琉球新報と沖縄タイムスが米海兵隊総司令官の「普天間飛行場の建設時の写真を見ると、数キロ内に人は住んでいなかった」発言に激怒
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
http://anonymous-post.com/archives/23242
またもや耳を疑う発言が飛び出した。影響力のある米海兵隊トップが発した言葉だけに、看過できない。
米海兵隊のロバート・ネラー総司令官は2日、国防総省での会見で、米軍普天間飛行場について「非常に古い施設で第2次世界大戦にさかのぼる。建設当初の写真を見ると、数キロ以内に住む人はいなかった。今は飛行場周辺の市街地がフェンスのすぐ近くに広がる」と述べた。
大きな誤解を招く問題発言である。
普天間飛行場はアジア太平洋戦争の戦中・戦後にかけ、住民が収容所に入れられ隔離されている時期に、集落があった土地を米軍が奪って造った基地である。
戦前、飛行場が建設された場所には集落が存在し、宜野湾村役場や国民学校があった。
戦後、収容所から故郷に帰った住民は、飛行場周辺に住まわざるを得なかった。ネラー氏はこの事実を完全に無視している。
あたかも住民が自ら飛行場に近づいたかのような、うその事実を作り上げ、基地被害の責任を住民に転嫁する意図さえうかがえる。許し難い内容だ。それこそフェイクニュースと言わざるを得ない。
<中略>
影響力を持つ米関係者や著名人の発言は、誤りでも事実であるかのようにインターネット上などで拡散し、誤解を生む。それだけに放置できない。発言の撤回を求める。
そもそも普天間飛行場の成り立ちは戦前にさかのぼる。米軍は沖縄戦前の1943年の段階で、普天間飛行場が造られた場所での滑走路建設を検討していた。
米機密文書によると、建設場所は人口密集地であることを把握していた。
普天間飛行場は、国際法であるハーグ陸戦条約に違反する基地である。
条約は戦争の必要上やむを得ない場合は敵の財産の破壊や押収を認めているが、民間地の奪取は戦争中でも禁じている。
これに照らせば、民間地だった普天間飛行場は本来、戦後すぐに住民に返されるべきものだ。
住民は土地を奪われた上に、米軍機の墜落や落下物などで生命が脅かされ、騒音被害も著しい。人権じゅうりんが続き、住民を不安に陥れている普天間飛行場は即時に返還されるべきだ。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-714407.html
次は沖タイ
この手のうそをいつまで言い張るつもりだろう。
米海兵隊トップのネラー司令官は2日、「普天間飛行場の建設時の写真を見ると、数キロ内に人は住んでいなかった」と述べた
▼何度でも書く。飛行場の土地は戦前、宜野湾村の中心地として栄え、約9千人が暮らしていた。
沖縄戦で米軍はこの地を国際法に違反する形で奪い、14集落をつぶして基地を造った
▼簡単に調べられる史実であり、諸説はない。
だが同様の発言は2010年に元在沖米国総領事のケビン・メア氏、15年に作家の百田尚樹氏も述べ、ネット上で生き続ける。
うのみにする人も少なくない
▼なぜこんなうそが繰り返されるのか。民有地収奪の基地建設を正当化したいからか。
「危険な飛行場」になったのは、故郷を奪われて周辺に住まざるを得なかった人々の責任にしたいからか
▼字宜野湾郷友会は16年、お年寄りから聞き取りを重ね、戦前の集落をCGで再現したDVDを作った。
百田氏の発言を受け、「私たちの故郷が間違いなく存在したことを発信したい」との思いからだった
▼基地建設時の写真に人が映っていないのは当然だ。米軍が人々を収容所に閉じ込めている間に、集落を跡形もなく壊したのだから。
発言が勉強不足か意図的かは分からないが、そこに生きた人々の記憶や歴史まで奪おうとするのは冒涜(ぼうとく)だ。(磯野直)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/248519
(略)
※管理人記
こちらのブログで上手くまとめられています。
参考にどうぞ。
農と島のありんくりん
「普天間基地の成り立ちを淡々と振り返ってみよう」
管理人
ネットの反応
名無し
>戦後、収容所から故郷に帰った住民は、飛行場周辺に住まわざるを得なかった。
戦前から1万人以上住んでたのか。すげえな。
名無し
では実際の写真をご覧下さい↓
(略) 都合の悪い真実なんてのはどこでもあるさ
戦後直後の土地問題なら朝鮮人による強奪とかはその最たるものだしな
叩くなら両方叩かないと シナの資金がこなくなってもまだ書くのw、
さすが、ジャーナリズム騙しい。 文句を言う資格があるのは
当時の集落の住民とその子孫までだろ
今ではほとんどの住民が単なる移民だろうに
それこそ抗議活動のために引っ越してきたのもいるし 故郷を奪われた、これはわかる。
だが「だからその周辺に住まざるを得なかった」はわからない。引っ越すという概念はないのだろうか 飛行場を作る為にその土地に住んでた1万人近くを収容所に閉じ込めて
建設が終わったら全員そのまま開放するって
当時の米軍はとんでもなく暇だったんだ家な 民家に飛行機が墜落した調布の空港周辺もそうだよw
後から空港周辺が住宅街になるのよくあることよ 養豚場 養鶏場
しまいにや幼稚園だ保育園だって文句付ける参入住民。 以下、文中のURL先からの引用。なかなか冷静なよい引用元だった
では、これらの学校がいつ出来たのか調べてみましょう。
・沖縄県立普天間高等学校・・・1946年(昭和21年)
・宜野湾市立大山小学校 ・・・1946年
・宜野湾市立宜野湾小学校・・・1946年
・宜野湾市立普天間中学校・・・1946年
・宜野湾市立嘉数中学校 ・・・1962年(昭和37年)
・沖縄県立中部商業高等学校・1965年(昭和40年)
・宜野湾市立普天間第二小学校・1969年(昭和44年)
・沖縄国際大学 ・・・1972年大学設置(1959年創立)
・宜野湾市立大謝名小学校・・1976年(昭和51年)
・沖縄県立宜野湾高等学校・・・1981年(昭和56年)
・宜野湾市立志真志小学校・・・1982年(昭和57年)
・宜野湾市立宜野湾中学校・・・1986年(昭和61年)
・沖縄カトリック中学・高等学校・1994年(平成6年)
・宜野湾市立長田小学校・・・1999年(平成10年) 普天間基地が出来たのが45年なので、めぼしい学校施設は全部その後に建てられたのが
整然とわかってしまうのすき 伊丹空港なども同じだけど、圧倒的多数は空港(基地)が出来てからやってきたニューカマーだ。 先祖代々の土地ってのはまあ、あるさね
それは理解できる
しかし移り住んできた奴らは最初から分かってた事だろと >>1
実際米軍の言う方が基本的に正しいからな。
少なくともあそこまで普天間の周りに住宅は立っていなかったし、
学校だって、米軍基地ができてから作られたしな。
日本の内地だって、ヤクザの事務所の隣に
小学校が移転して、ヤクザの事務所に立ち退きを
命じたとしても、通るとは限らないからな。 >>1
サツマイモ畑だったと日本の番組で見たような 琉球新報と沖縄タイムスは、
たしか新華社通信の子会社ですよね。 日本が敗戦によって米軍に摂取され普天間飛行場が米軍が使用するようになった時点では
米軍の言う通りであったことが当時の写真で明らかである。これは事実である。また米軍は
飛行場の周辺に建物を建て住居とするのは危険であるから禁止していた。これも事実だ。
問題は飛行場に隣接して住居や学校がなぜたてらっれるようになったのか、また県の建築
申請や許可を誰がどのようにして今のような危険な状況になるまで建築許可を与えてきたのか、
堅の行政と政党の結びつきはどうだったのか等々を正確に確認したうえで結論を出さないといけない。
要は故意に飛行場周辺に家を建てさせて危険な状況に仕立て上げたのは誰か、それを明らかに
しないといけない。
今や沖縄の土地など不動産は中国企業や中国人によって買い占められている。
北海道でも中国資本が買い占めを進めている。なぜか、それは中国が海洋進出に都合のよい場所が
沖縄と北海道だ。中国資本が買い占めた土地を中国海軍に100年貸し出したらどうなるんだ。中国基地
になってしまうだろう。日本人はそれでよいのか? 本当のことを指摘されて、パヨクが逆ギレしてやんのwww >>9
普通に考えれば近くに先祖代々の土地や墓色々あるやろ >>16
昭和天皇と米国との取り決めで
戦後50年で返還される予定やったから
その取り決めの前提に基づいて
基地周辺に戻った人も多かったんやろ
で引っ越す言うても資産捨てて移動できるわけもなし
相当な金持ちじゃないとむりやで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています