霊視点考:ひとを守る救うことは自らを守ることスレ

1自らの守り方載せたボランティアです。2018/10/18(木) 20:31:00.55ID:ZcdAf62V
ひとはなぜ守られるのか?→他人を守るから。他人の命を救うから。他人の人生を救うから。他人に対し(行うことに、守るに足るほど)の役に立つから。他人の…

と、何をするか。どんなそれを、量率高く多くするか。これによっては、守りの多さ?つよさ?が、●ダメージさん方よりあるかないか、が決まる。とか

●ダメージさんとは、守りに足る被害や、不運不幸などに見舞われるような現状や過去やこの先など→その総量の悲惨さなどにより守られる人はいるとか。
こういった例外以外で、守りとされるものを身にまとう?ように、加護されていくにはやはり何をして一行目をより量多くはたしていくかによる…率によって

守るに足るに満たる…に該当するものとになるともすれば、晴れて守護が入る。ような人となりえるのでは?という霊考スレ じじいの霊考ぶれーこーですが。。ひとつ(スレ


守らないに足ることをするのは人は簡単である  ←単純に、今マイナスの世問題となることの中にをみていくなかに、よーっく垣間見えることが多々ありますかな。

守護がない。とか、あるとか、人というものはだれしも自分ではなかなか気づき難きことであるが故という話をしませう、ひとはだれをも守護はあるのか?

という問いに対し、無ければ無きようにひとは生きたり無きなりにそうなっていくものであり、それが運命と…言わざるをえないようなものですかな。
守護ありだと自覚や他覚できるものあるなしを問わず、そういうひとは幸運である。と思います。
(やはり、生きている限りなるべく人は皆、良100悪0にして生きていく努力は必要ですな、こういったことを考えてみるひとときは。こう、いつも思いますな)

守護ある人に対し「悪意を持てば、うっ…となる(そして去るか…と、引き返す一時など」←こんなことがあると、やはり守護としか思えないようなものあり。

害しようと思えばできる時、↑悪寒がすれば、害しようとする対象か自らかに対してどちらかにまもりあり。ですかな、これがありえることが、あるそうな。

だから、まもりとは、尊きことであり。在れば、感謝をし。より一行目につとめて現実を悪無し害無しにして良善ばかりにしていく。
これを‘守る’ひとは自らをも守護するものとし、真っことによき人には、さらに現実の自守以外の、めにみえぬなにか。にも、色々と現実感あるように守られていく…。
そういうものです。
という、善100悪0という比率で生きるは、人の道の善道というものであり、だからゆえボランティアは必要であると。

わたくしめはそう、思えるのでありましてな、それでこのスレを立ててみて伝えてみてはどうだろうかと、そう思い立ちまして書いてみた次第であります。

もしも、守りがあるとすると、おめでとうございますかな。頭を下げて、そのよろこびを羨ましくも思います。
ですから、わたくしめも…つとめて現実の慈善に励む努力を忘れず。そして、それを伝えていきましとうも申すものでもあります。
守り在りし人ならば→自覚や他覚両者らにとってありがたや。と思えるような、感覚?や現状・現況などを維持していくためにもまた、一行目をみますといいですかな。

が、、守護まもり守りを消さないように努力するにはまた、やはり下行の事をみて考すべきでもある。とも、書いてもおきますかな。

分かり眼で、一言でいうと非人道的事やスレ趣旨とは逆の事することは、守護まもり守り逃がし。いわゆる“ガードはずし”で、良人生やいのちすら失うリスクが伴うとか。

だから、あくじはすべて、一生涯、ひと微の害とするものさえも、しないことに限りますな。ひとというものは、みな、そうであるが、しあわせではないでしょうか?
ノシ
(余分文)
ワンポイントですかな。→:ご先祖様にお線香をあげるだけ、神社寺社に賽銭を入れるだけでは、守護に足るか否か?ですよ。慈善は皆していきましょう
(一生涯みんな色々なるボランティアをしていくのもまた、ひとの幸せの道の一つでもあるのでは…と、そうも書いておきます。では)

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