望を持って取り組んでいきましょう
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[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27][220.220.41.40] あれはワールドカップだったかオリンピックだか忘れましたが、ゴミ拾いをしている応援団に
私は特別高貴なことをしているとは思いませんでした。偉いのでお疲れ様とは思います。
日本人に生まれてきたのは今現在においては学べることが多いので得だと思います。
コンビニで開いたドアを次の人に譲ったりすることを考えても。外国人もしていますが。
それで私は上でメンヘラだと書きましたが、具合が悪いときは家でひっそりしているものの、
もちろん調子が良いときは働いています。パートですが、サービス業をしていました。
お客に呼ばれて分からないと言われれば、知恵を振り絞って分かりやすく伝えていました。
仕事をしているからではなく、当たり前のことだと思っていたので、分かりやすい言葉を選んだりとか
できる範囲で知恵を使いました。その位しか私にできる社会貢献はありませんし、
>>1さんがかつてたどり着き、今回書かれた境地に私も最近到達しました。
仕事は糊口を凌ぐだけで無く、結局「経済活動は人を相手にしている」とは経済学修士に言われた事ですが、
世の中上手くできていると、シルバーバーチではありませんが、大霊の作った宇宙は凄いと勝手に思っています。
普通に生活しているだけで、大霊の愛を実感できるのだから。愛とか小っ恥ずかしいですが、
日本語だと「神の愛」を表現できないので何と言えば良いのでしょうか。神の慈悲かな?
あと上で>>1さんの考えの「神(大霊)=摂理」について意見を述べましたが、
これは各人に考えがあり、シルバーバーチの霊訓でも熟考してから意見を受け入れて欲しいとあったので、
教条主義というか、シルバーバーチの霊訓に書かれていることを初めから全部鵜呑みにするというのも
違うのでは無いかと思うようになりましたことをお伝えします。 私達は大人になると、理性の働きが活発になって意志を制御するようになるし、知性も発達して理論的な考えも出来るようになります
さらに本能も成熟した状態になり、感情はますます多くの表現を出来るようになっていきます
そうして成長した現在の自分であっても、しかし本当の自分とはどんな状態でしょうか?
環境や教育や経験によって自分自身の個性が形成されていきます
ですがそのことに嘘偽り無く100%納得して人生を歩める人は皆無ではないでしょうか?
そこにこそ、この人生に価値があるのではないでしょうか?
苦痛・苦労・苦難・・・仏陀ではないですがこの世は苦しみに満ちています
私達はそのことと真摯に向き合うこと及びそれを打破しようともがき続けることで
智恵が獲得されていき、いまだ見えない次のステージにランクアップできるのではないでしょうか?
このままの状態で肉体を離れても、現状の自分のなしてきた人生の総和とそれによる霊性の微妙な変化では
さらに何百回も再生を繰り返すことになるでしょう
それは嫌だと思っても、本来の自分=個性霊に戻れば、物質界での人生に未熟さを感じて、自分から進んで再生を希望するに違いありません
なぜならば、それが向上心というものだからです
今の自分は、再生を心底望んでいるわけではありませんが、現在の人生で学べなかったことがあまりにも多いと確信できれば
(今のところそれなりに修正しつつ学べていると自負していますが・・・)、新しい環境・教育・経験を再び選んで生まれることに躊躇はありません
(正直な話、出来れば物質界への再生はもうしたくないと思っています。しかしはるかなる霊性向上のためであれば、決断はたやすいと断言出来ます)
>>163
色々とコメントありがとうございます。お互いに無理なく出来ることを正直にやっていきましょう
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[61.124.236.44][153.174.203.208][126.186.147.235][118.6.153.47][220.221.178.125]
[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27][220.220.41.40] >>152
そこは霊性進化を語る上で重要な箇所ですよ
霊性進化とはすなわち「神への近づき」です
我々の霊性進化の目標が神(大霊)であるわけです
我々が目指しているのは、完璧な心(意識)、完全なる愛・叡智です
法則・摂理という機械的な存在を目指しているわけではないのです 偽善的言説の一つの形としては、「自分の経験・体感に基づかない」ことがあげられます
第三者から眺めると、空疎に感じられるので、本人以外には分かりやすいものです
聞きかじりの一見正しいと思われるような知識を並べても、それはイエスによると「白塗りの墓」と喝破されるでしょう
人生の辛酸を舐めた(自殺を考えるほどの深刻な苦難に遭う)ことの無い方の言葉は軽いし意味がありません
言葉遊びを続けられるようなら、次はSLIPさせていただきます。なぜなら
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[60.42.110.26][113.40.119.178][36.12.8.93][220.220.148.27][220.220.41.40] 人生の辛酸を舐めた(自殺を考えるほどの深刻な苦難に遭う)ことが無いと判断した根拠は何ですか? >>165
潮文社のシルバーバーチの1巻を読んでいるのですが、
ちょうどそれを書いてあるページに来ました。p125-126です。
シルバーバーチ霊の言うところは、「大霊は摂理として働いている。
その霊力により創造した宇宙を一瞬も休むことなく働いている」とあります。
前にも書きましたが、我々が理解できるように、あるいは交霊会の参加者に合わせて
話をしていると思うので、「大霊=何とか」は「大霊=全ての源」なのかも知れません。 >>168に関して、助詞の間違い。
その霊力により創造した宇宙「で」一瞬も休むことなく働いている、です。 一月近く誰からも返事がないのか。
IP変わったと思うけど、おれ>>168,169ね。
霊性進化と銘打っているけど、自分はそこまで偉いのかどうか疑問になってきた。
木村藤子先生の本を読んで、どうもまだ地上でもが居ている感じと理解した。
シルバーバーチの霊訓などは良い本に違いないけれども、自分はそこまで至っていない。
もっと地を固める必要がある、一歩一歩着実にカルマを解消する必要があると思われる。
あと何回転生する必要があるのだろう。今回で類魂の自分の分は終わらせたい。 >>170
今の人生でやり残している事、
クリア出来たはずなのに成し遂げられなかった事は沢山あるけれど、
そのうちどれが転生理由になっているのか、判断が難しいよね >>171
思うにあと何回も転生をしそうだ。
何がカルマか一つだけ透視能力者に教えて貰ったけど、直すのは難しそうだ。
また再生が確約されているようなものです。
次回は霊の世界に200年くらい居てから生まれ変わりたいものですが、
その霊の世界も下の方の階層がせいぜいでしょう。居心地悪いから、さっさとまた再生・・・
シルバーバーチ霊は一体どれほどの人なのか、見当も付きませんね。 朝鮮の陶器を玄関に飾ると運気が落ちて没落する >宜保愛子 ちょっと失礼!
もうひとつの日月神事スレに大切な話を張り付けて置いた。
因縁の身魂を自負する者はどうか早急に目を通して欲しい。
そして心静かに自らの内なる良心の声に耳を傾けて欲しい。
宜しく頼む。
【大峠入口】日月神示 第四十七巻【肯定派専用】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/occult/1421506666/ ねえ、
どうして世界は一つの国になれないのかな。
人類全体への奉仕と愛を目的にみんな生きれば、
そして原子力利用を廃止して貨幣制度もなくせば、
人も地球も今よりずっと幸せになれるのに。
戦いをなくせたら、真の文明種族として宇宙同盟にも受け入れてもらえるのに。
なんでかな。どうしてみんな、不幸のままでいたがるのかな。 対人関係とのトラブルがあれば
自分の行動や発言を振り返ること
自分の悪かった部分は洗い出して反省する
自分が絶体正しいと意地を張らないこと
自分にもかならず要因は潜んでいるかも
しれないと省みる >>175
今隣にいる人の幸せや不幸は感じ取れても、アメリカやブラジルなんかにいる見ず知らずの人のそれは感じ取るって難しいだろ
見なきゃわからない、聞かなきゃわからない
そんな人ばかりだから(もちろん違う人も沢山いるけど)
原子力利用をやめたらさ、結構我慢しないといけないことってあるよ
電気でお湯を沸かしてる人もいるし、ご飯を作る人もいる
それを控えろって言われて、皆がみんなわかりました!ってはならない
自然エネルギーを利用するのも結構難しいし、それなりにコストもかかる
あれをやればいいのに、これをやればいいのにじゃなくて、自分から何かしようとしないと >>177
まずは、原子力発電に頼るのを止めてみようよ
地熱発電に本腰入れて取り組めば、そして既存の風水光発電も
改善の上推し進めればきっと十二分に電力は賄えるよ >>178
あのね
地熱発電が進まないのは地質調査とかでコストがかかるし、そもそも候補地って温泉が沢山ある観光地とかその周辺になるんだよ
たとえ発電所を作ろうとしても、周りの人が反対するよ
それを抑えるのって誰?
風力発電だって落雷で発電止まるしいつも一定の風が吹いてて住宅の無い広い所なんてなかなか無い
家の近くだと騒音問題やらが出てくるんだって
水力発電はダムを作るよね
ダムができるって事は、もともとそこにあった自然ってどうなるか知ってる?
太陽光発電は家屋に取り付けるのはともかく、土地を探してパネルを設置ってなったら、やっぱりもとからあった自然ってなくなっちゃうんだわ
それにパネルで反射された太陽光のせいで家に住めなくなったっていうのもあったよね
あーしようこーしよう、じゃないの。口だけなら私だっていろいろ言えるよ。
改善するのも進めるのも私たちじゃないからね
きっとできるなんて言葉、私は無責任だと思う
と、まあ
長々書いたけど、私たちが考えるような事なんていうのは国のお偉いさんが既に考えてくれているものがほとんどだよ
放射能を除去する方法だって時間はかかるけどちゃんとあるし、被ばくしたからって奇形だのガンだのに絶対なる訳でもないみたいだし
私らは私らのできる事をやるの
あの人がこうしてくれないから、じゃなくて、私がこうする、っていう感じになって欲しいなー節電するとかさ 去年、アメリカのダグラスグラマンかどこかが、核融合炉を10年後に小型化するって
ニュースがあったけど、あれどうなんだろうね。日本でも常温核融合の研究が進んだとか。
俺はこれに期待しているのだけども。 ダグラスグラマンじゃなくてロッキードだったかなぁ?
社内チームの「スカンク・ワークス」というステルス機開発したとも言われるチームが担当している。
トレーラーに積める核融合炉をね。これでエネルギー問題は解決すると思うんだ。
アメリカは中東に絡むのがエネルギーの石油問題だから、戦争も減るだろうと楽観視している。
あと>>1さんは去ってしまったか。
「霊的進化」というのは日々の善行の積み重ねと、多分仕事をすることで人間性を磨くことだと思う。
多くの人と出会ってさ。俺には無理だけど。
その上で人間を磨くのだと思うから、霊性進化の何か特別な方法なんてないのだよね。
セミナー出ても無駄だと思う。 スカンクワークスはロッキードマーチンでした。
核融合が簡単にできるようになる社会を目指して、炉の小型化に取り組んでいます。 >>179
地熱発電の候補地すべてが温泉街という訳でもないよ
国有地、自然公園の範囲内にあるものだって幾つもある
自然エネルギーを諦めないで。原子力に頼らずとも、十二分にやって行けるさ >>183
原子力発電を一つなくしたとして、それで減った電力を補うためにどれだけ風力発電機や太陽光パネルを設置しないといけないと思ってるのさ
自然エネルギーでどうにかできる電力を超えてるから節電して欲しいのに
原子力に頼らなくてもとか言う前に電気に頼り過ぎるのをやめていった方がいい気がする。無理そうだけど 虚空蔵55 (2016/5/29 No.328)
『東海地震は来ます』
(そう断定した時点から変動は始まるのですが、そのリスクを考慮してもここで開示すべき事象ということでもあります)
今のところ既にお伝えしていたように8月の後半から9月中ということです。
公表を控えていたのは事が大きく、その規模は別にして影響のある地域が「中京地区」「東海地区」「神奈川」「関東」と
日本の中枢部全域にわたるものでしたので、出来るだけ慎重に精査をしていました。
東海地震には多くの事前準備が必要ですので、皆さんは落ち着いて今出来ることを粛々と進めてください。
大前提は宇宙全史の「20年後世界人口は半分になる」以降の書籍をしっかりと読むことですが、目前に迫った事象には具体的
に水や食料(保存食)、汚物の処理袋など災害に備えた物品をある程度の量用意しておくのがいいでしょう。
http://www.mandarake.co.jp/publish/space/ 最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。
差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。
彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。
日本から始まる世界的株式市場の大暴落
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。
日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、
マイト レーヤは出現するでしょう。
マイト レーヤはまずアメリカに現れ、それから日本です。
彼は日本語で話し、非常に物静かなやり方で話します。
彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。
マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。
彼は「匿名」で働いております。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。
矢追純一
「宇宙人側からの申し入れは、
核の利用と戦争をやめ宇宙人の存在を公表しなさい。
ロシアという大国の首相がね、2回も言ってるんだからね。」
竹下雅敏
「どうも日本人のレベルの低さというのは、
ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、
日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。」 とりあえずアドレスを貼るのみで、当スレからは立ち去りますが、
たとえ暇つぶしででも、
もし興味ある方は読まれて下さい。
『救済的真理の伝達・証明』
《神・転生の存在の科学的証明》
http://message21.web.fc2.com/index.htm
特定の宗教では無く、「普遍的な神や死後の報い・因果応報」を理性的に知る為に凄く良い本。
有名なアラン・カルデック著の
『霊との対話-天国と地獄2』
唯一、幸福の科学出版という部分だけが少し抵抗あるけど、
内容は全く幸福の科学は関係無いので安心して読んでほしいと思う。
ちなみに『天国と地獄1』は既に廃版で新品では手に入らないし、自分も読んでいないけど、
『天国と地獄2』だけで充分だから、全ての「神や死後世界に関心ある人」にお勧め。
最初に最終章のアランカルデック自伝部分は必読。
この本の冷静な説得力が分かります。 2000年の少し前頃に発刊され、アメリカでベストセラーになり、日本を始め、
いまや30数カ国以上に翻訳されて読まれているニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『神との対話』シリーズの神。
どこか特定の宗教だけの神ではなく、
世の多くの宗教にインスピレーションを与えてきた普遍的な唯一の神。
今回は宗教や格式を超えて、愛を持って気さくな形で人類に語りかけてきてくれた。
この愛の神を本当に信じ、心に受け入れれば、本当に世界の観方と経験が変わると思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome いろいろと役に立つネットで稼げる情報とか
役に立つかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
4AP6F 急にチャネリング出来る様に……
のスピリチュアルの人の著書やブログ等には注意!
自分の魂の幸せだけを追求する
ワクワクドキドキの道に進むことを
推進している
向上心でなくエゴの固まりにしむけられる 「電磁兵器」開発はここまで進んでいる!
「SAPIO」 1997.10.8号 著者・元UPI東京支局長グレン・デイビス
1958年 Orion
薬物、催眠術、脳電気刺激。
☆標的は短距離、人に直接。
☆周波数はELF変調。
☆伝送・受信はレーダー、マイクロ波、ELFで変調。
☆効果はプログラミング。
1960年 MK−DELTA
微調整された電磁波によるサブリミナル・プログラミング。
☆伝送・受信はテレビアンテナ、
ラジオアンテナ、電送線、マットレスのコイルなどを60ヘルツ配線で変調。
☆目的は一般人の行動や態度のプログラミング。
☆効果は疲労感、気分のムラ、 行動機能不全、社会的犯罪行為。
1983年 PHOENIX U
電磁波をつかって特定集団を標的とする。
☆標的は中規模範囲。
☆目的は彼らを使ってさらに 大衆をプログラミング。
他に地質活動を休止状態にする、特定の地域に地震を起こすなど。 1990年 RF MEDIA
電磁波を使った国民へのサブリミナルな暗示とプログラミング。
☆ 実施方法はテレビやラジオ「ビデオドロームシグナル」。
☆目的は行動欲求をプログラミング、心霊能力を破壊。
集団的電磁波コントロールの準備過程。
1990年 TOWER
電磁波による全国的サブリミナル・プログラミングと暗示。
☆ 標的は一般大衆。
☆ 方法は携帯電話網。
☆ 目的は神経の共振とコード化された情報を通してプログラミングする。
☆ 効果は神経細胞の変性、DNA共振の修正、超能力の抑制。
1995年 HAARP
電磁波によるDNA共振誘発と一般大衆のコントロール。
☆ 周波数は大気中の位相固定式共振UHF、VHF。
☆可能性は国民のDNAコードを変える、集団的に行動を変える。 『日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔』
日本国・日本民族破滅計画
・家族制度破壊
・義理人情抹殺
・拝金主義
・突端主義
・恋愛至上主義
・3S政策事なかれ主義(Sports Screen Sex)
・俗吏属僚横行
・愛国心の消滅 など 悪魔崇拝イルミ○ティの行動綱領
@すべての既成政府の廃絶とイルミナティの統括する世界単一政府の樹立。
A私有財産と遺産相続の撤廃。
B愛国心と民族意識の根絶。
C家族制度と結婚制度の撤廃と、子供のコミューン教育の実現。
Dすべての宗教の撤廃。
他 『カトリック教会破壊工作(侵入されたカトリック教会)』
工作員を聖職者制度の中へ送り込み、
司祭や司教といった地位に昇らせ、
人々の信仰を破壊すること目的。
似てはいるが本物でない違った宗教(悪魔崇拝)にする。
○ミカエルをミサ中であるか否かを問わず、すべての祈祷から完全に削除せよ。
○ミカエルのすべての絵をとり除け。
○すべての天使の絵を取り除け。それは神話でありお伽噺なのだと言え。
○すべてのラテン語典礼、歌を止めさせよ。
○プロテスタントの牧師を結集し、ミサの改訂と非聖化を行え。
○聖なるオルガン音楽を止めさせよ。ギター、太鼓、足踏みを持ち込め ○ベールをかぶらぬよう、女たちを先導しろ。
○女性侍者、女性司祭になるように女たちを動かせ。
○女性と平信徒に聖体を配らせろ。平信徒の時代なのだと言え。
○聖体拝領の時に、両手を合わせるのを止めさせよ。
○聖体拝領の時に、跪きを止めさせよ。
○金曜日に肉食しないこと、断食のごとき四旬節中の償いの慣習を止めさせる。
○司教会議を設置し、教皇を弱体化させるようにせよ。
○司教不足を理由に、教会を閉鎖に追い込め。
○完全に気を緩めるように仕向けよ。
○キリストは、すでに我々のために天国を勝ち得ているので、人間の努力は不要であると言え。 >>197
C家族制度と結婚制度の撤廃
とはフリーセックス化にすること。
悪魔崇拝イルミ○ティやフリーメ○ソンがよく好む事。
嘘の理論に騙されたりしないように。 青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 - 1998年4月11日)は、僧侶
宗教法人 妙法山 龍覚寺)慈雲院 山梨県都留市朝日曽雄1138
山梨県都留市で「妙法山 総本山 龍覚寺」建立
慈雲院建立中に誤って悪霊を召喚してしまい 地域に悪霊の磁場が出現
朝日川キャンプ場殺人事件が発生してしまう
民宿やすら園は悪魔祓いのための施設となっている
●霊障をおこす霊の種類
(イ)死霊・・・・死者の霊のこと。特に成仏(悟り)していない迷いの霊、
十界でいえば六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人界・天界)
の世界にある霊のことで、障りを起こすものを言う。
(ロ)生霊・・・・今現在、肉体を持って生存しているものの霊はすべて生霊
なのだが、特に怨念霊を指すことがある。
(ハ)水子霊・・・妊娠2ヶ月目から出産までの間に、堕胎したり、流産した
ものの霊のこと。
(ニ)地縛霊・・・生前にその土地に執着があったり、その土地で殺されたと
か、事故死したとか、何らかの深い関わりがあって、死ん
だ後も、その土地、その場所から離れることの出来ない霊
のこと。
(ホ)浮遊霊・・・生前の苦しみや怨みの念があって成仏出来ない霊のうち、
よりどころなくふわふわとさ迷っている霊のこと。
(ヘ)因縁霊・・・先祖の霊など、その人に関わりのある人の霊のことだが、
先祖代々の霊自体が、生前にそれぞれ深い関係を持ってい
た霊もこれに属する。私はそうしたヨコの関係霊のことを
”有縁霊”と呼んでいる。
(ト)畜生霊・・・動物霊ともいう。犬、猫、蛇、狐、狸の霊。そればかりで
なく、人間が畜生道に陥っている霊のことでもある。
(チ)タタリ霊・・霊障を起こしている霊一般のこと。
(リ)天魔・・・・悪霊ともいう。霊障を起こすもの全て。マイナスのエネル
ギーを持つものの最大なるものを天魔と呼んだりする。
令和元年9月28日の慈雲院龍覚寺 霊性進化
鑑定・修霊瞑想 PM 8:00
山梨県都留市朝日曽雄1138
http://www.myouhouzan.net/yotei.pdf
青木慈雲 - まいり
http://mairi.me/-/1061797?reply
民宿やすら園
山梨県都留市朝日曽雌1344
恐ろしい悪魔祓いの園 夜中にピエロや幽霊がが歩き回る異界
あの世とこの世を繋ぐ扉がある空間
日本で唯一の霊場 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています